最終話・それぞれの想い 護る者達
大魔王ゾーマは地上界への侵攻を宣言した。これに対しアリアハンの王は直ちに重臣達を集め、会議を開く。だがその会議もあくまで人としての誇りを捨てずに戦うべきだと主張するグループと、ここは降伏し、民と国家を安んずるべきだと主張するグループに別れ、平行線を辿った。
「はあ・・・どうしたものか・・・」
王は憔悴した様子で頭を抱えていた。その時。
ダァン!!
勢い良く会議室のドアが開け放たれた。中にいる全員の視線がドアに集中する。そこには、
「お前達か、カイン・・・」
そう、カイン、マリア、フォズの三人。彼等は全員その身に愛用の武器と旅の道具を携え、今にも出陣しようという格好をしていた。
「はい、ご無礼はお詫びいたします。ですが、どうしてもお伝えしなければならないことがあり、こうして参りました」
とカイン。その顔には覚悟が現われている。そして、マリアが前に進み出て、その先の言葉を継ぐ。
「こうして議論をしている間にも大魔王の侵略は始まるかもしれません。ならば我々の為すべき事はこんな会議室で意見を戦わせる事ではない筈です。こんな事をしている間にも、何にも代えられぬ時間は出血し続けています」
痛い所を突かれた様で、大臣達の顔が曇る。
「誰も戦わないのなら、僕達だけでも戦う。これ以降、僕達は独自の行動をとらせていただきます」
きっぱりと言い放つカイン。だが次の瞬間に、口々に非難が巻き起こった。
「何だと!? 馬鹿も休み休み言え!!」
「そうだ、ここでお前達が下手な動きを見せればそれがアリアハン全体の意思と見られかねないのだぞ!!」
「お前達が倒してきたバラモスでさえゾーマの手下に過ぎなかったと言うではないか。倒せる確証はあるのか!? 確証は!!」
それを見て、唇を噛み締めるカイン。結局この大臣達は自分で何かを決める事が出来ないのだ。だから言い訳や文句の数が多くなる。たとえ降伏したとしても、その後ゾーマが自分達を生かしておく保障などどこにも無いと言うのに・・・
カインはそんな大臣達の罵声など聞こえぬかのように、王に向かって言い放つ。
「王様、確かにお伝えしましたよ」
そう、自分達は旅立ちの許可を貰いに来たのではない。ただ、ゾーマを倒す為の新たなる旅立ちを宣言するために来たのだ。カイン達にとって、王様の返事が「YES」であろうと「NO」であろうと、関係は無かった。そして、王の返事は、
「分かった、分かったともカイン。お前達の自由を認める。ただし生きて戻れ。それが条件だ」
「必ずや」
カインはそう短く、やはりきっぱりと答えると、会議室を後にした。
「で? どうするの? これから」
廊下を歩きながら問うマリア。カインは立ち止まる事無く、返す。
「どうするもこうするも、行ってみるしかないだろう? 今の所有効な情報は”それ”しかないのだから」
そんな彼の胸に去来するのはバラモスの最期の言葉。
『お前達が勝利した所で何も変わりはしない。敗者は戦いから解放されるが勝者を待っているのは更なる地獄・・・だ。それが闘争の契約だ。あるいは、お前達はここでワシに殺されていたほうが幸せだったかもしれん・・・』
あれはこの事を、大魔王ゾーマの存在を暗示していたのだ。
「でも信じられるのかしら? まあ今となって彼女が私達を騙す理由も考えられないけど」
そう言って懐からラーの鏡を取り出すマリア。その鏡の表面には、血文字が書かれていた。これは鏡を用いた通信呪文の一つだ。そこにはこう書かれていた。
勇者カインとその仲間達よ。もしあなた達が無駄だと分かっていても、足掻く事を止めないのなら、それが万分の一の可能性であっても、大魔王ゾーマを打倒する事を望むのなら、ネクロゴンドの「ギアガの大穴」に向かうべし。そこにゾーマのいるもう一つの世界への扉がある。
リンダ
「まったく、髪のお手入れの最中にこんな通信を送ってくるなんて!! 正直同じ女として常識を疑うわ!!」
「ラーの鏡で髪の手入れをするのもどうかとは思うけどね」
憤慨するマリアと的確な突っ込みを入れるフォズ。カインはそんな二人を見て、フッと笑うと、言った。
「行こう。彼女を、リンダを信じて」
ネクロゴンドと同じくらいの険しい山脈地帯を越えた所に、城が一つ建っていた。この城はその立地条件から人を寄せ付けず、また積極的に人の世に介入する事もせず、ただ静かにつつしまやかなその城の住人達と共に、誰にその存在を知られる事もなく、霧の中にその姿を隠し続けてきた。
しかし今、この城はかつてない喧騒に包まれていた。
「侵入者だ!!」
「女王様に一歩も近づけるな!!」
「我々が相手だ!!」
斧や槍といった標準的な武器で武装したホビットやドワーフの兵士達がその侵入者の前に立ちはだかる。だがその佇まいはいかにも頼りない。一目で戦闘に慣れていない事が分かってしまう。
それも無理からぬ事だ。今までこの城を攻めてきた物など殆どおらず、それゆえに兵士達も実戦から遠ざかっていたのだ。
「雑魚に用は無いの。私が会いたいのは竜の女王様、ただ一人よ。どきなさい!!」
その侵入者、リンダが一喝すると、兵士達は途端に腰が引けてしまった。しかし、その中の一人が、自暴自棄になったのか、叫びながら彼女に斬りかかった。
「やれやれ、命は大切にするものよ?」
と、あきれた様にリンダは言うと、バギを唱え、兵士を吹き飛ばした。他の兵士達が、床を転がる兵士を受け止め、彼女を睨みつける。彼女は楽しそうに唇を歪めると、
「イオナズン」
を唱えた。一瞬の間を置き、爆発。その煙が晴れると、立っている者は彼女だけだった。床には兵士達が転がって、呻いていた。だが、その呻き声の数からして、どうやら兵士達は全員が生きているようだ。
彼女がそんな兵士達を尻目に城の先へ進むと、巨大な扉に突き当たった。見るからに重そうな、力自慢が十人束になっても開きそうにない程の大きさ。しかし、それすらも彼女を止める事は出来ない。
「メラゾーマ」
再び呪文を唱えると、彼女の右手から放たれた炎の塊が、扉の触れた部分をドロドロに溶かし、ちょうど彼女一人が通れる位の大きさの穴を開けた。その穴をくぐると、そこには、
「ようこそ我が城へ。超魔導師リンダ・・・私が竜の女王です」
一人の女性が彼女を出迎えた。その容姿は女性であるリンダも思わず息を呑むほどに美しい。だが少しばかり顔色が悪いようにも見える。病気でもしているのだろうか。
「お初にお目にかかります、竜の女王。ご無礼はどうかお許しください。何しろ私のような一度闇の道を歩んだものはこうでもしないと入れてもらえないでしょうから」
と、恭しく、自嘲気味に挨拶をするリンダ。竜の女王は「いいのよ」と笑った。
「さて、早速ですが本題に入りたいと思います。大魔王ゾーマがいよいよ地上界への侵攻を開始するとその姿を現しました。それを討つべくアリアハンの勇者カインとその仲間達も行動を開始しましたが・・・今の彼等ではゾーマに勝てない。それはお分かりでしょう?」
「・・・ええ、そうですね。ゾーマは禁呪法の奥儀の一つ、『闇の衣』を習得しています。あなたが習得したマダンテと対をなす絶対防御の呪法・・・その前にはいかなる攻撃も空しく吸い込まれるのみ」
憂いを秘めた表情で説明する竜の女王。それは最早自分の力ではどうすることも出来ない、と悟っているための、絶望と諦観故のものだった。だがリンダは違った。
「だからこそここに来たのです。女王様、あなたはその闇の衣を剥ぎ取る唯一の手段である最高級の魔法具のひとつ、『光の玉』をお持ちとの事。それを私に預けてはいただけないでしょうか」
「・・・どういう心境の変化ですか? 闇の道を歩んできたあなたが?」
先程のリンダの言葉を借りて、すこし皮肉るように言う竜の女王。リンダは笑って、
「確かに私は一度は自分の弱さを棚に上げ、人を憎み、殺し、あまつさえ全てを巻き添えに世界の終焉をもたらそうとした。でも、そんな私に、あの子は、ノアだけは諦めずに・・・私の暗く、冷え切った心に暖かい灯りを点してくれた。だからこんな私でもやっと目覚める事が出来たのです」
そう、自分の決意を語る。その眼はノアと同じ様に、強い光をたたえて輝いていた。
「本当なら死んで償おうとも思いましたが、私の罪はそんなもので許されるほど軽くありません。私はやっと分かったんです。私は自分が奪ってきた命のためにも、あんな悲しみを二度と繰り返させないためにも、そしてノアの魂に応える為にも、戦い続けなければならないんです!!」
「その道を歩めば必ず人から罵られる事になりますよ?」
静かな口調で言う竜の女王。リンダはその言葉を受けて微笑んだ。この竜の女王は自分を気遣っていてくれているのだ。彼女の言うように、これまで薄汚い世界にどっぷりと浸かっていた自分を世間の人は急に受け入れてくれる筈も無いだろう。だが、
「それでも構いません。人は償いをしなければならない。償う事の出来ない過ちの事を罪と言うのでしょうけど、それでも出来る限りの事をしなければならないんです。そうしなければ、ノアに顔向けできませんから」
きっぱりと言い放つリンダ。と、そこにようやく彼女に蹴散らされた兵士達がその部屋に入ってきた。彼等はリンダを取り囲む。が、斬りかかろうとはしない。それどころか及び腰で、傍目にも萎縮してしまっているのが分かる。
「控えなさい」
そう言って部下たちを下がらせる竜の女王。リンダに向き直って、言う。
「もし、私が『光の玉』を渡さない、渡せないと言ったら?」
リンダの回答は明瞭だった。
「その時はあなたを殺して奪い取るまで」
それを聞いた周囲の兵士達がその体を緊張させる。対照的にリンダはそんな中にあっても落ち着いたままだ。その態度を見て、竜の女王はフッと笑うと、言った。
「はっきり言う・・・でも大魔王ゾーマの力は既に神をも凌いでいる。闇の衣を失ったとて、その強さが衰える訳ではない。あなた一人が勇者の一行に加勢したとしてもあなた達に勝ち目は無いかもしれない。それでも行くのですか?」
「無論」
即答するリンダ。それを聞いた竜の女王は懐から一つの宝玉を取り出した。
「それが・・・」
「そう、これが『光の玉』、されどこれは未だ完全ではありません」
言われてみれば女王の言うように彼女の手の中の『光の玉』からはオーブのような神性を感じない。まるでただのガラス玉のようだ。と、そんなリンダの思考を読み取ったのか、竜の女王が言う。
「これはただの魔法具ではなく、持つに相応しい者の、邪悪に打ち勝たんとする強い心が必要なのです。その資格ある者の手に委ねられた時、『光の玉』は本来の輝きを取り戻すでしょう・・・・・・リンダ、あなたにその資格があるのなら、その『光の玉』をお譲りしましょう。さあ、手を・・・」
彼女の手から『光の玉』がフワリ、と浮き上がるようにして離れ、リンダの手に委ねられる。自分の手の中の宝玉を見て、心を落ち着かせるリンダ。一瞬の間があって、
パアアアアッ・・・・・・
「!」
「やはりね・・・」
「「「おおおっ・・・」」」
湧き上がる歓声。彼女の手の中の『光の玉』が、暖かい光を放った。満足そうな顔で、その光景を見ている竜の女王。彼女の顔色は先程より悪くなっている。しかし、それを押して、彼女はリンダに語りかける。
「あなたも光の道に戻ることが出来たようですね。いいでしょう、あなたに委ねます。この世界の運命も、今世界に生きている人達の運命も、そして・・・これから生まれてくる、私の赤ちゃんの運命も・・・・・・」
その言葉が紡ぎ終わると共に、女王の体は光に包まれていく。これは高位の竜族や魔族、または特殊な呪法の施された人間がその命を終える時特有の現象だ。
『確か古文書で呼んだことがある。理性を失いケダモノに成り下がったドラゴンは別として、本来竜族は人に比べて力、知識、寿命、その全てにおいて勝っているためその絶対数が少なく、子を産む事もその生涯で一度だけしかできない』
今、竜の女王は自分の命と引き換えに子供を産もうとしているのだ。
「リンダ。私の最後の願いです。この世界に・・・光を・・・」
それが最後だった。女王の体は巨大な光の竜となって天に登り、後には一つの大きな卵が残されていた。
それを見た兵士達は、女王の死を悟り、口々に嘆き、悲しんだ。その中でリンダは、卵に近づき、触れてみる。
暖かい。
そう、生きているのだ。自分も、この竜の女王の赤ちゃんも、そしてこの世界そのものも。
自分は一度は世界を憎み、全てを焼き払おうとした。今なら、それがどれほど愚かな事であったか分かる。それをノアが教えてくれた。自分がやろうとしていた事は、自分の味わった悲しみを幾つも幾つも作り出してしまう事だったのだ。あの時の憎しみに囚われて、時間の止まっていた自分にはそれが見えていなかった。
自分にも戦う理由が見つかった。この世界に生きる命を護る為に。
「行かなくてはね。アレフガルドへ」
ノアは一面霧の中のような、光の満ち溢れる不思議な場所を歩いていた。不思議と来た事の無い場所の筈なのに、足が勝手に進む。まるで流れに乗るかのように、いや、これは自分の中の何かがこの場所を知っているからだろうか。
周囲を見回す。やはり一面光に包まれていて何も見えない。と、不意に視界を覆い尽くす光の霧が晴れた。
「! ここは・・・」
自分は視界の果てまで続く花畑に立っていた。緑の芝生と咲き乱れる色とりどりの花、小鳥たちのさえずり。いつか書物で見て、心に描いた天国と言うのも確かこんな感じであった。どうなっているのだ? 自分はあの時死んだ筈だったが・・・
そんな事を思っていたその時、
「ノア・・・」
背後から声が掛けられる。慌てて振り向くノア。そこには、
「あ、あなたは・・・」
「久し振りね。こんなに大きくなって・・・」
「セレネ・・・?」
そう、かつて自分が母と慕った女性が、あの時自分の腕の中で息絶えた筈の人が、その、12年前と寸分変わらぬ姿形で、自分の目の前に立っていたのだ。では、やはりここは・・・
ノアは彼女に今、最も気になっていることを質問した。
「セレネ、僕は死んだの?」
その質問に、彼女は少し困ったような顔で微笑んで、そして言った。
「そう・・・なるわね。ただここは完全に死後の世界と言う訳ではなくて正確にはあの世の一歩手前、現世と来世を繋ぐ場所。私はあなたを迎えに来たのよ」
「じゃあ、やっぱり・・・」
俯くノア。そんな彼に、セレネは黙って手を差し伸べる。
「あなたは立派にやったのよ、ノア・・・この私が誇りに思うほどに・・・あなたは優しかった。そして純粋すぎた。それ故に誰よりも戦って、誰よりも傷ついて。もう、いいのよ? あなたはもう辛い戦いを繰り返す必要は無い・・・私と共に、天に帰りましょう・・・」
ノアはもう何も考えられずに、その手を握ろうとする。
だが、二人の手が指一本の距離にまで近づいた時、ノアの体は何かを感じ取ったようにビクッ、と震え、その動きを止めてしまい、そして今まで自分が歩いてきた方向を振り向く。
「どうしたの、ノア?」
「・・・聞こえる・・・」
カイン達三人はリンダが通信呪文で知らせてきた通り、ギアガの大穴に来ていた。ここはその名の通り冥界に通じているとさえ言われる巨大な穴がポッカリとその口を開けており、自殺の名所でもある場所だ。
それ故に数名の警備兵たちが常に見張っているのだが、それも先日、ちょうどカイン達の前にゾーマが姿を現した時と前後して起きた地震によって、何人かが穴の中に落ちてしまったらしい。
「ひゃあ・・・底が見えないよ・・・」
恐る恐る穴を覗き込んで、言うフォズ。マリアがカインに言う。
「カイン、本当にリンダの言葉を信じていいの? あれが罠だったら私達全員、ここで全滅するかも知れないのよ?」
だが、カインはそれに首を横に振って、
「もしリンダが、そうするような事を感じていたなら、僕はバラモスとの戦いの後、行かせはしなかったよ。それはマリアだって同じだろう?」
と、言った。その指摘にマリアも渋々ではあるが、頷く。
「それに世界中探し回ってゾーマの居場所も異世界への門も見つからないんだ。もう可能性はここしかない・・・ここに飛び込めばもう後戻りは出来なくなるかも知れない。二人はここで・・・」
バシッ!!
「痛ッ!!」
乾いた音が響いた。マリアが懐から取り出したハリセンでカインの頭を引っぱたいたのだ。
「マ、マリア何を!?」
「何がここで・・・よ。大方引き返せとでも言うんでしょうけどそうは行かないわよ。男なんて捕まえておかないと何処へ行くか分かったものじゃないんだから。私とあなたは一蓮托生よ、カイン!! この先ずっとね!!」
と、物凄い迫力を全身から放出するマリア。恐怖でカインも引いている。
「そうそう、ノアも後からきっと追いついてきてくれるだろうし。私達は私達の道を行こう!!」
そう、明るい調子で言うフォズ。それを見たマリアは、すまなさそうな表情になる。彼女にはノアの事はまだ何一つ伝えていない。それを知った時の彼女の心の動揺を考えると、とてもマリアは言い出す気にはなれなかった。
が、いつかは伝えねばならない。
『ごめんなさい・・・フォズ・・・』
心の中で謝るマリア。その時、
「ありがとう、二人とも・・・そうだったね。僕達はパーティーなんだから・・・」
そう、号令をかけるカイン。マリアは思考を切り替えると、フォズと共に、彼の言葉にしっかりと頷いた。
そして三人は、大穴の淵に立つ。下を見て、カインは冷や汗を垂らし、マリアは天を仰ぎ、フォズは生唾を飲み込む。そして、
「うおおおおおおおーーーーーーーっ!!!!」
「もうどうにでもなりやがれーーーーーっ!!!!」
「商人のど根性を見せてやるーーーーーーーっ!!!!」
口々にそう叫ぶと、ギアガの大穴の闇に、その身を躍らせた。
ノアの目はその場ではなく、その先、遥か遠くにある何かを見ているようだった。そう、彼には確かに見えていたのだ。自分を必要とする者の声が。カインやマリアの心の叫びが。フォズの内なる想いが。それが心の中に伝わってきていた。
そしてそれが教える。自分は何処にいるべきで、何を為さねばならないのかを。彼はセレネを振り向くと、笑って言った。
「セレネ、僕・・・戻るよ」
そう静かに言い放つ。それを聞いたセレネは一瞬、驚いたように口を押さえたが、やがて、ああそうか、と納得したような顔になる。彼女もノアがそう決意するのを、その心のどこかで予期していたのだろうか。
「そう・・・でも・・・」
『それはさせられません』
彼女が躊躇いがちに言葉を紡ごうとした時、別の女の声がその場に響いた。二人が声がした方向を見ると、数人の美しい女性達が、彼等を取り囲んでいた。まだ殺気の類は放ってはいないが、その眼や表情から明らかにノアやセレネの行動を快く思っていないのが分かる。
「セレネ、誰です? この人達」
「彼女達は・・・」
『私達は天の門番。死せる者の魂を導く神の使い』
と、セレネの説明を遮って自己紹介する天の門番達。その中の一人、顔立ちは全員が総じて美しいが、その中でも最も若く、輝きを放っているようにも感じられる者が、一歩前に進み出て言う。
『戦士ノア。あなたはあなたの終の地にてその命を全うしたのです。今更現世へと戻るなど、神の定めた掟に逆らった行い。そんな事は許されません。分かりますか? 分かったのなら・・・』
「だからなんだ」
『え?』
「だから神の掟がどうしたと聞いているんだ、神の使い走りの皆さん?」
『なっ!?』
明らかに侮蔑の混じった口調で吐き捨てるノア。天の門番達もその反応に困惑している。そして、
「僕は神が嫌いだ。人の死や絶望を見ているだけで何もしない・・・神様がそんなに偉いのならどうしてあの時セレネのような、神を信じ縋った人が死ななければならなかったんだ!? それが神の定めた運命だと言うのなら、弱くて脆くて、でも優しい人達が傷つかなくてはならないのが宿命なら!! そんな物は僕が片っ端からブッ壊してやる!! 神とやらに帰って伝えろ!! お前の決めた掟などに僕は従うつもりなど無いと!!」
そう、声高に叫ぶ。今までそんな事を言った者は一人としていなかったのだろう。天の門番達はすっかり呆気に取られてしまっていた、が、その内の一人が気を取り直し、叫んだ。
『なっ、そんな事は我等の主が許しませんよ!?』
切り札を出した。これには誰も口出しは出来ないだろう。勝ち誇ったような顔になる。しかし、
「ならば、神とも戦うまで!! さあ、帰れ!! これ以上ここにいると僕はお前達を殺すぞ!!」
凄まじい殺気を放ちながら叫ぶノア。天の門番達は今まで感じた事も無いようなその殺気に当てられ、喉を押さえて苦しんでいる。
『クッ・・・覚えておきなさい・・・必ずや我等の主があなたに神罰を・・・』
彼女達はそう捨て台詞のように言い残すと、その場から消えた。恐らくは神とやらの元へと向かったのだろう。セレネがノアに近づき、彼の肩に手を置いた。その表情は静かで、安らかだった。
「・・・ノア、ありがとう。あなたが私を今でもそこまで想ってくれていて、嬉しい・・・だから・・・あなたのその想いと力を、今を懸命に生きている人達にも分けてあげて。その為に、もう一度・・・」
「セレネ・・・?」
彼女の様子が何かおかしい事を感じたノア。問い質そうとするが、その前に、セレネの体は淡い光に包まれる。
「セレネ!? これは・・・」
「完全に、ではないと言え、一度死んだあなたが現世に戻るためには膨大なエネルギーが必要なの。その為に、私の命、魂の力全てをあなたのものとするのよ」
「そんな!?」
「仕方無いのよ。これしか方法は無いのだから・・・・・・ノア、ほんの少しの間だけど、大きくなったあなたに会えて・・・嬉しかった・・・私は・・・もう離れる事は無い、いつまでも一緒よ・・・」
その言葉と共に、彼女の体が光の砂となり、ノアに吸い込まれていく。その時、ノアは何か、新たな力が自分の中に漲ってくるのを感じていた。そして力だけではない、セレネの心が自分の中に流れ込んでくる。
『共に・・・戦いましょう・・・ノア・・・私のたった一人の、自慢の・・・・・・』
それは彼女の自分への愛だった。自分がセレネを母親と思っていた様にセレネもまた自分を息子のように愛してくれていたのだ。それが、その想いが、伝わってきた。
「・・・ありがとう・・・セレネ・・・おかあさん・・・・・・」
知らず知らずの内に毀れ出していた涙が彼の視界を歪める。そして、彼の魂はその場から消滅した。
「・・・・・・・・・・・・・!!!!」
意識を取り戻したノアは体を起こした。
周囲を見てみるが、その景色は彼が先程までいた花畑でも、最後に倒れたテドンの教会でもなかった。どことも知れない荒野。そこに自分は寝そべっていたようだ。今は夜なのだろうか。辺りは暗く、見上げると星一つ無い夜空が広がっていた。
「夢・・・? いや・・・」
先程までのセレネとの会話は夢だったのだろうか、と、思い、自分の手を見るノア。そこには確かに今までの自分には無かった”何か”が宿っていた。その感覚を確かめるように、体を動かす。すると一つ気付いた事があった。
『体が軽い・・・今まで手足を動かすたびに感じていた激痛も、立ち眩みも眩暈も、あの薬の効いているとき特有のジグジグと内側から体が削られていくような感覚も無い・・・今ならどこまでも走れそうだ・・・』
そう、今の自分の体の状態を確認して、ハッと気付き、腰の剣、凰火を抜く。すると、
「これは・・・」
リンダとの闘いで、粉々に砕け散った筈の刀身は、完全に復元していた。いや、寧ろ以前よりほんの僅かだが自分の手に馴染むような気さえする。
『・・・やっぱり・・・夢じゃなかったんだ。セレネが僕にくれた、新しい力、新しい命・・・』
ノアは自分の胸に手を当てる。心臓の鼓動が伝わってきた。と、その時。
「きゃあああーーーっ!!」
絹を裂くような悲鳴。見ると10歳ぐらいの少女が、巨大な体を持つモンスター、大魔人に襲われていた。大魔人の拳が、振り上げられ、少女を叩き潰そうとする。
「させるか!!」
咄嗟に駆け出し、その少女を抱きかかえ離脱するノア。その時、彼自身驚いていたが、自分の速度は以前より遥かに速くなっていた。正直このタイミングで、少女を救う事が出来るか、と思っていたが、いとも簡単にそれが出来てしまった。
目標を見失った大魔人の拳は、地面に穴を穿っただけだった。
「少しここで待っていてね」
ノアはそう言って離れた所に少女を置くと、大魔人の側に舞い戻った。大魔人はノアを見て、フフン、と鼻を鳴らした。
「ほう・・・? この臭いは・・・そうか、そう言う事か。フハハハハ・・・」
「何が可笑しい?」
「いや、この臭い、貴様は地上の者だな? それがこの俺に挑む事が愚かだと思っただけだ。この世界の魔物は地上の者などとは比べ物にならないほど強い。今からその力を・・・「くっくっくっくっ・・・・・・くはっ、はははははははは・・・」・・・貴様!! 何が可笑しい!!!」
その口上をノアの突然の笑いに遮られ、怒りの声を上げ、ノアと同じ言葉を鸚鵡返しに紡ぐ大魔人。ノアはその問いに、笑いながら答えた。
「いやいや、終わっている事に気付かないお前が余りに滑稽だったからさ・・・」
ノアがその言葉を言い終わると同時に、大魔人の体はバラバラに切り裂かれた。大魔人はノアとの闘いが既に終わっている事にも、そして自分が既に死んでいる事にすら気付かなかった。
「待たせたね」
ノアはそう言って、自分が助けた少女に歩み寄る。
「・・・・・・・・・」
少女はポカン、と口を開けたままだ。
「? どうしたんだい?」
「・・・・・・・・・」
「???」
「・・・ごい・・・」
「え?」
「凄いですねお兄さん!! どうすればそんなに強くなれるんですか!? 大魔人を一瞬で倒してしまう人間なんて私初めて見ました!!」
虚脱状態から回復した少女は、いきなりそうまくし立てて、ノアに抱きついてきた。これにはノアも慌てる。
「あの、ちょっといいかい? ここはどこで君は誰だか聞きたいんだけど。僕はノアだよ」
と、慌てながらも言うノア。少女はその言葉で我に返ると、慌ててその佇まいを正し、ノアの質問に答えた。
「あ、私はこの近くのマイラの村に住んでいる者で、ここはアレフガルドの東の大陸ですよ」
「アレフガルド・・・?」
「はい!!」
嬉しそうに答える少女とは対照的に、心の中で溜息をつくノア。
『アレフガルド・・・聞いた事も無い地名だ・・・・・・それにこの夜空、どうも自然にこうなるとは思えない・・・まさか・・・・・・ひょっとして僕は異世界に来てしまったんだろうか・・・・・?』
と、夜空を見上げるノア。その時、天空から大地に向かって、三筋の流星が空を走るのが見えた。別にノアは流星を見るのはそれが初めてと言う訳ではないが、その流星を見た時、何か懐かしいような、そんな感覚がその胸に去来した。
『流星か・・・カイン、マリア、リンダ・・・そしてフォズ・・・もう、会えないのかな?』
ほんの少し不安な思いになるノア。だがすぐにそんなネガティブな思考は叩き潰した。すぐ前に、セレネと交わした約束を思い出す。
『そうじゃないな・・・たとえ世界が違っても、僕も皆も確かに生きてる。なら、精一杯生きなければね。そうすれば、いつかきっと会える。そうだよね・・・? セレネ・・・みんな・・・フォズ・・・』
「お兄さん、とりあえず助けてもらったお礼をしなければなりません。私達の村に来てください!!」
と、思考の途中で現実に引き戻され、少女に手を引かれて連れて行かれるノア。だが、自分の手を引く少女の姿を、屈託の無い笑顔を見て、ああ、これでいいんだな、と思う。
そう、自分の信念は一人でも多くの力無き人達の命と笑顔を護る事。そして護れたものが、今確かにここにある。それだけは確かな事だった。
その闘いに決着が着く事は無いかもしれない。
だがそれでも、ノアや、その仲間達の闘いはこれからも、彼等が生きている限り続くだろう。
自分達の闘いが、未来に光をもたらす事を信じて・・・・・・
Fin..