それはとても静かな時間に訪れた。 バートとリトは月の迷宮へ出かけ、アルマが留守番をしている時に玄関がノックされた。 ドンドンではなく、コンコンと言う音からノックの主が女性だと知れる。 「は〜い、すみません。ちょっと待っててくださ〜い」 三角巾を被り、手にハタキを持っていたアルマはノックに応えると、ホコリにけりをつけてから玄関に向かった。 「どなたですか?」 田舎だからと片付けてしまうほど無警戒に開けたドアの向こうには、少し驚いた顔のメリルがいた。 「あ、メリルさんいらっしゃい。兄さんはいつもの通り、リトちゃんと月の迷宮ですよ?」 「それは承知の事ですが。アルマさん、一応尋ね人が誰か確認してからドアを開けても遅くはありません。危険な人だったらどうするつもりですか?」 「危険?」 それは田舎娘と都会の富豪の娘の違いだろう。 言葉は通じても、意味が通じていない。 「危険ですか?」 少し熟考してから再度聞き返すアルマに、メリルは少し心配そうな顔となった。 「理解はしなくて良いですわ。ただ、今後は誰が尋ねてきたか確認してからドアを開けてくださいね」 「はあ、解りました。それで、今日は兄さんがいないって解ってて?」 「以前お話していた物が手に入りましたので、お持ちいたしました」 メリルはバッグの中から、小さな小瓶をいくつか取り出した。 瓶ではない、装飾の施された、あえて形容をつけると可愛い小瓶である。 中身は液体である。 「あ、この前のが出来たんですね。どうぞ、入ってください。今お茶でも入れますね」 「それでは、お邪魔いたします」 メリルが持ってきたのは香水だった。 以前リトとアルマが吟遊詩人のことでメリルの家に言った時に頼んでおいた物だ。 アルマはお茶を用意すると、さっそくその香水を受け取り試そうとする。 服の袖口をまくり、噴射口を手首に近づける。 「お待ちください。香水は一種類ではないのですから、いきなり体につける事はないでしょう。それでは匂いが混ざって何がなにやらわからなくなりますわよ」 「え? あは、そうなんですか?」 照れ笑いで恥ずかしさを隠すアルマに微笑むと、メリルは小瓶と一緒に持ってきた紙切れを取り出した。 香水をその紙切れにしみこませ、仰ぐようにしてアルマの鼻腔に寄せる。 「良い香り、なんですかこれ?」 「これはラヴェンダー、基本ですわね。今日はとりあえず基本的なものを用意しました。このラヴェンダーとバラの二つですわ。あとは、香水に関する本です。最低限の知識は必要でしょうから」 「ありがとうございます。本当にもう、何から何まで」 「いえ、これぐらいはなんとでも」 涙を流して喜びそうなアルマに嬉しくなり、メリルは自然に笑みを返した。 テーブルに出されたお茶を一口ふくみ、何気なしに家の中を見回した。 メリルがこの家に来るのは、二回目であるが入ったのは初めてであった。 前回バートに連れられてきた時は、屋根がリトによって吹き飛ばされ、自分の相手をしている余裕がバートになくなったのだ。 「アルマさんは、この時間はいつも家にいるのですか?」 「買い物に言っている時もありますけど、大抵は家にいますよ。どうしてですか?」 「いえ、ハタキがそこにおいてありましたので、掃除でもしていらしたのかと」 「あ、バレちゃいました? 一応隠したつもりなんですけど」 何故隠すのかときかれれば、綺麗にしている所を見られるのはなんとなく恥ずかしいからとアルマは答えるだろう。 綺麗にしているねと言われれば嬉しいが、その綺麗にしている所を見られるのが恥ずかしい。 掃除をするものにしか解らない、微妙な心理である。 「兄さんあまり掃除をするとか、過程的なことはあまり向いてなくて。私がやらないと凄い事になっちゃうんですよ。私が一度風邪を引いたときには、治してからが本当に大変でした」 「唐突ですが、外に遊びに出かけるなどという事は?」 「外にですか? あまりないですね。家事が有りますし、私あまり友達がいないもので。昔から家事をしていたから、付き合いが悪いって言われちゃって。あ、でも兄さんが連れてくる弟子の人とか、顔は割と広いかもしれないですね」 努めずとも、明るく話すアルマだが、一つ聞き捨ててならぬ事があった。 友達が少ない、それは女の友達を指しているのかもしれないが、男友達の方はなおさらで問題である。 「またしても唐突ですが、アルマさんそのお友達に男性の方は?」 「男友達ですか? この村にはいませんね。兄さんの弟子のなかには仲良くなった人もいますけど、何故か兄さんが不機嫌になるので友達……なんですかね?」 質問の意図が見えないが、律儀に答えてくるアルマにメリルはお茶の入ったカップを持つ手に我知らず力を込めていた。 一言で言うと、まずい。 二言で言うと、かなりまずい。 おそらくアルマは家の事が忙しすぎて、彼氏とか結婚とか一欠けらでも考えた事がないのだろう。 それはまずいのだ、メリルにとって。 (まずいですわね。珍しいぐらいに純粋と言いましょうか。バート様がいるから家事に時間をとられ、彼氏を作る気もない。結局バート様は結婚できず、アルマさんは家事に時間をとられる。悪循環ですわ) そう、バートとメリルが結婚する最低条件は、アルマの結婚。 弟子の冒険者と仲良くなった時にバートの機嫌が悪くなったのは、真っ当な男でなかったからだろう。 性格ではなく、仕事がであろうが。 (話すなといわれましたが、後押しするぐらいは構わないでしょう。と言っても急にお見合い等言い出しても不自然ですし) お茶を飲みながら色々と算段するが、特別な手が思い浮かばない。 だが、きっかけは以外にもアルマからもたらされた。 「でも本当に唐突にどうしたんですか? あ、もしかして兄さんとメリルさんが結婚したら、私をどうするかって話ですか? まあ、確かにここにい続けたら、色々と居心地悪いことも有りますよね」 「居心地?」 一瞬何のことだか、わからなかったがそれに思い至った途端メリルの顔が真っ赤になった。 ワタワタと慌てて中身のなくなったカップを持ったり下ろしたりと繰り返す。 「いえ、決してそのような……」 「やっぱり一般的な家だけあって防音なんてしてないですし、困りましたよね」 「いえで、ですから……アルマさん、私の否定の言葉を聞いてくださいますか?」 「でも兄さん一人暮らしは認めてくれないだろうなぁ」 話が微妙にずれながら進んでいる。 「あ、それなら逆転の発想で、兄さんは入り婿形式でメリルさんの所に住んで、ここを完全に弟子の宿泊施設にしたらどうでしょう? なんなら、寮生の私塾にしてもいいですよね」 ズレながらも進んでいた話が、いきなり飛んだ。 一応は外しきっていないが、メリルには私塾が何を指すのかわからなかった。 「私塾、ですか?」 「うん、フロアマスターって別に一人一生徒とは決まってないんですよ。兄さんは面倒くさがって基本的に一人しか弟子をとりませんけど、場所によっては複数人、多ければ十人以上の弟子を取る人もいるらしいんです」 「それは、初耳です。ですが、結婚の話からなぜそこにたどりついたのでしょうか?」 「だって私まだ結婚なんて全然考えてないですし、人の世話するのが好きなんです。だから、ここを私塾にしちゃえば兄さんが出ていても寂しくないですし仕事として寮長になればいいですし」 全然考えていないという言葉に、明らかにメリルは固まってしまった。 それからもアルマは楽しそうに未来予想図を話しているが、メリルには届いていなかった。 途中二人の子供の名前を付けたいとも言っていた気がするが、メリルには届いていなかった。 そもそもにして、その未来予想図は前提条件に無理があった。 メリルとバートが結婚することである。 逆にメリルとバートの結婚条件がアルマが結婚することであるからだ。 「アルマさん、すみませんが急用を思い出しましたので、し……失礼します」 「あ、そうですか。清みません、一人で勝手に喋っちゃって、又着てくださいね。その時にでもまた私塾化計画を話しましょう」 「え、ええ。そうですわね」 返事に元気がなく、少しうつろになったメリルの眼が印象的だった。 その夜、アルマが思いついた計画をバートに話したところ、 「却下」 の一言で済まされた。 だが、アルマも単に却下されては納得できずに食い下がる。 「なんで、結構良い計画だと思ったのに。それに兄さんだって出来れば自分のお金でメリルさんを養いたいでしょ? 私塾にした方が儲かるじゃない」 「いや、まあ儲かるという点では否定はせんが……お前知らないのか?」 「なにを?」 本当に知らない時の返事の仕方に、バートは息をついた。 「あのなぁ、私塾を開くにはそれはそれでまた、フロアマスターとは別の資格がいるんだよ。それにその場合弟子の人数によっては別のフロアマスターと協力しなければならない。これは、フロアマスターの本質を考えればわかるだろう? 弟子の質を落とさないためだ。冒険者を量産したはいいが、九割死にましたじゃ意味がないだろ」 「兄さんの場合それは当てはまらない気がするけど……兄さんの弟子ってどんな人でも最後には化け物化して帰っていったわよ」 「いやまあ、それはそれで」 クルリと振り返って視線をそらす。 本当は、本当に面倒なだけなのかもしれない。 「なんでメリルとそんな話になったんだ?」 それを聞き出したバートは、三十過ぎるぐらいまで結婚できないんじゃないかと不安になった。 |