The Moon Labyrinth

第十九話 方程式


洞窟という物は、階が変わればより深くなるにつれ、その空気がねっとりと重く息苦しい物となる。
とは言っても、地下一階から地下二階に変わったぐらいでは、その程度も知れるというものだ。
未だ初級冒険者であるリトにとってもそれは同じことなのだろう。

「三階に到着です!」

階段を折りきると、初めて二階にたどり着いたときと同じ言葉を発し、両腕を上げてその意気を示した。

「その程度でテンションを上げられるお前が、不憫でならないのだが」

「だれが月の迷宮が似合わない程にか弱い美少女ですか!」

「それは怒るところか?」

尋ね返している物の、バートはどうでも良いという態度で後頭部を掻いている。
本当にどうでもよかったのだが。

「センセー、それでこの階の敵はどんな奴ですか?」

「勝手に行って殴られてくればいいだろう? どうせ、いつもそんな感じで被害にあってから教えてたわけだし」

「被害にあいたくないから先に聞いてるんです! センセーの助言が遅いのはもはや明確な事実、そのおかげで一階ではスライムに溺れて、二階では集団でうさぎにリンチされ」

「だから急に教育の方法を変えられても戸惑うだろ? だからいつものようにやられて来い」

迷いなく洞窟の奥を指差したバートに、リトは睨むように師を見上げた。

「センセー、私の事嫌いですよね? 私もセンセーの事嫌いですからお相子で、そこはどうでもいいんですが。やっぱり師弟愛とか」

「だから与えているだろう? ムチとムチ、愛のムチだ」

「なんかムチに無理やり愛をとってつけたようですよ。それと飴玉はどこに落っことしてきたんですか?!」

「自分で食べた」

「落としたより酷いじゃないですか!!」

「しかもこれ見よがしに、目の前で」

「もっと酷い、食べ物の恨みで呪い殺されそうになっても不思議じゃないぐらいに!!」

精一杯肩を怒らせたリトの台詞に、バートはふむと呟いて手のひらを顎に当てた。
その間数秒、顎から手が離れた。

「よし、行って来い」

「何も変わってないじゃないですか。思わせぶりな今の間は?!」

「いいから、行って来いって言ってるんだよ」

これまでのやり取りとは明らかに声質を変え、コキコキと右手の指を曲げて音を鳴らす。
これ以上食い下がれば、実際に愛のムチ、アイアンクローが飛び出す事になるという意思表示だ。
以前の荒くれウサギ惨殺事件では、そのアイアンクローで荒くれウサギを一瞬にして握りつぶしていた。
ポンポンと常用するわりには、必殺の威力があり、リトは腰が引けた。

「絶対そのうち呪い殺してやりますからね!」

泣きながら階段から、洞窟の奥へと向けてダッシュする。

「あ、一応言っておくが。三階からは運が悪いと死ぬ事もあるからな。今までと同じと思ってると死ぬぞ」

「え?」

やけに忠告がクリアに聞こえ、立ち止まり振り返ったリト。
その直後、背後でドスンと重いものが振り下ろされ、地面と衝突した音が響いた。
あのままダッシュしていれば、自分が居たであろう場所から。
冷たい汗が背筋を流れた。

「なに、これ」

その物は、木造りのハンマーであった。
トンカチではなく、ハンマーである。
よく自重を支えていられるなと思える程に細い柄、その先にくっついている三十センチはあろう頭。
ハンマーを持っているのは、身長五十センチぐらいの毛むくじゃらの生物であった。
三角おにぎりに短い手足と、ギョロついた大きな目をつけた化け物であった。
リトをしとめそこなった事を憤っているのか、フーッと荒い息をついて毛が揺れている。

「なにこれー!!」

「憤り大工さん。まあ、これは通称だが。本名はコロスボックル。あのハンマーで頭殴られると、頭蓋骨行くぞ。一階、二階で月の迷宮を舐めてた初心者がよく死ぬポイントだ」

「死ぬ、死んじゃえセンヒェーッ!」

「ギョワエェェ!!」

喋っている間に憤り大工さん、コロスボックルが悲鳴のような叫びを上げてリトにハンマーを振り下ろした。
反射的に頭を押さえながら、逃げる。
またしてもリトが居たであろう場所に、大きなハンマーが落ちた。

「お前いまさり気に俺に死ねって言おうとしただろう」

「話しかけないでください、避けられるけど怖いんです。相手の顔が。それと本音が漏れただけなんです!」

「……いまさらの本音だがな。不問にしてやるが、戦いながら聞け」

「無理ですワァーーッ!!」

叫びながらも、リトはコロスボックルのハンマーを難なく避けていた。
確かにハンマーの威力はすごいのだが、実はコロスボックルは動きが遅い。

「冒険者が月の迷宮で生き残って、なおかつ突き進むにはある条件がある。俺はそれを冒険者の方程式と名づけた」

「この、いい加減にしなさい〜の炎矢!」

「ギニョワァーー〜〜〜……」

結構重要な事を言おうとしているようだが、あまりリトは聞いていない。
一匹倒したのは良いが、今の叫びが助けを求める声だったのか、今度は二匹連れ立ってコロスボックルが現れた。

「くっ、卑怯な。正々堂々と戦ったんですから、勝者に尊敬の念を抱いて、こんなチンピラみたいなアーーッ!!」

「ギョワギョワ、ギョワラー!!」

「ギョギョギョ」

「まずは逃げる事。毛の先程でも勝てないと思ったのなら、逃げろ。意志ある魔物なんて稀だ。人を襲う事しか知らない相手に命を賭けて戦うなんて馬鹿だ。だから、まずは逃げろ」

「復讐なんて憎悪が憎悪を呼ぶ〜の炎矢!!」

くどいようだが、リトは戦いに夢中で聞いていない。

「そして次、逃げ切ったのなら努力だ。力が足りなければ力を、速さが足りなければ速さを。足りない物を身に付けろ。それでもダメならば、相手の弱点を必死に見つけろ。卑怯でも姑息でも、どんな手を使っても魔物相手ならば、訴訟を起こされる事もない」

バートが長々と説明している間に、二つ目のコロスボックルの焼死体が出来上がる。
3匹目は、さすがに一瞬逃げる事を思いついたようだが、憤りの名の通りそれを押しとどめたようだ。
ハンマーを握る短い手が、力を込めて膨れ上がる。

「最後、勝利。先の逃げると努力を繰り返せば、必ず勝てる。勝てない奴はこの逃げると努力ができなかったものだ」

方程式というよりは、三原則のような気がしないでもないがバートは右手拳を強く握っていた。
その間にもリトは、コロスボックルと間合いを取り合い、お互い必殺の一撃をいかにぶつけるか様子を伺っていた。
動いたのはコロスボックルだ。
この辺りは魔術師が受け身であるだけに、リトも予想済みであったようだ。
振り上げられたハンマーの軌道を予測し、避ける。
ハンマーが重く強力な分、コロスボックルはハンマーをたたきつけた後しばらく動けない。
リトもそれには気づいていた。

「やっぱり思った通り〜の炎矢ッ!」

避けながら突きつけた鉄の杖から、炎があふれた。
一メートルも離れていないコロスボックルへと炎が伸び、燃え上がる。

「無傷の勝利がウィン。どうですかセンセー、百点満点ですよ。こんな所で死ぬなんて相当なお馬鹿さん。これならさっさと四階に突入しても問題なしですよ」

「つまらん」

「は?」

喜びすぎて小躍りしそうになっていたリトが、止まる。

「なんて言うか、これまでのパターンだとまずお前が手ひどくボロ雑巾になる。そして俺からのイジ……特訓である程度強くなる。それでもまだ弱っちくてボロボロになりながらなんとか勝利ってのがお前だろう!」

「だろうと指摘されても……虐めをとっさに特訓って言いなおしてますし」

「いいや、そんな事は小さな事だ。ちくしょう、俺を裏切りやがって。きっとお前は憤り大工さんの一撃で気絶するから、耐えられるように木につるしてサンドバックの特訓とか。普段から無意味にハンマーで殴るとか色々考えていたのに」

「…………」

「ちくしょう、裏切りやがって。サンドバックの袋造る時に針で指さしたんだぞ。ハンマーなんて一本の木から削りだしたんだぞ。どうしてくれるんだ俺の努力」

「言葉もないですけど、センセーもその努力を他へまわせたら、世界はもっと平和でしたよね」

あまりの嘆きっぷりにリトは怒りを通り越して、哀れみをもってバートを見た。
ぽんぽんと嘆く師の背中をリトが叩くが、やめろと叫ばれ手を振り払われる。

「お前なんかリトじゃねぇ。こんな所に置き去りにしても、きっと平気で生き残るんだ。リトだと証明したけりゃ、死んでみせろ!」

「って、あ。無茶を言って置いていかないでください!!」

「お前なんか弟子じゃねえ!!」

バートは洞窟の奥へ奥へと走っていき、すぐにその姿が見えなくなってしまった。
追いかけようと一歩を踏み出したリトだが、そこで立ち止まる。

「でも、追いかけるのも危ないですよね。……二階で今日のおかずでも獲ってようかな。そうすればそのうちセンセーも戻ってくるだろうし」

そう言って、降りてきた階段を登り始めた。
二階ならば不用意に死ぬような事はない。
そして確かに、バートはしばらくしてから戻ってきた。
何故か頭に巨大なたんこぶと、噴出すような流血をしながら。
油断、なのだろうか。
無言でとぼとぼと歩く師の後ろを、リトは捕獲した荒くれウサギを数匹縛り上げて着いていった。