[月が近づけば少しはましだろう]
チチ・・・・チチチ・・・
「う・・・ん」
「う・・・ん?」
おもむろに体を起こす。と、体中が痛い。それにまだ寝たりない。
もちろん、気分は最悪だ。
「あ・・・う?」
見知らない場所。全てが知らない空間。
(ここは・・・?)
昨夜のことを考える。たしかオレは米田と戦って・・・桃木が六階から突き落とされて・・・そして、母さんを助けた。
・・・・・・・・・
はい?
「母さん?」
何だそりゃ。よく思い出してみる。
(米田に突き落とされたんだよな、確か桃木は。それで、救ったのは・・)
母さんという認識になる。しかもその後がよく思い出せない。
(米田は、この手で殺した。母さんの敵はとった・・・)
そう、母さんの仇。と、言うことは母さんは死んでいる。死んでいるのに何故母さんを助けたなど・・・
・・・・・・・
「あ・・・・ああ」
やっと思い出した。あの時オレは錯乱していたのか。桃木の姿や状況を十五年前の事件とリンクさせてしまい、自分の母だと勘違いしていたのか。
(・・・・・それにしても)
よく生きていたものだと感心する。赤マントを広げたのも落下寸前だったし、まさか赤マントが羽に変身して、六階までオレらを送るとは。
「人間を、殺した・・・人殺ししたんだ−−−オレ」
両手を見る。確かにこの両手で剣を突き立て、米田を殺した。臓腑を切り裂く感覚、飛び散る人間の血の匂い、死を与える壮絶さ。
(なのに、罪悪感を感じない・・・)
それどころか、何だか今日は気持ちがいい。
「外に、出てみようか」
白い空間。白いベッドが1つ。他には何もない。ブザーだけだ、ある物と言えば。
そして新たに1つ、気がついた。
服がパジャマなのだ。しかも死人が着るような、真っ白のヤツ。これには驚いた。
辺りを見渡すが、何もない。ベッドの下をのぞいた。
「・・・・あった」
気が抜けたオレはMDプレイヤーと財布を持った。出ていくはいいが何持っていないじゃあまりにも、だから。
ドアに手を掛ける。難なくドアは開き、外に出た。
「ここ・・・病院だったのか」
病院など何年も行った覚えがない。『気』をコントロールすると驚くことに病気にかからない、これ本当。病院とは無縁な物だと思っていたが、今こうして病院にいるという事実もあるわけであって、なんとも難しいものでもある。
(まあ、そんなことはどうでもいい)
とりあえずブラブラしてみる。少し歩くとエレベーターを発見、同時にすぐそばにある休憩所と自動販売機も発見した。さっそく硬貨をいれ、目覚め最悪の頭にカツを入れるためにコーヒーを買う。
「・・・・・」
カンを片手にエレベーターの『△』を押す。目指すは屋上。今どこら辺にいるのか知りたいし、何より風に吹かれたい。重い頭を冷たい風に当てたいのだ。
チン・・・という音が鳴り、ドアが開く。
(ここは二階だったのか)
何の考えもなしに中にはいる。中には一階から乗ったのであろう、いかにも『世間話大好きです』と顔に書いてありそうな二人組のオバン看護婦がいた。黙って最上階のボタンを押して奥に入ると、ものすごいゆっくりに扉が閉まった。
とたんにトーキング・ファイトが始まる。
「ほら、二日前に入ってきた女の子いたでしょう?二十歳ぐらいの子よぉ」
「ええ、知ってるわぁ。何か乱暴されたんだって?体中が打撲、その上、栄養失調だったんでしょう?可哀想にねえ」
「ええ、そうねえ」
・・・・と言う割には大して同情している気配はない。
しかし井戸端戦争は簡単には終わらない。
「教師だったらしいわよお?一日目は面会謝絶だったんだけど、二日目からは面会が自由になったけど、」
「知ってる知ってる、誰ともろくに話したがらないんでしょう?怖いわあ、最近の学生は見境ないっていうしぃ」
「ホントねえ」
まだ四階。最上階である屋上は、七階。ババアが降りるのは運悪く六階。
「昨日も二人組の男の子が面会に来たけど・・・ろくに話さないうちに帰っていったしねえ。相当ショックが大きいのかしら」
「だってあんなにされたんですもの・・・人間不信にも陥るわよ」
チン・・・再び鈴の音が鳴ると、ドアが開いた。
「怖いわあ」
「怖い怖い」
と二人は怖いという言葉を連呼しながらエレベーターから出ていった。
ゆっくりと扉が閉まる。
(・・・・・・)
複雑な気持ちがオレを支配した。スッキリしているのに、一気に嫌な気分にさせられた。
「・・・・・クソ」
片手に持っていた缶コーヒーを一飲みして、再び歩き出した。
パタン・・・パタン・・
オレのスリッパの音だ。完全に不抜けているオレにはスリッパがよく似合う。むしろわざとスリッパを鳴らして、大きい音を出したりなんかもする。
「ん?」
屋上といえども室内の場所はある。エレベーターを降りて歩くとすぐにガラス窓がある。壁一面が全てガラスでできていて、そこから屋上の景色が一望できるのだ。
(やはり、大きい)
病院の屋上、しかも五階より上の屋上は決まって柵がバカでかい。人どころか洗濯物さえも落下を防止できそうな大きさだ。これは癌など死の宣告同然のことを言われた患者の自殺防止のためだそうだ。別に死にたいのなら死なせればいいのにと思うが、ダメらしい。苦しんで死ぬよりサクッと楽に死にたいもの、それが人間全ての願望だと思う。
(でも投身自殺は掃除が大変そうだし・・・)
死ぬ方は飛び降りるだけでいいが、残された方はたまったもんじゃない。
(まあ、いいか)
壁一面ガラスなのだが、そこにしか入り口がないのだ。何故知っているかは、もうすでに一周して、身をもって知った。
「今日はいい天気だ」
そんなノー天気な言葉が口に出るということは、相当腑抜けているな−−−−そう自覚しつつもスリッパを鳴らして外へ出る。
すこし、暖かい。
そうか、もう春なんだな。一年前、オレは何をしていたのだろう・・・
風もない。騒音も聞こえない。くだらない声も聞こえない。
そして、オレ以外に誰もいな・・・・
「いたよ・・」
十時の方向、数、イチ。距離約15。機体名『クルマ・イス』
その患者はずっと遠くの景色を見たまま動かない。死後硬直が始まっているのかと思うほど、微動だにしない。
「女性・・?」
後ろ姿でしか分からないが、髪はセミロングで、毛先に少しウェーブがかかっている。オレと同じ白のパジャマ姿だが、いささか大きいような感じもする。大きい裾のせいでわずかにしか出ていない右手は包帯に巻かれていて、それは右足も同じ事が言えた。スリッパから出ている足からは靴下でなく包帯だった。
「あの髪型・・・」
思い当たる節がある。それは遠足の時だったり、バレー大会の時だったり、数日後にはもう二学期が始まるのにも関わらず勝手に始めた一学期の二者面談の時だったり・・・・
つまりは、そう言うことだった。
その振り向いた女性はオレの顔を見たとたんに、もうまさに『満面の笑み』を浮かべると、こちらに向かおうとクルマイスをいじくりだした。不器用だが小さな子供みたいに一生懸命タイヤの手すりをいじくって、こっちに方向転換しようとしている。
(・・・・・)
満面の笑みなのだが、ずいぶんシップやガーゼやらでコーティングされた笑顔だ。
「さて、気分が爽やかなうちに・・・」
きびすを返してエレベーターの方へ向かおうとする。
しかし、今回は向こうの勝ちだ。気づくのに遅れた俺の負けだった。
「ウ〜ラ〜ベ〜くん〜〜!待ーちなさ〜〜い」
オレは後悔したと共に、さっきエレベーターに同乗した二人の看護婦を呪った。
しかしその舌足らずな声も、ずいぶん長いこと聞いていない気がして、わずかに懐かしさを感じた。
(何処が人間不信なんだ)
ああ。クルマイスの車輪の音が近づいてクル(まい)ッス・・・・・
「今日、暖かいね」
「そうですね」
一生懸命こちらに向かってきたのに、またも同じ所に戻されるハメになった。しかも同じケガ人のオレが、だ。後ろのハンドルに手を掛け、車椅子を押す。
本当に今日は温かい。
「春だねぇ」
「そうですねぇ」
同じ口調で返事をしたら、笑われた。
「何か今日のウラベ君、丸いね」
そう言ってニコッと笑う。いつも通りのノーテンキな笑顔だが、やはり少し力強さを感じなかった。その事にはあえてふれず、適当な答えを返す。
「そうですね。自分のするべき事が終わったから、ですかね」
「うん・・・そうだ、ね」
風で桃木の髪がなびく。近くで見ると体中に包帯が巻かれている。
「なんか、ミイラみたいですね」
「う゛〜〜・・でも、結構暖かいから、いいの」
「そうですね」
・・・・・・・・
静かなときが流れる。
ふと我に返ると、桃木がこっちを見ていた。
「なにか?」
「ん〜ん、何でもない」
(?・?・?)
何だ今の顔は。感情の読みとれない顔だった。
「そうだ、私もコーヒー飲みたい」
「はあ。そうですか」
「それ、ちょーだい」
指を差した方にはオレの飲みかけの缶コーヒーが。黙って渡すと何の抵抗もなく口に付けた。そして思った通りに、顔をしかめる。
「うえ゛〜・・・・にがい」
「目を覚ますために買いましたから」
「にがすぎだよ。マッズ・・」
(じゃあ飲むなよ・・・)
口には出さない。でも会話は続く。
「私たち・・・よく生きていたね」
「そうですね」
「ウラベ君・・・いつも、あんな事しているの?」
振り向いてオレの顔を見ている。悲しそうだ。
「人間を殺したのは、米田が初めてですよ。でも・・・」
「でも、なに?」
「悪魔はもうゆうに100体は殺しています」
もしかしたら150もいっているかも知れない。さすがにそこの所はよく分からない。ただ気の遠くなるくらい相手をしたのは確かだ。
「悪魔ってさ。何かな?」
単純かつ最も難しいことを、いきなり桃木は聞いてきた。
「先生はどう思います?」
「う〜〜〜ん、そうねぇ・・」
両腕を胸に組んで必死に考えている。この脳天気な脳味噌でどこまで分かるのか見ものだが、
「う〜〜、分かんない」
(結局それかい)
と一人心の中で突っ込み、説明してみる。とは言ってもオレだって毛の生えた程度しか知らない。
「時空の歪みとか、大気が重複して、悪魔がこの世界に来れるだけの膨大な『気』の集まるところに現れる生物、ですかね」
「フムフム」
「精神にも深く結びついていますよ。何たってコンタクトを取ると日本語ペラペラですから。獣だって知識があればペラペラです」
「ほえほえ」
「それだけです」
「え・・・?それだけ?」
ずいぶん間の抜けた顔をしている。かなり拍子抜けしたのだろう。
「そんなけ?」
「はい」
「う〜〜ん」
なにやらバツが悪そうだ。もう少し脚色するか。
「悪魔にもいろいろ性格はありますから・・・まあ、いろいろなドラマがあって、はれて仲魔です。まあ、仲魔になったと言っても悪魔はわがままですし、召喚すると疲れるし、命はいくつ合っても足りないし・・・・・けっこうな職業ですよ」
「面白い話とかないの?かっこいい冒険劇とか」
(そんなの、あるわけ無いだろ)
と言っても始まらない。すでに目の前のお姫様は目を輝かせているから。
「じゃあ、オレと先生を助けてくれた『赤マント』の話しでも」
「え!アレって学校の、アレ?」
・・・・・・・・・
「あーあ、いけないんだ、旧校舎ぶっ壊して」
「そうですね」
10分ほど話し込んだ。結構楽しんでくれたらしく、真剣に聞いてくれていた。
「でも、これもサマナーとしての仕事ですしね」
「凄いね。幽霊なんて作り話だと思っていたのに」
だったらどんなに良かったことか・・・一瞬本気でそう思った。
「ねえねえ、他に何か面白い話とかは?」
面白い話、ねえ・・・
そう言う物は早々あるものじゃないが。
「そうですね。二学期の時、オレら三人とも80点取ったでしょう。あれの種明かしでも」
「え・・?」
キョトンとした顔になる。桃木はあの点数を頑張って取ったと思っているらしい。
「桃木先生がテスト作りにシクハクしている間も、菓子を食べて無意味にふてくされている間もずっと監視用の悪魔がいたんです。絶対バレない最高のカンニング法」
あ・・と言うような顔をしたかと思うと、どこか抜けているような顔でオレを睨んだ。
「しょ、職権乱用だわ!ついでにプライバシーの侵害!」
「証拠無き容疑は無実ですよ・・・」
「あ、・・・うう〜〜〜」
サマナーの最大特権。悔しそうにオレを睨む二つの瞳。
今日は和やかだな・・・・春だからだろうか。桃木の言葉も温かく聞こえる。
そういえば、木塔で思い出した。
「先生、せっかく生徒がお見舞いに来ているのに、話しもしないなんてあんまりじゃないんですか?」
「え?あ、・・・ウン」
カマをかけたら大当たり、か。視線を下に向けている。辛そうに下を向いているので、しまった・・・とは思ったがその矢先に、
「私ね、まだ情緒不安定・・・・なんだ」
「これだけ喋っておいて、そういう事を言いますか」
このアマ・・・言うに事欠いて。
「んーー、でもウラベ君は別。ぜんっぜん不信じゃない」
「嬉しい限りです」
適当に返事を返す。いちいち鵜呑みにしたらきりがない。
「二人とも先生を助けたいから・・・特に木塔なんか先生ラブラブ病にかかっているんですから」
「あらあら、まいっちゃうなあ」
頭をポリポリとかく。しかし急に表情が変わり、怪訝な顔をした。
「どうしたんですか」
「木塔君に聞いた。あなた私のいないところで、私のこと『アホ』呼ばわりしているんだってね!」
「まあ・・・」
あの野郎。余計なことを。
「まあ何よ、まあがどうしたのよ」
「いや、いいじゃないですかそんなこと」
「まったくもって良くない!」
んん。かなりご機嫌斜めだ。言い訳してもドツボにはまりそうだしな。
「酷いよ・・こんなになってまでウラベ君のこと信じたのに・・・」
「まあ、それも一種の愛情表現だと・・」
口から出任せもここまでくれば芸術だな。そんな言葉にいちいち反応する先生も先生だ。
「歪んでるよ〜そんな表現、却下だわ」
と言いつつも口元がゆるんでいる。
本当にこの女は・・・
暖かい午後だった。
このまま全てのしがらみを捨て、ずっとこうしていたい。
それでも、時間は過ぎ去っていく。
「終わったんだよね、ウラベ君の戦いは」
「・・・・」
終わった。過去の怨念に取り憑かれた男は死んだ。たった一人の人間の死が、一人の男を狂わし、最後にはたくさんの死を生んだ。
「ええ。僕も終わりです」
「え?」
「米田はオレそのものなんです。僕の・・オレの行き着く先は、米田の行き着いた場所」
復讐も果たした。もうオレを突き動かすものはない。奪われた人間が、奪い返すものを無くしたときの失望感。
それが今のオレの全てだ。
「ウラベ君は違うわ!お母さんが死んでも、事実を知っても狂わなかったじゃない!それに私を助けてくれた・・・」
「買いかぶりすぎですよ。オレは常に殺戮的衝動を悪魔に向けていただけです。大儀もなく、ただ悪魔を殺す毎日。命を懸けて遊んでいるんです、そうじゃないと今にも狂いそうだから。毎日が空しすぎるんです、オレ」
彼女はただ黙ってオレを見つめている。憐れんでいるような、悲しそうな顔だ。
「先生を助けたのは、死ぬ前に先生だけは助けなければいけない・・・オレという人間がいるせいで先生は汚され、殺される。だから死んでも助けたかった。それだけですよ」
桃木は彼女なりの険しい顔で、オレの話を聞いている。何かとても言いたそうな顔でもあった。
「言葉じゃないんです。感覚とか匂いとか、そんなもので直感しました。オレも遅かれ早かれそうなってしまう・・・と・・・?」
オレの顔を恨めしそうに睨んでいる。その顔が全然怖くなく、反対に安らげてしまうのが不思議だ。前はあれだけうっとおしがっていたのに。
「うう〜〜・・」
「・・・先生?」
・ ・ ・
「わあ!!」
(な・・なんだ!)
いきなり大声を上げたかと思えば、人差し指を鋭くオレの顔に向け、怒声を上げたのだ。
「せっかくあなたのために何日も乱暴されてあげてたのに、『私は狂います』なんて言わないでよ!」
「いや、だから感謝と反省していますって」
口を尖らせている。なんか品定めしているような視線だ。
「本当に?」
「ええ。本当です。感謝感激ナントやらです」
「むう・・・」
再び腕を組み考える素振り。そしてついにはオレが一番望まない、含み笑い。
この笑い顔を見るといつもろくな事がない。
「じゃあ、ご褒美ちょうだい」
「・・・・はい?」
ほら来た。あんた一体いくつだ。それにオレは生徒だぞ。
しかしそう言う言葉をいったところで事が収まるほど、アホ(桃木)は完成されていない。
「生徒に御褒美をねだらないでください」
「そんなの今は関係ない!それに働いたら報酬をもらうのは当たり前でしょ?」
「・・・・『ギブ アンド テイク』ですか」
まあ、確かに今回は仕方がない。オレを思うがために最後まで米田に抵抗し、こんなズタボロにされたわけだから。
素直に要求をのもう。感謝もしているし。
もうオレは自分に価値を持っていない。最後にオレのせいで傷ついたんだ、
彼女が俺の死を望むなら、ソレさえも喜んで受け入れよう・・・
そんな考えを一瞬でもしたのが、バカだった。
「分かりました。今回の先生のケガも、オレのせいですから・・・」
「ほんと?じゃあ、言うこと聞いてね」
「ええ。何でも聞きますよ。先生がここから飛び降りて死ねと言えば、喜んで死なせてもらいます」
「そ、そう言う怖いことを・・・真顔で言わないでよぉ・・・」
「じゃあ、なんです?」
ンフー・・と笑うと、一言、
「キスして」
と、とんでもないことをぬかしやがった。
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・・・・パス」
「パス無し!言うこと聞くんでしょうが!い〜う〜こ〜と!」
ハメられた。そう直感した。
(なんでこんな・・・)
散々悪魔に乱暴にされ汚されたというのに、なんなんだこの発想は。だいたい普通、あれだけ性的暴力を被ったら身体的接触を嫌がるはずだぞ。
「ああ、誰かさんのために犠牲になった体が痛いわ・・・」
何てヤツだ。本当に教師か!・・と、いくら心の中で叫んでも、目の前の悪魔はオレの顔色をうかがいつつ顔を苦痛に歪ませる。もちろん100パーセント演技だ。
「まだ嫁入り前なのに〜〜」
ここまで脅されたらもう仕方がない。覚悟を決めるか・・・
「・・・・わかりましたよ」
「ホント!えへへへへぇ・・」
色気のカケラも感じない笑い声だ。
(それにしても・・・)
人間として見る限り、オレは全く他人と関わったことのない人間、つまり非社会的な人間だ。恋人うんぬんどころか人を好きになったこともない。
「オレ、キスしたこと無いですよ」
と念を押しても、
「ちゃんと唇に当たればいいよ。それ以上は望まない」
目を爛々に輝かせて桃木は言う。
(少し、緊張するな)
少し悩む。テレビでやっていたのは『見せ場』だからかなり脚色しているだろうし。でもそれ以外知らないし。
まあ、いいか。
「じゃあ、いきますよ」
「え゛・・・あ、はい・・・・どうぞ」
向こうも急に緊張したように顔を引きつらせ、かしこまっている。なぜ両手を膝の上に置くのかが疑問だ。
顔を寄せると向こうは少し目を閉じた。
「ぁ・・・」
小さく声を上げた。オレが片手で桃木の小さな頭をガッチリと固定したから。接触寸前で動かれたらかなり困る。
(何か違うような気も・・・)
でも気にしない。頭を押さえている片手で、桃木の顎を軽く上にあげた。
「・・・ぅぁ・・」
火照った顔でオレの顔を見ていた。小さな声を上げ、流し目(と言うか眠たそうにも見える)の彼女を、オレは初めて大人なんだな・・・と感じた。
(いつもこういう顔なら、少しは大人らしく見えるけど)
軽く息を吸い、そのまま息を止めて唇を近づけた。
・・・・・・・・・
(誰だ、『ファーストキスはレモンの味』だなんてぬかしたのは)
いつの間にか首に手を回されている。離そうにも離れない。
−−ただ今キス続行中−−
(柔らかいな・・・)
たまに唇を離すが、黙ってオレの顔を見つめると、またウットリとしたままキスを再開する。
息づかいが聞こえたり、暖かさを感じたり。
(柔らかくて、温かい・・・)
今オレはしゃがんでいる。本当なら嫌がってすぐにでもやめさせようと思っていた。でも『いざ』やってみると、何かとても温かく感じた。『下心』とか『好き』だとか、そう言う感情は一切働かなかった。ただ、今のこの気持ち、そんなものがとても尊く感じた。
「・・・・・」
「・・・・・」
いったんキスの嵐は収まったが、まだ腕はオレの首に回されたままだ。
少し、照れる。
「も、一回」
「・・・いいですよ」
・・・・知らなかった。キスして初めて感じた思い。
−−人間って、こんなに温かいんだ−−
「センセー、今日も見舞いに・・」
「木塔君、待ってよ。ま・・・」
二回もいい思いをした報いが、いきなり現れた。
・・・・・・・・・
背中に酷く生ぬるい感覚を覚えた。
「あ・・・あ・・うあ、うわああああああああアアアアア!!!」
根倉の断末魔のような叫び声が辺りに響く。ものすごく驚いているようだ。
キスを強制終了させ振り返った。
木塔が固まっていた。
「あ・・・木塔君・・」
桃木はまだオレの首に手を回している。というか今の状況を分かっていない。
桃木と目が合う。
「・・・・えへ」
まだよく分かっていない桃木は精一杯笑うと、舌を出して誤魔化した。
・・・・いや、誤魔化せる状況じゃなかった。その舌が出たとたんに、木塔の凍結が一気に解除された。
「な、なんじゃこりゃあああああああああああああああああああああああああ!?!!?」
・・!・・!・・・?・・・!!・・?!・・
・・!・・〜・・〜!・・*・・^^・・・・
「くくく・・・そうか、オレもその場にいたかったな」
「酷い目に遭いましたよ」
あれからもう二時間が経った。木塔をなだめ、冷静にするのにかかった時間が一時間。偶然通りかかった看護婦に桃木は連れていかれ、残ったオレは二人からものすごい『口撃』をくらい、最後には目に涙を浮かべた木塔から『青春パンチ』を顔面に食らい、這々の体(ほうほうのてい)でもとの病室に戻ってきたのだ。
「根倉からは人のこと言えない−−と言われるし、何故か木塔は勘違いして『裏切り者』だとか『強姦魔』だとか・・・もう無茶苦茶ですよ」
「くくく・・」
目の前に椿さんがいる。意識を取り戻した事を知った看護婦が、急いで椿さんに連絡を入れたのだ。
時計の針は四の字を指していた。
「ここはファントムの支配下・・・と言うよりは協力してくれる病院でね。ここは天海市じゃない。とはいえ歩いて五分ほどで天海市にはいるほど近い場所だが」
「そうですか」
確かに屋上で見た景色は見たこともないものばかりだったな。
「いくらキミの再生能力が素晴らしいとはいえ、輸血や点滴をした方が治療は早いに決まっている。ま、それでもナギ君は丸二日眠っていたから心配だったが・・」
椿さんがにやりと笑う。
「愛の力で復活したからもう大丈夫だね」
「だと、よかったんですけど・・・・弟子の口撃で元の木阿弥(もくあみ)ですよ」
窓から景色を見渡す。時刻はもう五時過ぎ、太陽が沈みかかっている。
「でも、本当は好きなんだろ?」
「・・・・」
何が好きなのか。誰が好きなのか。そんなことは聞かなくても分かる。
「恋愛に年齢や立場は関係ないとオレは思うぞ」
「そうじゃ、ないんですよ」
確かに今までと違う気持ちだ。散々邪魔くさく感じていたのに、今は何となくそばで喋っていても何も違和感を感じない。
アイツとならくだらない話につき合っていてもいいかな・・・そう思うようになった。
「たぶん、恋愛じゃないと思います」
「ほお・・」
「ただ、温もりが欲しいような・・・彼女が好きなんじゃなくて、彼女の持っている『温かさ』が好き・・・目的だと思う・・・」
目的を失ったオレ。空っぽのオレ。孤高になるしかないオレ。
椿さんは何となく分かってくれたのだろう、オレを見て笑った。
「そうだな・・・今のナギくんは酷く弱い。戦う目的がないキミの巨大な力は、自分を滅ぼすぞ・・・・米田みたいにな」
「!」
米田・・・復讐にのみ生きた男。オレと同じ男。唯一違ったのは、復讐する期間が長かったことと、その目的が複数だったこと。
−−弱者にはチカラを−−
「アイツ・・死ぬ前にオレに行った。オレみたいになりたくなければ、運命を切り開けって。運命は変わるものじゃないって・・・脱線しないように、運命の道を広くしろって」
「・・・・・・・強く、か。誰よりも米田の望んでいた答えかも知れないな」
誰よりも力を渇望しながら、その望んだ先に生きるすべを知った男。知りながらももう後には引けない自分の身を知り、オレに託した・・・・?
(考えすぎかも知れない・・・・)
でも、オレは・・・
−−強者には破滅を−−
・・・・・・・
午後九時。
あと一時間で消灯時間になるが、目は冴えていた。
「今宵も・・・満月」
一人呟く。あの決戦の後、七階から落ちたはずのドリー・カドモンは何の損傷もなく、元のMDの中に収納されていた。
「米田は、この人形を使って自分の姉を生き返らそうとしたのか」
どういう方法を考えていたのかは分からない。もしかしたらイタコとか、そういう霊感者の力を借りるのかも知れない。だがソレを知っていたのはたった一人、しかもその人間はもうこの世にはいない。
オレが殺したからだ。
(オレさえいなければ・・・?)
オレさえこの世にいなければ、どうなっていたのだろうか。桃木は変化はないが平和な教師生活を送り、木塔も大きな悲しみや憎しみを抱くことも、悔しさでオレを殴ることもなかった。そして米田でさえも、新しい人生を歩めたのかも知れない。
この人形によって自分の姉をこの世に転生させ、二人で人の眼の着かないところでひっそりと暮らす。
「オレは・・・オレが・・・?」
全てはオレ−−−の、せいかもしれない。もしかしたら母さんでさえも、あのときオレがいなければ追っ手から逃げ切れたのかも知れないのだ。ただ脳天気にもオレが家に帰ってくるので、一人では逃げられなかった。オレのせいで母さんが死んだので、父も狂った。かっての親友同士の殺し合いもオレが元・・・椿さんが尊敬する父を死なせたのもオレのせい・・・
オレのせい!?
(何だ・・・何だ・・・ナンだ!?!)
「っ・・・アあア!」
ニシンの焦燥感に駆られ勢いよくドアを開けると、靴も履かずに部屋を飛び出た。
「・・・ッ・・・ゥゥ・・・ア゛ッア!」
声にならない叫びを上げて、オレは暗闇の廊下を疾走した。
涙が、止まらない。
・・・・・・・・
気がつけば屋上にいた。大きすぎるフェンスを力一杯に握りしめると、涙を浮かべた顔で天を仰いだ。
雲一つない夜空は、大きすぎる月だけを描いていた。
「ア・・アア・・ア、ウ、ウウ・・・」
涙が止まらない。悲しみが止まらない。震えが止まらない!
「ア・・アア・・アアアアア・・ああ・・・」
オレは全ての不幸を招くのか!オレには破滅しかないのか!
「うう・・・う・・・」
月は美しく大きすぎて、オレは見ることもできなくなった。ただ無意識のうちに発生させた魔気が、握っているフェンスを握りちぎっていた。
フェンスの前にうなだれるオレ。ポタポタと、価値のない涙が頬をつたった。
「・・・・・・これが、破滅」
魔王スルトの、最後の言葉。
−−強者には破滅を!−−
「オレは・・イヤだ。これ以上周りを破滅に導くくらいなら・・・いっそ、この手で!」
−チン−
「・・・あ」
無意味に不安に駆られたオレは、やましいこともないと言うのに姿を潜めた。
あの音はエレベーターが最上階に着いた音だ。オレは走るとベランダの中でも、さらに奥にある洗濯機の陰に隠れた。
「・・・・ふ、ぅ・・・ぅゥ・・」
まだ震えの止まない足を押さえつけるように体操座りをし、なるべく力ずくで全身を押さえつけるようにした。
耳を、澄ませた−−−
「今宵は、綺麗な満月が出ております」
「・・・・」
キイ・・・キイ・・・キイ・・・
「・・まだ、人間不信は治りませんか?」
「・・・・」
キイ・・・キイ。
車椅子の音、そして・・・椿さんの声。そして多分、もう一人いるであろう、桃木。
オレは自分の気配を、魔気を完全にシャットアウトした。
「桃木先生、あなたはナギ君をどう思ってらっしゃいますか」
「・・・」
「何でも良いのです。こんな目に遭わされたから恨んでいるとか・・・」
「恨んでなんていません!」
初めて桃木が口を開いた。姿は見えないが、かなり力強く、でも動揺は隠せない裏返った言葉だった。
「最初は口達者な、生意気な子でしかなかった・・でも、見えたんです。夏休みのとき見つめられても見えなかった、ウラベ君の瞳の中の闇が−−−−今日キスされたとき、見ることが・・・・やっと見ることが、出来ました」
「そうですか」
酷くゆっくりとそう椿さんが答える。今の一言で、彼の声のトーンが一気に下がったような気がした。
「・・・儚げな、触れればすぐに崩れ落ちそうな・・・そうでしょう、桃木さん?」
「・・・・はい。強く儚い、そう感じました」
・・・・・・・・・
「私、分かりました。ナギ君はこれ以上、一人で生きていてはいけない−−って。もうこれ以上、少しでも悲しんじゃいけないって」
「ええ。その通りです」
一人、か。
オレは四年前のあの日から、ずっと一人だったんだ。
「彼はもうすでに、心は成熟しきっています。揺るぎ無い自制心を持ち、どんな場面でも常に冷静な行動をとれる。他人にも流されない。でも、だからこそ余計に心に負担がかかる・・・」
・・・・・オレの、心。壊れた、心?
「大局的な視野を持ち、父親譲りのカリスマや統率者としての器もある。そして何より、彼の力の前に、何者も打ち勝つことが出来ない」
「ナギ君は、屋上で見せしめとして・・・私がその、お、犯され・・て、いるとき、叫んでいました。私は自分のことよりも・・・自分のせいでナギ君が叫んでいるから・・・涙を流れていなくても顔は泣いていたから・・・私も、泣くしかなかった」
「すべては四年前、オレがもう少し早く家に着けば・・・あの事件が、ナギ君を決定的に崩壊への道を歩むスイッチになった。オレはあの事件が起きてから、一切のプライベートを捨てました。そうすることでしか、ナギ君に申し訳が立たないからです」
オレのせいで・・・椿さんはプライベートまで捨てた・・・オレが・・・
(何故・・誰もオレを憎まない。憎むなら、すぐにでもこの荒んだ命を捧げるのに・・・)
「自分の強大さに、心が付いていっていない・・・・このままでは彼は、死にます」
「・・・・・ナギ君も、そんなことを言っていました」
「そうですか」
・・・・・・・・
沈黙が訪れた。夜風は火照ったオレの体を撫で、月はオレを照らした。
このまま夜に溶け込めたなら・・・そんな幻想的なことを考えていた、その瞬間だった。
「これ以上、ナギ君を誘惑するのをやめてもらいたい」
「・・・・?」
・・・・・?
冷たい声だった。ここからでも椿さんのわずかな殺気を感じる。先ほどとは全く声色が変わっている。
「生半可な同情や偽善者ぶって先生面をしないでもらいたいのです」
椿さんの今の言葉と、その次に出た言葉はオレの未来を確信しているような口調だった。
「オレは、ナギ君のためなら命を捨てることもいとわない。それが四年前の事件の後に誓ったことでもあり、オレの信念です」
「ど、同情など!」
「ナギ君を試すためだけに誘惑してキスをせがむなど、オレは許せない」
「違い、ます、違います!」
声が潤んでいる桃木とは対照的に椿さんの声は容赦がなかった。
でも−−−次の一言で立場が逆転する。
「生徒を思いやる先生面は、吐き気がする!」
「私はウラベ君のことが好きだからキスして欲しかっただけです!!」
−−−?−−−
数瞬の間の後、
「ダメ・・ですか?二十二にもなった女が、十六歳のまだ年端もいかない男の子をスキ、に・・・好きになったら」
・・・・・・ぅぇ?
「いえ、あの、そ、そうではなく」
・・・・椿さんがかなりうろたえている。当たり前だ、オレも今、爆発しそうにし狼狽ているのだから。
「あアあのですね、た、確かにナギ君は強いし知的ですよ、それは。でモですね」
動揺しまくっている椿さんの一人演説を、動揺しまくっているオレが聞いている。
−−−−よく、分からなくなってきた。
「半年前、米田・・・に言われて、ウラベ君の家に行きました。私は自分の命が惜しいために、彼を殺そうと・・・でも、今はこの行為に大きな嫌悪を抱いています。そのとき初めて私は、彼・・・ウラベ君の瞳の奥にある・・・闇を見ました」
「・・・・闇?」
「意味も分からず戸惑っている私に愛想がついた・・・・と、思います。触れ合うほどに顔を近づけて、こう言ったんです。『僕の瞳の中に、あなたは何が見えますか?』と」
そう言えば、そんなこともあったな。無意識な行為だった・・・・『はず』だった。
三日前に、全く同じ事を米田にやられる前は。
「その時、私はただ・・ただ震えて何も見えなかった。でも、米田にウラベ君の過去を教えられて、彼を知ったとき、見えたんです」
「何が見えました?」
椿さんが聞いて数秒が経ったあと、
「闇です。闇の中、たった一人で泣いている・・・・幼いウラベ君が見えました」
・・・・・・・・
「ナ、何故!?今のウラベ君にはぬくもりが必要なんですよぉ!?」
彼女が自分の気持ちを告白しても、しかし椿さんは受け入れなかった。
そして、こう言ったのだ。
「あなたのは愛じゃない、恋だ。ナギ君に必要なのは駆け引きや奪い合いじゃない。包み込む・・・・四年前に失った愛が必要なのです」
オレは、その言葉を聞いたとき、不覚にも納得してしまった
「守ってあげたいという想いは・・・!」
「第三者という立場ではナギ君の心は一生癒せない、治らない。それは俺自身が痛いほど実感したから間違いはないのです。ナギ君があなたに心を許そうとしているのは、ただあなたがナギ君の母方に似ている、それだけのことです」
「・・・そん・・・な・・」
「諦めなさい。例えあなたがナギ君にとって大切な人になろうとも、ナギ君自身が過去を克服しなければ、あなたを拒絶します」
「私を、ですか?」
「ええ。彼の中にある狂気を何とかしなければ、いずれあなたを傷つけてしまうという恐怖に耐えきれなくなるからです。ナギ君は頭が良くて、聡明ですから。だからこそ、四年という月日さえも彼の記憶を奪うことが出来ず、かえって膨張していくのです」
・・・・・ああ
(やっぱり、椿さんだ)
オレのことを分かってくれていた。オレの狂気、孤独感、耐え難い破壊衝動を分かってくれている・・・・木塔も根倉も桃木でさえも分かってくれなかったオレの根底の感情・・・ドス黒い感情さえも、分かってくれている。
その一言で、救われたような気持ちになった。
「今ナギ君に温かいものを与えると、ダメになってしまうのです。彼には異国の地へと旅立ってもらいますから」
「い・・こく?外国ですか・・」
「こんな吹き溜まりみたいな日本では、彼の苦悩は癒せません。ファントム直轄の街で一年間過ごしてもらうのです」
「どこ・・・何処へですか?教えてください!」
「知ってどうするのです。コレはナギ君自身の修行でもあるのですよ」
そう、この旅はオレの修行も含んでいるのだ。
誰もいない、誰も知らない、何も分からないところにオレは行く。
米田との因縁に決着が付いた今、最後の敵・・・自分自身に決着を付けるために。
「日本とは全く違う価値観の地へ、一年間誰にも接することなく一人で生活してもらいます。そこで何を感じ、何を想い、何を掴むか。ただ一つ言えるのは、たった一年でもその人間の価値観がガラリと変わってしまう・・・それ程にすさまじい国だ、と言うことです」
−−刻は戻り午後四時三十分とすこし前、再び椿との会話の続き−−
「今日は、ファントムの意志を伝えに来た」
顔を上げると椿さんの顔が真剣だった。どうやら本題のようだ。
オレも椿さんに顔を向ける。
「今回の一件は、米田の死を持って幕を閉じた。この事件によって天海支部は壊滅的な打撃を受け、一時その機能を停止、重要度をランクSSからBに変更」
『重要度』とはそこの支部が今どれだけの価値・重要性があるかを示すメーターだ。最高の重要度がSSS(トリプル・エス)、最低がC。つまり六段階で構成されている。
「これからは組織の再編成を行う。幹部は全滅し、サマナー達も壊滅状態。ナンバー制もトップがガラ空きと言うことで、ナンバーの再チェックもかねてもう一度組織しなおす。約一年をかけてな」
「一年、か」
ずいぶん大がかりな編成だな。まあ、そこを敵対組織に叩かれたくないために重要度がBなのだろう。何の作戦もない組織は普通Cだからだ。
「だが、問題が起きた・・・・・・一部でキミの存在が内部で囁かれている」
椿さんの目が細まった。言いたくないことをどうしても言わなければいけない−−−−そんな顔をしている。
「今はまだ小さな歪みだが、いつ大きくなるか分からない。しかもきみがウラベだということも広まり、内部では激しい論争まで起きている。組織に加えるか、始末するか・・・ナギくんの強さを知ってしまっている連中も多いからな」
「そう、ですか」
苦い顔をしている椿さんとは反対に、オレは涼しい顔で初春の夜空を見ながら、先ほど(根倉と怒り狂っていた木塔の二人を無理矢理に帰らした後)買った甘めのミルクティーを飲んで優雅に決めている。
こんな命、もう惜しくはない。始末するのならなるべく誰もいない所で・・・
と、自虐的な考えでまとまっているからだ。生きる目的も失い、それなりに真実を得ることもできた。今まで死ぬほど退屈で、何度ぶち壊してやろうと思った学校ももう行く必要もない。
もはやオレがこの世に固執する理由は、何もないのだから。
しかし椿さんはオレの『どうでもいいで〜す』と書かれている顔を少しの間見つめると、思わぬ任務が言い渡した。
「ナギくん、キミには−−−−−−インドに行ってもらいたい」
「・・・インド?」
数秒の間、自分の耳を疑った。インドと言えばカレーがうまい、しかし妖しさてんこ盛り・・・・そんな異国の地へ?
「インドにもファントムの組織がつい半年ほど前に誕生した。そこでは各国に派遣するサマナーの訓練や派遣先の言語を学習する、いわゆる『養成所』みたいな場所がある。インドは文化の違いで組織的な動きが出来ないからな。だが国の監視はゼロに等しいし、出来たばかりで敵対組織にもまだ目を付けられていない・・・・そこの『日本派遣部』にいって一年ほど身を潜めて欲しい。もちろん心の鍛錬も含めてだ」
(インド・・・か)
それも、いいかも知れない。
「本当はもっと環境のいい場所に行ってもらいたいのだが、どうしても俺の権限だとそこしか無いんだ・・・・」
「そうですか」
それでもかなりの権限だと思う。仮にも一介のサマナーがフリーのサマナーを養成所に編入できるなんて。椿さんは申し訳なさそうにしてはいるが。
「重要度はCだが、カルチャーショックで動けなくなる危険性がある。その代表がカースト制度だ。今だにあんなものが残っているから時代に乗り遅れ、組織は一向にその機能を発揮しない。奴隷という身分がまかり通り、死体がゴロゴロと転がっているところまである。そんな気の触れそうな場所にナギくんを送るというのは、な。どうしても無理だというなら・・・」
「大丈夫ですよ、たぶん」
「・・・・・」
大丈夫、か・・・
はたして、本当に大丈夫なのか・・
ま、いいかな
「一年ぐらい、なんとかなりますよ」
その言葉が最後になり、椿さんは帰ることになった。
「悪いが時間が無くてね、一週間後には天海空港だ。なるべくこちらからも援護するよう口添えするから、がんばってくれ」
扉に手を掛け、最後に申し訳なさそうに振り返ると、
「オレ、天海支部の幹部になったんだ」
と苦笑いをした。
「おめでとうございます」
照れくさそうに頭をかく椿さん。みんなの死の上に得たような地位だが、椿さんなら安心して任せられそうだ。
「みんなが死んだ。それでもオレは生きている。だからオレも死ぬまで精一杯生きるつもりだ。まあ、悪の組織だが・・・無くてはならない存在になりつつある」
「そうですね」
世間一般は悪と決めつけても、オレは悪とは思わない。全ての関係は均衡して成り立っているのだから。
「先輩も組織にはいることになったし」
「先輩って・・・オーナーが、ですか?」
驚いた。確かにアマツミカボシの呪いは解け、サマナーとして再起は出来るとは思うけど・・・もうすでに四十も近いというのにか?
「ああ。情けない後輩を放っておけないらしいから、オレも手伝ってやる・・・・って。先輩はいつもふざけているけど実はリーダーだったんだ、十五年前のウラベさん達が組んでいた、ね。じっさい実力もピカイチで、フィネガンよりも優秀だったらしい」
「・・・・・」
「だから、あの事件も、米田の暴走も、止めることが出来なかった・・・・責任を感じてしまっていたんだ。今思えば、先輩が一番過去に縛られていたのかもな」
「そう、ですね」
扉を開け、背中を向ける椿さん。相変わらず黒のコートが似合っている。
「オレももっと強くならないといけないな。ナギくんに負けないくらいに」
「椿さん・・・・もう十分に強いです、椿さんは」
・・・返事は帰ってこなかった。そのまま扉が閉まる。
バタ・・
バタ・・
−−刻は再び戻り、午後十時きっかり−−
あれから桃木と椿さんは少しもめたが結局椿さんの、
「この一年間でナギ君だけではなく、桃木先生−−−あなたや木塔君、それに根倉君の三人も心身共に落ち着かせるべきですなのです」
と言う『幹部』としての圧倒的な覇気で桃木を納得させたのだった。オレは二人が戻っていったのを確認すると、肩を落として自分の病室に戻ってきた。
−−カランッ・・・−−
飲み終えた空のアルミ缶をゴミ箱に投げ捨てた。そのまま倒れるようにベッドに顔を埋める。
ヒンヤリとした顔にぬくもりが戻ってきた。
無意識のうちに窓を見ると、そこには大きすぎる月があった。
・・・・・・・インドか。
日本とはある意味その全てが正反対の国。
「ハハ・・・」
異国の地か。それもいいかもな。
(もう、よくわからない)
過去も未来も現在も人の気持ちや因縁果ては自分の存在他人から見た自分という男
(オレという男が生きるべき意味)
・・・・・・・・
一度全く違うところで、自分を見直すのもいいかも知れない。自分の限界を知り、自分の醜さを知り、それでも生きたいのなら・・・
生きていたいと思うことが出来るなら・・・・・
3/13 完