The Moon Labyrinth

第十七話 もういない?


きっぱりと言えば珍しい事だった。
リトがモンスターに追いかけられていることが、ではない。
またしてもリトが師であるバートとはぐれたのか一人でいることが、でもない。

「センセー、センセー、センセー、カバーッ!!」

走りながら涙やら、その他色々なモノを振りまきながら逃げる事が、でもない。
では一体なにが珍しいのか。
そんなリトを追いかけるモンスターがボスである事が珍しいのだ。

月の迷宮の二階、モンスターは荒くれうさぎ。
追いかけるために跳躍すると、洞窟内が振動に覆われるのは決して大げさなことではない。
跳躍するたびにドスンと盛大な音を出す荒くれうさぎのボスは、小さな馬車ぐらいはあるだろうか。
一階、二階と逐一ボスに出会ってしまうリトが、ある意味珍しかった。

「ハァ……くる、し…………魔王様! 貴方の未来のお嫁さんがとってもピンチです。この際、黒馬とかじゃなくていいんで、た……たすけてくださいーいッ!」

助けを求めた最愛の人からも返事はなく、薄暗い洞窟内にむなしく響き渡った。
聞こえてくるのはドスンドスンと言う絶望的な跳躍音と、乱れ狂う自分の呼吸音だけ。
リトは少しだけ叫び方を変えた。
おそらくは無意識のうちに。

「なんでいつも私だけッ!」

被害妄想とは似て、非なる叫びであった。





事の発端は、大した事ではない。
ただ出会ってしまったと言う事だけだった。
それを運命と言ってしまうには、大げさなぐらいにただ出会ってしまっただけだ。
だが出会ってしまった時は、リトはまだ一人ではなかった。

「セ、センセー、とっても嫌な、でもちょっと嬉しい出来事がフラッシュバック気味です。目がチカチカしそうです」

「まて、刺激するな。だが意志を強く持って、相手の目から視線をそらすな。こちらが自分より弱いと判断されたら、一気に来るぞ」

「はい、センセーと一戦やらかそうとする時の意気ですね」

微妙に釈然としない納得の仕方をされたが、今は、バートも何も言わなかった。
ボスと言う存在は、その体躯も違えば時には特殊能力を持つものもいる。
さすがに二階のボスが特殊能力を持つとは思えないが、油断するには体躯がでかすぎた。

「でも、センセー。にらみ合ったままじゃ、何時までたっても帰れませんよ?」

「んな事言われんでもわかるわ。いいか、少しずつだ。目をそらさず、意志を強く持ったまま、少しずつ下がれ」

リトが一瞬だけ横目でバートを見ると、ジリジリ足をすらせながら下がっていた。

「はい……こう、ですね?」

リトも痒そうに前足でまぶたの上辺りを掻いている、荒くれうさぎのボスを見据えながら下がる。
それはおおむね上手くいっていた。
まだこちらに関心のない荒くれうさぎのボスから徐々に距離をとっていっていた。

「よし、一定の距離をとったら一気に逃げるぞ。ボスと戦おうとする奴は馬鹿だ。だが、逃げ出そうとする奴は訓練された馬鹿だ」

「遠まわしに馬鹿だったとって、どっちにしろ馬鹿じゃないですか」

「目をそらすな、現に馬鹿!」

一瞬の気の緩み、リトは急いで視線を戻すが、荒くれうさぎのボスは、まだ襲ってくる様子がない。

「さっさと訓練されろ、馬鹿。人様に迷惑をかけるな。できれば両手足縛って海のそこに沈んでろ、馬鹿」

「センセー、いくらなんでも馬鹿って言いすぎです。愛を感じません。あ、愛ってご存知ですか? センセーが生まれてくる時に落っことしてしまった、人として崇高な生きる目的ですよ?」

バートがさすがに何かを言い返そうとしたとき、一匹の普通の荒くれうさぎがボスに近寄った。
言葉と言うものを持っているのかまではバートも知らないが、ボスは刀剣と同じぐらいのデカイサイズの耳を傾けていた。
まるで子供が大人に告げ口をしているかのような、そんな感じであった。
ボスの頭が相槌を打つように、揺れたように見えたのは錯覚なのか。

「センセー、嫌な予感しかしないです」

「この前の俺の惨殺事件を告げ口されてたりしてな」

ほんの少しだけ、肺から息が漏れた程度にバートが笑うと、ボスがこちらを見た。
いや、確かな意志を持ってバートを睨みつけた。

「ビンゴっぽいですよ、センセー。あのあの、メリルさんに生きていれば渡したかった結婚指輪とか、今持ってます? 目も当てられないぐらい無様で笑える死に様でしたって渡してあげますけど」

「今俺はお前に引導を渡そうかどうか、迷っている」

「イタイ、センセー! センセー、刺激しないようにって言ったのはセンセーですよ?! 今、めちゃくちゃ刺激してます。特に、私に!!」

久々のアイアンクローを決めていると、ボスが動いた。
完璧に視線をそらしていたためか、告げ口を聞き終わったせいかはわからない。
すべてを潰すような勢いで駆けて来た。
巨体に似合わず、そのスピードは衰えておらず、必死に開けた距離がドンドン短くなる。
距離にして二メートル、そこでバートは荒くれうさぎに視線を戻し、意志は意志でも殺す意志をもって見た。

「あぁ、やんのかコラ?」

言葉だけを読めばチンピラ、言葉を聞けば本章を現した魔王の側近。
月の迷宮内が数パーセント暗くなったのではと思うような低い声に、ボスの足が完全に止まった。

「やんのかって聞いてんだよ。おい、うさぎちゃんよぉ」

空いているほうの手でボスの顔を鷲づかむと、必死に顔を横に振られた。

「よし、懸命な判断だ。いいか、ここに一匹の獲物が見えるだろう?」

「あ、センセーさりげに不穏な言動を。愛弟子です。実は自分の色に育てきってから、センセーが手をつけようかなって思うほど可愛い弟子ですよ!」

「いいか、この馬鹿の匂いを覚えろ。迅速に、十秒やる」

「なんで言う事聞いてるんですか?! 貴方は犬じゃなく、私のように可愛らしいうさぎですよ!」

顔を寄せられ、フンフンと匂いをかがれリトはこの先何が待っているのか悟ってしまった。
嬉しくともなんともないことだが。

「覚えたな? ちょっと待ってろ」

そう言ってリトをアイアンクローから解き放つと、慌てて逃げ出したリト。
その十数秒後、バートは死神の鎌を振り下ろした。
リトが走っていった先を指さして呟く。

「追え」

地面が爆発したようにダッシュした荒くれうさぎのボスは、すぐにその姿を消した。

「つらいだろうが、これも試練だ」

誰もいなくなった現場でそう呟いたバートの顔は、明らかに笑っていた。
そしてさらに数秒後、自らも走り始めた。





「万力の〜爆轟ッ!」

ビー球サイズの圧縮された炎が、追って着ている荒くれうさぎのボスに向かっていった。
走りながらのため、あまり正確に狙えなかったのだがなんとかソレは直撃した。
広がる炎と煙にボスの姿は飲まれて消えた。
その間にリトは手ごろな岩の後ろに隠れて、ギュッと身を縮こまらせた。

すぐ後に炎と煙を突き破るようにしてそのまま直進していった荒くれうさぎのボス。
運良く煙かなにかで匂いを見失ったのかもしれない。

「もういない?」

リトがヒョッコリ顔を出した時にはその姿を確認できなかった。
すこしだけ安心し、逆方向へ走ろうとすると、荒くれうさぎのボスが去った方から声が聞こえてきた。

「見失っただとぉ? なんの為にその鼻と目と耳がついてんだ。飾りか? そいつは飾りか? 聞いてんのかコラッ!」

最後のコラの後に、何かが壁にぶつかり月の迷宮内が揺れた。
断じてバートがボスを殴って壁にぶつけた音だとは信じたくないが、おおむね間違いないだろう。
追われていたはずなのに、リトは荒くれうさぎのボスの身を案じてしまった。

「お互い不幸だと思ってください。迷宮で言えば人間のボスに出会ってしまった事を。センセーの特殊能力は魔王の側近降臨なんです」

涙を拭きながら走り出すと、すぐに後方から荒くれうさぎのボスの足音が聞こえてきた。
見つかるのはまだ早すぎる、だがそれ以上に足音が少し大きくなっているのは気のせいか。

「ほら、いやがったじゃねえか!」

「ギャーーーッ!!」

乙女が恥ずかしげもなく、汚い悲鳴を上げたのには理由があった。
まるで、馬を扱うように荒くれうさぎのボスにまたがり手綱を取るその姿。
異様でもあるが、人としてモンスターとの共存は避けて欲しかった。

「センセー、人としてそういう事だけは避けて欲しかったです!」

「はっ、俺とコイツはもうマブダチだ。だろ?」

バートが聞いた相手は荒くれうさぎのボスだが、恐々と目をそらした。

「俺達マブダチだよなぁ?」

言葉が終わるか終わらないうちに、バートの足が荒くれうさぎのボスの腹にめり込んだ。
涙を流しながら何度も頷いている。

「ほら」

「なにがほらですか! 可哀想じゃないですか、ほらうさぎさんも悪と戦う勇気を持って! 言いなりになっていては相手が増徴するだけです。最初は小さな、戦わずとも拒む勇気だけでいいんです。ほら!」

同じほらという言葉でも、リトの中には情があった。
虐げられし者の共通意識かもしれない。
それでも荒くれうさぎのボスは手を伸ばした。

その手が、繋がった。

「ふん……いいんだな?」

バートが背中から降りると、荒くれうさぎのボスとリトはコクンと首を縦に振った。
もう何が原因でこんな事をしているのかはわからなかったが、とりあえず戦い抜く覚悟は決まった。

「いいですか。勇気を持ったら、後は前に進むだけです。目を閉じててもいいんです。とにかく前へ、まっすぐ前へです!」

またしても頷いた荒くれうさぎのボスと視線を合わせ、少しだけ笑う。
再度バートを見据えると、待つのは始めの合図だけ。
その合図が何かは決まっていない。
誰かが瞬きをした瞬間かもしれないし、つばを飲むために喉を鳴らした瞬間かもしれない。

そしてソレは、とても意外な合図であった。
荒くれうさぎのボスが、飛び出すためにわずかに身をかがめた、それだけだった。

「うおぉぉぉぉ!」

「悪滅のぉ〜〜〜!!」

飛び出したバート、呪文を唱えだしたリト。
そして、間逆に飛び出し逃げ出した荒くれうさぎのボス。

「あれ、あれ?! 勇気は? そっちは後ろであって前進じゃ」

言いかけの言葉に荒くれうさぎのボスから返事はなく、必死に遠ざかっていた。

「だから……」

リトが残された場所に、生暖かい風が吹いた。
裏切り、重くのしかかるその事実にリトは言葉なく膝をついた。

「あれ? アハ、なんだろう眼から水が出てきましたよ? なんだろう、泣いてるの私? 笑わなきゃ、だってお日様に笑われるもん」

とめどなく涙を流すリトにバートは無言で肩に手を置いた。

「顔を上げろリト。たとえ結果がこうだとしても、お前はアイツを信じていた。最後まで。胸を晴れ、お前が信じ抜いた事実は消えない。だから、お前は胸を張って良いんだ……ぷっ」

最後の「ぷっ」がなければ、意味の解らない台詞でも適当に納得できただろう。
だが、出来なくなった。
したくなくなり、リトは言葉どおり顔を上げた。

「ぶちまけぇの〜〜〜〜〜〜、炎矢ッ!!」

一際大きな炎が、洞窟内一杯に広がった。