The Moon Labyrinth

第二十三話 森


実は、リトが骨折で月の迷宮にいけないという事は、バートも仕事が無いという事である。
基本的にフロアマスターの給料は国から出ており、半年に一度どれだけの生徒を送り出したかの査定で決まる。
よって、極端に生徒数が少なければ剥奪の可能性もあるが、バートはリトが来るまでは量より質派なので焦る必要も無い。
うだうだと午前中のほとんどをリトをいびることで過ごすと、飽きてしまっていた。

「あ、兄さん。今暇? ちょっと頼みたい事があるんだけど」

二階にあるリトの部屋から降りてきたバートに見上げながらアルマが切り出してきた。
即座に答えるべきか、内容を聞いてから慎重に答えるべきか。
そんな葛藤をすることなく、バートは曖昧に頷いた。

「リトちゃんが骨折しちゃって備蓄の薬草の類がかなりの勢いで減ってるの。買っても良いんだけど、節約したいし暇なら森に行って探してきてくれない? ついでに山菜なんかあったらそれも取ってきてくれないかな?」

「お前、ここが森どころか湖も無い平原にある村と解っての台詞だろうな?」

「うん、兄さんなら数十キロ走っても平気でしょ? 鍛えてるんだし」

「…………数十キロを鍛えているの一言で済ます気か。しかも思いっきり走らせるつもりだな。もう昼近いぞ、遅くなる前に」

「帰ってこれるといいね。はい、これ籠ね。無造作に入れるとつぶれちゃうから気をつけてね」

もうすでにバートが薬草を取りに行くことは決定事項であるようで、どさりと背負うタイプの円柱の籠を渡された。
無理に拒否をする事ができる事は出来るのだが、

「兄さん一人断食したくなかったら行ってきてね」

「くっ」

屈するしかなかった。





走る、走る。
自分自身が風になったように、バートは走り続けた。
そもそも暗くなる前に帰られなくても野宿すればいいのだが、ある意味コレは妹からの挑戦である。
籠一杯に薬草と山菜を取り、なおかつ夕暮れ前に帰れば勝ちである。

「兄の偉大さ、とくと知るが良い」

走りながら無駄に尊大な言葉を呟くと、さらに足の回転を速めた。
すぐ一秒後、こけた。
半分足の回転を制御しきれていなかったようで、足に絡まった何かに対して踏みとどまる事も振り切ることも出来なかったのだ。
ガリガリと音を立てて顔と接吻をし続けるバートに、とても冷静な声がかけられた。

「目標物体補足後、捕縛に成功。貴様に質問したい事がある」

「…………」

足に絡まった何か、それを仕掛けたのは話しかけている恐らく少女であろう。
だったならば、何故地面に顔からつっこんでいるバートに対し、冷静に質問などが出来るのだろうか。

「走りつかれて休息中に申し訳ない。質問したい事があるのだが、起き上がって顔を向けてくれるとこちらとしてもありがたい」

「…………」

「三秒以内に起き上がってくれると、私も初対面の人にこれ以上の攻撃行動をしなくてもすむのだ」

「そうだな。俺も初対面ながらお前に攻撃行動をしたい衝動にかられているぞ。人間を百パーセントの力で殴ったらどうなるか、久しぶりに見たい気分だ」

ゆらりと立ち上がったバートの顔からはどくどくと血が流れており、こけた時の勢いが伺えられる。
だがバートの前に立つ少女はその血が目に入っていないかのように眉をしかめる事すらしない。
色々な意味で変わった少女であった。
青いマントは青みが掛かった髪とあわせているようで、白い袖なしのブラウスと同じく白く短いスカート。
かなりの軽装ではあるが、駆け出しの冒険者ならば普通だろう。
最も目を引くのは腰のホルダーに何本も挿してある、様々な色の液体が入った小瓶である。

「私に出会えて喜び勇んで出血している所申し訳ないが、止血ぐらいはしたほうがいいと思う。目障りだ」

「お前は百度人生をやり直す必要がありそうだな。それと、これはなんだ」

これとは、バートの足に絡み付いているこけた原因、スライムである。
片足を上げて絡みついたソレを見せると、少女は黙って小瓶を取り出してそれを収納してしまった。

「私の相棒だ。これでも一応、冒険者なのだ。職業はまあいいだろう、とある人を探してこの先の村へ行く途中だ。迅速に答えろ」

「…………」

今度は無言でリトにするようにアイアンクローで顔面を掴んだ。
若干リトにするよりも力を込めるが、この少女はうめき声一つ上げない。

「初対面でいきなり暴力を振るうとは……慰謝料と言う物を知っているか?」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ!!」

叫ぶとともにバートの右手が彼女の意識をこそげ落とした。





少女が再び意識を取り戻した時には、そこは街道などではなく薄暗い森の中であった。
実際は円形に切り取られた空に茂る枝しか見えていなかったが。
しかも、何故か大きな籠の中に押し込められており、安易な想像が頭を駆け抜けた。

「まさか偶然道を尋ねた男が性犯罪者で殺人もいとわないとは。たしかに人を一人や二人は殺している顔だった」

「おい、馬鹿。くだらない想像をしていないで手伝え」

籠を覗き込んできたのは、もちろんバートであった。
その両腕には薬草や、山菜が所狭しと抱えられており、想像がさらに頭を駆け抜ける。

「まさか薬までやっているとは……となるとこれから私は薬漬けにするつもりで連れてきたのか? 愛らしい容姿というのも問題だな」

「手伝えって言ってるんだよ」

「いくら我が身が可愛いとはいえ、少女が男のなぐさみ」

「いいから、そこから出ろ!」

バートが籠を蹴り上げると、もちろん籠が倒れ少女が転がり出てきた。
そのままコロコロと転がり、流れるような無駄の無い動きで立ち上がった。

「……なんか何年も練習したかのような動きだったぞ」

「習得するのに三年使った。実践する機会を与えてくれたことに感謝する。では」

「ちょっと待て!」

何事も無かったかのように立ち去ろうとした少女の襟首を掴み、引き止める。
あいかわらず何を考えているのかわからない無表情で少女は振り向き、大層迷惑そうに溜息をついた。

「私は人を探して先ほどの街道の先にある村に行くつもりだっただけだ」

「とりあえず色々聞きたいから、ふざけた足払い等忘れてやる。あの街道の先にあるのは俺のいる村だ。お前の用のある人物に心当たりがあるかもしれん。言ってみろ」

「うむ、やっと貴様から合理的な言葉が出たな。最低限の常識があるとわかって安心したぞ」

「俺はお前の常識の無さが信じられん。言っておくが俺達は初対面だぞ?」

これがリトであったなら暴力で片が付くが、先ほどのアイアンクローの結果相手の意識を刈り取るだけになる事は間違いない。
怒りで打ち震えながらも、珍しくバートは耐えていた。

「その歳で前世からの出会いでも期待しているのか? 哀れだな」

一秒で決壊したが。

「いいから、詳しく話せ! 俺にも我慢の限界が……もう三度切れた。いいから話せ、それとこのスライムはなんだ!!」

「実は以前とあるフロアマスターについた所、面白半分でスライムの魔石をとりつけられてしまったのだ。もちろん力では敵わないので、料理にしびれ薬を混ぜて都会の裏路地に捨ててやったが。真っ当な人生を歩けていない事を切に願う」

「とりあえずお前の人となりは理解した」

「理解してもらえて嬉しいぞ。とりあえずそのおかげでスライムが何処までも追いかけてくるようになり私は決心した」

「魔石の力をリセットするアイテムでも探すのか?」

「いいや、違う。所詮人となりを理解したと言葉にしてもその程度か」

別に嘲笑しているわけではなく、思った事をそのまま口にしているだけだろう。
相変わらず少女の表情は動いていなかった。

「私はこの状況を前に、あえてスライムマスターになる事を決めた。月の迷宮に存在する全てのスライムをこの手に。そしてゆくゆくは世界をこの手に、私は魔王となる!」

「いや、なんて言うか。数百段跳ばしてステップアップしたぞ? 最初から会話がおかしかったが、一気に修正不能なほどに決壊したぞ?」

「何を言うか。スライムこそは魔物緒基本。基本こそ奥義。ゆえにスライムを窮めればおのずと魔王を極めた事と同じだ」

「…………で、結局俺の村と魔王と何の関係が?」

たくさんの間をもってバートが聞いたのには、多少心当たりがあったからだ。

「あの街道の先にある村には、魔王の側近と名高いフロアマスターがいるらしい。そう遠くない未来にめぐり合うとはいえ、速いに越した事は無い。それに私はまだ十階へ到達していないので、その点も丁度良い」

「…………」

どう答えたものか、バートは少女と出会ってから数度目の沈黙に陥った。
まずこの性格からして他のフロアマスターはこの少女を弟子になどしないであろう。
しかも今自分は、リトが骨折で暇な身であり、リトに仲間との連携を教える相手にも丁度良い。
なによりも、目指しているのがスライムマスターである。
月の迷宮の奥にいるあいつが好きそうな面白さである。

「俺がそうだ」

「意味が解らない。端的に述べれば全てが格好いいなどと思うな」

「俺がそのフロアマスターだって言ってるんだよ!」

またしても、バートのアイアンクローが無表情なこの少女の意識をこそげ落とした。