第27話・あの日の約束



 カイン達の前には、二人の同時攻撃によって、使い魔達を一匹残らず吹き飛ばされ、自身もぼろ布のようになったバラモスが横たわっていた。もう再生能力も働かないのだろう、その身体は徐々に崩壊を始めている。

「ワシの負けか」

 その言葉に何の感情も込めず、呟くようにバラモスは言う。

「そう、お前の負けだ。覚めない悪夢はない。この世界の長い夜も、これで明ける」

 カインはその言葉を肯定した。傍らのマリアは、バラモスがいつ、最後の反撃に出ても対応できるように、油断無く身構えている。

「フッ・・・まだまだ、青いな」

 と、バラモス。

「だが・・・何故お前達にワシが負けたのか・・・パワーも魔力も体力も、全てわしの方が勝っている筈なのに・・・それが分かった気がするな・・・そなたら人間が我等魔族に勝るもの・・・・・・」

 バラモスは己には無い”それ”を持つ、カインとマリアを見て、羨むような目をした。

「絆、か・・・共にその力を合わせ、喜びも、悲しみも分かち合う事が出来る・・・ただ暴力に優れたる我等とは違うのだな・・・・・・ク・・・クハッ、クハハハハッ・・・勇者カインとその伴侶マリア・・・ワシの敵う相手ではなかった、と言う事か・・・」

「バラモス・・・」





 同じ頃、ノアとリンダの闘いも、その決着がついていた。

 ノアは先程とは全く逆となった構図で、壁にもたれかかっているリンダを見下ろして、言った。

「・・・リンダ、実力は殆ど五分、いやあなたの方が少し僕を上回っていたかも知れない、でも・・・」

 その先を言おうとするノアを、リンダは右手を上げて、制止した。

「勝てなかった理由は分かってる。私の心は一人、でもあなたの中には、セレネへの、仲間への、フォズへの想いが生きている。それがあなたに限界以上の力を与えていたのね・・・」

「!・・・」

 ノアは何かに気付いたように振り向く。そこには、

「フォズ・・・・・・セレネ・・・?」

 今、自分が誰よりも愛する少女と、かつて自分が誰より慕った女性が立ち、自分に笑い掛けていた。ノアが信じられないという風に眼を瞬いた時、既に二人の姿は消えていた。

「幻覚・・・? いや・・・」

 そう疑いそうになって、ノアはハッと、気付く。

『ああ、そうか・・・二人ともここにはいない・・・でも・・・』

 彼は自分の胸に手を当てて、呟く。

『二人は”ここ”に、いてくれたのか・・・』

 そう、自分の中に。二人の想いは確かに自分の心の中に、自分と一緒にずっと闘ってくれていた。

『・・・ありがとう・・・』

 ノアはそう呟く。確かに今、自分の中にいる、二人に向かって。

 リンダは何かを諦めたような目で、そんな彼を見ていた。その表情には静かな笑みが浮かんでいる。

「ノア、一つだけ教えて・・・・・・」

 彼女はノアにそう、声をかける。

「あなたは・・・どうして、人を憎まずに、今、ここまで歩いてこれたの・・・? あなたの中にも私と同じ悲しみがあるはず、なのに何故、あなたは? 私にそれを教えて、ノア・・・」

 ノアはその質問に、暫しの間、眼を伏せて考えているようだったが、やがて静かに眼を開けると、語り始めた。





「セレネ・・・死なないで、お願いだよ・・・」

 過去、ノアとリンダの運命の分かたれた日。

 その日、焼き払われた瓦礫の中で、幼いノアは今にも死にそうなセレネの身体を抱き起こして、その眼を涙で一杯にして、震える声で、懇願するように言った。

 だが、セレネの倒れていた地面には既に夥しい血だまりが出来ており、それが彼女はもう助からない事をノアにもはっきりと分かる、最も残酷な形で教えていた。

 だがノアにはそんな事は関係なかった。そんな事はどうでもいい、セレネを助ける。その強い想いだけが今の彼を動かしていた。彼は一心不乱にセレネの傷口に手を当て、ホイミを唱え続ける。だがさしたる効果は上がらない。回復系の呪文はある程度生命力が残っている相手にしか通用しない。傷がどうとかではなく、彼女の命の灯そのものが消えかかっているのだ。

 それでもノアはホイミを唱え続けた。彼も何故セレネの傷が癒えないか、教会で育ち、そこで教育されたのだからその理由は当然知っている。だがそれでも、止めるわけにはいかなかった。度重なる魔法力の使用で、彼の顔色はみるみるうちに悪くなり、顔中に冷や汗が流れる。それでもホイミを唱える事を止めないノアの、その小さな手を、セレネの血だらけの手が握った。

「もういいわ、ノア・・・あなたの優しい心は、受け取ったから・・・だからもう・・・やめて・・・」

「セレネ・・・」

 ノアは虚脱したように、ホイミを唱えるのを止めてしまう。セレネはそんな彼を見て、優しく微笑むと、言った。

「ノア、私はもう、駄目みたい・・・」

「しゃべらないで、セレネ!!」

「ノア・・・最後に一つだけ、私のお願い・・・聞いてくれる・・・?」

「うん、何でも聞くよ、だから・・・」

 ノアにとってセレネの願いが何であるかなど問題ではなかった。ただそれで、彼女の苦痛が和らぐのなら何だってするつもりだった。そう、何だって・・・・・・

 セレネはそんな彼の必死さを見て、どこか嬉しそうな、それでいて悲しそうな笑顔を浮かべると、言った。

「憎しみに心を囚われないで・・・あなたは優しいままの、私の好きなノアでいて・・・お願い・・・」

 ノアはその願いを聞いて、いささかの躊躇いも無く、幾度も頷いた。セレネはそんな彼を見て、満足しきったような、安らかな表情を浮かべる。

「ありがとう・・・あなたと過ごした四年間・・・楽しかった・・・あなたに・・・神の御加護が・・・あります・・・よう・・・に・・・」

 彼女の指がノアの頬に触れて、そしてスッ、と落ちた。彼女の眼は静かに閉じられた。

「セレネ・・・? セレネ・・・セレネ・・・」

 ノアは彼女の体を揺するも、彼女はもう応えない。血が流れ、肌が温かみを失っていく感覚が、握った手を通して伝わってくる。どうしようもなく、克明に。それがノアに教えた。セレネは死んだのだ。

 もう、当たり前だと思っていた彼女のぬくもりは戻ってこない。伝えたかった言葉を、いつか言おうとずっとその心にしまっていた想いを、もう、伝える事は出来ない。

「セレネ・・・おかあ・・・さん・・・僕は、まだあなたに何も・・・・・・う・・・うあ・・・あああああああーーーーっ!!!」

 ノアは泣きじゃくった。伝える事の出来なかった思慕の想い。自分が母と思っていた女性の亡骸を抱いて。





「そしてその後、僕はあなたを探そうとあなたの家を掘り起こしたけど・・・」

「出てきたのは私の左腕だった、と言う訳か・・・」

 リンダはノアを見つめていた。その眼に宿っているのは姉が弟の成長を認め、感服するような感情か、それと、いくばくかの嫉妬と羨望もあったかも知れない。自分には出来なかった生き方をしてきた弟への、その心の強さへの。

「セレネへの約束、か・・・それだけであなたは憎しみを抑えることが出来たの・・・?」

 その問いに、ノアは首を横に振る。

「そんな事は無い、僕だって初めは思った。どうしてこんな目に遭わされて人を憎まずにいられるんだって。でも・・・世界を旅している間に、少しずつ、僕の中で何かが変わっていった」

 遠い眼をして語るノア。その視線の先に、今まで旅して体験してきた全てを見ているような眼をしながら。

「色んな人と出会った。悪い人もいた、でもいい人もいた。そんな人達と出会う度に思ったんだ、僕が憎むべきは本当にこんな人達なんだろうか、って・・・考えた。その答えを何日も何ヶ月もそして出た答えは」

 彼は自分の右手に握られた、もう柄だけとなった自分の愛刀を見て、言う。

「憎むべきは僕自身の無力。どんなにあの状況が理不尽なものであっても、それは僕に大切な人達を護る事の出来る力が無かったから。僕が強ければ、あんな悲劇は起きやしなかった。だから僕は・・・」

 その命を削ってでも力を欲した。

 リンダにはその気持ちが痛いほど分かった。目指すものは違えど、自分とて同じ長さの時を、ひたすらに力を望んで生きてきたから。だが同時にもう一つの事も理解していた。

 全てを捨てても、その身を焦がすほどに力を求めた自分達二人。だがそれには大きな隔たりがあった。

『・・私は憎しみに身をまかせ多くの物を失ってきた・・・でも、ノアは・・・憎しみを堪え、誰かの為に強くなり、戦い続けてきた・・・もし私に・・・ノアほどの強さがあったのなら・・・』

 知らない内にリンダは涙を流していた。闘いの途中の時ような激情による物ではない、静かな涙。それが彼女の頬を伝っていった。

「強いのね・・・あなたは・・・」

 とリンダ。しかしノアはまたしても首を横に振った。

「僕なんかちっとも強くないよ。ただ昔が弱すぎただけなんだ」

 それは謙遜ではなく本心だった。彼の求める強さと、今の彼自身はかけ離れたもの。己の力だけでなく、薬などに頼らねば手に入れられなかった自分の強さは所詮紛い物でしかない。そうノアは思っていた。

「いいや、あなたは強いわ・・・少なくとも私などよりずっと・・・」

「リンダ・・・」

 気遣わしげに彼女の顔を除きこむノア。リンダは顔に手を当てて、指の隙間からノアを見て、言う。

「・・・バカ」

「え?」

「バカだね・・・私って・・・ノア・・・」

 彼女は手を下ろした。その表情には何かが吹っ切れたような清々しさがあった。

「私の・・・負けね・・・」





「・・・人間など取るに足りない種族だと思っていたが・・・どうやらワシの誤りのようだな・・・」

 バラモスはカインとマリアを見て言う。

「だが・・・お前達が勝利した所で何も変わりはしない。敗者は戦いから解放されるが勝者を待っているのは更なる地獄・・・だ。それが闘争の契約だ。あるいは、お前達はここでワシに殺されていたほうが幸せだったかもしれん・・・」

「どういう意味だ・・・?」

 カインは当然その言葉の意味を問い質す。しかし、

「それは自分達で確かめろ。それにもう話している時間も無い」

「!?」

 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

 その時、大きな揺れが襲ってきた。

「これは・・・地震!? いや、この城が・・・」

「そう、この城を維持していたのはワシの魔力。それが途絶えつつある今、城そのものが崩壊を始めているのだ」

 そんな事を言っている間にも城の崩壊は進んでいく。柱が倒れ、天井が落ち、カイン達がこの玉座の間に入ってきた扉を塞いでしまった。これでは脱出する事も出来ない。

 二人の心に絶望が這い寄ってくる。それが一瞬の判断を遅らせた。

「・・・!! マリア、上!!」

 叫ぶカイン。マリアの頭の上に崩壊を始めた天井が落ちてきたのだ。マリアも上を見るが、もう間に合わない。これまでか・・・、とその時。

「フン!!!!」

 一瞬だった。その一瞬に、胸にリンダを抱えたノアが壁をブチ破って現われ、マリアの上に降ってきた瓦礫を粉々に砕いてしまった。その場の者全て、バラモスも含め、その風のような颯爽たる登場に一様に言葉を失った。

「こっちももう終わっているようだね」

「随分と派手な登場ねぇ」

 軽やかに着地しながら言うノアと、彼に抱かれながらからかうように冗談混じりで言うリンダ。先程まで殺し合いをしていた二人とは思えない光景である。バラモスがノアの腕の中のリンダを、その眼を見て、言う。

「・・・いい顔になったな、リンダ・・・やはりお前は人間だ。日の当たる世界で、人と共に生きるべきだ。・・・・・・人に許された時は短い。だがそれでもその中で人は過ちを悔い改め、罪を償う事が出来る。今のお前なら、大丈夫だな?」

「・・・はい、バラモス様・・・」

「よろしい、では、行くがいい」

 バラモスがそう言い、その手をカイン、マリア、ノア、リンダの四人に向けてかざすと、四人の体が光の球に包まれた。

「・・・これは・・・?」

「ワシの最期の力でお前達を地上へ飛ばしてやる。まがりなりにも魔王であるこのワシを倒した者達がこんな形で斃れるのは我慢ならんのでな。勝者が斃れるべきはより強き者との闘争の果てに、でなくてはならん。そうでなくては敗者が浮かばれん」

「バラモス、お前・・・」

「さあ、征くがいい・・・・・・勇者カインよ。人間はいい、な・・・ワシのような悪鬼に、許される筈は無いと思うが、それでも次に生まれ変わる時はワシも人間でありたいものだ・・・・・・さらばだ・・・」

 そうしてバラモスがかざした手を振り上げると、四人を包み込んだ光の球体が上昇し、地上へ向けて撃ち出された。バラモスは力尽きたようにぐったりとうなだれると、その体は崩れ落ちる瓦礫の中に飲み込まれた。

 そして、バラモス城は崩壊した。





「終わったわね・・・」

 高台に立つマリアが未だに土煙の上がっているバラモス城を見て、呟く。

「いや、まだ始まったばかりだよ、マリア」

 カインがそんなマリアの肩を抱いて、自分に引き寄せて、言う。マリアはランシール以来の積極的なカインに赤面している。ちなみに二人は気付いていないがその後ろではノアとリンダがニヤニヤと笑いながら次にどんな殺し文句が出てくるのかと、興味深そうに見ていた。しかし、カインの口をついて出てきたのは・・・

「この世界にはまだ魔王軍の残した爪痕が広く、深く刻まれている。それらを消し去り、世界を復興させない限り、本当に終わったとは言えないんじゃないかな・・・?」

「はァ???!!!」

 となるマリア。ノアとリンダもカクッ、となってしまう。

「やれやれ、僕が認める程に強くなっても、恋愛はまだまだだね。まあ僕も人の事は言えないけど」

「フフッ・・・かもね。さてと・・・」

 立ち上がるリンダ。

「どこへ・・・?」

「私もカインの言うように、あなたがしてきたように、私自身の罪を償うために。いや、償う事の出来ない過ちを”罪”と言うのだろうけど、それでも、自分に出来る事をするために、行くわ」

「無事でいてね。姉さん」

「それはどうかな。保障しかねるわ・・・ノア」

 振り向いて、ノアを見つめるリンダ。その眼差しは姉が弟を見つめるような、優しい光を宿していた。

「あなたは本当に強い、そして優しい、私の自慢の弟よ。だから・・・また、ね?」

「ああ、また会いましょう。きっと・・・」

 そんな短いやり取りの後、リンダはその場を去っていった。そしてノアも、

「さて、僕も行くとするかな」

 立ち上がると、カインとマリアを見る。

「ノアはアリアハンへは行かないのかい?」

 と、カイン。彼はノアの体の事を知らない。マリアが話していないのだろう。『ありがと・・・』と、マリアに眼で語りかけるノア。彼女は無表情で、ただ一度、コクッと頷いた。

「僕にも、行かなくてはならない所があるから・・・カイン、僕達は・・・」

 手を差し出すノア。カインもそれに応じて腕を組む。マリアも。

「ああ、いつまでも仲間だ」

「忘れないわ、あなたの事」

 そしてノアも行ってしまった。後に残されたカインとマリアは、

「じゃ、帰ろうかマリア。アリアハンへ」

「そうね、カイン」

 二人もまた、旅の始まりの地にして自分達の帰るべき故郷へと、その足を踏み出した。





 数日後、二人はアリアハンへと帰ってきた。今まで旅してきた中で感じた様々な想いが、自分達の中を駆け巡っているのが分かる。そんな想いの整理がつかないまま、門をくぐる。すると、

「もっと嬉しそうな顔しなさいよね」

 門にもたれかかるようにして、二人に声をかけた女性がいた。妖艶な美しさを持つ妙齢の女性、出会いと別れの店、ルイーダの酒場の店主、

「ルイーダさん・・・」

「待ってたのよ」

「待つ・・・?」

 不思議そうにするカインとマリアに、ルイーダはクスッ、と悪戯っ子のような笑みを浮かべて、二人を迎え入れるように手を動かす。それにつられるようにして動いた二人の視線の先には、

「「「「遅いぞ勇者ッッッ!!!!」」」」

 アリアハン中の人々が集まっていた。皆が皆、満面の笑顔を浮かべて、二人に向かって殺到してくる。祝福の拳を放つ者、拍手を送る者。そんな人々にもみくちゃにされる二人。だがその顔は嬉しそうだった。と、その中で一際熱烈な者がいた。

「カイン、マリア!!!!」

 その桃色の髪の少女は人ごみを掻き分け、二人に抱きついてくる。二人が見やると、それは懐かしい顔が眼に入った。

「フォズ?」

「あなた、どうして?」

「いやあ、実は三日前にあなた達が魔王を倒したのでその恩赦って事で釈放されたのよ。そしたらちょうどそこにノアがやってきて・・・それで・・・いや、その・・・だから・・・」

 急にそこでしどろもどろになるフォズ。カインは「?????」といった表情を浮かべているが、元遊び人で、”そちら”の経験豊富なマリアには何となく分かった。察するに・・・

「ははあ、成程・・・フォズ、あなた・・・女になったと、そう言う訳ね? ええ?」

 痛い所を突かれた様に引きつった笑を浮かべながら眼を逸らすフォズ。どうやら図星のようだ。まあマリアもこんな所でそんな事を言い出すほど野暮ではない。今はただ、仲間がこうして無事に帰ってきてくれた事と、人々の笑顔を喜ぶ事にした。勿論自分の幸せを求める事も忘れない。

「何を言っているか分からないって顔してるわねカイン。いいわよ。今夜私がベッドの上で色々教えてあげるから。色々と、ね(はぁと)」

 と、カインに耳打ちした。当のカインはマリアの言う事が分からないようだったが・・・

「ところでフォズ、ノアは?」

 と聞く。マリアは当てが外れたような表情を浮かべた。

「ノアなら・・・どうしても行かなきゃならない所があるから先にアリアハンへ帰ってなさいって・・・」

 と、フォズ。それを聞いた途端、マリアの表情が曇った。バラモスは斃れ、フォズは助け出された。その後でノアが向かう所と言えば・・・

『私はずっと覚えているわ。あなたの事を・・・』

 そう、心の中で呟くマリア。そして自分の周りの人々の笑顔を見て、再び呟く。

『見えている、ノア? この人々の笑顔が。聞こえている? この歓声が? あなたがその生命を賭して望んだものが、今ここにある・・・。安心して、私達が守っていくから。この平和を、人々の笑顔を、絶える事の無いように、だから・・・』

 その先はたとえ心の中であれ言う事の出来なかったマリア。彼女は我知らず泣いていた。空を見上げる。そこにはどこまでも蒼く、広く、大きな、吸い込まれそうな蒼天が広がっていた。こんな平和がいつまでも続けばいい。マリアはそう、強く思った。





 廃墟の中を一人の少年が歩いていた。そこはもう、十数年も誰も立ち入った事の無いような、かつてテドンと言う村のあった廃墟の中を黒衣の少年がおぼつかない足取りで、それでも一歩、また一歩と、先へ進んでいた。

「やっと着いた」

 少年、ノアは自分の目的地に着いた事が分かると、崩れ落ちるようにして、その場に座り込んでしまった。薬が切れた今、彼の体は急速に崩壊が進んでいる。もう眼も霞んで殆ど見えない。それでも彼の中の何かが、自分が今、始まりの地であり、同時に自分の終の地でもある場所に辿り着いた事を教えていた。

 昔は教会の礼拝堂だった場所。今は崩れ落ちた女神像と、まるで墓標のように折れて地面に突き刺さった十字架が僅かにその名残を留めるのみ。自分が幼き日を過ごした場所。そして今この地で、その命を全うしようとしている。

「終わったよ、セレネ。僕の闘いは・・・後はカインが、マリアが、リンダが、そしてフォズが、この世界を守っていってくれる・・・その世界に、多くの人の血でこの手を濡らした僕は余りに相応しくない・・・時が来たんだ・・・」

 彼の紅玉の双眸から涙がこぼれ出す。多くの想いが彼の心の中に、寄せては返すさざ波のように去来していた。

「僕は消えるけど、でも、死ぬ訳じゃない・・・みんなの中に・・・僕の想いが・・・繋がっているから・・・フォズ・・・最後に出会えてよかった。心からそう想うよ。ごめんね、本当に・・・どうか・・・強く生きて・・・そして幸せに・・・僕はいつでも君を見守っているよ・・・」

 激しく咳き込み、血を吐くノア。いよいよ最後の時が近づいてきたのだ。自分の視界が、白くなってきている。

「セレネ・・・今、行くから・・・」

 そして、ノアは静かにその瞳を閉じるのだった。





 大魔王ゾーマがカイン達の前に姿を現し、地上界への侵攻を宣言したのは、その三日後の事だった。









第27話・完