第15話・あの日の少年



 幽霊船を探索中、突然ノアの前に現われた青年、いや正確には青年の幽霊。よく見ると彼の足は付いていないしその体も後ろの景色が透けて見える。それはつまり彼の肉体がこの世のものではないということの証明だった。

 ノアはその男の幽霊をエリックと呼んだ。その幽霊はこう答えた。

「大きくなったものだね、ノア君」

 その言葉は親しい友人に対するものだった。





 フォズは歩いていた。辺りは霧がかかったようで何も見えない。何故こんな所にいるのか自分でも分からなかった。

(どうしたんだろう・・・私はみんなと一緒に船にいたはずなのに・・・)

 記憶を辿る。

(幽霊船・・・そう、思い出してきた・・・あの幽霊船を見ていたらなぜか急に頭が痛くなって・・・そこから覚えがない・・・それよりここは、何処?)

 周囲を見回す。相変わらず彼女の周りは霧に包まれて何も見えない。しかし、

「・・・お兄ちゃん・・・」

「え、誰?」

 後ろから声が聞こえてきた。振り返るフォズ。すると急に視界が晴れた。もう一度見回すとどうやら自分は何かの建物の中、微妙に揺れていることから恐らくは船の中にいることが分かった。そして少し視線を下げてみると、そこにはドレスを着た桃色の髪の少女がいた。年齢は6歳ぐらいだろうか。こちらに走ってくる。と、急に船が揺れてその少女はバランスを崩し転びそうになった。

「あ・・・」

 思わずその少女に手を差し伸べるフォズ。だがその手はその子の体を何の抵抗もなくすり抜けた。

「え?」

 驚いて自分の手を見る。別段変わった所はない、普通の手だ。自分の手と手を合わせてみる。手の平が触れ合った。 

 もう一度視線を下げる。転んでしまった少女に彼女と同年代ぐらいの少年が手を差し伸べていた。思わずその少年の顔を覗き込もうとするフォズ。だが少年の顔は影がかかっているようでよく見えない。

 少女は少年の差し伸べた手を掴むと立ち上がり、二人はフォズの体をすり抜けると、行ってしまった。

 二人が去っていった通路を見つめながらフォズはしばらく立ちつくしていた。

 何が何だか分からない。自分が何故こんな所にいるのか、ノアたちはどこへ行ったのか。何故あの少女や少年に触れる事ができないのか。分からない事だらけだが一つ、一つだけ確信したことがあった。

(あの女の子・・・あれは私・・・私だから私だと分かる・・・あの子は・・・私・・・)





「懐かしいですね、あれからもう八年ですか、言葉にすればそれだけだけど生きてみると随分と永く感じましたよ」

 と、エリックに語りかけるノア。エリックは困ったような表情を浮かべる。

「僕はあの時死んだから生きているってのは変だけど確かにもう何十年も経った様な、そんな気がしていたよ」

 彼の言うことは嘘ではあるまい、何年も安らかに眠ることを許されず亡霊としてこの船の中に縛られていた時間、彼だけでなく他の者にもそれは拷問にも等しい時間であったのだろう。周りの腐乱死体たちが一心不乱に船を漕ぎ続けているのはひょっとしたらその拷問に耐え切れず精神を崩壊させてしまったからかもしれない、ノアの脳裏にそんな考えがよぎった。

「君だけだったよね、罪人としてこの船を漕ぐ役目を与えられて、そんな僕の無実の罪だ、という訴えを聞いて僕に声をかけてくれたのは」

 エリックは昔を懐かしむように、その時の出来事を思い出して噛み締めるように、ゆっくり、ゆっくりと話し続ける。ノアは黙ってそれを聞いていた。

「僕は生きる気力を失いかけてたけど、君を見てると、君の曇りのない紅玉のような眼を見てると不思議と心が洗われるような気がしたよ。そして希望が湧いてきた、もう一度生きてオリビアに会うんだって・・・」

 過去を懐かしむ口調、だが今度はそこに諦めにも似た感情が混ざったようにノアには聞こえた。

「もしかしたらその願いは叶えられたかもしれない。あの日あの船長がバカな考えを起こさなければ・・・」

 ノアが彼の話を受け継ぐ。その表情は何か苦虫を噛み潰したようだった。





 フォズは少年と少女を追って階段を上がった。いつのまにか少年は見失ってしまったが少女はその船の船室の一つに入っていった。彼女を追いかけてフォズも船室に入る。

 その船室は内装が豪華で、一般の客ではない、お金持ちやこの船の持ち主が使うような、この場合は両方だろうが、そんな部屋だった。

その部屋の入ってすぐの所に少女はいた。彼女だけではない、彼女の父親だろう壮年の紳士もいた。机の上には珍しそうな宝石や装飾品が並べられている。その中には異様な輝きを放つ宝石がはめ込まれたペンダントもあった。

「・・・?・・・」

 そのペンダントに目が留まるフォズ。何か普通の宝石とは違う、怪しげな美しさをそのペンダント、いや宝石からは感じた。

「お父様、今回の旅はどうでした?」

 少女が父親に尋ねる。まだ幼いながらしっかりとした口調だ。父親は少女の頭を撫でると、

「ああ、とても充実したものだったぞ、見なさい、この通り多くの宝物や魔法具が手に入った」

 少女を抱き上げて、テーブルの上の品々を見せた。少女にはそんなものの価値などは分からないだろうがきらきらと光るそれらに目を奪われているようではあった。

 すると、扉が開き、先程の少年が入ってきた。フォズは彼の顔を見ようとするがやはり彼の顔は靄がかかっているようでよく見えない。少年は少女の父親にペコリ、と頭を下げると彼も少女と同じく彼女の父親に挨拶した。

「お疲れ様です。収穫もあった様で何よりです」

 彼は少女たちの家族ではないのだろう、どこか他人行儀なしゃべり方だ。

「ハハ、まあそう畏まらんでもいいよ、君と私の仲ではないか」

 と、笑いながら少女の父親が言った。そこに、

「そう、あの時あなたがいてくれなければ私達もフォズもここにはいないのですからね」

 鈴のような声が聞こえてきた、声のした方を見ると隣の部屋から美しい女性が入ってきた。手に持つトレイには紅茶の入ったティーカップを乗せている。会話から察するに少女の母親だろう。この女性は少女のことをフォズと呼んだ。フォズの中でこの少女が自分だという確信がより強くなった。

「はあ・・・」

 少年は二人を見てどう喋ればいいのか分からなくなったようだった。





「魔術師であり豪商としても名を知られていたフォズの父親には敵も多かった。奥さんと娘を連れて旅行していた時、盗賊に襲われた事もあった。それを助けたのが当時五歳の僕・・・それから一年程の間、僕は居候として彼の屋敷に厄介になった。彼も、彼の奥さんも、彼の娘も、みんな僕によくしてくれた・・・それこそ肉親のように」

 遠い眼をして語るノア。エリックは成程、といった表情を浮かべる。

「そうか、だからあの時、君はこの船に・・・」

 頷くノア。どこか儚げな笑顔を浮かべる。

「船長の、あの愚かしい裏切りさえなかったなら・・・もしかしたら僕は・・・」

 そこまで言って首を振るノア。

「いや・・・どのみち僕は平穏には馴染めなかったでしょうね・・・」

 自嘲するように笑い、話を本題に戻す。

「そして、あの時、この船は幽霊船として、現世と冥界の狭間を彷徨うようになってしまった、あの・・・嵐の日に」





「くそっ、船長め、どういうつもりだ!!」

 フォズの父親がいきり立って、握った拳をテーブルにたたきつけた。後ろで怯えている少女、幼い頃のフォズの肩に手を置いて言う。

「いいかいフォズ、おまえ一人だけでもこの船から逃げなさい、脱出用の小船があるはずだ、それに乗って・・・」

「で、でもお父様は・・・? お母様は・・・?」

 震えながら尋ねる少女。フォズはその光景をじっと見ていた。言葉を発しても聞こえないことは分かっていたし、何より自分はこの先に何が起こるのか見届けなくてはならない、そんな気がしていた。

「大丈夫だ、私達も後から行く」

 その言葉を信じたのか少女の表情から僅かに不安の色が消えた。部屋を出て、走り出す少女。フォズも後を追う。少女はがむしゃらに走っていた。この船の通路はよく知っているのだろうが今の少女には見知らぬ土地にいるように感じられるだろう。

何が起こったか、状況が鮮明に把握できない、が、フォズには何か良からぬ事態が起こっていることは分かり、そしてこれから更に何かが起こる、そんな気がしていた。

 通路の曲がり角で少女が立ち止まった。曲がり角から向こう側の様子を見ているようだ。つられてフォズも見てみると、二人の武器を持った罪人がその先でうろついていた。なにやら話している。

「旦那と奥方は見つけたが子供が見当たらない。ああ、小船は全て沈めといたぜ。そっちは?」

「いや、こっちにもいない・・・あれ? お前の剣、何でそんなに血がついてるんだ?」

 聞かれた男は誇らしげに血のついた剣を掲げて言う。

「ああ、同じ罪人にエリックって奴がいてよぉ、あいつにもこの計画に参加しろって言ったんだけど頑として首を縦に振らねぇんだよ、で、もしこの事があいつの口からばれたら大変だろ? だからバッサリ、とな」

「なーるほど、俺もあいつは嫌いだったんだよ、無実の罪だとか故郷の婚約者だとか、スカした事ばかり言ってよぉ、よくやってくれた!!」

「なあに、しかし船長もいい事考え付いたもんだ、あのオヤジを殺して財宝を頂いちまおうなんて」

「まったくだな」

 そうして耳障りな声で笑う二人。フォズはその会話にどうしようもない怒りを覚え、拳を握り締めていた。

 男たちの会話から察するにこの船の船長があの少女の父親の財宝に目がくらみ、船員や奴隷を扇動してそれを奪おうと企んだらしい。しかもそれに賛同しなかった者、少なくともエリックという人一人が殺されている。酷い、そして醜い。フォズの頭に浮かんだのはその二つの強烈なイメージだった。

 少女を見ると彼女はブルブルと震え、父や母のことが心配になったのだろう、今来た道を戻ろうとした。その時船が揺れ、少女はバランスを崩し、転がるように倒れてしまった。当然そうしたことで男達に見つかった。

「こんな所にいやがったか・・・」

「嵐のおかげかな」

 二人の男はいやらしい笑みを浮かべながら少女に近づいてくる。少女は後ずさるもすぐに背中が壁に当たってしまう。

「やめなさい!!」

 フォズは衝動的に男達と少女の間に立ちふさがった。が、男達には彼女の姿が見えず、またその行為は彼等に何の障害にもならない。男達はフォズの体をすり抜けると少女に向かっていく。

「やめて・・・」

 彼女自身気付かないうちにフォズの眼からは涙が流れていた。涙に歪んだ視界の中で、少女の姿が男達の背中に隠されて見えなくなる。

「誰か、あの子を助けて!!」

 血を吐くような叫び。そして、

 ドサッ

 何かが倒れるような音が前からした。フォズが顔を上げて見ると男の一人の背中にナイフが突き刺さっていた。

「え・・・?」

 フォズが振り向くとそこには少年がいた。さっきとは違って彼の顔ははっきりと見えた。

「あなたは・・・」

 青みのかかった黒髪、白磁のように白い肌、そして、炎の様に紅い瞳、これは・・・

「なっ、てめえ・・・」

 エリックを殺したと言っていた男が少年に斬りかかる。少年は半身ずらしで剣をかわすと、手に持っていたナイフを男の心臓に突き刺し、捻りを加えた。男は目を飛び出さんばかりに見開き、口を金魚のようにパクパクさせ、そしてガクリと倒れた。倒れてしばらくはビクン、ビクンと痙攣していたがやがて動かなくなった。

「大丈夫? フォズ?」

 少年はその男の首筋に手を当て、死んでいることを確認すると少女に近づく、少女はしばらく恐慌状態だったが少年が優しく彼女の手を握ると張り詰めていたものが切れたかのように彼に抱きつき、泣きじゃくった。

「お兄ちゃん、ノア兄ちゃん、怖かったよおっ」

「もう大丈夫、僕がいるから、だから・・・泣かないで」

 少年は少女の頭を撫でていた。フォズは彼等の傍らに立って、呆然とした表情で二人を見ていた。ひとつの言葉がほとんど無意識に彼女の口から出た。

「・・・ノア・・・」





「僕があの時、船長の企みに気付いていればあなたも死なずにすんだかもしれない・・・」

 ノアはそう言って足元の腐乱死体を見る。他の死体が溺死したようであるのに対してそれだけは胸に大きな刀傷があった。

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも君がそれに責任を感じることは無いと思うよ? 少なくとも君は一人の命を救ったのだから」

 そう、ノアを慰める風でもなく、ただ事実のみを述べるように淡々と言うエリック。

「だがその為にいくら裏切り者とはいえ何十人の水夫や罪人を犠牲にした」

 ノアもこれまた事実を述べているように感情を込めない様子で言う。

「あの時、船長が戯れにこのペンダントの魔力を開放したあの時に・・・」

 ノアはポケットから船長室で見つけたペンダントを取り出した。はめ込まれた宝石はノアの掌の上で今も異様な輝きを湛えていた。





「こっちへ!!」

 少年、幼き日のノアは幼いフォズの手を引き、通路を走っていた。フォズは二人の後を追いかけていく。と、少年が何かを感じたように体を竦ませると、立ち止まった。

「お兄ちゃん・・・?」

 幼いフォズは不安そうにノアの顔を見る。ノアの顔には汗が伝っていた。

「まずい・・・船長の奴、まさかあれを・・・」

 ノアは一階上の船長室を船板越しに睨み付けるようにしていたが、不意に幼いフォズに向き直ると有無を言わせぬ口調で言った。

「フォズ!! 僕にしっかり掴まっていて!!」

 幼いフォズは一も二も無くノアの体に掴まる。ノアは左手で彼女の体をしっかり掴むと、

 ドガアッ!!

壁を蹴り抜いた。それで出来た穴からは嵐の海が見えた。躊躇せず嵐の海に飛び込む。

「ごぼぼっ・・・(くそっ・・・)」

 激流に翻弄されながらも何とか海面に浮上する。空気を思い切り吸い込みながらふと後ろを振り返る。

「始まったか・・・」

「あ、あれは・・・」

 そこで幼き日のノアとフォズ、二人は見た。自分たちの乗っていた船、その船長室から異様な光が天へと立ち上っているのを。心を奪い去るように美しく、けれど禍々しい光が。

それが何なのか分かる前に二人の体は高波に呑まれた。



 それからどれだけの時間が経ったのだろう。幼いフォズが一人で浜辺に打ち上げられていた。ノアの姿は無い。彼女を抱いて海を泳ぐ途中で力尽きたのだろうか。彼女の傍らに立っている、現在のフォズは泣いていた。とめどなく出てくる涙を拭おうともせず、ただ・・・泣いていた。





・・・そうか・・・思い出した・・・

・・・私を護っていてくれたのは・・・ずっと私を見守っていてくれたのは・・・

・・・あの紅い、優しい瞳・・・

・・・ノアだったんだ・・・









第15話 完