The Moon Labyrinth

第十二話 音楽


カチャカチャと控えめな音を立てて、水に沈んだ食器が音を立てる。
井戸から組んできた水を極力無駄にしないようにしながら、アルマは使用済みの食器を洗っていた。
時折楽しげに鼻歌が響くが、その中に別人の放つ異音が混じる。

「あ〜〜〜〜〜〜〜う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

先ほどまで食事をしていたテーブルでリトが唸っているからだ。
手元の紙に目をやり、時折ペンを走らせている。

「……なにしてるのかな」

残りの食器を手早く洗うと、アルマはそっとリトの背後へと回った。
覗き込んだ紙にはうさぎのような耳長の動物と、やけに可憐な少女が描かれている。
そこから様々の方向に矢印が描かれているが、間違いなく荒くれうさぎとリト自身を描いたものだろう。
絵の美的加減に多少……かなり現実との差があろうとも。

「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、だめだぁ」

「リトちゃんさっきから何してるの? 落書きしてるってのは解るんだけど」

「落書きじゃありません。いかにして効率よく相手の攻撃を避けるのか、実際に絵を書いてのイメージトレーニングです。これなら想像の翼が思考の大宇宙を優雅に羽ばたくのを防げます」

「確か兄さんが出かける前に言ってた奴ね」

実際には馬鹿でもできるイメージトレーニングと言っていたのをアルマは思い出した。
幸いというか、リトの頭の中にはその効果だけが理解されたようで問題はない。

「でもダメでした。いくら考えても効率のよい防御なんてそうやすやすと思いつかないです」

「やすやすと思いつかないのが普通だと思うけれど……攻撃に耐えられる様になるほうが先なんじゃないかな」

「絶対ヤです。アルマさんも一度噛まれて見れば解ります。めちゃくちゃ痛いです」

「犬にならあるけど」

控えめに呟かれたアルマの台詞に、リトが目をそらした。

「……そっちの方が痛いです。むしろ圧倒的に」

噛まれた当時を思い出したのか、リトとアルマがそれぞれ噛まれた場所を押さえて震える。
相当、恐怖になる程に痛かったらしい。

「おおおお、背筋が寒くありません?」

「思い出すんじゃなかった」

「ちなみに……その犬は今」

「兄さんが」

「それだけで大体解りました」

それはその先を言わなくても良いという意味だったが。

「何かしたらしく、この村から野良犬が一匹もいなくなったよ。みんな逃げ出して……ついでに飼い犬も、自力で逃げた数匹がいなくなった。他の動物もしばらくこの村から消えたし」

「本当になにしたんでしょう」

先ほどまでは違う意味でリトがブルブルと震えた。
どうやらバートの発する凶気は生物共通、全てに効果があるらしい。
余談だが、アルマが五歳でバートが十五の頃の話だ。

「あ〜、もうヤメヤメこんな話。気がめいっちゃうよ」

「そうですねぇ。と言っても、他には特に」

「ん〜なにかリトちゃんの気分転換になるような……そうだ、確か八百屋のおばさんが宿に吟遊詩人が着てるって言ってたわ」

「詩人ですか? 綺麗な、格好良い人ですかね?」

「そこまでは解んないけど、歌とか歌ってくれるかもしれないし行ってみよう」

田舎にあるこの村には、キッパリと娯楽がない。
大人であれば酒という手段もあるが、アルマもリトもまだ酒は飲めない。
よって二人の行動は早く、普段着のままにさっそく家を出た。





「え……いないんですか?!」

この村唯一の酒場を兼任した宿先で、リトは叫び声を上げた。
聞かされた内容に驚いたのはアルマもだが、まだリトよりは冷静だった。

「もう次の村へ行ったとかじゃないですよね? 此処に着て一日程度しか経ってないし」

「ああ、ごめんごめん。言い方が悪かったね。今は昼間で客もいないからって事で、丘の上の別荘、アーステリアさん所の執事につれていかれたよ。お嬢さんはここに聞きに着たがってたらしいけど、さすがに昼間とはいえ酒場はまずかったみたいだ」

笑いながら言った店主の言葉にリトはすぐさま反応する。

「それならメリルさんの所にいるんですね。アルマさん、さっそく行きましょう」

「う〜んメリルさんの所か……ちょっと」

珍しく人に対し渋るアルマにリトは首をかしげる。
バートのこともあり、アルマとメリルは面識が無いわけではない、むしろメリルは友好的だったからだ。

「もしかして、メリルさんの事が苦手なんですか?」

「苦手……うん、嫌いなわけじゃないんだけど、どう接して良いのかわからないの。将来兄さんと結婚したら姉さんになるわけだから」

「まあ……苦手という一点なら私も同じですけど、センセーと同類な所がありますし」

二人同時にため息をつくと、気を入れなおす。
わざわざ外にまで出たのだから、音楽を聴かずしては帰れない。

「リトちゃん、行こう」

「もちろんです。趣旨がなんだかわかりませんが、聴くために行くこれでいいです」





「こんにちわー!」

「ごめんください」

元気な声と控えめな声がそれぞれのテンポで響いた。
二人の目の前の大きな門が開いて出てきたのは一人の老人だ。

「おおこれはアルマ様にリト様、今日は如何様な理由でいらっしゃいますか?」

「あれ? リトちゃんはともかくとして、私は……初めてですよね?」

「主人の人間関係は全て把握しております」

「さらっと言いましたけど、めちゃくちゃ凄いことですよね」

「うん、いつの間にか似顔絵でも描かれたのかしら」

二人の言葉にも老人は照れもせず直立している。
かえってそれができて当然のことの様に思わせる態度である。

「えっと、村にきてた吟遊詩人の人がここに連れてこられたって聞いて、一緒に聴かせてもらえたらと」

「微妙に言葉が中途半端になってますよ、アルマさん」

「そうですね、村の娯楽を取り上げたと思われてはいけませんな。ご案内しましょう、どうぞこちらへ」

そうは言っても、普通の村人なら決して案内しないだろう。
言葉には出さなくてもそれぐらいはアルマとリトにも理解できた。
だがそんなことをわざわざ蒸し返す必要もなく、二人はだまって執事の後ろをついて歩いていった。
連れて行かれたのは、以前リトが訪れたのとはまた別の部屋だった。
音は漏れて着ていないが演奏中なのか、執事は二人に静かにしているようにと口元に指を当ててからドアを開けた。
曲が開かれたドアからあふれ出す。

「ふあ……」

「綺麗な音」

聞きほれる二人を置いて執事は部屋に入ると、ソファーに座っていたメリルにそっと耳打ちをした。
それから執事が去っても二人は聞きほれたままで、緩やかに曲は流れていった。
やがてその流れも緩やかに薄れていき、ふっと消えた。

湧き上がる拍手は三つ。

「すばわしいわ。私も高名な音楽家の人の演奏は何度も聴きましたが、決して劣ってはいませんわ」

「ありがとうございます。上だとは言ってくれないのは残念ですが」

「まだこれから伸びる。そういう風にとらえてください。またいずれ機会があって、その時十分に伸びていれば専属音楽家を欲している名家に一筆かいて差し上げてもよろしいわ」

「これ以上が本当にあるんですかね?」

「雲の上の会話ってこんな時に使うものだと思う」

微妙な褒め言葉に二人が突っ込んでいると、ようやくメリルが振り向いた。

「お待たせしてごめんなさい、リトさんにアルマさん。連れてきておいて、自分のお客を優先するのはどうかと思いまして」

「いえ、こっちも急にお邪魔しちゃって……私達も聴いてみたかったものですから」

(言葉使いが少し硬くなってます。本当にメリルさんのこと少し苦手だったんですね)

正直な感想をリトが感じつつ、二人はようやくドアを閉めて部屋の中に入った。
勧められるままにメリルのすわるソファーの横に座り込む。

「それではお客様が来たということで、最初からもう一度お願いできますか?」

「それはもちろん。聴いてもらうために私は弾いてますので」

再び吟遊詩人の細い指がリュートの弦にかかり、弾かれる。

「アルマさん、今日はバート様は一緒ではないのですか?」

「お昼ご飯を食べたら、どこかで出かけました。行き先は私も知りませんけど、暗くなる前には帰ると思います」

「そうですか、仕方ありませんね」

それっきり誰も喋りだすことなく、生み出される音楽に身を任せた。
ごちゃごちゃと頭で考える隙がないほどに、聞きほれる三人だがリトだけは少し違った。
時折体のどこかが痒い様にムズムズと動いている。
じっとしていられないというのとは少し違うように見える。

「あの……」

誰に対しての言葉なのか、メリルとアルマだけでなく吟遊詩人の人までもがリトを見た。

「チョロチョロと動いてもいいですか?」

「おっしゃる意味がよくわかりませんが……」

メリルが吟遊詩人を見ると、目でかまいませんと応えてきた。
それぐらいで気が散ってはという意味もあるかもしれない。

「構わないそうです」

「それじゃあ、少し失礼します」

ソファーから立ち上がったリトは、部屋の家具の置かれていない広めの場所にたった。
そのまま目を閉じて、何かに備えるように構えた。
吟遊詩人とメリルは踊るつもりなのかと思ったが、アルマはクスリと笑っており何をするつもりなのかはわかったようだ。
リトが動いた。
それは踊りのようにゆっくりではあったが、何かをかわしている様に見えた。
リトの顔が、何かが通り過ぎるのをしっかりと確認していたからだ。

「アルマさん、あれは……もしかして」

「間違いなく、月の迷宮に行ったとき様の練習ですね。無駄な動きをしないようにリズムに乗るって所かな?」

「リトさんは本当に冒険がお好きなんですね。少しうらやましいですわ」

「うらやましいですか?」

「ええ、私も一度冒険者を目指したことがありますから」

少々どころか、アルマはかなり驚いた。
ただの商人ではない、大商人の娘であるメリルの台詞だったからだ。

「そんなにおかしいでしょうか? 誰しも一度は冒険者にあこがれると思いますが」

「それはそうですけど……」

「諦めるしかなかった道ですけれど、目指したおかげでバート様とも知り合えましたし。後悔半分といった所でしょうか」

当時を思い出したのか、メリルが頬を赤く染めながら目がトロンと溶ける。

「うわぁ、ものすごく聞きたい。メリルさん、そこのところ詳しくお願いします」

「そ、そうですか? でもさすがにこれだけ耳があるところでは……今度二人きりの時にでもお話しますわ」

「う〜ん、残念ですけど今日は諦めます。でも絶対に今度お願いしますね」

音楽の邪魔をしない程度に話していると、リトが少しだけ息を切らせてソファーに戻ってくる。
深々と座り込むと、いつの間にかテーブルに用意されていたお茶に手を伸ばした。

「はあ……でもやっぱりイメージ通りにはいかないわけで」

そう言えばアルマが何か言ってくるだろうなとは思ったが、リトの予想通りにはいかなかった。
ちらっと横のアルマを見ると、楽しそうにメリルと話していた。

「メリルさんってやっぱり香水とか付けてるんですか?」

「ええ、特別に調合してもらったものを付けてますわ。大量生産の市販品ですとやはり体に合いませんから。よろしければ、今度一緒に調合してもらいましょうか?」

「ぜひお願いします。前から興味あったんですけど、この辺じゃ売ってないんです」

「他にも入用なものがあったらおっしゃってください。すぐに取り寄せますわ」

必死に歓喜の叫びを上げないようにしながら、アルマはメリルの手を両手で握った。
苦手などと表現したのは一体誰なのか。

「物につられただけのような」

少々うらやましく思いつつ、二人を見るリト。
そんな様子をさらに吟遊詩人が見ながら一言。

「みなさん、僕の曲を聞いてますか?」

もはや誰も聞いていない。