第22話・ラーミアの復活



 翌日、カインとマリアの二人はフォズバーグの牢屋にいた。元々この牢屋はフォズが悪人を入れるために作ったもの。だが今、この中にいるのは・・・

「・・・フォズ・・・どうして、どうしてこんな・・・」

 カインが信じられない、と言う表情で言う。鉄格子越しにフォズは弱々しい声でそれに答える。

「私・・・この町に住んでる皆の為だと思って、私なりに必死にやって来たつもりなんだけど・・・間違ってたのかな? ねえ? 教えてよ、カイン、マリア・・・」

 震えながら、今にも泣き出しそうになってしまうフォズ。カインはそれを見ると、懐から最後の鍵を取り出した。

「カイン、何をするつもりなの?」

「知れた事、フォズを助けるんだよ!! フォズがこんな目に遭わなきゃならない謂れは無い!!」

 そう言って牢屋の鍵を開けようとする。だが、

「ありがとう、カインの気持ちは嬉しいよ。でも、私は逃げ出す事は出来ない。逃げるわけには行かないのよ」

 フォズがそれを制止する。カインはまだ納得したようではない。

「そんな・・・どうして・・・」

「カイン、フォズはこうなってしまっても、それでも最後まで、自分の責任を全うしようとしているのよ。途中で投げ出す事をしたくないから・・・そうでしょう、フォズ?」

 カインの疑問に本人に代わってマリアが答える。その声は感情を押し殺そうとして、それでも堪え切れない想いがあるのだろう、微かに震えていた。そんなマリアを見てカインも最後の鍵を持つ手を下げてしまう。

「私なら大丈夫、きっと皆は私を許してくれると思うから・・・だから二人は、ノアと一緒にあなた達の旅を続けて・・・私はいつでも・・・あなた達の無事を祈ってるよ」

 全くの希望的観測だが、それが今のフォズに言える精一杯だったのだろう。思い詰めた様に胸に手を当てるフォズ。そこにはノアから貰った銀のロザリオが光っていた。

 結局それ以上何も言えず、カインとマリアは牢屋を後にした。





 その頃ノアは、旧フォズ邸にてある人物と会っていた。その人物とは勿論、以前フォズを町作りのためにスカウトした老人である。彼もまた今回の出来事に心を痛めているようで、沈痛な面持ちで言った。

「すまん、わしがついていながら・・・こんな事になってしまって・・・」

 そんな老人を前に、ノアは眼を伏せて何も言わない。

「フォズは本当に良くやってくれた。それはわしだけではない、初めの頃から彼女と共にこの町を作ってきた者達はちゃんと分かっておる。だから、あの子の事は心配するな。わし達がきっと守ってみせる」

 ノアが立ち上がった。老人に頭を下げる。

「お願いします。彼女は、僕の・・・・・・」

 そこまで言ってその先の言葉を言い淀むノア。誤魔化すように姿勢を正すと懐からフォズから託された最後のオーブ、イエローオーブを取り出し、屋敷を出ようとする。

「行くのか」

 老人の質問。ノアはそれに頷き、言う。

「はい、ここで立ち止まっていたらフォズが僕に、僕達に託した物が無駄になってしまうから、だから・・・行きます。戦いの場へ。フォズの想いも共に、誰ももう、血と暴力の恐怖に怯えなくていい、そんな世界にするために」

 扉を開ける。そこにはカインとマリアが立っていた。二人とも老人に一礼すると、ノアが扉を閉めた。後に残された老人は閉まった扉を見つめ続けていた。そして天井を仰ぎ見て、呟く。

「頼んだぞ、勇者達よ。この世界の未来は君達の肩にかかっている・・・勝利を祈っているぞ・・・そうして、全ての生きとし生ける者に輝ける未来を・・・」

 誰に聞こえる筈の無い祈りの言葉。だが自分の想いはきっと彼等に届いただろう。それがこの時、老人の抱いた確信だった。





「さて、カインはちょっと先に行ってて。私はノアと少し話があるから」

 屋敷を出てすぐにマリアがそう言った。カインは少し怪訝な顔をしていたが、

「分かった、じゃあ食料でも買い込んでおくよ」

 と言って市場の方へと行ってしまった。後に残された二人、先に口を開いたのは、

「で、マリア、話ってなんだい?」

 当然ノアの方だった。マリアは何も言わず、懐から昨晩ノアの部屋で見つけた薬の入った瓶を取り出し、見せつける。ノアの表情にはさしたる変化はない。ただ眉がピクッ、と動いた。

「ノア、これ以上あなたを旅に連れて行くわけには行かない」

 厳しい口調で言うマリア。ノアはと言うと無表情を保っている。

「自己管理は戦士の、いや旅人たる者の基本中の基本」

「僕みたいに体に悪い事ばっかりやっている者を連れて行くわけには行かない、と、そう言う事かな?」

 と、マリアの言葉を途中から受け継ぐ。それにマリアが、

「・・・分かっているなら尚更よ。この薬、力の種、素早さの種、スタミナの種、それらに含まれるそれぞれの能力を高める成分を濃縮して精製した物ね。当然かなりの高純度。通常、これらの種、木の実は一度に摂取する量が少量だから体に大した悪影響は無いものだけど・・・あなたの場合・・・」

 そこから先の言葉に詰まるマリア。ノアは話は終わりだ、と言わんばかりにマリアの横を通り、カインに追いつこうとする、がマリアがそうはさせじと彼の腕を掴む。無意識にその手に力が入る。

 カインとは別の意味でノアも自分にとって大切な人だ。それをみすみす・・・みすみす・・・

「元々おかしいとは思っていたのよ。あなたの巨人族をまるで赤子同然にあしらう腕力、敵に先手を打たせても絶対に出遅れない瞬発力・・・あんなのがただ訓練を重ねるだけで、鍛えに鍛え抜くだけで身につくものなのか、人の体に備わるものなのか、ってね。答えは否。無論あなたは極限の鍛錬を経てきたのでしょうけどそこに更に・・・」

 手元の薬に目を向けるマリア。それを持つ手が震えている。その次に彼女の口から出る言葉も。

「もう・・・保たないのよ・・・? あなたの体は既に限界すら超えて悲鳴を上げている。これ以上戦い続ければ、あなたは・・・確実に・・・・・・」

 最後の一言を言葉にすることが出来ずにマリアは泣き出してしまう。その口調がノアをなじるように変わる。

「どうして!? 何があなたをそこまでさせたの!? バラモスを倒しても、そこから先あなたはどうするつもりだったの!? その先の人生の方がずっと長いのに・・・そんな安らかに過ごせた筈の時間を投げうってまで、どうして・・・・・・あなたにとって強さとはそれほどの価値のあるものなの?」

 そんなマリアを見て、ノアは静かに語り始める。

「僕は・・・強くなりたかった。強くありたかったんだよ。誰よりも、何よりも・・・あの時、何も出来なかった、誰も救えなかった、そんな自分と決別する為に。僕が戦うことで誰かが救われるのなら。そう思って、そう信じて・・・今、この時まで・・・結局あの頃と同じ弱いままだったけどね。でも、それでも、僕が信じて歩んできた道だから。もう・・・引き返せない」

 そうしてノアはマリアの手を振りほどくと、もっとももうマリアの手に力は入っていなかったが、今度こそカインを追って行ってしまった。何も言えず立ち尽くしているマリア。今、彼女の胸には二つの感情が押し寄せていた。

 苛烈な過去を背負い、それでも誰かの幸せを願って戦い続けた少年への、その強い心への敬意。そしてその為の力を得るために少年が払った代償、それが導く彼の未来への絶望。

「かなわない・・・」

 何かを諦めたようにマリアはポツリと呟くのだった。





 そこは未開の地、ネクロゴンドの中でも1万メートルを越す山々が立ち並び、頑なに人を拒み続ける場所だった。この世界を闇に飲み込もうとする魔王バラモスの居城はそこにあった。

 城の周囲は深い霧に包まれ、外界から城の威容を覆い隠し、城の中は生命力の弱い者はその場にいることすら出来ないだろう、圧倒的な負の大気に満たされている。

 その城の最深部では白いローブをその身に纏う女魔導師、リンダが跪いていた。その相手は当然、魔王バラモスである。

 玉座に座るバラモスはリンダの数倍はあろうかという巨体の持ち主だった。爬虫類を思わせる残忍な光を放つ目でリンダを舐め回すように見ながら、大気の震えるような低い声で彼女に問う。

「リンダよ、貴様に一つ問いたいことがある」

「何でしょう、バラモス様」

 跪いたまま、バラモスの顔を見ようとはせず、へりくだった口調で返すリンダ。その態度は明らかにバラモスの僕としてのものだ。その態度に気を良くしたのか喉の奥でグッグッグッ・・・と笑いながら続けるバラモス。

「貴様には勇者オルテガの息子とその一味の抹殺を命じていた筈、にもかかわらず、未だ奴等は誰一人として欠けることなく、また各地を侵攻していた魔王軍を悉く蹴散らし、ここへ向かっておる。これはどう言う事だ?」

「以前にも申し上げた通りですバラモス様。勇者一行は死線を潜る度、飛躍的にその力を高めております。私や軍勢を以ってしても一筋縄で倒せるものではありません。かくなる上はあえてここにおびき寄せ、この私と私の率いる親衛軍にて叩くのが最上かと・・・」

 バラモスはその提案に暫く考えるようなそぶりを見せた後、リンダを威圧するかの様な強い口調で言う。

「よいかリンダ、貴様はサマンオサとジパングの両国を奪回され、勇者達がオーブを揃えるのを阻止することも出来なかった。これ以上の失態は許さんぞ。次にこの玉座に来る時は、必ずや余に歯向かう愚か者どもの首を持ってまいれ」

「・・・・・・」

 眼を伏せたまま無言のリンダ。バラモスは今度は疑るような、からかうような口調で言う。

「それとも出来ないとでも言うつもりか? お前も所詮は人間だと言う事か?」

「・・・・・・」

 リンダは立ち上がると、初めてバラモスを見た。彼女は笑っていた。

「何をバカな。私は人が憎い、人は私から全てを奪った。だから人を滅ぼすために魔王軍に入った。その気持ちに偽りはありませんよ?」

「・・・・・・ならばよい、吉報を待っておるぞ」

「仰せのままに」

 リンダは優雅に一礼すると玉座の間を退室した。

『クス・・・これでいい。バラモス、あなたも精々今の玉座の座り心地を噛み締めておくのね。あなたの命運は既に尽きているのだから・・・もっともあなたに引導を渡す役目は私ではないかも知れないけど』

 彼女の肩は震えていた。内心の哄笑を必死に堪えようとして。





 カイン達一行は全てのオーブを揃え、南の氷の大陸、レイアムランドに上陸した。

 ここも以前訪れたグリンラッドと同じ様に吹雪で視界は数メートルも無かったが、遠くから凍てついた空気を風が引き裂く音に混じって、何か歌声のようなものが聞こえてきた。彼等を誘うように。三人はその歌声の聞こえてくる方向へと前進する。そうして進んだ先に、

「あれは・・・祭壇?」

 ノアが前方の闇を指差して言う。カインとマリアにはまだ何も見えなかったが、その方向へ進むと徐々にその輪郭が見えてきた。ノアの言うとおり古代の遺跡のような建物がポツンと氷の大地の上に建っている。

 長い階段を上り、その祭壇の内部に入る。中では巫女の装束を着た、二人の美しい女性が歌っていた。先程から聞こえていた歌は彼女達が歌っていたのだろう。二人はカイン達に気付くと歌を止め、優しい微笑を浮かべた。その笑顔は穏やかでありながらもどこか疲れているような、そんな印象をノアは持った。

「「お待ちしていました。勇者様」」

 二人は寸分の狂いも無く声を揃えて言う。そして同時に祭壇の奥を指し示す。そこには円を描くようにして配置された六つの台座と、その中心に巨大な卵が安置されていた。カインはそのシュールさにちょっと引いているようだ。

「「あなた方の訪れる時を、私達の役目の全うされる時をずっと待っていました。今こそその時、さあ、オーブを台座に・・・」」

 三人は顔を見合わせると、言われたようにそれぞれオーブを台座に置いていく。一つ、二つ・・・そして最後の一個をノアが置き、二人の巫女達の後ろに下がる。

 巫女達は一歩前に進み出ると眼を閉じ、精神を集中させる。彼女達の体がうっすらと光に包まれる。目に見えるほどの凄まじい魔力が放出されているのだ。その光は蛍の様に一定の間隔を置いて瞬いている。二人とも全く同じ様に。

「!」

 次にオーブの一つが二人の光に同調するようにして光を放つ。そしてその一つに続くようにして、次々と他の五つも輝き始める。そして六つ全てが光り、それぞれがそれぞれの光を増幅するようにして強く強く輝く。

 そんな目も眩むばかりの光の中で、巫女達は静かに言霊を紡ぐ。

「汝、神の僕、いかな風よりも疾く天を駆ける翼を持つ者よ」

「今こそ我等の呼び声に応えよ」

「この大空はお前のもの」

「舞い上がれ天高く!!」

 その詠唱とともにオーブから放たれていた光は際限なく強く、明るくなり、視界を白く染める。三人が思わず眼を閉じ、そして再び開けた時、時間にしてほんの数瞬だったろうが、眼を閉じる前とは明らかに変わっていたものがあった。

 台座の中心である。そこには先程まで卵があったはずが、今はその割れた殻しかない。

「中身は・・・?」

 辺りを見回す三人。ノアが何気なく頭上を見上げる。

「・・・・・・!」

 そこには、

「二人とも、上、上」

 呆然としてカインとマリアを促すノア。二人は上を見る。

「あれが・・・ラーミア」

 彼等の頭上、祭壇の遥か上空を巨大な鳥のような影が通り過ぎていった。

「そう、あれが伝説の不死鳥ラーミア」

「悠久の時を超え、今この時に蘇りました」

 二人の巫女は代わる代わるにカイン達の疑問に答える。二人の表情は色濃く儀式の疲れを残しながらも、どこか安らかだった。ノアが異変に気付いたのはその時だった。

「!! あなた達は・・・」

 二人の体が砂の様に崩れているのだ。カインやマリアはそれに見覚えがあった。ネクロゴンドの祠で自分達にシルバーオーブを託してくれた老人、あの人もその役目を終えた時、こうして・・・

「時が来たのですよ」

「そう、然るべき者に未来を拓く力を委ねる時・・・それ即ち私達の役目が終わる時、そして・・・消える・・・」

 そう言う間にも二人の体の崩壊は進んでいく。ノアとカインは無言、マリアは、

「どうして? どうして、そんなに安らかな顔をして逝けるの? 何十年か、何百年か、その間ずっとこの祭壇を守っていて、そしてその役目が終わったらこの世からいなくなるなんて、そんな事・・・悲しすぎる・・・なのにどうして・・・」

 そう叫ぶ。

「仕方が無いのよ、これが最初から定められていた私達の運命・・・」

「ここで生まれ、ここで死ぬ。私達の世界はこの小さな祭壇だけ・・・」

「そんな・・・」

 俯いてしまうマリア。肩が震えている。また泣いているのだろうか。

「「泣かないで」」

 二人の巫女は優しい口調で言う。後僅かでこの世から消滅するというのに、未だその表情は安らかなままだった。マリアが顔を上げる。その顔にはやはり涙が流れていた。

「この最期の時に、あなた達のような人に出会えて本当に良かった、心からそう思う」

「自分の為じゃない、誰かの為に涙を流す事の出来る人に・・・」

「「ありがとう」」

 それが最後の言葉になった。二人は完全に消滅した。マリアは呆然と先程まで二人のいた所に手を伸ばす。その手は空を掴んだ。カインは二人の死を悼むように、そして自分達の肩にかかっているものの重さを再確認するように、眼を伏せる。

 そしてノアは、

「あなた達の想い、確かに受け取りました」

 腰の凰火を抜き、天にかざす。

「僕達を見ていて。あなた達の分までやってみせる。きっと・・・きっとこの世界を救ってみせる。それをあなた達だけじゃない、僕達に希望を託してくれた全ての人に誓うよ」

 いつの間にか吹雪は治まっており、雲間から太陽の光がその祭壇を照らし出していた。









第22話 完