第13話・二人の道



 10年前、テドンの村。その日の朝早くノアは山菜を取りに出かけた。

 これがノアの最近の日課だった。教会は村人の寄付によって成り立っているがそれでも生活は苦しかった。勿論神父達はそれをノアには悟らせないようにしていたが高い感受性を持ったノアには通用せず、彼はそれは自分を育てている為だと思ったのだ。

 だから少しでも役に立つように、と始めた事だった。神父やセレネは気にしなくていい、と言ってくれたが彼自身の気持ちはそれでは治まらなかった。別に悪い事をしているわけでもなく、むしろ自分達のことを気遣ってくれているという事は知っていたため、しばらくすると神父もセレネも何も言わなくなった。

 そしてその日もいつも通り山菜を一杯に入れた籠を持ち、教会に帰ろうとしていた時の事だった。



 村の外れの草むらに何かが横たわっていた。恐る恐る近づくとそれが人間の男であることが分かった。男の呼吸は弱々しく、胸の傷からは大量の血が流れ出ていた。ノアは本能的に恐怖を覚えた。それが流れ出る血に対してか倒れている男に対してか、いやそれは初めて「死」というものをこの目で見ることになる事への恐怖だ。

 彼はまだ4歳、人の死など見たこともない。住んでいるのが教会であるとはいえ、葬儀の時も彼は棺を見送るだけで何故そんなことをするのか分かっていなかったし、神父やセレネに聞いてもはぐらかして教えてはくれなかった。それでも今の彼には何もしなければ確実に目の前の男は死ぬと言うことは分かった。

ノアは男に駆け寄ると、男の胸に手を当ててホイミを唱えた。だが傷は深く、ホイミでは追いつかないぐらい細胞が死んでいるのか目立った効果は上がらない。

 しかしそれでも何もしないよりは効果はあった。苦痛に歪んでいた男の顔が僅かにだが安らいだ。男はノアの手を掴むと、途切れ途切れに言った。

「ありがとう・・・君のしてくれたことは忘れないよ」

「しゃべらないで、今お医者さんを呼んできますから」

 村へ走っていこうとするノア、だが男は瀕死の重症を負っているとは思えないほどの力でノアの手を握り、それをさせなかった。

「すまないが、頼みがある・・・」

 男はそう言うと傍らにあった袋から緑色の宝玉を取り出した。

「これは・・・・?」

「これは世界に六つあるオーブのうちの一つ、グリーンオーブという・・・これをアリアハンの勇者オルテガ様に届けて欲しいのだ・・・・」

「勇者オルテガ・・・」

 ノアもその名前は聞いたことがあった。アリアハンの勇者、世界一の豪傑と言われている人物だ。

「私はある盗賊の元からこれを盗み出すことはできたが、その時、盗賊に見つかりこのありさまだ。頼む、これをオルテガ様の下へ・・・それが無理ならせめて君が持っていてくれ、誰にも渡してはならない・・そしてこの事も誰にも言わないでくれ!!」

 男は先程以上の力でノアの手を握る。ノアには分からないことばかりであったが、分かった事があった。それは目の前の男の命がもうすぐ燃え尽きるだろうという事、そしてこの男はその残された命を延命のためではなく、自分に希望を託すために使っているという事。

「分かりました、約束します」

 ノアは静かに答えた。そして男の手を握り返す。

「すまないね・・・ありがとう・・・・」

 男は笑って答えた。それが最後だった。糸が切れたように手から力が抜け、瞳からは光が消えた。

 それがノアが初めて目の当たりにする死だった。

 男の遺体は村の北側、めったに誰も近づかない、牢獄の側に埋めた。グリーンオーブは山菜を入れた籠の中に隠し、ノアは教会に帰った。セレネには遅くなったことを叱られたがそこは何とかごまかした。



 その日ノアは部屋に閉じこもると、男から受け取ったグリーンオーブをじっと見つめていた。

男にはああ言ったがこれからどうするのが最善だろう? 自分のような子供が持っていてもどうにもならないのではないか? やはり誰か信用のおける者にこの事を打ち明けた方が良いのではないか? だがそれはあの男への約束を裏切る事になるのではないか?

 そんな答えの出ない思考を続けているうちに、いつしかノアは眠ってしまった。



「・・・・!」

 目が覚めた。熟睡して自然に、ではない。何か異様な気配を感じたからだ。ノアはそれを確かめるべくグリーンオーブを懐に、外に出ようとした。

 教会の扉の前まで来て、ドアを開けようとして、ピタリ、と手の動きが止まる。耳を澄ます。

外から聞こえるのは馬蹄の響き、人々の悲鳴、何故だか分からないがそこに笑い声も混ざっている。だがノアの知っている笑い声とは違う、何か禍々しいものを感じる声だ。更に何か異臭が匂ってきた。

「・・・・血?」

 そう、外から血の臭いが漂ってきていたのである。

 わけが分からない。どういう状況になれば外からこんなにも濃い血の臭いがするのだ? ノアには本当に分からないことだった。そしてそれを確かめるために、震える手で扉をほんの僅かに開け、隙間から外の様子を見る。

「え・・・・」

 そこには信じがたい光景があった。

 村が炎に包まれていた。地面には自分の友達や知人の村人達が倒れていて動かない。生きている村人たちは逃げ惑い、馬に乗った悪鬼のような顔つきの男たちに斬り殺されてゆく。

 ノアには目の前で起こっていることが現実の物とは思えなかった。きっと悪い夢を見ているのだ、そう自分に言い聞かせ、叩きつけるようにドアを閉じ、2,3歩後ろへ下がる。と、自分の肩に手が置かれた。

「ヒッ」

 恐怖で悲鳴を上げながら振り返るノア。そこにはセレネがいた。ノアは何が何だか分からないが、とにかく自分の知っている人がいることが彼を少し冷静にさせた。

「セレネ・・・これは・・・」

「盗賊の群れよ、この村は今襲われているの」

 そう言うと彼女はノアの手を引いて、彼を地下室に連れて行き、言った。

「いい? ノア、あなたはここに隠れていなさい、絶対に外に出てきては駄目よ」

 セレネの言葉にノアは今まで感じた事もない恐怖を感じた。一つの疑問を口にする。

「ねえ、セレネ、大丈夫だよね? また・・・今までどおりに暮らせるよね?」

 その問いにセレネは笑って答えた。

「大丈夫、大丈夫よ・・・」

 そして自分の首に掛けられていた銀の十字架をノアの首に掛けた。

「これは・・・」

「お守りよ、きっとあなたを守ってくれるわ」

 そう言ってセレネはまた外へ出て行ってしまった。一人でも多くの人を助けなければと。



 ノアはグリーンオーブを胸に抱きながら震えていた。ふと一つの思考が頭に浮かぶ。何故こんなところに盗賊がやってきたのか。あの男はこれは盗賊から盗んだ物だと言っていた。ひょっとしてこれを取り戻しに来たのではないか? ならばこれを自分が差し出せば・・・・

 そこまで考えて、その考えをを却下する。これだけが望みなら村を焼き討ったりはしない。自分がこれを差し出したからといって彼等が満足して帰るとは思えない。そんな考えにいたった時、

 バン!!

地下室の扉が乱暴に開かれた。

 セレネか? いや・・・違う。その事がノアには本能的に分かった。はたしてその通り、地下室に入ってきたのは盗賊の一人だった。その男は地下室を見渡す。足音が近づいてきた。

ノアの隠れている台の下から男の足が行ったり来たりするのが見えた。もし男がしゃがんで覗き込んだら・・・・

怖い・・・叫びたい、でも叫んだら死ぬ、殺される、死にたくない助けて、リンダ、セレネ、誰でもいい助けてっ。

幼い心が恐怖に侵食される。ただ死にたくない、そんな思いだけで必死に口を押さえて耐えるノア。男は、

「ここには何も無いか・・・早く戻らないと俺の取り分もなくなってしまうな」

 そう言ってその部屋から出て行った。だがノアがそれに安堵することはなかった。彼は極度の恐怖に気を失っていた。



「嘘だ・・夢・・・悪い夢だよね・・? なら・・早く・・醒めて・・・」

 彼が意識を取り戻した時、外にはもう何の気配も感じなかった。そこで意を決して僅かな希望を持って外に出た彼が見たのはそれを一切否定するような光景だった。

何時間か前まで確かに村があった場所に今は廃墟しかなかった。殺しつくされた村人達、破壊され焼き払われた家屋。自分の家だった教会も例外ではなく、黒焦げになった十字架、半壊した女神像、粉々になったステンドグラスが瓦礫と共にあった。

「あ・・あああ・・・」

 焦点の定まらない目と夢遊病者のような足取りで歩き出すノア。

 その時、瓦礫の陰から弱々しい声が聞こえた。

「ノア・・」

 ノアはその声に弾かれたようにして瓦礫に駆け寄り、その陰を覗き込んだ。

 そこには傷ついて今にも死にそうなセレネがいた。

「セレネ・・・」

 ノアはセレネを抱き起こすとその眼を涙で一杯にして彼女の名を叫んだ。セレネはゆっくりとノアの顔を見て優しく微笑んで、途切れ途切れに、だが力強く言った。

「ああ・・ノア・・良かった・・・あなたが無事で・・・」

「セレネぇっ・・・・」

 ノアの真紅の双眸から零れ落ちた涙がセレネの頬を濡らした。

「ごめんね・・・大丈夫・・って言ったのに・・・私・・もう・」

「しゃべらないでセレネ!!」

 叫んでセレネの言葉を遮るノア。それは彼女の体のことを気遣うと同時に彼女の口から発せられるであろう言葉を聞きたくなかったからかもしれない。

「ノア・・・最後に・・・一つだけ・・・私のお願い・・・聞いてくれる・・?」

「うん、何でも聞くよ、だから・・・・」

 彼女がどんな願いを自分にするかなど知らなかった。ただそれで彼女の苦痛を和らげることができるなら何だってするつもりだった。それで彼女が助かるなら・・・何だって・・・

「に・・・に・・ろを・・われ・・で・・・・・・あなたは・・・い・・・・・しの・・な・・・・て・・お願い・・・」

 彼女の声はもう聞き取れないほど小さかったがノアにははっきりと聞き取れた。何度も頷く。それを見て満足したような笑みを浮かべるセレネ。

「ありがとう・・あなたと過ごした四年間・・楽しかった・・・あなたに・・神の御加護が・・あります・・よ・・う・・・・に・・」

セレネの手がノアの頬に触れて、そしてスッと落ちた。彼女の眼は静かに閉じられた。

「セレネ・・・? セレネ・・・セレネ・・・・」

 ノアの瞳からはとめどなく涙が流れ出ていた。当たり前だと思っていた彼女のぬくもりはもう戻っては来ない。もう二度と・・・その事実を思い知らされ、打ちひしがれ、泣き続けるノア。と、ふいに何かを思い出したように立ち上がった。

「そうだよ・・・リンダは・・・?」

 ノアはふらりとリンダの家の方に歩いていった。

 彼女の家も他の家と同じく焼け落ちていた。ノアは、

「リンダ、リンダ、リンダ・・・・」

 しゃにむにその焼け跡を掘り返し始めた。確証など無かった。ただ自分の内側から沸きあがってくる衝動に任せての行動だった。

 そして、見つけた。

 掘り返した焼け跡の中から彼女の手がのぞいていた。

「ああ、リンダ・・・見つけた」

 そうしてその手を思いっきり引っ張る。思いのほか抵抗無く抜けた。

「か、軽い・・・?」

 意外だった、以前リンダが怪我をしたとき彼女をおんぶしようとして重かったのを思い出した。あの時はそれを口に出してぶたれて大きなたんこぶを作った。じゃあ、なぜこのリンダはこんなに軽い? その理由はすぐに分かった。

「リ、リンダ・・・ねえ、何処に行ったの・・・・この・・・先は・・・」

 小刻みに震えながらリンダに向けて言うノア。正確にはリンダの一部だったものに向けて。

 彼が助け出したリンダは左腕だけだった。

 焼け跡を更に掘り返せば残りの部分も見つかるかも知れない。だが今の彼はもう・・・それすらもできない。

「あ、ああああああああああああーーーーーーっ」





 惨劇から三日後、ノアはようやく全ての村人達の埋葬を終えた。全ての遺体、ある程度形を保っているものもそうでないものも全て。その中にはセレネや神父、自分を苛めていた二人組も含まれていた。リンダはあれから平静を取り戻した後、必死になって探したが見つからなかった。恐らく炎によって跡形も無く消されたのだろう。

 彼はずっと考え続けていた。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 どうしてセレネやリンダが殺されなければならなかった? あの盗賊達が来たから? それともあの男がその原因を作ったから? ・・・・いいや違う。自分がもっと強かったら・・・セレネやリンダを守れるぐらい強かったのなら、きっとこんなことにはならなかった。



・・・力が欲しい・・・強くなりたい・・誰よりも強く、こんな理不尽な暴力に傷つけられる人達を救えるぐらい強く・・・・・







「それが今の僕の出発点だよ・・・・そして今日は・・・セレネの命日なんだ」

 カインもフォズも言葉が出なかった。周りでは海賊たちが馬鹿騒ぎを続けているがそれも気にならなかった。ノアはリンダを見て言う。

「エジンベアで再会した時は本当に驚いたよ、あなたが生きていたなんて、でもその腕は・・・」

 リンダの左腕に目が行く。そこは黒い手袋がはめられている。

「ああ、義手よ。これも魔法具の一つでね、生身の腕より調子がいいのよ」

 と、リンダ。一呼吸おいて続ける。

「あの時、家に火がつけられた時、私は裏口から逃げようとしたけど天井が崩れてきて、下敷きにならずにはすんだけど左腕が挟まってしまって・・・そうしている間にも火が迫ってきて・・・・私は咄嗟に傍にあった包丁で腕を切り落したのよ」

 と、壮絶な過去を笑いながら話すリンダ。ノアは神妙な顔つきで聞く。

「リンダ・・・あなたの目的は何なんです? 人の全てに復讐でも考えているんですか?」

「違うわ」

 まったく考えるそぶりも無く、即答するリンダ。つまりはそれ以外に何か確固とした目的がある、ということだ。

「じゃあ何を・・・」

「・・・あなたの信念からすれば遅かれ早かれ私とぶつかることになる・・・・・その時、教えてあげる・・・」

 立ち上がるリンダ。ノアは止める様子もない。カインとフォズは戸惑ったようにとりあえず武器を手にするが、リンダはそれを制する。

「今日は話をしに来ただけよ。あなたと久し振りに話せて楽しかったわ、ノア。良かったかどうかは・・・分からないけどね」

「そうあって欲しいよ」

「クス、じゃあ・・ね」

 そうしてリンダの姿は蜃気楼のように揺らいで消えた。

 カインとフォズは呆然としてその場に立ち尽くしていた。ノアはふらりと外に出て行った。



 ノアは海賊のアジトの天井に立ち、空を見ていた。



 セレネ・・・見てるかい? 僕・・・少しは強くなったかな? あれから必死に自分を鍛えて力を手に入れはしたけど・・・・自分の信念に従ってその力を使っても誰一人救えないことなんて何度もあった。でも今・・・僕には仲間ができたんだ。一緒にいるのが楽しいんだ。だからその仲間を守る為に、喪わない為に僕はもっと強くなるよ・・・・・仲間の為に・・・そして・・



 と、背中に誰かが触れるのを感じた。誰・・・? フォズだ。

 フォズが背中から抱きついてきた。

「フォズ・・?」

「ノア・・・・あまり思いつめないで・・・役不足かもしれないけど・・・あたしがノアのこと支えるから・・・・」

 とフォズ。ノアはしばらく押し黙っていたが、やがて振り返るとフォズの手を握った。

「ありがと・・・フォズ・・」

 フォズを抱きしめるノア。



そう・・・フォズの為に・・・強くなるよ・・・



月と星の明かりの中、二人の影はもう一つにしか見えなかった。









第13話 完