目の前の二匹のコロスボックルを相手にしているリトの背後から足音が聞こえた。 ドスン、トスンと決して速くはない足音がリトの背後から近づいてくる。 その足音の主はダンッと音が響き渡る程に大地をけり、その手の中のハンマーを振り上げた。 振り下ろされるのと、振り向いたリトが鉄の杖を向けるのは同時であった。 「ギョホゥアー!!」 「逆襲の炎矢ッ!」 先に届いたのは、リトが放った炎の方が先であった。 「ギヨォォォー!」 ブスブスとこげる音を立てながら憤り大工さん、コロスボックルが大地に沈み、振り下ろそうとしていたハンマーは目標を見失って通路の奥へと飛んでいった。 そのまま重力に退かれて元持ち主と同じように地面に落ちた。 「さあ、次に眼を放した隙に焦げちゃった料理みたいになりたい毛むくじゃらは誰ですか!」 「ギョワ!」 「ギョワ、ギャゥワ!」 リトに杖の先を向けられた二匹のコロスボックルは、お互いにお前がいけよと言っているようにも見える。 そして同じ結論に達したのか、同時に逃げ出した。 ドスドスドスとその足音と姿が迷宮の奥へと消えてから、リトは鉄の杖を降ろして一息ついた。 それは疲れたといった意味ではなく、たんに一仕事を終えたという様であった。 「センセー、見てくれました? 逃げ出しちゃいましたよ。こんなこと一階でも二階でもなかったことです。強くなってますよね、私」 「まあまあ」 「本当ですか?!」 「なんて俺が言うと思ったか?」 喜んだのもつかの間、師の容赦ない言葉にリトはうなだれた。 酷く納得がいかなかったからだ。 「なんでですか?! ほとんど無傷で勝って、センセーはこれ以上何を望むって言うんですか?! 納得できないです。これならもう次の階へ言っても十分戦えますよ!」 「次の階ね……次の階の敵がなんだか知っての台詞か?」 「そりゃ、最初は苦戦したりするかもしれませんけど……大丈夫です。私最近すっごく調子いいんですから!」 少し向きになっているのかガルルと唸りながら襲ってきそうなリトを見て、バートは溜息をついた。 リトは今、病気にかかっている。 それは駆け出しの冒険者が良く掛かる病気である。 得にそれは一つの壁を乗り越えた直後に掛かる事が多く、やればできると言う考えが、なんでもできるとすりかわる病気である。 「となると、対処方法は一つか。いいぜ、次の階へ。四階へ行くぞ」 「へ? だって今……」 「行きたくないのか?」 どっちなんだと忌々しげに呟かれたが、リトにとってそんな事は小さな事であった。 次の階へ次の階へ、そしていつか十階を抜け一人前の……リトは腹の奥底から元気良く答えた。 「もちろん、行きます!」 リトには三階から四階に移動したからと言って、特別何かが変わったようには思えなかった。 薄暗く多少息苦しい洞窟であると言う認識は、これまでとほぼ同じであったからだ。 とてもバートが言うほどに危険が増しているようには思えなかった。 だが、ここの敵が何であるか聞くぐらいの臆病さはさすがにあった。 「センセー、四階の敵ってなんですか? これまでスライムに荒くれウサギに、コロスボックル。無力、非力な速さ、怪力の遅。次はどんなんですかね?」 「……こっからは本当に気を引き締めろ。今までと同じだと思ってると本当にやべぇぞ」 いつになく真面目な顔で言ったバートの言葉に、リトは音を立てて唾を飲み込んだ。 「四階からはその全ての敵が出る。スライム、荒くれウサギ、コロスボックル。全部だ」 「はぁ……それだけですか? センセーが真面目に言うから肩透かしですよ。もう、新手の冗談ですか? まあ一応五階は明日からって事で勘弁しときます」 「その明日があればな」 「またそうやって安易に人の不安を煽ろうとして、一階にいた頃とは違います。ひっかかりませんよ」 ヘヘーンと笑ったリトは、得に警戒もせずに階段を降りて、通路を一人進んでいく。 さすがにバートから完全に離れてしまう事は無いが、大抵のことなら対処できると言う自信があったからだ。 キョロキョロと辺りを見渡して、実力を示せそうな敵を探す。 「ぎゃ、スライム発見。でも、やだなぁ〜……でも、えい!」 床にへばりついていたスライムを見つけたようで、嫌そうな顔をしながらもその核を鉄の杖で潰した。 「本当にこれまでの階の敵がいるんですね。でも、今のリトちゃんなら、楽勝楽勝!」 無意味に自分を鼓舞して右手を上げると、再び行く先も明確にしないまま歩き出した。 何故かいつもは放置主義のバートがぴったりと後ろから付いてきている意味も考えずに。 「センセー、本当にこの四階がそんな怖い場所なんですか?」 「さあな……」 「ムッ、なんですか。なんなんですかさっきから。別に今更あいそうよくなれとは言いませんけど」 どうもリトにはバートの態度が不可解らしく、会話を諦めてモンスター探しに没頭し始めた。 だが出てきて欲しくない時には、呼んでも出てこないくせに、出てきて欲しい時には出てこないものである。 結局最初のスライムを倒してから次のモンスターを見つけるまでに三十分ほど無言で歩き続ける事になった。 しかもその相手は…… 「荒くれウサギとコロスボックル一匹ずつ。微妙にしょぼいですが、先に真っ黒こげになりたいのはどっちですか?」 鉄の杖を突きつけながら言うが、襲ってくる気配はみられなかった。 ならばと突きつけた鉄の杖の先端に炎が灯る。 「来ないのなら、こっちから行きますよ。先手滅殺の炎矢!」 荒くれウサギとコロスボックルに炎の帯が伸びていく。 それはそのまま二匹のモンスターをまとめて焼き尽くすかと思われたが、二匹とも左右バラバラに避けてリトに向かい始めた。 「避けるなんて生意気!」 先にリトへと飛びかかったのは、足の速い荒くれウサギであった。 だが戦闘経験ならリトは対荒くれウサギが一番多く、慌てなかった。 ドスドスといずれたどり着くであろうコロスボックルに注意を向けながらも、スッと一方動く事で避けた。 そして戦いの感覚をコロスボックルへと向けて、体も向けた。 が、思いのほか早く体を切り替えしていた荒くれウサギが、リトの無防備な背中へと体当たりを食らわせた。 「なっ!」 全く考えの範疇に無かった背中からの攻撃に、リトは明らかにバランスを崩していた。 そこへコロスボックルのハンマーが落ちた。 ビリビリと揺れる迷宮内で、ハンマーは地面に軽いくぼみを形成していた。 「あ、あぶなかったです」 間一髪ギリギリかわしたリトは、仕切りなおすようにして鉄の杖を目線の高さに上げて構えた。 「ちょっと油断しちゃいました。でも、次はこうはいきませんよ!」 二匹のモンスターに向けて、リトが走り出した。 その顔は楽しそうに笑っており、まるで戦いを楽しんでいるようにも見えた。 少し前のリトからは想像も付かない表情である。 そして次の瞬間、その顔がいつか見たことのある顔に戻っていた。 「へっ?」 走り続けるために地面を蹴り続けていた足が、ズルリと何かを踏みつけ不自然に伸びたのだ。 それはいつのまにか足元にいた一匹のスライムであった。 バランスを崩すと言う生易しいものではなく、数秒後には確実に転倒するだろう。 そこまで悠長に考えていられたかはともかくとして、リトはあらん限りの力を振り絞って耐えようとした。 だが、そんな好機を荒くれウサギとコロスボックルが見逃すはずも無かった。 気が付けば目の前まで迫っていた荒くれウサギが、なんとか踏ん張ろうとしているリトの腹に思いっきり体当たりをして止めを刺した。 背中から転倒し、肺の中の空気が口から一気に吐き出された。 軽い呼吸困難、そして振り上げられたコロスボックルのハンマー。 足から脳へと閃光のように駆け抜けた激痛に対して、叫ぶと言う簡単な行為を行うしかリトには選択肢が無かった。 「う、うぁぁぁぁぁ。足、あ……セン、あぁっぁぁぁ!!!」 頭や腕ならば命は無かったであろう。 足だからこそ、バートは叫びがあがるまで全く動かなかった。 その結果、リトの右足がありえない方向に曲がっていても。 「だから気を引き締めろって言っただろうが」 暢気そうではあるが、その一言はとても冷たかった。 この程度は予測していたから、であろうか。 「痛ッ……痛い…………あう、ううぅ」 「覚えて置けよリト。月の迷宮で油断なんてしていはずがねえ。満身していいはずがねえ。いつでも臆病すぎるほどに臆病でいろ。今回の事はいい経験になるはずだ」 「センセー……センセー…………」 「ちょっと待ってろ」 足を押さえて泣きながら自分を呼ぶリトにそう言うと、バートは自分の剣を抜いて荒くれウサギとコロスボックルに向けた。 逃がさないとばかりに威嚇している。 「まあ、俺が仕向けたとはいえ、実行したのはお前らだ。死ね」 完全に八つ当たりに近い行為だが、風が吹き、二匹のモンスターは細切れとなって落ちた。 バートの剣は威嚇した時と同じような格好で止まっていたのだが、そのまま鞘に戻して、リトのそばにしゃがみ込んだ。 痛みを押さえつけるかのように折れた足を抑えている手を優しくどけると、骨の様子を確かめる。 「イッ!!」 「骨と骨がズレてはいないな。綺麗に折れてる。余計な治療は必要ないか」 落ちていた鉄の杖の長さを確かめて、丁度良いかと骨折した足に添えて布きれを巻きつけた。 応急処置の心得はあるが、骨折ともなるとさすがにバートも経験からのみようみまねであった。 撒き終わると、できるだけ刺激しないようにしてリトを背負う。 「センセー……痛い、です。頭がごちゃごちゃで痛いって、言葉が……洪水みたいに」 「リト、俺が四階を敬遠したのは、お前の増長が怖かったのもある。だがな、一種類毎のモンスターの攻略と、同時攻略は違うんだよ。赤と青を混ぜたら赤と青のまだらじゃないんだ。紫に、又別の色を混ぜたら変化する。戦い方を変えなきゃならん」 「うう…………」 「でもまあ、悪かったよ。もうちょっと他に方法があったかもしれない。俺も、まだまだだな。師匠として」 「私も…ッ!!」 少し揺れたのか、再度襲った激しい痛みがリトの意識を刈り取っていった。 クタリとバートの背中に全てを預けて倒れこんだ。 「難しいよな、本当に……」 |