第16話・ノアの想い
「そして僕はどこかの海岸に打ち上げられていた。目を覚ました時、フォズはどこにもいなかった。僕は彼女を護れなかったんだ」
ノアは吐き出すようにそう言う。握り締めた拳から血が滴っていた。
「・・・そして今から一年前、あの子と出会った時は本当に驚いた、八年の年月は彼女をずっと大きく、美しくしていたけど僕には一目で分かった」
「生きているんだね、いい事じゃないか」
とエリック。既に死人である彼が言うのだからその言葉にも説得力があった。
「そう・・・ですね」
ノアは頷く。死んだ者は何もしない、何も出来ない。だからこそ命は尊い。
ノアは幼少の時の経験からそれを知っていた。
「頼みがあるんだ、もし会うことがあったなら、これをオリビアに・・・」
エリックは自分の首につけていたロケットを外すとノアに差し出した。受け取るノア。エリックの体は霊体だがそれだけはすり抜けることも無く、ノアの手におさめられた。
「これはまだ国にいた時、オリビアが僕にくれたもの・・・僕と彼女の愛の思い出が詰まった品物だ。これを彼女に、そして伝えて欲しい、君を愛していたと、幸せになってくれと」
ノアは自分の掌の中のロケットを見る。その中には幸せそうな青年と女性の絵が納められていた。
「分かりました、必ず」
ノアはそのペンダントを握り締めるとその部屋を後にした。
ドアを開けると、そこにはマリアが震えながら立っていた。
「マリア・・・フォズは?」
ノアが心配そうに聞く。マリアは無表情のままで答えた。語調はほとんど棒読みに近い。
「大丈夫、カインがついているわ。私はやっぱりあなた一人では心配だと思って追ってきたの」
「そう・・・さっきの話、聞いていたの?」
マリアは黙って首を縦に振る。それを見てもノアの表情にも変化はない。
「ノア、一つだけ聞かせてくれない? どうしてあなたは過去にフォズと出会ったことがあったのを黙っていたの?」
「・・・・・・」
答える気は無い、とでも言いたげに目を伏せるノア。その態度にマリアは腹を立てたのか口調が荒くなる。
「っ!! 私も女だから分かるけどあの子の眼にはきっと自分を護ってくれたあなたは輝いて見えた筈よ!? ヒーローのように。あの子が記憶を失って、たった一人で、それでも頑張ってこれたのは心のどこかであの日のあなたを覚えていたからじゃないの? 実際おぼろげでも自分を護ってくれた人がいることは覚えていたようだし・・・あなたは何故、フォズの想いに応えてやらなかったの!?」
いつもの冷静な彼女からは想像もつかないような剣幕で怒鳴るマリア。ノアは眼を開けると、マリアの眼を真正面から見た。マリアも見返す。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・そうだね、マリアになら教えてもいいよ。何故、言わなかったか」
先に折れたのはノアだった。いやはや参った、という調子で苦笑いすると話し始めた。
「それはね・・・」
パァン
少し間をおいて、乾いた気持ちのいい音が響いた。
「あなたは・・・」
震える声で言うマリア。ノアは無表情で赤くなった頬をさすっている。マリアは荒れていた呼吸を整えると、
「・・・フォズに、謝りなさいよ」
と、ぶっきらぼうな調子で言った。ノアは暫くそんな彼女を見ていたが、やがて静かに頷くと言った。
「そうだね・・・・・・だけどその前にフォズのお父さんの願いを叶える」
ポケットから船長室で見つけたペンダントを取り出すノア。
「それが・・・さっきの話に出てきた・・・」
マリアはそのペンダントをじっくりと観察するようにして見る。見れば見るほど美しいが、どこか怪しげな感じもする。まるで見る者の心を奪い去ってしまうような。
「あの時、このペンダントに込められた魔力を船長が戯れに解放し、結果冥界への扉が開いた。だが船長は魔法使いではなかったから冥界への扉は不完全にしか開かず、以降この船は現世と冥界の間を彷徨い続ける事になり、乗組員は死ぬか、もしくは死ぬことも出来ずアンデッドとして苦しみ続けることを強いられた。そしてどういう経緯でかは分からないが、フォズのお父さんはあの骨に自分の願いを込めて・・・・・・それが僕達の手に渡った」
「偶然・・・・・・と思う?」
問い掛けるマリア。ノアは笑みを浮かべる。
「さあ・・・? だが、今僕が為すべき事は決まってる」
そうして掌のペンダントを床に落とすと粉々に踏み砕く。と同時に、
ゴゴゴゴゴゴ・・・・・・
突然の震動が二人を襲った。ノアは平気で立っているがマリアはそうもいかず、壁に寄りかかり、しゃがみこむ。
「な、何? この揺れは!!?」
「この船を維持し、死者の魂をこの世に繋ぎ止めていたのはあのペンダントの魔力。それが失われたからこの船は崩壊するのさ、同時にこの船に囚われていた魂達もあの世へと解放される・・・」
「じゃあ・・・」
「フォズの父さんの願いは叶えた。脱出するよ」
マリアも立ち上がり、崩れ落ちてゆく幽霊船の中を二人は走る。甲板に出て、まずはマリアが自分達の船に飛び移った。続いてノアも、と、その前にノアは一瞬だけ後ろを振り返る。
エリックが自分に手を振っている、その姿が見えた。
「ノア!! 急いで!!」
とマリア。ノアは心の中で一言だけ呟いた。
(・・・さようなら・・・)
ノアが彼の船に飛び移るとほぼ同時に幽霊船は完全に崩壊し、その姿を海中に消した。
「フォズは?」
ノアとマリアは船の中に戻ると、船室に直行した。カインがフォズの症状を説明する。
「熱を出して、今は眠ってるけど、このままじゃ危険だ。どこかで治療を受けさせないと・・・・・・」
ノアは苦しげな呼吸を繰り返しているフォズを見た。フォズはさっきまで健康体だった筈だ。なのに・・・・・・ひょっとして自分がかつて乗っていた船を目の当たりにしたことで記憶が戻って、そのショックで・・・? いや、今重要なのはそんなことではない。ノアは頭を切り替えると言った。
「助けるから、必ず」
そして、一度甲板に戻り、沿岸に民家か何かはないか、目を凝らす。すでに日は暮れようとし、辺りには夜の帳が下りようとしている。時間はあまり無い。焦る気持ちを必死に抑え、眼を皿のようにして見渡す。
「!! あった・・・・・・マリア止めて!!」
視界の果てに確かに民家を発見した。ノアに言われるままに操舵を行っていたマリアは岸に船を止める。ノアはフォズをお姫様抱っこで運び出した。カインとマリアもついていく。
その民家の扉を叩くノア。しばらく間を置いて、白髭の老人が出てきた。
「何か用か?」
「すいません、僕達の仲間が急に病気になったんです。お薬か何か分けてもらえないでしょうか」
老人はノアの腕の中のフォズを見て、
「おお、困った時お互い様、どうぞどうぞ」
と、ノア達を招き入れた。老人の用意してくれた部屋にフォズを寝かせるノア。老人は早速その家の棚に置いてあった薬ビンから乾燥させた薬草などをすり潰し、薬を調合した。ノアがその薬をフォズに飲ませる。
「今日はもう遅い、部屋はあるし、泊まっていくと良い」
と老人。カインが、
「フォズの事もあるし、お言葉に甘えさせてもらいましょうか」
ということで老人の家に泊まることとなった。
その夜、
「ノア、夕食を持ってきたわ」
とフォズの眠っている部屋にマリアが入ってきた。中には眠っているフォズと彼女を看病しているノアがいる。ノアは少し疲れているように見える。ノアは昔フォズを護れなかった。それを思い出しているのだろうか。
フォズの様子を見る。薬が効いたのか先ほどよりは幾分か落ち着いているようだ。
「ノア、私が代わりましょうか?」
「・・・・・・」
何も言わず、静かに首を横に振るノア。
「そう、食事はここに置いて行くわ」
マリアはそれだけ言うと食事を置いて部屋を出た。ノアはフォズの額のタオルを取り替えると、マリアが持ってきてくれた夕食を食べた。美味しそうに食べていると言う様子ではない。どちらかと言うと無理矢理詰め込んでいる感じだ。まあそれも無理は無い。大切な仲間が、それも最も護りたいと思っていた少女が倒れたのだから。本来なら食事が喉を通る心境ではない。だがここで自分まで倒れたらそれこそ一大事。だからこそ、だった。
食事の後は再び看病に戻った。タオルを何度となく絞る。手は皮膚がふやけて紫色になるがノアはそんな事は意にも介していなかった。
カインもマリアもノアと同じように眠らず、夜通し祈っていた。
そして夜が明ける・・・
窓から差し込む夜明けの光を浴びながらノアはフォズの手を握り、静かに言う。
「フォズ、僕は・・・・・・・ずっと君を護りたかった。僕にとって君は太陽のように眩しくて、暖かかった。セレネとリンダを喪って、冷え切った僕の心にぬくもりをくれたのが君だったから」
眼を閉じたままのフォズを見つめ、ノアの独白は続く。
「だからあの時救えずに死なせてしまったと思ったフォズと、一年前、出会った時は本当に嬉しかった。でも同時に不安にもなった。フォズがあの時の事を覚えていて、両親や君を救えなかった僕を恨んでいるんじゃないかって・・・・・・フォズが記憶を失っていると聞いた時、僕はそれを悔やんだけど、同時に心のどこかでほっとしていたんだ。そして記憶が戻らないことを心のどこかで願ってた」
自嘲気味な笑顔を浮かべ、顔に手を当てる。ノアは震えていた。その姿は泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。
「最低だね? 結局僕は自分のことしか考えてなかった。自分の気持ちだけ優先させてた。そうして僕と君と、両方に嘘をつき続けてた。君が僕に話しかけてくる度に、僕の瞳を覗き込んでくる度に、僕はいつも怯えていた」
顔に当てていた手を下ろす。そこにあったノアの眼は濁りの無い、優しい光をたたえていた。
「もう・・・やめるよ。君が目覚めたら、全ての真実を話す。でないと、君に胸を張ってこの言葉を言えないと思うから・・・」
そこで一旦言葉を切る。そして、ゆっくりと続く言葉を話す。
「フォズ、僕は初めて君に会った時から、ずっと君のことが・・・・・・・・・好きだった」
最後の言葉は本当に小声で、すぐ近くでないと聞き取れないほどだった。
「ほんとに?」
と、眠っていたフォズが飛び起きた。ノアもこれには面食らった様子で、椅子から転げ落ちてしまった。
「フォ、フォズ!!?」
「ホントに? 本当にノアは私のこと好きなの?」
すっかり元気な様子のフォズはベッドの上で飛び跳ねながら聞いてくる。ノアは腰が抜けて立てないようだが、それでも、
「フォズ!! まさか、ずっと起きて聞いてたんじゃ・・・・・・」
と顔を真っ赤にして怒る。が、フォズは、
「ホントなの? どうなの!!?」
と詰め寄ってくる。ノアはしばらく黙っていたが、その迫力に圧されたのか、小声で言う。
「・・・好きだよ」
「なあに!!? 聞こえないよお!!?」
大げさに身振り手振りするフォズ。ノアは一瞬ムッ、とした表情になり、
「好きだよ、フォズのことが」
今度はハッキリと言った。同時に抱きついてくるフォズ。突然の事と看病疲れもあって押し倒されてしまうノア。
「フォズ・・・記憶が・・・戻ったの・・・・・・?」
フォズは微笑むとノアの上に乗ったまま、耳元でささやいた。
「私はノアを恨んだりなんかしてないよ。私もずっと、大好きだったから、あなたのこと。昔も、そして今も」
そうして、フォズは自分の唇をノアの唇に重ねた。不意打ちのキスに一瞬体を硬直させるノア。しかしすぐにその眼を閉じ、その感触に身を委ねる。
唇が離れて、ノアは眼を開けた。自分の顔のすぐ間近に、フォズの笑顔が見えた。その、未だ自分の上に乗ったままのフォズに、ノアはどこか悲しそうに言う。
「フォズ、記憶が戻って、それでも君が僕を好きでいてくれているのは嬉しいけど、僕は・・・・・・んっ・・・」
その言葉は途中でフォズの二度目のキスに遮られた。だがノアはそれに抵抗するでもなく、フォズの体を抱きしめるように彼女の背中に手を回す。
とその時。
「ノア、フォズの具合はど・・・・・・」
「あらあら、こんな朝早くから、若いわねぇ」
カインとマリアの二人が部屋に入ってきた。床に転がって唇を重ねている二人を見て、カインはピシッ・・・、という音が聞こえてきそうなほどに、あんぐりと口を開けて硬直してしまい、マリアは少々老け込んだような物言いで二人をからかった。
「いや、あの、これは・・・・・・」
「・・・・・・」
慌てて体を離し、顔を完熟トマトの様に真っ赤にして弁解するフォズと、同じく完熟トマトと化し、恥ずかしそうに俯くノア。カインはまだ動かない、と言うか動けない。彼には少々刺激が強かったようだ。
「まあ、そう恥ずかしがらなくてもいいわよ。あなた達が相思相愛なら別に恥ずかしがることでもないでしょう?」
「ちがーーーうっ!! って、いや違わないけど、だから私達は・・・・・・」
マリアとフォズのやり取りは石化しているカインと何も言わない、いや言えないノアを余所に、一時間余りも続いた。
第16話 完