Delivery the Devil.



「お〜痛い、こりゃあかん。ポッキリ折れちまってらぁ。どうしてくれんだ坊主」

わざとらしくしかめ面をつくる大柄な男が、折れたと主張する腕をプラプラと振るわせていた。
パンチパーマとサングラス、目が痛いほどに明るいスーツと悪趣味なネクタイの男がどんな職業であるのか容易に察しはつくものである。
その場所は大通りから一歩ビルとビルの間へと入り込んだ場所であるため、助け舟はもとより期待できない。
絡まれている帽子を目深にかぶった青年はオロオロとするばかりで、謝罪の言葉一つ思い浮かばない。

「す、すみま」

「すみませんですんだら、警察はいらんとちゃうかぁ?」

ようやく口をついた言葉も、その先からさえぎられふさがれてしまう。
さらに何時までも帽子を取らなかったのが気に喰わなかったのか、男の手が青年の帽子に触れた。

「坊主や、謝ろうっちゅう気持ちがあるんなら帽子はとらなあかんで、そうやろ?」

「あ、ちょと帽子はまずいんです」

「これから慰謝料の相談使用って時に、それはないやろ。さっさととらんかいッ!」

むしりとる様にはがされた帽子は男の手中に収められ、青年の顔があらわとなった。
すると今まで威勢のよかった男の顔色が、瞬く間に青くなっていく。
呼吸でさえ辛そうに口をぱくつかせ、酸素をむさぼろうとするが、うまく行かないようだ。
だが訓練していない人間が呼吸をしないで居られるのはせいぜい一分から二分という所である。
ついに耐え切れず男は逃げ出した。

「う、うわぁぅおらわ!!」

意味不明な言動を残して男が去った後に、取り上げられた帽子が落下傘のようにゆっくりと落ちた。
青年はそれを拾い上げると二、三度汚れをはたいて再び目深に被りなおすと何事もなかったかのように歩き出した。
よく見ればショックで肩が落ちていたかもしれないが、それに気づくける者は何処にもいなかった。





木作りに瓦をかぶった古めかしい造りの店頭に掲げられているのは、万魔店(まんまてん)と太い筆で力強く書かれた看板。
一目で何屋さんなのかわからないそのお店には、ショーウィンドウどころか説明書き一つ見当たらない。
主要道路から外れた路地にあっては、なおさら怖がって客足は遠のくばかりであろう。
そもそも訪れようとするお客がいればの話であるが。
だがそんな謎めいた万魔店の引き戸を躊躇なく開いて入り込んでいく帽子を目深に被った先ほどの青年の姿があった。

「こんにちわ、朝霧 ナギ。入ります」

「いらっしゃーい」

帽子をとってペコリと軽く頭を下げて入り込んだ事から、従業員かなにかであろうか。
黒ずんだ木造の家屋はやや薄暗いが、彼が言い放った直後にはそれに負けないぐらいに明るい女の子の声がお店の奥から返ってくる。
トテトテと擬音が聞こえそうなほどのリズムで出迎えに来たのは、かなり背の低い少女であった。
さもおかしそうに彼女はナギと名乗った青年に笑いかける。

「あはは、ナギ君ってば何時も通り怖い顔だね。それでこそ、万魔店で雇ったかいがあるよ」

「人の気にしてる事を当人の目前で言わないでください、チコさん。ついさっきもヤクザ風の人に絡まれたのに、この顔のせいで化け物に会ったみたいに逃げられたんですから」

「いいじゃない、いいじゃない。役にたったのなら」

ナギはそう言われる事になれているのか、軽く肩を落とすだけであった。
だが軽く肩を落としただけにしては、ナギの顔は酷すぎた。
決して醜悪なわけではない。
洗濯ばさみかセロハンテープでも使っているのかと疑いたくなるようなほどにつり上がった眼は、瞳が上まぶたに埋もれる三白眼。
真一文字に引き締められた唇からは、どういった理屈か犬歯がニョキリと顔を出している。
極めつけは、髪の毛が重力の束縛を振り切って空へと一直線に伸び、常に怒髪天をついていた。
パーツ一つ一つで見れば、人相が悪そうなですむのだが、全てが絡むと極上の料理のように互いの個性を引き出しあうのだ。

「と言うか、何時も通りってのはそのままお返ししたいんですけど」

ややジト目が入ったナギが見つめる先にいるチコは、ナギよりも五つも上の二十四歳に見えないほどの幼子っぷりであった。
身長は百五十に一センチ足らずで、腰よりも下へと垂れる赤茶色の髪を肩後ろで二人に縛っている。
ぷっくりとやわらかそうにふくらんだほっぺたの上には、クリクリの目とハの字の眉毛。
意味もなくつけている万魔屋エプロンの、円の中に書かれた魔の字がなんともアンバランスである。

「はーい、ナギ君のわけわからない意見は置いておいて。今日もお仕事がんばりましょー、オー!」

「しかも自分の現実だけは、ちっとも見ようとしないし。おー」

投げやりな掛け声にハの字眉毛を地面に対して平行にさせると、チコはやり直しを要求する。

「元気ないよ、ナギ君。オー!」

「オー!」

「はい、よくできました」

程よくご機嫌になったチコは、褒めるためにナギの頭に手を伸ばすが当然届かない。
放っておけば何時までも届かない場所に手を伸ばし続けるので、ナギはやれやれと軽くしゃがみこむ。
一回、二回、三回とナギの頭を撫で付けたチコは、上がってくれとばかりにコタツのある奥の部屋へと案内する。

「それで今回の仕事は決まってるんですか?」

部屋へと上がりこみコタツに座りながら、ナギはコタツの上に散らばった書類を前に尋ねた。

「んーっとね、まだだよ。今選んでる所、ナギ君も手伝ってね」

「わかりまして。でも最終決定はチコさんに頼みますよ」

書類が散らばっている時点で歩い程度、その答えには予想がついていた。
すぐに手近にあった書類に手を伸ばして、さらっと目を通していく。
その書類にはデカデカと「求む、強力な魔王」と書かれていたが、ナギは特に気にした様子もなかった。
それはチコが手にした書類も、未だコタツの上で散らばる書類も同じであり、二人ともがノーリアクションなのには理由があった。
何故なら万魔店の仕事は魔王屋さん、この宇宙にあまたある世界へと魔王をお届けするデリバリー魔王だからである。
本来魔王とは力ある者の総称であるが、実際になってみても良い事などはほとんどない。
真面目に世界を手に入れようとすれば勇者を名乗る人間に命を狙われ、大人しく世の為に世界の統治を行ったにも関わらずレジスタンスが発生する始末。
魔王は大事を成せないなんて言葉までが生まれだした頃には、表立って魔王を名乗るものはいなくなってしまったのだ。
すると不思議なもので、世界中、宇宙中で不都合が起こり始めた。
魔王が現れないせいで堕落を極め始めた王や、魔王に備えたはずの武器で戦争をしだす国々。
これはいかんと過去に魔王を名乗る事を止めた七人の大魔王が集まって創ったのが、魔王組合である。
魔王組合が集めた求む魔王の声を書類に纏めて、組合傘下の店頭に配りお手軽な魔王を派遣しようと言う商売であった。
万魔店もまた、その魔王組合の参加にある一店舗なのである。

「しかし、どの書類も大勢の店員がいりますね。見てくださいよ、コレ。三十人。魔王に参謀、元帥、将軍が五人にエトセトラ、エトセトラ。大魔王直営の大型店でしか対応できませんよ」

何枚も書類ばかりとにらめっこを続けて、いい加減嫌になったとばかりにナギが文句を垂れる。
対するチコも同じ気持ちであったのか、弱ったとばかりに一度体を小さくさせたが、すぐに自分自身で奮起した。

「万魔店は私とバイトのナギ君だけだもんね。でも諦めちゃ駄目だよ。ちゃんとやる気をもって目を凝らしてれば、良いお仕事は向こうから」

来るもんなんだよと諭しきる前に、グゥ〜っとチコのお腹が悲鳴を上げた。
恥ずかしそうに上目遣いにチコがナギを見ると、わざとらしく聞こえなかった振りをして時計を見ていた。
時刻はちょうど午後三時を示していたが、ナギは何も言ってくれず、諦めてチコは立ち上がろうとする。

「オヤツにしようか。ナギ君もお腹すいてるよね。なにかあッ」

その時コタツの上から舞い上がった一枚の書類がチコの足に吸い寄せられるように落ちた。
まだ見ていない書類であったが、どうせまた必須人数がと思ってみているとチコの目に二人というありがたい文字が入った。

「ナ、ナ、ナギ君。二人って、コレに決めていい? と言うか、コレにしようよ!」

「チコさんが良ければ僕はバイトなんで特にいいですよ」

「じゃ、じゃあ早速!」

ごそごそとコタツの中からチコが取り出したのは、電話線のない黒電話であった。
黒電話であるからして旧式のダイヤル式で、早速魔王組合へと問い合わせる。
ジーコ、ジーコと間抜けな音が数回なると呼び出し音が鳴り、電話が取られてすぐにチコはまくし立てた。

「あの地球にある万魔店の緋芦 チコですけど、請けたい仕事があるんです」

「はい、地球の万魔店の緋芦様ですね。それでは書類に記載してある召還ナンバーをどうぞ」

「えっと、AZ−911です」

「AZ−911ですね。ただいま情報の照会を…………えっ?」

何か不都合でもあったのか、止まってしまった受付嬢に先約があったのかとチコも焦る。

「もうすでに受け付けられちゃってますか?!」

「いえ、そうではありませんけれども……本当にこれを受けられるのですか?」

「はい、丁度二人だなんて今の経営状況にバッチリグーです。問題なければさっそく受付をお願いしまーす!」

「あ、ちょっと緋芦様ッ!」

なにやら受付嬢が叫んでいたようであったが、チコの方も断られてはたまらないと早々に黒電話の受話器を下ろしてしまっていた。
魔王組合も組合と名がつくほかの組織と一緒で結構いい加減な所があるので、わざわざかけ直してくる事はないだろう。

「仕事とれました?」

「うん、多分すぐにでも宅急便で」

「こんちわーっす。次元超越便ですけれども、緋芦 チコ様はご在宅でしょうか?」

「あ、来た来た。ナギ君、これ判子。受け取ってきてね」

バイトの身の上で僕がですかとは言えず、しぶしぶナギが返事をして入り口へと荷物を受け取りに行く。
直後、雑巾を引き裂いたような男の汚らしい悲鳴が響き渡った。
何事かとチコが顔を出すと、単に突っ立っているだけのナギの前で腰砕けになっている次元超越便のお兄さんがいた。
しかもなにやらすみません、許してくださいと何か許しを得ようと必死に懇願しているようである。

「ナギ君、一体なにしたの?」

「つい帽子を被るのを忘れちゃって。でもコレが普通の反応なんですよ。チコさんは慣れすぎです。それで荷物はこのスーツケース二つですか?」

「う、嘘じゃありません。創造主的な何かに誓って! それとできれば判子を、朱肉を持ってきてますんでどうか僕の生き血だけは!!」

「いや、そんな汚いもので判子を汚せませんけど」

チコから預かった判子をうつと、ひざまずきながら後ずさると言う高等技能を発揮しながら次元超越便の青年は下がっていった。

「あっはっは、そうですよね。僕のような汚らしい血で貴方様の判子を汚すわけにも行きませんよね。もう二度と御前には現れませんから、どうか追っ手だけは差し向けてくれなさるな!」

なにやら奇妙な捨て台詞を吐いていたが、チコは特に気にせず、ナギは少し傷つきながらも二つのスーツケースを運んでいった。
それをコタツのある部屋に置くと、それぞれに取り付けてある名前札を確認する。
片方は魔王と書いてあり、もう片方は黒騎士とかいてあった。
まあデリバリー魔王なのだから魔王があるのは良いとして、ナギは毎度の事ながら恐る恐る問いかけた。

「もちろんチコさんが魔王役ですよね?」

「あったりまえじゃない。いくら怖い顔だからってナギ君に魔王はまだ早いよ。もっと大人になったらね」

小さなチコに言われても何時になったら人類は大人になれるんだろうと、哲学的な思考にはめられそうになるだけである。

「あ〜、まあいいか。それじゃあ、こっちのスーツケースですね」

「こっちね。あ、それとこれから着替えるんだから、覗いちゃだめだぞ」

大人ぶっているつもりか、そんな台詞を吐いたチコであるが、スーツケースを手に持って、そこで固まっていた。
勢いをつけてみたり、持ち上げて駄目ならと引っ張ったり押したりと無駄にしか見えない努力を繰り返している。
仕方ないなとこっそりナギがスーツケースを押してやると、予期せぬ形でスーツケースが動き出したためバタンとチコがスーツケースごと倒れこんだ。
う〜っと唸りながら起き上がったチコの視線は、しっかりとナギを恨んでいたりした。

「す、すみません。手伝おうかと思ったんですけど」

結局ナギがお詫びと言う形でスーツケースを運び、お互いに着替えを済ませて、店のさらに奥にあるとある場所で待ち合わせた。
四畳半ほどの広さしか無いその部屋には、異世界へと続く次元の扉が床一杯に備え付けてあるのである。
だがナギの注意は見慣れた次元の扉にではなく、今現在自分が着ている黒騎士の装備にあった。

「なんか何時もの支給品の装備のわりには、妙に高級感漂う鎧のような気がするな」

ナギがそう思うのも無理はなく、組合が貸し出してくれる装備は酷い時で皮の鎧だなんて時さえあるのだ。
そういう場合は大抵文化レベルの低い世界である場合が多いのだが、今回は全身漆黒の甲冑に同色でフルフェイルの兜。
さらには抜刀するのさえ気後れしそうなほどに装飾の施された鞘を持つ刀剣である。
どんな仕事内容なんだろうと、書類の確認に戻ろうかと悩んでいる間に、着替えを済ませたチコがやってきてしまった。
長い髪の毛を頭の後ろで纏め上げ、体の大部分は足元で引きずるマントで覆い、その中は厚手の長袖上着一着のみ。
これはこれで明らかにおかしかった。

「って、なんで上着をそのままワンピースなんですか?! 普通黒いズボンでしょうが!」

「だってズボンまでブカブカではけないんだもん。すそを何十にも折り曲げるのも格好悪いし、それにほら。腰でベルトを締めれば、ほら。ミニスカートだよ」

「だよじゃないですよ。ちゃんと組合から支給された装備をしないと、保険の適応外になっちゃいますよ!」

「大丈夫、大丈夫。それじゃあダイヤルをAZ−911に合わせて」

「聞いてくださいよ、チコさん!」

ドアの中央にあるダイヤルを回し、受付嬢が召還コードと言っていた番号に合わせはじめた。
これでこの次元の扉から魔王を必要としている異世界へと繋がる手はずである。
チコがダイヤルを合わせている間も、まだまだ言い足りないとばかりにナギはチコに言い聞かせようとするが、またしても聞いていなかった。
しかも間の悪いことに召還コードが合わさった途端に次元の扉が勢いよく開き、二人を飲み込もうと大口を開けていた。

「ちょっと、まだ話が」

「さあ、魔王を必要としている世界へ。お仕事、お仕事、がんばりましょう!」

「がんばる前に、規律を守ってください!」

決して届かないナギの訴えを最後に、次元の扉は開いた時の半分以下のスピードでゆっくりと閉じていった。





七色が溶け合い螺旋を描くようにも見える奇妙な空間を一瞬にも満たぬ時間で突き進み、ナギとチコは辺りの七色に溶け込むようにして消えた。
次元間移動が終わり、地面へと足が着いた瞬間、辺りを確認するよりも前に建物全体が激しく揺れ始めた。
震度一か二程度であろうが、石を積み上げてつくった壁や天井からほこりや欠けた石材の粒が降ってくる。
全身甲冑を着込みフルフェイスの兜をかぶっているナギは揺れ以外あまり関係なかったが、チコは降ってくるそれらに対し髪に掛からぬようにマントを掲げた。

「ちょっと来るのが遅かったのかな?」

ポツリと漏らされた言葉が間違いではないようで、誰かの悲鳴とは違う叫び声が響いた。

「勇者が攻めてきたぞー! 一般市民は部屋の扉を閉めて出てくるな、兵士は死なない程度に相手をしろ!!」

建物全体が揺れているにも関わらず走り回り大声で命令を出しているのは、頭髪も眉も髭すらも真っ白な老人であった。
この場で一番偉いのか、彼の命令に従い、女子供は慌てながらも段々と姿を消していき、武器を持った男たちは決まった方角へと進んでいく。

「ええっと、それから宝物を奪われないように隠して、嗚呼時間が足りん。だいたい組合に要請した魔王は一体何時になったら」

グチグチと文句を言われているのは自分たちだと確信すると、チコが老人に声をかける。

「お爺さん、お爺さん。私た」

「ええい、子供は早く奥に隠れていなさい。そこの黒い君、この子を連れて行ってあげなさい。親御さんとはぐれたようだ」

声をかけたのに完璧に迷子と間違われているチコは、何を言われたのか理解できなかったようだ。
キョトンとしている彼女に代わり、ナギが少しだけ落ち着けとばかりに老人の肩に手を置いてその動きを止める。
まだやる事があるとそれでも暴れる老人の意識に、ナギは名乗る事で割り込んだ。

「混乱している所すみません。魔王組合から派遣された万魔店の者です。状況の説明を願えますか?」

「おお、失礼しました。貴方が組合の。見たところ黒騎士のようですが、魔王殿は……」

「いえ、こちらですけれども」

「魔王組合傘下、万魔店店長の緋芦 チコです」

先ほどの迷子発言を綺麗さっぱりなかった事にして、恐ろしいほどに無い胸をはるチコ。
再び起こった揺れと轟音が何処か遠い所で発生したように錯覚するほど、時が止まり、やがて動き出した。

「もぉ、駄目じゃ。所詮わしらは魔王が居なければ極悪勇者に蹂躙される運命なんじゃッ!!」

「落ち着いてください、お爺さん。僕らがなんとかしますので、落ち着いてください!」

「そうです。私が来たからには、勇者なんてちょちょいのちょいです」

クルクルと杖を回してからビシッとチコが何処でも無い場所を指し示す。

「一億歩退いても魔女っ子にしか見えないですぞ! 高い金を出して要請した魔王がこれでは。では今からテイクツーと言う事で、何故に魔王殿が来られないのですか!」

「勝手にテイクツーに、しかも全て見なかったことにしないでください! あっ」

暴れる老人をナギが羽交い絞めまでして落ち着けようとしたさなか、偶然ナギの兜が取れた。
ガシャンと兜が床で音を立てる前から、老人はナギの顔を凝視している。

「…………」

「えっと」

「怖ッ、その何処からどう見ても凶悪でいて完全無欠に悪党面はさぞかし高名な魔王にほかなりません。どうか、どうかッ! 魔王殿、是非この無力な老いぼれの願いを聞いてくだされ!」

「嗚呼、これはこれで酷く納得いくけど、いかない!」

「魔王殿ぉッ!」

ナギに縋ろうとして暴れ叫びつくした老人が息切れをした所で、ようやく相互コミュニケーションが成り立つようになった。
ここは間違いなく魔王のいない魔王城であり、しかもすでに勇者に進入を許してしまったようだ。
だが老人の話では、ナギとチコはどんな手を使っても良いが、勇者を殺したり必要以上に痛めつけてもいけないらしい。
何故なら今回勇者は先走って魔王城に突入してしまっただけらしく、政治的裏取引では人と魔族は和平目前であったようだ。
そこで勇者、つまり人間の英雄を倒してしまっては角が立つと言う事らしい。

「ふぇ〜、随分複雑な事になってるみたいね」

「できれば穏便に退いてもらいたいのですが、何処にでも自己中心的な人物というのはいるもので。こちらの話は聞いてくれず、何度追い返そうとしても力づくで来る始末」

「わかりました。ようするに生け捕って送り返せばいいんだよね。ならナギ君、魔王らしく謁見の間で待ち構える事にしましょうか」

「はい。お爺さんは引き続き一般の方と、兵士の方の避難をお願いします」

凶悪な面の割には丁寧にペコリと頭を下げてから、先に走り出したチコを追いかけていくナギ。

「ううむ、やはり心配だのぉ」

なんともチグハグな魔王と黒騎士に、老人の心配は尽きないようだ。





薄暗い部屋の中に幾つもの松明が掲げられ、やや盛り上がった場所にある玉座に座るチコをぼんやりと浮かび上がらせていた。
何処かと誤魔化すまでもなく、その童顔から怖さよりも微笑ましさが浮かび上がってしまうのはご愛嬌。
フルフェイスの兜をかぶりなおした黒騎士の格好をしたナギがそばに立つ事で、なんとかおどろおどろしい雰囲気を保っていた。
その二人が見守る中、謁見の間へと入る事のできる唯一の扉が強く壊れるほどに叩かれ、弾け飛ぶように開いたかと思うと、止め具が壊れたのか内側へと倒れこんできた。
壊れた扉が謁見の間の空気を仰ぎ、松明の炎が揺れた。

「ふっふっふ、随分好き勝手に暴れてくれたようだが。それもここまでだ、勇者よ!」

玉座から立ち上がったチコが、指差しながら言い放つ。
対する勇者は、無言のままただが、ナギと同じようなフルフェイスの兜の中からしっかりと玉座のチコを睨みつけていた。

「どうした勇者よ。この魔王の姿に恐れを抱いて声も出ないようだな。このまま逃げ出すならそれもまた良し。歯向かうのであれば、筆舌にしがたい恐怖をその身に刻みつけてやろうではないか」

結構ノリノリでチコの舌が滑らかに舞うが、相変わらず無言の勇者の腕がプルプルと震えているのは気のせいか。

「ふ、ふざけるなッ!」

「え?」

「やっぱりそうですよねぇ」

元々おお真面目なチコにとっては勇者のやるせない怒りは寝耳に水で、ナギの方は諦めにも似た言葉を漏らしていた。
何故怒られたのか理解できないチコが首をひねると、ますます勇者の怒りに油を注いだようだが、まだチコは気づかない。
しかもコソコソとナギに意見を求めたりもしてしまう。

「ねえ、ナギ君。なんかあの勇者さん怒ってるよ。私何か台詞とちったりとかした?」

「台詞と言うか、チコさんの存在そのものがすでにとちっていると言うか」

「ん〜ごめんね、バイトのナギ君に聞いたのが間違いだった。高等な職業問題なんてわかんないよね」

自分で聞いておきながらふざけたきり返しをしてきたチコに、慣れた笑いを向けるナギであるが、目の前の勇者はそれではすまなかったようだ。

「何処の世界に、そんなこじんまりとした可愛らしい魔王がいるんだと言っているんだ。一度トイレで鏡を見て来い!」

「ナギ君、今気づいたんだけどあの勇者さん女の人みたいだよ。ほら、声とか」

「あ〜、最近は男女同権で珍しいとまではいかないみたいですね。チコさんだって女魔王じゃないですか」

「ああ、そうだよね。凄いナギ君。よく気づいた」

「人の話をきけぇッ!!」

ダムダムと女勇者が地団駄を踏むと、綺麗に並べられていた石畳が無残にも砕けチリへと帰っていった。
どうやらかなりのご立腹らしく、問答無用で腰にさしていた剣を鞘から解き放ってきた。
色々な意味でやる気らしい。

「もう小さなことなどどうでも良い。そっちのチビッこいのは置いておいて、黒いお前は強いのであろう。ならば戦え! その為に私はここまで来たのだ」

「うわぁ、本当に自己中心的な理由だね。もう少し落ち着いて自分を省みてみると、お友達が今の倍にはなると思うよ?」

「なんの説得力もないわッ!!」

チコの突込みにもめげずに女勇者が剣を振るうと、剣の刃が疾風を生み出して謁見の間を駆け抜けた。
石畳を割りながら突き進むそれは、石畳を割り続けながらナギとチコの間をすり抜け、後ろにあった壁までもを砕き裂いてようやく止まった。
あまりの人間離れしたその攻撃力にナギどころか、さすがのチコも血の気が引いていた。
特にナギは何処にでもいる普通の若者であり、手から炎が出たり、黄色く光る何かが出るわけでもない。
唯一手にしているものと言えば、組合から支給された黒い甲冑と剣だけである。

「チ、チ、チコさん。なんかおかしくありませんか? すっごく怖いですよ! この仕事っていつものFかEのランクですよね?」

「えへへ〜、実は適応人数しか見てなくてランクまではちょっと」

「なにをわけのわからない事を言っている!」

そう言えば受付嬢が何かを必死に止めようとしていた事を思い出しながら、ナギは跳び上がった女勇者が剣を思いっきり振り下ろしてくるのを見ていた。
やっぱりこんなバイトやめておけばよかったと思う反面、こうでもしなければあるものが見つからないだろと葛藤が生まれる。
だが振り上げられた刀身がスローモーションの様にみえると同時に、何故か自分も同じように組合から支給された剣を抜刀して掲げようとしていることに気づく。
剣と言う形を持った金属同士がお互いの刃をむさぼりあう様に奇声を上げた。
ビリビリと伝わる一撃の威力におののきながらも、それを受け止め、なおかつはじき返した自分にナギは驚いていた。

「へ、なんで? 何もできなかったはずなのに」

「今の一撃を止めるとはなかなかやるじゃないか。だがこれならどうだ!」

「ちょっと待ってください。なんか変なんですけど!」

一体何が起きたのかとナギに考えさせる暇を与えてもくれず、女勇者は今度は一撃の威力を落として数多く打ち込みに入った。
下段から打ち込まれた一撃をいなしたかと思えば、返す刀で打ち下ろされてくる。
まるで誰かに操られているように体が勝手に反応するとはいえ、それに何時までも体がついていくかと言えば別問題であった。
ミシリ、ミシリと無茶をするたびにナギの体が悲鳴をあげ、ナギ自身が体の痛みに悲鳴を上げそうになった時、彼女が声を張り上げた。

「暗黒より生まれし閃光よ。燃やし尽くせ、黒閃!」

一瞬の殺気を感じて女勇者が退くと、ナギしか居なくなったその頭上に現れた巨大ヤカンから沸き立つコーヒーが惜しげもなく注がれた。

「うぉ熱ッ! しかも鎧の隙間からねっとりとコーヒーが絡みつきますよ、熱いッ!!」

「ナギ君、駄目じゃない。ちゃんと足止めしておいてくれないと」

「す、すみません。急にチコさんが魔法を使うもので」

「人のせいにしないの!」

どちらが加害者かはハッキリしているのに、何故か謝っているナギに女勇者が突っ込んだ。

「違うだろ、邪魔をしているのはそっちのチビッ子だろうが。貴様もいちいち謝るんじゃない!」

「でも一応雇い主ですし……」

「雇い主とか言うな、イメージが壊れるだろ。本当に貴様らは腹がたつぅッ!!」

なんだかちょっと涙声が混じりだした女勇者である。
ヒステリックな声とも言うのかもしれないが、やっぱり人の話を聞かないチコは次なる魔法の準備に入っていた。
魔王組合から支給された謎の杖を空へと隙さすように掲げ、叫ぶ。

「ナギ君、なんだかわからないけど今のうちに回復いくよ。漆黒の闇に埋もれる安息の吐息よ。みなぎる力を与えよ、黒華!」

チコが叫んだ次の瞬間、クラッカーを鳴らした音を丸く滑らかにしたような音が幾つも鳴り、辺り一面を灰色の煙で覆っていった。
思わず吸い込めば鼻にツンと来るような臭いの煙に、咳き込みだしたナギと女勇者。
一体どんな回復魔法だと疑問に思うよりも先に、その結果が二人の周りを包み込んでいた。
赤やら黄色、白から青と、ありとあらゆる色彩をそろえた花畑が生まれていた。
石畳を持ち上げてでも咲き乱れるそれらは、その美しさに反してたいした根性である。

「確かに癒されますけど、これじゃあちょっと傷の痛みはひかないですね」

「だったらせめてこの花たちの様に強く生きていこうと誓って生きていこうよ、ナギ君」

「貴様らうああぁぁぁぁッ!!」

チコの説得にナギが答える前に、女勇者の剣が激しく彼を打ち据えた。
なにやら実力以上のモノが込められていた気もするが、ナギが倒れこむのと同時に彼の兜が外れて転がっていった。

「ナギくん!」

「もう殺す、チビッ子だろうが苦労性の可愛そうな黒騎士だろうが殺す! もう、知るもんか!!」

「よくもナギ君を!」

お互いに親の敵を見るかのようににらみ合ったが、かすれた声が間に割ってはいる。

「う、痛ッ……アイタタタ、死ぬかと、思いました。これも組合の支給品のおかげなのかな」

打ち据えられた側頭部をおさえながら、ナギは立ち上がっていった。
それでも相当なダメージだったようで、ゆっくりと立ち上がった今も目の光が朦朧としている。
痛みを生み出さない程度に頭を振ったナギは、そこでようやく自分の兜が脱げている事に気づいた。
慌てて何処かと探すが、漆黒に塗り固められた兜は辺りの草花たちに埋もれて探しようがなかった。
そして仕方がないと諦めるのと同時に、女勇者と目があってしまい、急いで顔を隠そうとするが不可能であった。
どれだけ心に痛い反応が返ってくるかと思いきや、勇者はナギの予想だにしない台詞を吐いてきた。

「ふん、腰の低さからどんなに情けない面かと思ったら、なかなか良い面構えでは無いか。気に入ったぞ、さあ剣を取れ。仕切りなおしだ!」

「え? すみません、もう一度言ってもらえますか?」

「良い面構えだと言っているのだ。いいから剣をとれ!」

やはり聞き間違いではなかった事を確認したナギは、なんとなくチコを見てからもう一度女勇者に視線を戻した。
ナギの顔を直視しても怖がった様子など欠片もなく、むしろ挑発的に笑いかけてきている。
そんな情報が高速でナギの頭で処理されてからの行動は、光に迫ろうかと言うほどに早かった。
一瞬で女勇者の前に立つと、驚いた彼女が剣を振るよりも速く片手で振り上げられる前の剣を払い落とし、そのまま両手を握り締めて言った。

「結婚してください!」

「はぁ?」

「貴方のような女性を、異世界にきてまで探していました。僕の顔を怖がらない。なんて素敵な女性でしょう!」

「おい、コイツ頭おかしいんじゃないのか?」

ちょっと引き気味に女勇者が問うたのは、びっくりした表情のまま固まっているチコであった。
助け舟すら無しかと何もかも諦めようとすると、徐々にチコが俯いていくのが見えた。
次から次へと垂れ流されるナギからの世辞を聞き流している女勇者は確かに見た。
何から何まで魔王らしくなかったチコの、本当に魔王らしい顔を。
チコの小さな体から生まれるのは、真に黒い闇の光。

「おい、こら。なんだかすごくやばそうだぞ。手を放せ!」

「放しません。あなたがイエスと言うまでは!」

「イエス、イエス、イエス。だから放せ、もう駄目だッ!!」

ようやくナギの手が女勇者を解放するが、時すでにおそしであった。
黒い光はチコを完全に包み込んでおり、卵の殻が割れるようにヒビが入った刹那、魔王城を今までの比では無いほどに揺るがす爆発が起きた。





万魔店の奥のさらに奥にある次元の扉、そこが勝手に開くとまず始めにチコが飛び出してきた。
続いてはいずるようにナギが苦労しながら出てくるが、チコはぷいっとそっぽを向いて助ける気はないようである。
ずりずりとナギが完全に次元の扉から抜け出ると、またもや扉は勝手に閉じていった。

「チコさん、一体何が。気がついたら女勇者の人はいないし、体が痛くて……満足に動けないんですけど」

「知らない。そんなことよりも、さっさと着替えないと次元超越便の人がきちゃうよ。急いでね」

「あ、待ってくださいよ。チコさん、なんか怒ってません?」

「怒ってなんかいません」

チコの言い草に対して、やっぱり怒っているんじゃとはナギには言えなかった。
正確にはさっさと着替えにいってしまったチコに、言わせてもらえなかったのだが。
ナギが痛む体を引きずり着替えに行き、黒騎士の鎧を元のスーツケースに入れてコタツのある部屋まで行くのに計三十分。
とっくの昔に着替えを終えていたチコは、すでにコタツの中にいたりした。

「えっと……」

妙に気まずく、無意味な言葉を漏らしてみるが、無意味なだけに後が続かなかった。
それでも必死になってナギは話題を探そうとすると、未だコタツの上に散らばっていた魔王求むの書類が散らばっているのが眼に入った。
そう言えば今回の仕事のランクはいくらだったのだろうと、手に取った瞬間に万魔店の入り口から裏返っている声が響いた。

「こ、こんにちわでございますです。緋芦様はいらっしゃいますでしょうか? どうか緋芦様のほうが出てきてくれやしやがりませんか?」

「ふふ、すっかり怖がられちゃったね。これでまた次元超越便のウチの店の担当者が変わっちゃうね」

らしくはないが、ようやくチコがくすりと笑ってくれ、ナギはどこかほっとしてつられる様に笑う。
またここでナギが出て行くと面倒になるので、チコがスーツケースを一つずつ運んで私、変わりに小包を受け取ってきた。
よく見ると小包の上には添えるように手紙が貼り付けられている。
座りながらチコがその差出人を確認すると、驚いたように声を上げた。

「あ、パパからだ」

「お父さんって、確か魔王組合の七人の大魔王のうちの一人でしたよね?」

「えっと、今回チコがAランクの仕事を引き受けたと聞き、慌てて支給装備を最高級の品にすり替えておきました。無事であるならばすぐに電話をする事。久しぶりにチコの声が聞きたいです。ラブリーパパより」

役員が贔屓で支給品に色をつけたとか、自分でラブリーだとか色々突っ込みどころはあるが、今突っ込むべきは一点であった。
先ほど掴んだ仕事の書類をナギが確認すると、仕事ランクの所にAと言う文字が輝いていた。

「チコさん、仕事選ぶ時に人数以外のところ確認しました?」

「ううん、してないよ。だって二人でできる仕事がそれしかなかったから」

「しかもですよ、よく読んでみるとあの女勇者の人これまでに魔王組合の人を十人以上病院送りにしてるって書いてあるんですよ」

「へぇ〜、やっぱり強い人だったんだ。よかったね、パパが支給品を摩り替えておいてくれて。今度ナギ君の分も含めてお礼しておくね」

「あは、はははは…………」

考えてみれば、いつも仕事の終わりに次元超越便が贈りつけてくる仕事料は普通の封筒である。
なのに今回届いたのがずっしりと中身のつまった小包とくれば、もはや一連の疑問を疑うまでも無いだろう。

「すみません、もうバイト料とかいらないんで今日でバイトやめます!」

これ以上ここにいたら、さすがに命が無いと逃げ出すが、すぐに後ろからチコが体当たりで止めてきた。

「だからいつもナギ君ほどこの仕事に向いている人はいないって言ってるじゃない。止めさせないんだから!」

「向いてる向いてないの話じゃないんです。言うなれば信頼関係が根底から崩れてるんですよ!」

「それにお嫁さん探しはどうするの? ナギ君も言ってたじゃない、もう自分の顔を怖がらない人は異世界にでも行かない限りみつからないって!」

とっさにチコの口から放たれた言葉は十分過ぎる程に、威力があったようだ。
今すぐ、一分一秒でも早く万魔店を出て行こうとしていたナギの足が完全に止まっている。
しかも眉に力を込めて考え込む姿は、かなり真剣なものであった。
自分で言っておきながら、きっぱりと納得できなかったチコは、札束の詰まった堅い小包を手にとって、思いっきり振りかぶっていった。

「なんだかよくわなんないけど、ナギ君の馬鹿ーッ!」

色々な意味での叫びが二つ、万魔店の中に響き渡っていった。

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