月の迷宮一階。 何故今更というわけではなかった。 なぜならば、目の前で意欲満々でいる生徒はリトではなかったからだ。 「さてルナ、初日なわけだが……ここで好きにやってみろ。お前の実力を知りたい」 「ふん、部下の分際で品定めのつもりか。だがその愚考に付き合うのも寛容さを示すことになるか。よかろう」 スライムマスターを目指す青髪のルナをつれてきて数日、すでにバートは言葉遣いについては諦めていた。 ルナは本気で魔王になるつもりらしく、それが当たり前の事として頭に刷り込まれているのだ。 「スライムソード!」 小瓶を腰のホルダーから取り出して栓を抜いて叫ぶと、中の液体が形を作り始めた。 小瓶を柄としてショートソード程度の長さに伸びて刃を作り出す。 その能力に、さすがのバートも目を見張る。 凄いというよりは珍しいという意味でだが。 「剣を使うのか?」 「いや、形には拘っていない。見ていろ」 小瓶を横に振ると、刃を形作っていたスライムが伸びて、しなやかに空を切った。 かと思うと引っ込みルナの前に盾として形作られた。 「スライムなだけに無形か」 「それだけではない。スライムにも属性や特殊能力を持っているものがいる。酸であったり熱であったり、それがそのまま使える。敬う気になったか?」 「わかったわかった。敬ってやるからちょっとそこらのスライムと戦ってみろ。良ければ次へ行く」 「ふん、十階など瞬く間にクリアしてみせる」 そう言うと、丁度視界に入ったスライムへと向かいルナは、岩の床を蹴った。 さすがに驚くほどではないが、リトよりは明らかに速い。 「まずは一つ。貴様の命を貰い受ける」 振り上げるのはスライムによって作り上げた剣。 躊躇などするはずなくそれを打ち下ろし、ポヨンっと弾き返された。 「…………は?」 さすがにこの光景にはバートも目を丸くして驚いていた。 「くっ、なかなかやるではないか。さすが基本にして奥義、スライム。一筋縄ではいかぬ」 「いや」 「だが、これならどうだ。この速さにはついてこれまい」 先ほどのように剣からムチへと武器を変化させ、何度も何度もスライムへと打ち付ける。 そのたびにスライムの体が振動でたわむが、それだけだ。 そう、ルナの武器はあくまでスライムなのだ。 ルナ当人でさえ、スライムの形は変えられても硬度まで変えられるとは一言も言っていない。 きっぱりと無力である。 「さあ、どうだ。手も足も出ぬまま、己の無力をかみ締めて逝くがよい。死ね」 「確かに無力だ。お前が」 ポヨンポヨンとたわむスライムを前に、ムチを幾度となく振り続けるルナを前にバートは頭を抱えた。 動きは明らかにリト以上なのだが、攻撃力がリト以下。 もっとも問題は武器の方であろうが、それに気づこうとしないルナにバートは深く溜息をついていた。 そんな考えもしなかった事態にバートが頭を悩ませている頃、リトもまた頭を悩ませていた。 あいも変わらず動けないベッドの上で、そわそわと落ち着きなくしている。 その横ではアルマが面白そうにリトの狼狽振りを見ていた。 「ど、どどどどどど」 「どんぶり?」 「り、りりりりりり」 「りんご?」 「ご、ごごごごごご…………ごって違います! なんですか、アルマさん。勝手に一人でしりとり始めないでください」 「い〜……良いじゃない。迷惑かけているわけでもないし。はい、リトちゃん「し」からね」 暢気に言われても続けるアルマに、リトは比較的自由な上半身をひねって頭を抱えた。 「しかも言ってもやめてないしッ!」 「同じ音で返すのは反則だよ、リトちゃん」 「もうしりとりから離れてください。遊びじゃなくて本気でピンチです。センセーが新しい弟子を連れてきたんですよ!」 実際はつれて来たというよりも、薬草の入った籠に一緒に詰め込んで運んできたのだ。 そしてその少女が目覚めたのは朝方であり、結局二人はその少女と殆ど言葉を交わしていない。 「なんて言うかリトちゃんとは違った意味で不遜だったよ」 「そんな微妙にチクッとするプチ情報なんていりません。問題はセンセーが弟子を連れてきたことです。本家本元の弟子の私の立場がぁ!」 「立場って言っても兄さんの弟子は他にもいるし。最近リトちゃん弟子らしいことしたっけ? 日がなベッドでゴロゴロと与えられる餌を食べる毎日。しかもそのせいでちょっと太ったの気づいてる?」 「聞こえません。都合の悪い事なんてこれっぽっちも聞こえません。だって耳を塞いでますから。ついでに叫んじゃったりもしてます。アーアーアーーー!!」 両手で耳を塞ぎ声を上げ始めたリトをみて、アルマはペンと紙を取り出して、今の状況を的確に書き表した。 フォアグラ。 ただ一言ソレだけを書いてリトに見せた。 「ぐぁ……痛い、心が痛いです。アレ、泣いてるの私? いいえ、これは心の汗よ。いつかこの汗が綺麗な虹を描かせるんです。それまでがんばれ、私」 「でも本当にリトちゃん何かした方がいいよ? ベッドの上だって魔術書読むぐらいできるでしょ? なんだったら、ラウムのお爺ちゃんから借りてきてあげてもいいし」 「それなら、実はすでに借りてきてあったりします」 そう言ってリトが枕の下から取り出したのは、分厚く黒いハードカバーの本であった。 一体どんな魔術のほんなのか、拍子に題も著者も見当たらずただ黒い。 「読んでみていい?」 「後悔したければどうぞ」 ウルウルと涙ぐんでいる気がするが、アルマは硬い拍子をめくった。 さすがに目次、最初のページには題と著者が書いてあった。 そこにはこう記されていた。 巨乳とワシ、著者ラウム。 ハードカバーであった理由が容易に知れる題名であった。 「ラウムのお爺ちゃんが、描いた自筆妄想小説です。ひたすらに巨乳のお姉さんが登場し、その……色々されます」 「その様子じゃ、読んだんだ。さらに第三章の巨乳拡張編にマーカーが引いてあるのは何故かしら」 「そ、それは……最初から引いてあったんです。たぶんラウムのお爺ちゃんが私に試せって遠まわしに言ってるんです。でもあんまり効果なくて!」 「フォーローするつもりが、さりげに暴露しちゃってるよ?!」 言って言われて互いに赤くなり、奇妙な沈黙が部屋を支配した。 アルマはリトの目を見ないようにして本を掲げ、リトは黙って受け取ると再び枕の下へと置いた。 単に枕が低いのか、隠してあるのかはリトしかわからない。 「えっと、そう魔術書だったよね。修行するにもベッドの上で炎は危ないから、この際水とか氷系覚えてみたらどうかな?」 「でも私炎以外はあんまり得意じゃなくて」 「だからこそでしょ。このままあの子に弟子としての居場所をとられてもいいの? 今は付き合いの長さから私はリトちゃんの味方だけど、この先はわからないよ」 ぐわしっと音が聞こえそうなほどにアルマはリトの両手を握り、背中をおす。 「そう、ですね! 苦手、苦手と言ってたらなにもなりません。行動をしないと」 「その意気よ。それで氷魔術が出来るようになったらまずは、ウチに念願の氷室を作って頂戴。食材が長持ち、無駄がない。なんてステキな言葉。がんばれリトちゃん!」 「い、今……すがすがしい言葉に願望が混ざってませんでした?」 「気のせいよ。あ、丁度良い所に氷魔術の魔術書が。これを使って勉強よ!」 後ろにずっと隠し持っていたのか、誰にでも出来る氷室作成法魔術編と描かれた本を取り出してきた。 ある意味魔術書ではあるが、そう断定すれば世界中の魔術師が一斉に怒り狂うことであろう。 「願望が物質化して目の前に?! どこまで本気ですか?! どこまで信じていいんですか?」 「大丈夫、氷室さえ作ってくれれば決してリトちゃんを見捨てないって誓うから」 「造れなかったら見捨てるって言ってるようなもんじゃないですか!!」 泣きそうになるほどに叫ぶが、しっかりと氷室作成法の本を受け取るリト。 ペラペラと勢いよくページをめくり続け、習得しているのかしていないのか、読み終わったページが積み重なっていく。 その後リトが氷室作成法を習得する事は無かったが、動けないなりにもアルマを手伝うようにはなったらしい。 だがそれでも、リトがベッドから完全に離れる事が出来る日は遠い。 |