第26話・終局の刻
「はあ・・・はあ・・・」
「ヒュー・・・ヒュー・・・」
壊滅的な破壊のもたらされた部屋の中で、二色の荒い息をつく音だけがその場にいる二人、リンダとノアの耳に入ってきていた。リンダはその場に座り込んでしまっているし、ノアは壁に叩きつけられて、そのままもたれかかっている。その身体はあちこちが焼け焦げていた。
「流石ね」
リンダが口を開いた。ノアはその声に彼女の方を見るが、その目に光は失われて、焦点が合っておらず、見えているのかすら疑わしい。
「あの一瞬に、咄嗟に剣を盾にして、ビッグバンの直撃を免れるとは・・・」
そう、それがノアがリンダの放った必殺の攻撃を逃れた方法だった。だが・・・
「薬が切れたのね。あなたほどの人があそこまで隙だらけになるとは」
「! お見通しか・・・」
あきれた様に言うノア。リンダは立ち上がると、一歩一歩、彼に、悠然と近づいてきた。もう今のノアには何の抵抗も出来ない。彼女はそう見切っているのだ。
「あなたのこの闘いに賭ける覚悟、しかと見届けたわ。正直見くびっていた。これほどのものとは思ってもみなかった」
そして、あと半歩の距離まで近づくと、彼女の左手に、光が宿り始める。
「でも・・・勝ったのは私・・・正しかったのはこの私よ」
そうして、その手をノアに向けてかざす。と、その時、
「そうか・・・その義手・・・大気中の霊子を強力な磁石のように引き集めて、装着者の魔力に変換する特性があるのか・・・」
ノアがうつろな目を左手の義手に向けて言う。リンダは少し驚いたような表情になった。
「良く気付いたわね」
「まあ・・・あれだけ強大な魔法をポンポン撃っているのに一向に魔力の尽きないのはおかしいと思っていたけど・・・仕掛けはそこにあった、と、言う訳だ」
「確証を持ったのは今、と言う事ね。それにしても惜しかった、あのタイミングで薬が切れなかったら、あなたの勝ちだったでしょうね、間違いなく。正直、生きた心地がしなかったわ」
と、リンダ。額の汗を拭って言う。それにノアは、
「僕もあそこで切れるとは思ってもいなかった、もう少し持つと思ってたんだけど・・・こんなに集中して、緊張したのは久し振りだったから・・・それで薬の消費が早まったのか・・・」
と、自嘲気味に言う。
「運も実力の内ってね。神様なんて信じてないけど・・・いるとしたら私の味方なのかな? どちらにしろ・・・」
言いながら光の集中する左手を、ノアの眼前で、静止させる。魔法を放つつもりだ。
「これで終わりよ」
ノアへの死刑宣告が言い渡された。
「さあ!! そろそろ決着をつけようとは思わないか?」
その全身に無数の顎を生やし、完全にその能力を開放したバラモスがカイン達に促す。
「そうか・・・いいだろう、僕の全てを、今この剣に込めて!!」
その申し出に応じ、その全身から闘気を発散するカイン。マリアは彼の体から、ノアと同じ様な突風が吹いてくる感覚を覚えた。そして、彼の手に握られた稲妻の剣も、星のような輝きを見せ、そこからも闘気が流れ出し、カインの闘気を増幅している。
「ほう・・・それがリンダの言っていた剣との対話か。我等魔族には理解できぬ技と概念だが・・・本能で分かるぞ、今の貴様は一筋縄ではいかないとな」
そうカインの力を認める発言を、しかし焦りなど微塵も感じさせない眼と表情で言い放つバラモス。
「だが・・・」
その視線がカインから隣に立っているマリアに移る。
「貴様の伴侶はそうは行かないようだぞ?」
と、笑うバラモス。それを聞いたマリアは、
「クス、舐めないでよね、能ある鷹は爪隠す、切り札は最後までとっておくものよ」
ニヤリ、と自身ありげに笑うと、その両手に稲光のような光が生まれる。
「イオナズンか? 芸の無い・・・そんな物がワシに通用するとでも・・・」
「慌てないでよ、ここからよ」
彼女の手の光から、数個のサッカーボールぐらいの大きさの光球が生まれ、彼女の周囲に浮遊する。マリアはそこから、何かの術式を発動するように、手を印を切るように素早く動かす。すると彼女の周囲に浮いていた光球が集まり、一つの小さな球状になった。だが大きさこそ小さくなったが、その光球の放つ光は先程の数個を合わせた時よりも強くなっている。
「なるほど、収束呪文・・・確かマホプラウスとか言ったかな・・・? リンダの古代禁呪程ではないにしろ、その習得の困難さから途絶えた呪文・・・しかもそれは通常、他人の放った呪文の魔法力を吸収して破壊力を高めるのだが、それを自分一人でやってのけるとは」
そこまで言うと、バラモスの眼が笑った。同時にそこに残虐な光が点る。
「見せてみろ、その力を!!」
全身から生えた狼の頭の一つを、マリアに向けて襲い掛からせる。だがマリアは今回は動じずに、それを引きつける。そして、必殺の間合いに、その頭が入ってくる。次の瞬間!!
カッ!!
「!!」
「おお!!」
マリアの右手から、まるで光線のような一筋の閃光が放たれ、一瞬にして襲ってきた狼を蒸発させた。その威力にカインは純粋に驚愕し、バラモスは驚愕と歓喜の入り混じった表情を浮かべる。
「収束したイオナズン数発分の威力を一点に集中した閃光の槍か!! 素晴らしい!! 素晴らしいな!! ここまでワシの心を昂ぶらせる相手とはもう出会えないと思っていたぞ!! お前達なら、あるいはワシを滅する事が出来るかも知れぬぞ!!」
バラモスは笑いながら、マリアに蒸発させられた狼を再生する。カインとマリアはその気迫を張り詰めさせたまま、油断無く構えている。今のマリアの放った攻撃の威力を前にしても、バラモスの表情に怯えは無い。あるのは狂気に縁取られた狂喜、ただそれだけ。
「思えば、かつてこのワシに、ここまでの死と隣り合わせの緊張感とひりつくような汗を感じさせた者は皆が皆、お前達のような眼をしていたな」
唐突に、昔を懐かしむような話を始めるバラモス。
「ある者は世界の平和を願い、ある者は世界の覇権を賭け、だがその誰もが一点の曇りの無い真っ直ぐな眼をしていた。お前達やリンダのようにな。恐らくはお前達の他の仲間もそうなのだろう? たとえそれが善であれ悪であれ、迷いの無い一念は何よりも人を強くする。ワシはそれをずっと見てきた、だが・・・」
一旦言葉を切り、カインとマリア、二人を見る。
「お前達にはそれだけではない、”何か”がある。それが何なのか・・・是非、見極めてみたいな。この闘いの中で。さあ!! 来るがいい!! 最後の勝負だ!! お前達の命、魂、信念!!!! 全てを賭けて、かかって来い!!」
叫ぶバラモス。全身から生えた無数の餓狼達も、主の精神状態に影響を受けているのだろう、その牙を剥き出しにして、これ以上ないぐらいに、猛っている。
カインとマリアは、これまでの闘いで培った経験から、バラモスの言葉通り、この激突が最後になることを直感していた。二人とも無言で顔を見合わせる。先に口を開いたのはマリアだった。
「カイン、私の力を信じる?」
「いいや」
即答するカイン。マリアは一瞬、驚いたような、失望したような表情を浮かべた。そう、一瞬だけ。
「マリアを信じてる」
力だけじゃない、その全てを。それは最上級の信頼の言葉だった。
「私も、カインを信じてる」
二人は頷いて、笑い合うと、バラモスに向き直る。その眼に不安などは無かった。一片の欠片も。必ず勝てる、勝つ、という確信と決意、それが生み出す覚悟だけがあった。
それを確かめたバラモスは満足そうに笑うと、
「終わりだ!!」
全身から生えた狼達を一斉に襲い掛からせた。そしてカインとマリアも、
「行くぞ!!!!!」
カインは何ら臆する事無く稲妻の剣を構え、狼の群れに突進し、
「消えなさい!!」
マリアは光の槍を放つ。
三つの強大な力がぶつかり合い、その衝撃が天を砕いた。
フォズバーグの牢獄。そこにはこの町の創設者である桃色の髪の少女、フォズが投獄されていた。この牢も元々は彼女が悪人を捕らえる為に作ったもの、皮肉な事に、彼女自身がクーデターを起こされて、そこに入れられる羽目になっていた。
「みんな・・・」
フォズはノアからもらったロザリオを握り締めて、仲間達の無事を祈った。今だけではない、彼女は仲間たちと別れてから、毎日彼等の無事を祈っていた。そしてこの日も、彼女は牢獄の窓から覗く星空を見ながら、ノア達の無事を祈っていた。
「!」
その時、夜空に一筋の流星が走った。同時にフォズは、彼女の体を誰かが通り抜けて行ったような、そんな感覚に襲われた。
「ノア・・・?」
彼女は不安げに呟く。両肩を抱き、震える。あたかも自分の中に生まれた悪寒を打ち消そうとするかのように。
「ノア、お願い・・・もう私を一人にしないで・・・私は、私達は・・・まだ、何も・・・」
途切れ途切れに紡がれる祈りの言葉。彼女の髪と同じ桃色の双眸から涙がこぼれ、それが頬を伝い、落ち、ロザリオを濡らした。
・・・死なないで、ノア・・・
「・・・・・・!」
それは幻聴だったのかもしれない。だが、ノアは確かに聞いていた。自分の無事を願う、フォズの祈りの声を。
その途端に揺らぎ、暗くなっていた視界が晴れ、混濁していた意識が一気にクリアになった。顔を上げると、リンダの左手の掌が見えた。
「!! これは・・・」
信じ難いものを見たような表情で後ろに飛び、ノアと距離を置くリンダ。その彼女の目の前で、ノアはゆらりと立ち上がった。
『ありえない・・・ノアの体は薬によってもうボロボロに崩壊していて・・・それが切れた今、立っている事も・・・いや、意識を繋いでいる事が既に奇跡的である状態の筈。なのに・・・・』
そんな状態でも、リンダの肌は、ノアから発せられる威圧感を受けて、粟立ち、震えている。
『怖い・・・私が今まで見てきたノアの中で、今の彼が一番・・・いや、違う、強さだけじゃない、それすらも超越した何か・・・私が、私の体が・・・それを恐れてる・・・』
「いつか・・・」
ノアが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。その声は弱々しかったが、その内に強い決意を含んでいる事がリンダには伝わってきた。
「いつか、マリアが言ってたっけ。僕達は大切な物を護る為に、人々から託された未来への希望のために戦っているって。そう、その通りなんだ。僕がここで斃れてしまったら、多くの人達の想いが無駄になってしまう」
彼は剣を構える。その姿にいつもの力強さは無い。されど、
「だから、負けられない。僕は、あなたに勝って、もう一度、フォズに・・・」
それを見て、リンダの体は小刻みに震え始めていた。肉体が精神よりも更に敏感に恐怖を感じ取っているのだ。
「クッ、認めない!! イオナズン!!」
それを否定するかのように、彼女はこの戦いの最初に放ったイオナズンの連射を打ち出す。数十の光球が、ノアに向かう。ノアは避けようともしない、そして剣を振りかぶりもしない。もうそんな力が残ってはいないのだろうか。否!!
「あああああああっ!!!!」
叫び声。いや、寧ろ咆哮と言って良いだろう、吼え声。それだけで彼に向けて殺到したイオナズンの光球は、その全てが軌道を歪め、壁や床に当たっただけだった。ノアは気合だけでイオナズンを跳ね返したのだ。
リンダが厳しい表情になる。
『・・・ううっ・・・!! す、凄い!! 流星が燃え尽きようとするその一瞬に最も強く輝くようにっ・・・今、死期を悟ったノアの力は、とてつもない勢いね・・・この気迫・・・もはや古代禁呪ですら生半可な攻撃は通用しないでしょうね・・・ならば・・・』
彼女は構えを解くと、その左手を地面と水平に上げた。
「あなたの信念、魂・・・・・・それが肉体の限界を超えても、なおその身体を動かすのね・・・ならば、その信念も、護るべき者も!! 私の究極の奥儀を以って、全て蹴散らすのみ!!」
そう叫ぶと、彼女の左手に魔力が集中する。それもこれまで見たことが無いほど、大きく、高密度に。
「それは・・・」
「古代禁呪奥儀、マダンテ。術者の魔法力を一瞬に全解放することによって、莫大な破壊力を生み出す究極の破壊の力。この左腕の義手の特性と組み合わせて使えば、威力は一気に跳ね上がる!! そう、この地上が消えて無くなるほどにね」
「バカな、そんなものを使えばあなたも・・・」
そこまで言ってノアはハッとする。一つの事に気付いたからだ。そしてそれを信じたくなかったから。しかしリンダは、それを否定するように頭を振って、言った。
「そう、私自身もこれを使えば消えて無くなる。でも、それでいい。それは最初から分かっていた事・・・私自身、今この時に至るまでに多くの罪を犯してきた。それに眼を背けるつもりは無いわ。私は私を許すつもりは無い。絶対的な死と破壊が生み出す清浄な世界・・・それを目にすることが出来ないのが残念だけどね・・・」
「そうか・・・リンダ、あなたは・・・」
何かを悟ったように眼を伏せて呟くノア。そしてその眼を開き、リンダを見据えて、言う。
「確かにあなたの言うようにこの世界は薄汚れているのかも知れない。でも、それでも、僕はこの世界で多くのものを見つけた。何にも代えられない大事なものを。その喜びを、見つけた灯りを、僕はあなたにも分けてあげたいんだ!!!」
「・・・ノア・・・」
一瞬、憂いのある表情を見せるリンダ。しかし、
「もう、言葉は意味をなさない。あなたの信念を貫きたくば、その力で語りなさい」
そう返した。そして、マダンテを放つ態勢に入る。ノアも、
『凰火・・・これで終わるから・・・もう少しだけ、僕と一緒に闘ってくれ・・・』
心の中で、凰火に語りかける。凰火はその主の声に応えるように、強く輝きを放つ。
「僕にも最後の奥の手はある」
彼はそう言うと、左手で腕を大きく振り、十字を切る。その時に生まれた光が凰火に宿り、ノアの全身から発せられる闘気が更に強力になった。リンダはその様を見て、言う。
「・・・それは、グランドクルス・・・鍛え抜かれた肉体と清浄な心、その双方を備えた聖堂騎士(パラディン)にしか使えず、永い歴史の中でも習得した者は10人にも満たないとされる伝説の技。あなたなら確かに資格は十分。でも・・・」
そこまで言って、リンダは一度言葉を区切り、ノアの体を見る。
「その技は闘気、つまり生命エネルギーを一気に放出し、破壊力を生み出す技。今の、生命力の弱りきったあなたに、それを完全に使いこなす事が出来るのかしらね・・・?」
だがノアは、迷いなど微塵も無い表情で言う。
「やってみれば分かるさ」
「・・・そうね」
もう二人とも小細工や作戦など関係ない。答えは至って単純。ノアの剣とリンダの魔法、そのいずれが上か。あの運命が分かたれた日から今まで、正反対の信念の為に、筆舌に尽くし難い瞬間を、永く永く耐えてきた二人。その積み重ねた時間のどちらが勝っているか。ただ、それだけ・・・
一瞬、両者の間に静寂が満ちる。その瞬間に二人の胸には、多くの想いが去来していた。息詰まるほど、永く感じられる時間。周囲の空間から、全く音が消えたようになる。そして、
「おおおおおおおっ!!!!」
「はあああああああっ!!!!」
両者が同時に奔り出した。
「マダンテ!!!!」
「グランドクルス!!!!!」
ドオオオオオオン!!!!
リンダの極限に凝縮された魔力の込められた左手と、ノアの全闘気の込められた凰火が激突した。その余波だけで、床は彼等を中心に球状に消し飛び、壁が吹き飛んだ。
両者の”力”は完全に拮抗し、二人を中心として巻き起こる衝撃波が周囲のあらゆる物を欠片も残さず木端微塵に吹き飛ばす。その中で、二人はただ相手を打ち倒すためだけにその力を開放し続ける。そして遂に、その状態にも終止符が打たれようとしていた。
パキン・・・
乾いた音と共に、ノアの右手に握られた凰火の刀身に、小さなヒビが入った。
「・・・・・・私の勝ち・・・の、ようね」
リンダが静かに言う。この二人の拮抗状態はあらゆる条件が五分で初めて成立する、裏を返せば何か一つ不具合が生じただけで崩れ去る頼りないもの。そして今、ノアの側に、その不具合が生じた。
「・・・」
しかし、
「いや、もう決着はついていたようだよ。リンダ」
ノアはそう言った。それは諦めの言葉とも取れる一言だった。
『やった・・・』
遂に自分はノアを打ち負かしたのだ。ノアに敗北を認めさせたのだ。
次の瞬間、リンダは当然自分のマダンテの破壊が、ノアを飲み込み、自分を消し、世界の全てを消し飛ばす光景を想像して疑わなかった。その、筈だった。
パキ、パキ・・・ビキ・・・
だが実際には、彼女の義手に亀裂が生じ、それが全体に走り始めていた。
「なっ・・・あっ・・・」
「・・・ほんの紙一重の差だったけど・・・リンダ・・・」
パキィィィィィン・・・・・・
気持ちのいい音を立てて、彼女の義手は粉々に砕け散った。そしてノアの凰火も、あたかもその役目を終えたかのようにその刀身を砕け散らせた。リンダはそれを信じられないといった表情で見ていた。
ノアは剣が無くとも格闘で戦うことが出来る。だが、その力の源である魔法力を枯渇させ、同時に補給手段も失ってしまったリンダには、もう戦う術も、力も無い。
「・・・僕の勝ちだ・・・」
ノアは静かに、この闘いの終わりを告げるのだった。
第26話・完