第25話・信念の元に



 リンダの額から汗が流れた。それは暑さからくるものであり、同時に目の前のノアの姿から感じる脅威、それがもたらす冷や汗でもあった。それ程に、彼女の中の何かが今のノアを最大警戒しているのだ。

 彼がその愛刀、凰火の力を開放して、一瞬にして周囲は火の海と化した。その熱量が今自分達の闘っている空間の温度を異常に上昇させている。

「そうか・・・そうね。うん、使えない筈だわ」

 と、何かに納得したような表情を見せるリンダ。

「?」

 突然そんな事を言い出したので、ノアは勿論戦闘態勢を解いてはいないが、その表情はポカン、となっている。するとリンダが彼の手にある凰火を指差して、言った。

「その剣、凰火の能力・・・私が知っている限り、その炎の能力を不完全ながらも開放したのはネクロゴンドにおけるあなた一人での戦闘の時の一度きり、後は自分の闘気をより高めるためのブースターとしての使用のみ・・・・・・それも当然よね。こんな能力を仲間といる時に使ったら、圧倒的な力の奔流に仲間達も巻き込んでしまうものね」

「ほう」

 その指摘にノアは感心したような表情を浮かべた。

「流石だね・・・・・能力を完全開放した姿を見せるのはほとんど初めてだというのに、特性を見切っているとは」

 そう話している間にも、その刀身に宿る紅蓮の炎はますます勢いを増している。それに比例して、剣から溢れ出す闘気も更に強くなり、ノアの闘気を高めていく。勿論リンダはそれに気付いている。

「・・・どうやら、長引かせるとこちらが不利のようね」

 そう判断し、ノアに魔法力を集中した左手を向け、魔法を放とうとする。しかしそれより早く、ノアが行動を起こした。剣の切っ先をリンダに向けてかざす。

「・・・!?」

 彼がした行動はそれだけだ。リンダはその狙いが読めず、ほんの一瞬だが隙が生まれる。

「火傷じゃすまないよ」

 ノアが小声でそう呟くと、凰火が纏っていた炎が刀身を離れ、彼女に向けて放たれた。その火力は明らかにメラゾーマやベギラゴンのそれを遥かに凌いでいる。最早炎と言うよりとてつもない熱量を持つ眩い光と言った方が良いかもしれない。それほどの熱量をその炎は持っていた。

「・・・・・・」

 すべての物を燃やし尽くす絶対的な破壊が自分に向かって迫ってくる。並みの者なら恐怖に体を支配され、動けなくなってしまうだろう。しかしリンダはそれを前にしてもなお冷静だった。闘争の場において恐怖は自身の心と体の自由を奪い、死神を招き寄せる。幾多の修羅場を潜り抜けた経験からそれを知っている彼女は無意識の内にその呪縛を振り切っていた。

 そしてこの状況で最も適切な判断を下し、実行する。その一瞬後に、炎が彼女のいた空間を飲み込んだ。





 一方その頃、カインとマリアは、油断無くバラモスと向かい合っていた。

 先程の攻撃で左腕を斬り落とし、状況は自分達が有利な筈だ。しかし依然として背筋に走る悪寒、戦慄。理屈ではないそれが、二人に油断する事を許さなかった。

「グッグッグッ・・・・・・」

 バラモスが笑った。左腕が失われているにもかかわらず、その眼は変わらぬ狂気と闘志を見せている。

「やるではないか。少々ワシにも見くびっていた部分があったかも知れぬな。いいだろう、もう手加減はなしだ」

 と、左腕の傷口に火花のような光が生まれ、一瞬で左手が生えてきた。バラモスはその新しい左手の感覚を確かめるように、何度か握っては開き、握っては開き、を繰り返す。どうやら左手のダメージは完全に回復してしまったようだ。

「なっ・・・」

 先程の顔の傷を修復した時よりも傷が深いにもかかわらず、明らかに再生速度が速い。どうやら再生能力一つとっても先程までのバラモスは本気でなかったらしい。

 苦しい戦いを予感し、カインとマリアは体を緊張させる。そして、

 メキャ・・・ゴキャ・・・

 バラモスの体から何か、非常に耳障りな音がしてくる。

「!??」

 見るとその右腕が徐々にその形を変え、狼の頭のような形状を取った。カインもマリアも一瞬、自分の目を疑う。

「この能力を開放するのは久し振りだ。確か前に使ったのは・・・そう、あの忌まわしい精霊ルビスとの戦いの時だったか。あの時、ワシはあのお方の尖兵として多くの敵を屠り去った。自慢していいぞ、それはつまり、ワシがお前達をルビスに比する程の強敵として認めたと言う事だからな」

 バラモスはそう言うとその狼のように変化した右腕を伸ばし、凄まじい速さで襲い掛からせた。狙いはマリア。今まで目の前で起きていた光景に圧倒されていた彼女は一瞬反応が遅れた。バラモスの右腕から生まれた狼は、よだれを撒き散らし、牙を剥きながら、マリアに迫る。

「危ない、マリア!!」

 咄嗟にカインがマリアを突き飛ばした。それで正気に戻るマリア。だが彼女を突き飛ばした事によって、先程までマリアのいた位置に、今カインはいる。次の瞬間、

 ゴオン!!

 巨大な口を開いた狼が、彼の立っていた床ごと彼の体を丸呑みにしてしまった。

「ッ・・・・・・」

 声も無く、その凄まじい姿を見ているマリア。だがそれも一瞬の事で、すぐに次の行動に移る。その狼に向かって、

「少し火傷するかも知れないけど、我慢してね!!」

 そう叫ぶと、メラゾーマを撃ち出した。巨大な火の玉は狼に見事命中し、その体を炎で包み、焼き尽くす。

 そしてその中から人影が飛び出してくる。カインだ。

「あちちちちち!!」

 体のあちこちに火傷を作り、着衣にも火がついているが、とりあえずはまだ無事なようだ。マリアは、ほっと胸を撫で下ろすと、ヒャドとベホマで彼の消火とダメージを回復させた。

「ありがとう、マリア」

 とカイン。マリアはそれに無言で頷くと、二人はバラモスに再び向き直る。バラモスはマリアが焼いた右腕は既に再構築し、待っていた。

「楽しませてくれるではないか。ワシも数百年生きているがこれ程の興奮は数えるほどしか味わった事が無い。そろそろ、ワシも本気を出そうか」

 今度は右腕だけではなく、左腕も、そして胸や背中からも数本の狼の頭が”生えて”きた。いや、これはもうバラモスの体そのものが、それに変化していると言うべきか。

「これはこれは・・・今まで闘ったどんなモンスターをも超えたバケモノっぷりね」

「寒気がしてきたよ」

 今度はその異様にも気圧される事無く、軽口を叩きながら、これから起こる激突に備え、構える二人。その間にも、バラモスの体は刻一刻と、そのありようを変えていく。

「ほう、この姿を前にして、余り驚いているようには見えぬな」

 と、少し驚いたような口調で言うバラモス。確かに恐らくはその能力を完全に開放しつつあるのであろうこの異形、普通の者が目にすれば、悲鳴を上げるか、卒倒するか。そんな禍々しさが滲み出ている。それを前にしても臆した所を見せないのはひょっとするとカインとマリアが初めてなのかも知れない。

「ま、二度目と言う事もあるし・・・それにうちのパーティーにはアンタ以上にバケモノな仲間もいるもんでね」

 ノア本人が聞いたら怒り出すような事を言う。

「フフン、そいつが今リンダが相手をしている者、と言う訳か。だが・・・あやつの力量は魔力と知識においては最早このワシさえも遥かに凌いでおる。お前達の仲間に勝ち目は無いぞ」

 鼻で笑うバラモス。二人は一瞬顔を見合わせると、

「そうとも思えないな、ノアは負けない、たとえ誰が相手でも」

「その点については同意見ね。彼は、闘いに賭ける覚悟が違うから・・・・・・私のように想像力の乏しい人間には、彼の負ける所なんか、とてもとても・・・想像できないわね」

 そう、笑って言った。





「・・・外した。いや・・・避けられたか」

 爆炎の中で、そう呟くノア。その言葉を裏付けるように、煙と炎の中から一陣の疾風が吹き、周囲の視界を奪っていたそれらを吹き飛ばす。視界が晴れたそこには、リンダが何事も無かったかのように、平然と立っていた。だがその顔から余裕は消えていた。

「まさか・・・ここまでとは。まともにもらったら今頃跡形も無かったわね」

 後ろを向いて、ノアの行った破壊の後を見る。

 そこには巨大な穴があった。

「風通しは良くなったけど・・・」

 感心したように言うリンダ。先程の攻撃でノアの放った炎は、彼女に命中する事無く避けられ、そのまま壁に当たり、それでも勢いを弱める事無く、何枚もの壁を貫通し、外にまで繋がる大穴を開けてしまったのだ。そして・・・

「念の為、フバーハを三重に掛けておいたのに・・・かすっただけで、それを突き破って私の体をここまで蝕むとは。確かにあなたの言葉通り、火傷ではすまなかったわね」

 彼女はノアの放った炎が迫ってくる瞬間に、自分の周囲にフバーハの障壁をを張り巡らせ、全力で離脱したのだ。それは好判断だった、と言えるだろう。だが、

 右腕を見せるリンダ。ローブの袖の部分が燃えていた。ギリギリのタイミングでかわしきれなかったのだ。彼女はその袖の部分を破り捨てる。露になった右腕は、火傷を通り越して、焦げていた。

 彼女の義手になっている左手にベホマの光が宿る。右腕がこの状態では強力な魔法は唱えられないので、まずは回復させようというつもりだ。しかし、

 ドオン!!!!

 それより早く、ノアが次の行動を起こしていた。一足飛びで距離を詰めると、リンダに向けて炎刃を振り下ろす。リンダの方はそれを紙一重で避ける。目標を見失い、床に叩きつけられた炎刃はその周りを一瞬で気化させた。

「!! くっ・・・」

 再びその威力を見せ付けられ、血の気の引く思いになるリンダ。ノアはすぐさま第二、第三の攻撃を放ってくる。それらの攻撃はかわすリンダだが、当たらなくても凰火の刀身が発する強烈な熱が、彼女の体力を削っていく。

 状況は明らかに自分が不利。当たれば一撃で戦闘不能になるような一撃を続けざまに放ってくるノア。今は何とか、かわせてはいるが急激に体力が失われている。このままではどうしても先にこちらが疲労し、ノアの攻撃を受ける事になる。加えて、今の自分は右腕が満足に使えないため、反撃もままならない。

 どうするか!?

 彼女はノアの攻撃を寸前でかわしつつも、その頭脳をフル回転させていた。

「はっ!!」

 気合のこもった叫びと共に剣を振り下ろすノア。避けられない、そう直感したリンダは、咄嗟に、左腕を差し出した。

 ガキィィィィン・・・・・・

 金属と金属のぶつかり合う音が響く。リンダの左腕の義手が、ノアの凰火を、その刀身に纏う炎もろとも、受け止めていた。まさか止められるとは思わず、ノアが目を見開く。

 リンダが先程防げなかったノアの攻撃を受け止めたのは、全身にかかっていたスクルトとフバーハの効力を、凰火との接触部分を中心に集中させたからだ。これにより魔力の密度は高まり、より高い効力を得る。

 と、言うのは簡単だが、実行するのは、それも訓練ではなく実戦の最中にやってのけるには、かなりの集中力と、魔力の精妙なコントロールが必要な高度な技である。

 彼女は、そこから更に、剣撃を受け止めた左手の、掌をノアに向ける。

「ジゴスパーク!!」

 そう叫ぶと、その掌から収束した雷のエネルギーが放たれ、それはリンダの展開した障壁を内側から突き破り、ノアに襲い掛かる。だが、ノアはそれより早く、攻撃の射程外に離脱していた。

「くっ・・・速いわね・・・」

 と、悔しそうに言うリンダ。だが今の攻撃でノアとは間合いが離れた。つまり右腕を回復する時間が生まれた。素早くベホマを唱えると、焼け焦げていた右腕は、瞬時に再生してしまう。それと同時に再びノアが斬り掛かって来た。リンダは再び、左手の義手でその剣を止める。

「リンダ!! あなたはどうしてそこまでしてこの世界の滅びを願う!! そんな事をしても戻るものなど何も無いのに!!」

 泣きそうな声で、叫ぶノア。

「そんな事は分かってる!! でも、じゃあどうすればいいの!!? 私の中の、この無念さは!! どう晴らせばいいの!!?」

 リンダも、唇を噛み締めて、そう返す。二人は斬り結びながら、お互いの想いをぶつけた。

「何・・・!?」

「どうして私達が奪われなければならなかったの!? 私達が何をしたと言うの!!? あの日までは、私達は一生懸命毎日を生きてきたじゃない!! あんな事をされなければならない事をした覚えは無いわよ!! なのに何故・・・・・・」

「だからって、この世界の人の全てに罪があるわけじゃない、世界を滅ぼすなんて、間違ってる!!」

「違う!! 人だけじゃない、この世界に生きる全ての者が、人間も、魔族も、その双方が狂っているのよ!! どちらもその存在を大きく違えているように見えてもその本質は同じ、造りだせる物はあの血と闇の地獄だけ!! あなたとてそれをあの時思い知った筈じゃない!!」

 いつの間にか、リンダの目には涙が溢れていた。彼女は、この10年、ずっと溜め込んでいた物を吐き出すかのように、叫び続ける。それはノアも同じ、あらん限りの声を上げて、自分の声が硬く閉ざされた彼女の心に届く事を、願いながら。

「だから滅ぼすのか!!? この世界に生きとし生けるもの全てを巻き添えにして!!」

「それが私の復讐よ!! 全ての者があの地獄を、私達と同じ痛みを知る必要があるのよ!!」

「馬鹿な!! あなたが滅ぼそうとしている中には、誰かの為に一生懸命に生きている人も、生まれたばかりで何の罪も無い赤ん坊だっている。そんな人達まで巻き込むなんて、そんな復讐は絶対に間違ってる!! あんな思いをするのは僕達だけでいい!! あなたのその力は二度とあんな地獄を繰り返させないために使うべきだ!!」

 そう、ノアはそれを願い、その為にその命さえもを削って、強さを求め、手に入れ、そしてその信念を貫いて、今この時まで歩んできた。自分の道は間違いではないと、今でも信じている。だからこそ、今のリンダを放ってはおけないのだ。

 彼女の想いも、その行動も、理解する事は出来る。自分も、同じ事を考えた事があったから。でも自分は踏みとどまった。ギリギリの一線で。リンダはそれを踏破してしまった。だがまだ引き返す事は出来る。ノアはそう信じていたから、声を枯らして、訴え続けた。

「地獄!? 地獄とは何!? 痛み? 苦しみ? 絶望? 死? そんなものはこの世界に満ち満ちているじゃない!! そしてそれをもたらしたのは人間、あなたの言うような世界が望みなら、この世界に人など要らないじゃない!! 人も魔族も、死に絶えてしまえば!! 何も感じる事の無い、一切の罪の穢れの無い清浄な世界が訪れる!! 何故それが分からないの!? あなたはどうして!! あんな目に遭わされて、それでも人を信じることが出来るの!!?」

 その問い掛けに、ノアは自分の中の、最も深い部分を衝かれた気がした。自分が魔道に走る事無く、光の溢れる世界に留まる事の出来た、そのきっかけである、あの時の、あの人との約束を・・・

「それは・・・・・・」

 それを口にしようとして、思わず言葉に詰まるノア。一瞬沈黙し、

「確かにあなたの言う方法で清浄な世界が、永遠の平和が訪れるかも知れない。でも・・・僕は・・・・・・それを平和とは認めたくない!! 僕が、あなたを止めてみせる!!」

 そう叫び、強く剣を打ち込むノア。その威力は防御力を収束したスクルトの障壁でも吸収しきれず、リンダの義手に、小さなヒビが入る。そしてそれを機に、均衡が崩れた。徐々に、しかし確実に、ノアがリンダを圧していく。

 リンダも必死で攻撃を防御するが、果てしなく上がっていくノアのスピードに、攻撃を捌き切れなくなっていく。

 そして遂に、左腕のガードが弾き飛ばされ、リンダの体ががら空きになる。そこにノアが最後の攻撃を加えようと、凰火を構える。

「これで・・・終わりに・・・」

 剣を振るノア。自分の感覚が異常なまでに研ぎ澄まされているのが分かった。全ての動きが止まって見える。もうリンダにはこの攻撃をかわす術は無い。闘いの終わりを確信するノア。

 その時だった。

 ドクン

「え・・・・・・? あ・・・」

 体の中で、何かが切れたような感覚があった。その途端に、全身に震えが走り、力が抜け、剣を取り落としそうになる。動悸が異常に早まり、込み上げてくる吐き気に、思わず口を押さえる。

「う・・・!! ゴホッ・・・ガッ」

 激しく咳き込む。口を押さえた手の隙間から、鮮血がこぼれた。

 それを見たノアは、すぐに何が起こったのか理解した。

 ”ツケ”が回って来たのだ。しかしそれよりも彼の注意は、自分の目の前の、ほとんど反射的に、魔法を放とうとしているリンダに向けられる。

「ビッグ・・・バン!!!」

「しまっ・・・」

 次の瞬間、ノアの視界は、白い閃光に満たされた。









第25話 完