[今宵の月のように]
「クックック…」
「本当に……俺も笑って済ませれば楽なんだけど」
こちらの気も知らないで、さも楽しそうにヴィクトルの親父はソテーの切れ肉を口に運んでいる。
トナティウとの戦闘の後、激しい筋肉痛と魔気の過度の消費による枯渇で一日もシーアークに行くことが出来ず、あっという間に一週間も経ってしまった。
………そう、あの日からもう一週間も経っている。
つまり今は『遠足真っ最中』というわけだった。
ここ数日、担任との接触を極力避けつつも彼女を観察するようになってきた。あのとき彼女は変装していたつもりらしいが、やはり間違いない。
シーアークであった雑魚サマナーの連れは、担任だ。
いつも下手くそな化粧がさらに磨きが掛かり、シーアークでの、たった一言の彼女の何気ない返事が俺の憶測を確信へと導いた。
「ただでさえイレギュラーな戦闘に巻き込まれたのに、あのパー女め………とんでもないモノに捕まりやがって」
目の前に出された食事をほおばる。はっきり言って俺は食にはこだわらない主義だが、ここ『ビー・シンフル号』の食事はメチャクチャ美味しかった。
「何を言う。似神を手に入れれただけでも良しとせねば。この年で似神を従えるなど、立派なモノなのだ」
「まあ、損得無しか………いや、やはりまずい」
「お口に召さないでしょうか……?」
「……ん?いや、そういう意味じゃあ……」
「フフフフ……」
(やはりまだ、少し疲れているのかも)
まさかこんな人形にまでバカにされるとは。
ここに訪れて似神のことを話したときは十時だったのに、込み入った話になり結局話し終わったのが十二時半になってしまった。そして話のまとめと共に食事に呼ばれた次第だ。
「そう危惧することはあるまい」
「完全な人ごとだな」
メインの鶏肉のソテーを平らげ、残ったサラダと共にパンを腹に詰め込む。食べはじめの頃は作法についてメアリに言われたがヴィクトルに止められ、それがまだ引っかかっているのかメアリは何やら落ち着きがない。
ヴィクトルがナイフを少し休めた。
「我が輩が思うに、そのシーアークには組織の者しか出入り禁止なのであろう?」
「まあ・・な」
「規律を破るのは三流である。しかも私的な理由で破るなど、三下にも劣るというもの。そのような者が大それた事など出来ようはずはない」
椿さんの脅しで十分おとなしくなりそうな小物ならいいが。
「まあ………確かに三階制覇で喜んでいるヤツだから……」
「確かに三階で止まっているような輩は小物だな」
そうだ、三階などとっくにオレはクリアしているのだ………ん?
「まるでシーアークを知っているかのような言葉だな」
「当たり前だ。今ヌシがいる、我が輩の船の資金協力の代わりに、あのホテルの設計をしたのだからな」
「じゃあ階別の悪魔の設定も・・?」
「もちろん我が輩である」
……なるほど、それなら今までの知ったような素振りも納得がいく。
「それにしてもヌシ、よくランク3#のトナティウを仲魔に出来たな。尊敬に値する」
「偶然だよ」
そう、偶然だった。
ちょうど魔気の消費も程々で、体も温まり、相手の気配を感じ、たまたま相手が熱や火に弱い事を発見し、その火を扱えられる悪魔が二体もいて、追いつめたら偶然仲魔になった。
そして偶然、帰り際に担任にあった。しかもシーアークに入ってゆくという頭の痛くなるような事実と共に。
………はあ。
ため息が出る。
「やはり椿さんに報告するべきか・・・」
「ヌシの言う、天海支部ファントムのナンバー6、と言うヤツか?」
無言で首を縦に振る。別に深刻なのではなく、口に物が詰まっていただけ。
「やめた方がよいな。自分の首を絞めることになりかねん」
もしあのあほカップルとあの日会ったのが俺だけだというのなら、確かにまずい。まず真っ先にオレを疑うだろうな、たぶん・・・
・・・・・・・・
昼からは学校の集合時間に間に合うまで、今まで集めた物の鑑定と業魔殿の姉妹店の顔出しになった。
驚いたことに一週間前に拾った天秤と聖水、クジャクの羽とコウモリの死体のすべてが似神合体に必要不可欠な道具〈封神具〉だったのだ。
そのほかには〈不気味な仮面〉がソレだったのだが、それ以外はすべて価値のない物で、俗に言うゴミというモノだ。ただし悪魔が落としてゆく宝石類、今俺が200個ほど持っている光る石は何か特殊な力を秘めているらしい。
「私の仕事仲間に、こういう宝石を見事な武具へと作り上げる技師がいる。その者に頼めば金額次第でいくらでもいい仕事をしてもらえる。相手が誰であろうとな」
そしてここを出ていくとき、ヴィクトルは最後にあることを俺に教えた。
「すべての似神が好戦的ではない。契約したければ、そのことを頭に入れられよ」
メイドのメアリについていき出口付近まで来ると、何か悪寒を感じた。
一週間前に感じた、とてもいやな気分になる前触れを、だ。
「あ〜、あなた一体どこまで入ってきているの!」
とても振り向きたくなかった。振り向いた後の展開や、ごまかし方を考えなければいけないから。
しかし無情にも、俺の意志とは無関係にソレは急接近し、わざわざご丁寧に視界のド真ん前までやってきてくれた。
「あなたは確か・・・誰だっけ?ああ、ウラベ君ね、思い出したわぁ」
思い出さなくてよかったのに。それに思い出したのではなく、名札を見ただけだろう。
だから昼前にここを出たかったんだ。一週間前わざわざ担任から「宣告」までしてもらっていたというのに
………「同僚と一緒にここに食べにいきます」って。
しかし幸いなことに彼女の言っていた同僚の姿は見えなかった。ならばいつ現れるか分からない同僚たちを待つよりも、さっさと消えた方が無難だ。
「答えなさい、ウラベ君?」
顔を近づけられしかめっ面をする俺。それを照れているのだと勘違いする担任(アホ)。
「船の中を見学していたんですよ」
と答える(誤魔化す)と、
「そうだったのですか」
とメアリが答える。
ダレモオマエニイッテナインダヨ・・
「うちの生徒が世話になりました」
とアホ(担任)が条件反射みたいにお辞儀すると、やっとメアリも自分の仕事を終えたと気がつき、無言でぺこりと頭を下げ、そのまま去っていった。
そしてアホ(担任)だけが残された。
「先生、ほかの先生方はどうしたんですか?」
完璧に社交辞令だった。全く興味ゼロの方向だが、マイナスよりはましだった。
「みんな『あんなけ』でお腹が膨れちゃうなんて不健康だわ。私なんて二人前食べてもまだ食べ足りないのに」
『あんなけ』・・・それは人によって様々だ。しかし彼女の言う『二人前』という言葉でだいたいの量の想像はつく。
「確かに美味しかったですね」
「ほんのもうちょっと味付けが濃いと・・・」
話を合わせてスキを見せる瞬間を待った。もちろん全力で逃げ切るためだ。
しかし何気なく放った次の一言は、スキを探すどころか自らドツボにはまって、しかも自分で壺の蓋をしてしまうほどマヌケな返事をしてしまったのだ。。
「特に『鶏肉のソテー』ですか」
「そうそれよ〜・・・・んんン?」
その瞬間、自分が問答無用の逆誘導尋問にかかったことに気が付いた。
もっと簡単に言うと、自分でわざわざツボに入っただけだ。
「あ、もう行かないと次の見学地に間に合いませんので・・」
「ちょっ・・・」
言葉を言わせる前にその場を全力で去った。文字通り『全力』で、だ。すこしタイミングを誤ったが問題ない・・・・わけがない。
「何でソテーって知ってるのよ〜!ハイクラス専用のメインディッシュなのよ〜!!」
まるで中学生だ。こんなところで大声を出すなんて。もっとも全力で走って逃げている俺も人のことは言えなかった。
「給料前で一般コースしか食べられなかったのにぃぃ〜〜〜!」
だいぶ声が遠くから聞こえたが、どうやらこの叫びが最後のセリフらしい。
(二人前も食べながらよく言う!)
心の中で反論しながらも走る速度を遅らせることはなかった。
天海ポート商店街一番地−−−別名「機門」。元々一番街は天海市一の電脳街である。すぐ近くに港があることから香港あたりのパーツや周辺機器など『クサい』商品を扱っていることも相まって、華やかなポート商店街でも圧倒的に異様な雰囲気に包まれていた。
さらに一番街だけが何故か門(商店街入り口)が北東に向いている。これは商いが最もこだわる『風水』によると鬼門と呼ばれ、儲からない・・・つまり縁起の悪いことなのだ。そんなことは迷信だと言わんばかりにここ一番街は他の番街に比べ圧倒的な売り上げを見せていて、ここ一番街だけでほかの番街すべての売り上げに匹敵するかの勢いなので、大したものだと感心する。
そんな尊敬と畏怖、妬みが混ざって・・・なのかは知らないが、ここ一番街は機門と呼ばれているわけだ。といっても、パソコン雑誌の特集でたまたま知っただけだが。
一番街の構造は、簡単に言えば鳥の足跡−−−芯となる大通りと、中央大広場を境に三つに分かれる道−−−であり、その枝分かれする三つの道のうちの一つにその店はあった。
「永煌石(えいこうせき)・・・ここか」
アクセサリや怪しい鎖モノなどを扱う宝石店。外から見た店は黒一色で、古くて小さい洋館のような作りだった。無理にペンキで塗ったような作りなのではっきり言ってぼろい感が拭えない。しかし全ての店が外見と内装が比例してはいないと思い・・・中に入るとこれまた柄の悪そうなヤツばかりがそれぞれグループでケースの中の商品をのぞき込んでいる。
「ここのオーナーはもとサマナーだ。お前のディスクから直接石を取り出せば、すべてを語るまでもないだろう」
ヴィクトルの言葉を思い出す。
MDのイヤホンをはずすとそのままカウンターのところまで歩いた。やたらと視線が注がれるが、この際相手をしない。
カウンターの前に立つと、その奥にオーナーらしき人間を見つけた。俺の存在に気がついているはずなのに、一向にこちらを向く気配がない。
「ヴィクトルさんの紹介で、加工の依頼にきました」
だが返事は一行に返ってこなかった。白髪の男は丸いサングラスをつけているので正確な歳はわからないが、まだ40は越えていないだろう。
男は俺をムシし続け、ずっと手の平をぼんやりと見ている。その手の平には長さ5センチほどの白い石がのっかっており、男はずっとそれを見続けているのだ。
俺を無視して。
コンタクトの方法を変えてみた。
「忠実な犬ですね。ずっとこちらを見ている。威嚇しないことといい、よく鍛えてある」
男の表情が変わった。
もちろんこんな店の中に犬などいない。生きた肉体を持った犬は。
だがその犬はカウンターの上で冷静に俺の動きを見ていた。カウンターの中だけじゃない。この店の至る所にこま犬みたいなものが客の動きを見ている。ここから見るだけで入口前に一匹、カウンターの上に一匹、ガラスケースの上の一匹、そして二階に上がる階段に一匹。一階だけで計四匹。
「聖獣シーザーですか。一般人相手には十分すぎる警備ですね」
「何のようだ」
ここまで言うとやっと目の前のオーナーは取り次ぐろってくれた。
そこらのチンピラ・・・もとい客が声を上げる。
すげえ。しゃべれるんだ。何モンだ、あのガキ・・・
「石を加工してほしいのですけど」
「ほかに出来ることはねえ。さっさと見せろ」
どうやら思ったことをそのまま口にする性格のようだ。扱いやすい人でよかった。
「どうぞ」
と言うと事前に右手に潜ませておいたMDに念を込め、ジャラジャラと音をたて石がこぼれた。
しばらく石がガラスを打つ音が続いた。
「これで半分ほどですが」
オーナーは黙り込んでいる。目の前にこぼれる石を凝視している。
さっきまで見せたうつろな視線は消えていた。
「加工から型まですべてお任せします。お代はなるべく後払いの方が助かるのですが・・」
「小僧」
目線をあげると初めてオーナーと目があった。険しそうな目だった。
無精ひげが目立つ口が開いた。
「この石、どういう経過で手に入れた?」
この様子からするとさっきまでの言葉は全然聞いてなかったらしい。
「倒したあとに拾っている・・・それだけです」
あえて主語は言わなかった。相手がこの人なら言うまでもないだろう。
少しの間ずっと俺の顔を睨み付けてはいたが、
「そうか」
と俺の質問には何も言わずただそう答えると、目線を再び石の方へと向けた。
「お代は・・・」
「金はいらねえ」
思いっきり入り口の看板に「喫煙禁止」と書かれているのに、書いた本人がふかし始めた。いや、本人だから許されるのか。なかなかの店長だ。
「テメエ、これで半分と言っていたな。残りも全部よこせ。お代はこの石の三分の一で手を打つぜ。それがいやならこの商談は無しだ」
さすがに少し迷う。この石にそんな魅力を感じはしないのだが・・・
「安心しろよ」
オーナーがニヤリと含み笑いを浮かべた。たばこを口から右手に移動させる。
「俺がもらうのはカスだけだ。そのカスを使ってお前さんの依頼をより完全に仕上げることが出来る。お互い有益と思うがなあ」
「確かに」
こういう強情な人間からの要求を断るわけには行かない。向こうに主導権が握られているのならなおさらだ。
「では、お願いします」
無難に返事を返す。
とりあえず目の前の男がどんな仕事をするのかを知らなければいけない。それまではいらない刺激はしない方がいい………
「おお。できたらヴィクトルのオヤッさんのとこに電話入れとくからよ」
と言って俺の右手をつかむと腕に巻かれているテープを指に巻き付けてきた。
「指のサイズくらいいいだろ?秘密にしなくてもよ」
そう言い終わらないうちにサイズを測り終えたらしい。
「じゃあな。期待してな、いいモン作ってやるぜ」
「お願いします」
同じ言葉を二度言い、義務的に頭を下げて出口のノブに手を掛けようとしたとき、またもや後ろから声がかかった。
「似たモン同士は臭いで分かる。テメエもぎこちない敬語なんぞ使わないほうがいいぜ?」
…………それが出来ればどれだけ楽なことか。
そう思いつつもいつもの笑顔を送る。決して感情のこもっていない、安っぺらい笑顔で。
「面倒なことは嫌いですから。だから使っているだけです」
振り返りオーナーにもう一度頭を下げ、彼の「ケッ」という(カッとも聞こえるが)悪態と共に店を後にした。
店を出ると一人の女に会った。
両手を買い物袋でふさがれており、バランスを取りながらもこちらに近づいてくる。
よく見るとその女は目が悪いようで、対して太陽光が強くない今でも目を細めていた。
ぼけっと立っている俺に向かい、屈託のない笑顔を向け、
「あら、お客様ですね。こんにちは」
と言い頭を下げた。
首のなかほどまで伸ばした髪にウェーブがかかっている。見た目は日本人だが何か雰囲気が違う。化粧をしているせいで全く年齢の見当が付かない。二十代後半にも見えるし、三十代の風格も漂わせている。
(女はこれだから・・・・)
うちの担任みたいに、お世辞にも『化粧美人』とは言えない人間ならあっさりと年齢が分かる。ついでに担任という人間性まで分かるのが空しいけど。
本来なら適当に返事をし去るつもりだったが、目の悪い彼女はあっさりと俺の正体に気がついてしまったのだ。
「あら、あなたサマナーですね。ではヴィクトル様が言ってた有望な青年があなたでしたの」
「!・・・わかるのですか」
ちょっと、驚いた。
「フフ、不思議でしょう?目が悪くなってからなんです、こうなったの。でもあなた、よっぽどヴィクトル様に気に入られてらっしゃるのねえ・・」
会話を終わらせる意味合いも込め、両手が使えないのでドアを開けてあげた。
「有り難うございます。でもこれからはなるべく私が店にいるときにいらしてくださいね。主人は無愛想ですから」
なるほど。彼女の薬指を見ると指輪がはめてあった。
これもオーナーの自家製ならば・・・メタル風のモノができそうだな。
(しかし、あれが無愛想ねえ・・)
彼女から見るとあれは無愛想の区分けになるらしい。俺から言わせれば喧嘩を売っている様にしか見えないが。
「あ、ドアを開けてくれたお礼です。今後のおつきあいも含め、これを差し上げますわ」
とくれたのが桃色と白の包装紙で包まれているものだった。透明の部分があり、そこをのぞくと中には・・・・まんじゅうが入っていた。
「今やっている春の『港祭り』のまんじゅうです。とても美味しいので、手に入れるのもひと苦労ですけど」
「いいのですか。苦労したモノを」
食べ物をもらったところで嬉しくも何ともないが・・もらった手前、遠慮ぐらいはする。
「ええ。あなたはとても綺麗な気をまとってますから・・・・では、シィヤ」
そう言って彼女は店の中へと消えていった。
「シィヤ、か」
SEE YOU AGAIN−−−また会いましょう。
−−あなたは、綺麗な気を−−
(俺は……綺麗なんかじゃない………)
そんな和んだような揺れるような、複雑な気分を一撃で粉砕するような声が俺の耳に入ってきた。
「こらー!ウラベーくんー!第一番街は見学禁止になっていたはずでしょうぅ!」
その声は前に聞いた声だった。ついさっき一時間前に船の中で聞いた声であり、一週間前ではシーアークで聞いた声だった。
「あなたがいなくなって思い出したわ。ここもそうだけど船の中は見学禁止なのよ、それにねぇ、・・・あ・・・」
アホ(担任)の視線が俺の手の上にある小包に釘付けになった。
確か船の上でも食べ物(昼飯)がもとで捕まりそうになった記憶が・・・
「それ・・限定300パックの『天海まんじゅう』、だよね・・・」
冷静に考えてみよう。
このままだと説教を食らったあげくに理由をつけまんじゅうを取られる。
まんじゅうを差し出せば説教は免れるかも知れないが、船の中でのことを根ほり葉ほり聞かれることは間違いない。
ならば・・・
「あ゛あ゛〜〜!!また逃げた〜〜!」
まんじゅう片手に全力疾走。情けない・・・
「私の目の前で完売したのよ〜〜!ずっと楽しみにしてたのにいい〜〜…………」
そんなこと知ったことか。悪魔との死闘で鍛えた五感と運動神経で人だかりの山をすり抜けていく。
「あなたが買わなけりゃ私が買えたのに〜〜」
なんてヤツだ。そしてなんて理屈だ。それでも本当に教師か!
心の中で悪態をつきながらまんじゅう片手に全力で逃走する自分の姿を思うと、自分自身に哀れとさえ感じてしまった。
(全く、食べ物にはろくな事がない)
・・・・・・・・
時計を見ると二時をすぎていた。
平日と言うことも後押ししてか、ここ三番街はひとけが少ない。腹も満たしたし、食い気の多い誰かのおかげで適度な運動もできた。
今俺は神社の一角にいる。三番街は過去の面影が残っており、昔からの水害をおそれて作った水の神が奉られていた。
(所詮は、作り物か)
念を込め、気を解き放っても、悪魔の存在は感じない。昔はどうか知らないが今はもう水神と呼ばれる悪魔はいないらしい。
もっとも、何かしらの方法でこの場所にいられなくなったか。
一番街や若者の多い二番街とは違い、ここは静かだった。本来なら三番街に出向きここ天海港の歴史や構造を知るべきだと思うが・・
(相当まじめな生徒以外、来ないだろうな)
こんなところ滅多に生徒などこないし、先生だってこない。先生というのは生徒が行ってほしくない場所にたいがい居るものだ。こういう場所こそ先生側から見れば見学してほしい場所であり、生徒にとっては最も行きたくない場所という、何か相反している感がある。
特に見学する場所もなく(と言うよりもう知り尽くしている)、最後に誰もいないところでゆっくりしたかった。
そこらの石階段に腰掛けると、コンビニで買ったコーヒーの缶を開けた。先ほど追いかけられる原因を作ったまんじゅうの箱を広げたが、どうも食べる気にならない。
昼までは曇っていたのに、今は快晴だ。
スズメの鳴き声が気持ちよかった。ここではMDをつける必要もなかった。
何気なくまんじゅうを口にした。
おいしかった。
(お茶の方がよかったかも・・・)
コーヒーを買ったことを少し後悔した。
風が気持ちいい。学ランの上着を脱ぎ、髪をかき上げた。四年前のあの日からずっと同じ髪型だ。中央から右の髪だけ目の上ぐらいでそろえ、左をなるべくのばす。
四年前に負った傷を隠すために。
どんなことをしても、この額の傷は消えなかった。左目の上−−こめかみより右−−−から、斜め外に向かってのひっかき傷。
痕を指で撫でた。切り口はデコボコになってはいなく、綺麗な傷跡だった。
皮肉なほどに・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
チチチ・・・・チチ・・・
どうやら少し眠ってしまったらしい。
(三時………か)
集合時間は三時半。ここから集合場所まで十分弱でつく。
そろそろ行くか。
そう思って立ち上がったとき、一つ大きな風が吹いた。
かき上げていた髪が前にたれる。
「ここは気持ちいい場所だな………」
そう呟くと、近くのゴミ箱に飲み終わったカンを捨てた。2個入りのまんじゅうはまだ一つしか手をつけていない。
(またアホに捕まるかも知れないが………)
2個もいらなかった。欲しいなら差し上げよう。
・・・・・・・・
三番街入り口から四番街大通りへと歩いていると、本日三度目の鉢合わせにあった。
今度は悪寒はしなかった。
「寡黙なおうちゃく坊のお出ましね」
向こう(アホ)にとっては威圧をかけた笑みらしい。だが、ただでさえもうすでに俺の中では「アホ」と呼ばれている彼女に、この程度の脅しは何でもなかった。
まあ、担任なら例え銃を突きつけられても冷静を装える自身がある。もちろん魔気無しで、だ。
「一番街入り口の見張り、ご苦労様です」
四番街の出口は大広間になっていて、中央に噴水が造られている。小道から商店街を抜け出し、裏路地から一番街へ入るという方法を先生たちは考えなかったのだろうか。
まあ、考えなかったからすんなりと入れてのだけど。
「あれ?その手に持っているの・・・」
そらきた。
「ええ。一ついただきましたけど、先生が欲しいのなら・・」
「ちょうだい」
言葉を待たないうちに人の手から包みをひったくると、嬉しそうに開け始めた。
「甘くてマッタリとしていて、それでいてくどくない・・・美味しい〜」
昼に二人前も食べておいてよく言うよ・・・
と批判する。もちろん心の中で、だ。でもわざわざ一つ残しておいた甲斐があった。
「まんじゅうをくれたお礼とは言わないけれど、船の中の事と、一番街の事は見なかった事にしてあげる」
「すいませんでした」
反省の「は」の字も感じさせない返事を返した。口調から考えると最初から説教する気はなかったらしい。
「もうすぐ集合時間ですから・・・失礼します」
「ファイ、ファイ。いホいへネ」
大きなまんじゅうを口に詰め込んで嬉しそうに手を振っている。
食い物で喜ぶなよ・・・・ほんとに教師か・・
自分があんな担任になったことを情けなく思いながら、バスが止まっている駐車場へと急いだ。
・・・・・・・・
集合時間五分前に到着すると、結構もう生徒は集まっていた。そのまま番号順に座り、教頭のクソ長くて使い古した言葉を聞き続けたあとにようやくバスに乗り込んだ。
バスの中は相変わらずうるさかった。昼放課と同じ騒がしさがバスの中という狭い空間に凝縮され、よけい耳障りだった。
外を見続けていると、バックミラーに担任(アホ)の顔が写った。
先ほどあげたまんじゅうを両手で支え、口にくわえたまま止まっていた。よく見ると顔がいつものノータリン風じゃなかった。何か考え事をしているようだった。
担任はいつも観光バスの先頭の席と場所が決まっていたが、そこら付近の席はすこぶる人気がない。せっかくの遠足を先生の近くで過ごすと、騒いで注意されたり何か頼み事させられるから−−−というのがその理由らしい。
そして俺は、最も嫌われている担任の真後ろに座っている。
観察してみると、正確には『食べて』はいた。ただとてもゆっくりで、いつもの食べ物に対する覇気がない。腹が膨れたのか食当たりにあったのか。そうも思ったがどうも違う気がする。
「はあ…………」
そんなため息が聞こえたとき、直感的に分かった。
(落ち込んでいるのか…………ガラにない)
どうせくだらないことで落ち込んでいるのだろう。たとえば愛想の無い生徒が言うこと聞かずに一番街に行ったり、ヤクザよりたちの悪い彼氏が好きでもないのに彼女ヅラしなければいけないとか、説得力のない教頭から嫌みを言われ続けているとか………
「何見てるのよ。そんなに綺麗かしら?」
…………心のかすかにでも気にとめたことを後悔した。
「別に。まんじゅうくわえたまま憂いた顔しても、全然魅力感じませんですから」
と言うとさも痛そうに手でこめかみを押さえた。かき氷を一気に食べて脳がひび割れたような、そんな表情だ。
「あイッタたた……仮にも生徒なのよ、あなた」
「へえ………」
適当に返事を返した。確かに彼女にすれば生徒の一人でしかないが、俺に取ってみれば俺だけでなく椿さんをも危険に巻き込む『危険人物』なのだ。
「まったく、生徒はニコニコするだけで全然ゆうこと聞かないし……教頭にはお説教もされるし………同僚にはあきれられるし」
「ごくろうさまです」
「あなたも頭痛のネタに入ってるのよ………」
そんなこと知ったことか。俺は他人を心配してやれるほど広く澄んだ心を持っていない。
「同僚にもですか」
話を変えてみた。
「そうなのよ。『こんなに食べてよくこの体型を保ってられますね』なんて言われたし………教頭には『大学生、いや、高校生気分がまだ抜けきっていませんようですね』なんて言われたし」
こればかりは教頭に賛成だった。舌が少し足りないばかりか、脳のしわまでたりないのではとまで思ってしまう。
そしてもちろん、彼女の同僚たちにも大賛成だ。
「16のあなたにまで軽くあしらわれるし。私だって、好きでこんなにも食べる訳じゃないんだから………」
好き食べている訳ではない、ねえ………
「何か消化器系でも病気なんですか」
「え?ち、違うの。これはもっと別の理由………もっとべつの」
俺は彼女の顔が青ざめたのを見逃さなかった。表面的な悩みではなく、追いつめられ一刻も答えを出さなければと思い詰めている、トラウマ一歩手前に表情だ。
少し探ってみるか。心理的な誘導尋問はもとより人と滅多に話さないが・・
「もしかして先生の彼氏のせいとか………?」
「…………ぇ…………?」
しまった。
徐々に追いつめるつもりが、いきなり核に迫ってしまった。
遅れずにフォローを入れる。
「意外と先生の彼氏がデブ好きなのかな、と思ったのだけど。………当たってますか?」
「え……あっ………と、ち、違うわよ、バカねえ」
なんて嘘のつき方が下手なのか。同情したくなるほどの単純で、しかも流されやすいか。
「でもまんざら間違いじゃないかも………」
「そうなんですか」
そうなんですね、と言いきると追いつめすぎると思い、そこでやめておいた。
それにしても………サマナーである彼氏のせいで大食になった。
なぜ?
それから学校前で解散するまで担任は黙ったままだった。何か思い詰めていたが、でしゃばる気にはならなかった。
他人を気にするなんて、くだらない。
俺は、そう言う人間じゃない。
(・・・・・・)
今日は月が綺麗だった。
風も気持ちいい。気持ちのいい日はバスには乗らない。たかだか三区の距離ぐらい十分歩けるし、何よりオレは夜風に当たるのが好きだった。
ただ一つ文句があるとすれば、月以外は見られないと言うことぐらいか。
(星のない空)
舗装された川沿いを歩く。電灯が十メートル以上も離れて作られているので、先が全くと言っていいほど見えない。それでも闇の中に埋まることの何の抵抗を感じることもなく、月を見上げながら歩き続ける。
遙か彼方に見える光の集まりは、天海ポートかも知れない。街の光を避けるように暗い田舎道にあるような、都会人ならば避けるようなところをオレは通る。
「……………」
思わず天を仰いだ。あれほど何回も心の中で『関係ない』と繰り返しているのに、夕方バスの中で見たアホの顔がちらつく。
母の顔とアホの顔が、何故かちらつく。
何度も、何度も、何度もだ。
「くだらない!」
最後にそう吐き捨てると、オレは残った家路を全力で走った。
そんな思いも空しく、今日一日ずっと担任のことを考え一日が終わった。
卜部 凪 Lv 25 ITEM・不詳の刀
力 12(24) 生命エネルギ 200(1000)
速力 16(28) 総合戦闘能力 120(510)
耐力 6(11) 総悪魔指揮力 23%
知力 8(15) 悪魔交渉能力 11%
魔力 3 (5)
運 1 所持マグネタイト数 2800
仲魔 ・妖精ヴィヴィアン L.v 40
・堕天使ビフロンス 34
・魔獣カソ 37
・聖獣ヘケト ?
・破壊神トナティウ 38
6/25 完