The Moon Labyrinth

第十話 間に合わない


頬を通り過ぎる風と暖かな日差しのある庭でリトは目を閉じて地に腰を降ろしていた。
だが、閉じた瞳の中で見る風景は全く違うものであった。
暗く生ぬるい空気が充満する迷宮だ。
リトは自らが頭の中で創り出した虚実の世界にいた。

「ふぅー」

気を抜けば、ぼやけそうになる世界を息を整え構成する。

「んっ」

頭の中で創られた洞窟の中で、荒れくれ兎が一匹リトに正面から飛び掛かってきた。
真横にステップしてやり過ごすと、今度は真横から足に噛み付こうとしてきた一匹の鼻っ面を杖で叩いた。
すぐさま先ほど交わした一匹が後ろから飛び掛ってきたので頭を低くしてまたしてもかわす。
決定打はでないものの、二匹の兎の攻撃を延々とかわし続ける。
その姿に危なげな所は一切なく、目を閉じても攻撃をかわせそうな勢いである。
ただ・・・あくまでそれはリトの頭の中での出来事だ。

あまりにも軽やかにかわしているため、想像上で自分に真っ白な天使の羽が生えてきた。
空中戦もありになり、兎はソレに対抗して大きな耳を羽ばたかせ空に躍り出た。
すでに洞窟内ではなく、青い空と雲のある場所が舞台となっていた。
だが場所が空になってもリトの優勢は変わらない。
いつの間にか戦乙女のような甲冑まで着込みだし、手には一本のランスが握られている。
もう誰にも止められない、想像の中の出来事だから。

ランスの一振りで雲は千切れ飛び、空が割れた。
いまなら神に牙をむいても負けない気がする。

「・・・・・・・・・・・・はぅ〜」

一息、リトの口から吐息が漏れた。
ため息だったかもしれない。

「誰が出来るの、こんな事!!」

自分でもアホな想像だと気付いていたらしい。
叫んだ事で元々イメージトレーニング用に作り上げた頭の中の世界は奇麗さっぱり消えた。
目の前に蘇った風景は、緑の絨毯が敷き詰められたのどかな田舎。
それと可哀相な人を見るような目つきの師であった。

「はっ、センセー・・・いつからそこに」

「心配するな。ここに来たのはお前が目を開ける直前だ」

来たタイミングは本当だが、家の中から見ていたのはほぼ最初からである。

「その様子からイメージトレーニングには失敗しただろう」

「なぜそれを」

「イメージトレーニングは、はっきりと言って難しい。あんなのが出来るのはかなり腕が立つ者、最低でも自分の力を把握できていないとイメージに雑念や願望が入る。良くあるのが自分の強さの誇張だな」

誇張しすぎた事実からリトはさっと目をそらした。
もちろんバートは図星だったんだなと気付く。

「お前にはまだ体を実際に使った訓練がいい、コレを使う」

「立て札、まさかそれは」

バートがザクッと地面に突き刺したのは、先日リトがコントロールをつけるために使用した立て札であった。
しかも一本だけではなく、合計六本もをリトを中心に半円を描く様に地面にさしていく。
一体何をするのか、はやくもリトの顔が青い。

「そして次はこれだ」

「ゴ、ゴムボールですか。でも、的が六つもあってどうするんですか?」

「的だと思うのか?」

「的じゃない・・・」

リトは一度自分を覆うように半円を描いている立て札をみた。
的ではないとの言葉を受けて考えてみるが、答えは出ない。
やがて師に視線を戻すと、いつのまにか自分をはさんで半円の立て札と向かい合っている。
もちろんゴムボールの大量に入ったかごを持ったまま。

「センセー、男女差別という言葉をご存知ですか?」

「うむ、一応言葉の意味は理解しているぞ。だがこの場合これから起こる事象の名は虐め、と言うのにとても似ているかもしれんな」

「やっぱ、リィー!!」

やっぱりと言う言葉がつなぎとして間違っているかはともかく、一球のゴムボールがリトの顔面横を駆け抜けた。
そのまま立て札へとぶつかり、ギュルギュルと回転した後落ちた。
何気に煙が出ているようにも見受けられる。

「センセー、これって虐めを通り越して虐待だと思うのです。美少女愛護団体に起こられるとは思いませんか?」

「そんな物が仮に存在し、俺を訴えるのならば。美少女と言う定義がどういうものかを正しくそいつ等に教える為に戦う。戦い続ける!」

ゴムボールの投げつけられる勢いがかなり増した。

「センセー、ちょ、待って! キャーッ!!」

「とりあえずは正面からの攻撃に慣れろ」

「いや、ダメです。勇者様はやく来て、悪の元凶はここにいます。傀儡を倒して喜んでる場合じゃないです!」

言葉ではダメだと言いつつも、しっかりとリトはゴムボールを避けていた。
正面から来ると解っているのだから当然なのかもしれない。
本人もソレに気付いたようで、悲鳴はいつしかやんでいた。

「慣れればどうと言うことはないだろう」

「しゃべ、・・・つらいですけど。余裕です、へっちゃらです。むしろセンセーがへっぽこです!」

「・・・・・・・・・」

一言余計であった事にリトは気付いていない。
バートはこっそりと左手にゴムボールを握り、リトの方へと転がした。
リトの視線がバートの右手と投げられるゴムボールに集中しているため、気付かれることなく転がっていく。

「センセー、もっと早くても大丈夫です。だっておそッ」

リトの言葉が途中で途切れたのは、彼女の体がクルリと上下さかさまになるほどに回転したからだ。
原因は、足元に転がってきたゴムボールを踏んづけた事だ。
リトは冗談に見えるぐらいにアクロバティックに頭を地面に打ち付けた。
声無き悲鳴をあげている間も、バートの手からはゴムボールがぶつけられている。

「何をしている。よけなければ屈辱的な行為が続くぞ」

頭を押さえて打ち震えているリトはもう動けない。
だが、バートの手が止まる様子は無い。

「あッ、うう・・・・・・」

「なんだ? 何が言いたい?」

「・・・・・・・・・センセーの・・・小心者」

バートの手が止まった。
いや、止まる直前に全力で投げつけられたゴムボールがリトの意識を完全に刈り取った。

「十分休憩だ」

もちろん、リトからの返事は無い。





ヒリヒリする後頭部を押さえ、朦朧とする意識を奮い立たせながらリトは十分後に立ち上がった。
本当はもっと気を失っていたかったが、これ以上はさらにダメージを食らう結果となりそうだたからだ。

「よし、次はすこし難易度を上げるぞ」

「あの、センセー」

おずおずとリトの手が上がる。

「なんだ、ゴムボールじゃ物足りないのか? しかし、さすがに刃物だと手加減がしづらいのだが・・・お前がそうしたいというのなら」

「全力で違います!」

「チッ、言いたいことははっきりと言え」

「この訓練の意図を教えてください。庭でイメージトレーニングしてたら、羽が生えてきて空が割れてゴムボールが湧き出てきて。高笑いと共にこの世に在らざるものが奇襲を仕掛けてきて、もうわけが解りません!」

「一体なにをイメージするつもりだったんだ」

あきらかにイメージと現実がかなり入り混じっている。
そんなリトの言葉に呆れた後、バートは答えた。

「まず今のお前にある問題は二つ。荒れくれ兎の攻撃をかわせないこと。自分の攻撃が当たらないこと。まずは攻撃をかわせなければ反撃のチャンスも生まれない」

「でも、あの兎はあまり単体でこなかったですよ。二匹以上であらゆる方向から・・・ま、まさか」

「そうだ。そのための立て看板だ」

説明は終わりとばかりにバートがリトへではなく、背後の看板の一枚へとゴムボールを投げつけた。
リトは見当違いに投げつけられたボールを目だけで追って、視界を通り過ぎてからは見ていなかった。
そのための立て看板といわれても、本当にそんなことが出来るとは思えなかったからだ。
だが、それは起こりえた。

「ィタッ!」

看板に当てられたゴムボールは跳ね返り、リトの背中に当たった。
ゴムボールとは言えそれなりの痛みを感じながら、リトは信じられないとバートを見た。

「油断するなよ」

利き手ではないはずの左手までをも使い、バートはどんどんゴムボールを投げ始めた。
正面は当然のことながら、横や後ろも気をつけねばならない。
だが、神ではないのだから後ろから飛んでくるゴムボールが見えるはずが無い。

「タッ・・・アダ、ワッ!」

次から次へと襲いくるゴムボールになす術なく当たるリト。

「なにも見ろとは言っていない。予測しろ」

「よそッタ!」

一球のゴムボールがリトの横を通り過ぎた。
その時に一瞬だが、リトには見えた。
予測から生まれるゴムボールの軌道が。

「アダ!」

だからと言ってかわせるかどうかは別であるが、思い切り後頭部に当たった。

「悪くない。いいか、背後にいる敵、立て看板は六つ。実際はそれほど単純ではないが、今はこの段階になれることだ」

「はい、こうですね」

背後からのゴムボールを予測して頭を下げたリトだが、ゴムボールは虚しくもお尻にあたった。
見えているのか、見えていないのか判断しづらい。

「続けるぞ」

「今度こそ。もう大丈夫です!」

言葉どおり、リトの動きが変化した。
正面から来たゴムボールをかわし、やや遅れて背後からきたもう一つをかわした。
ほうっと感心したバートが方眉を上げて、再度ゴムボールを二つ順に投げつける。
二つとも立て看板に当たってから軌道をかえて、横と背後からリトを襲う。
先に来た横からのボールを一歩下がって見送り、背後からのボールは感だけでかわす。

「どうですか、もう完璧です。もはや二階を突破したも同然です」

「・・・次いくぞ」

「五個でも、六個でもきちゃってください!」

あいにくバートの腕は二本しかない。
無意識にそう思っての言葉なのだろうが、リトは忘れていた。
言葉を放った相手がバートだということを。
素早く動いたバートの手がそれぞれ二個ずつゴムボールを握った。
バートの足元にも一つのゴムボールが転がっている。

「いくぞ」

「あ、でもちょっとまっ」

両腕からあわせて四つのゴムボールが投げられ、五つ目をバートは蹴りつけた。
合計五つのゴムボールが同時にリトを襲う。

「ヒッ!」

悲鳴をあげながらもリトは必死に軌道を予測する。
だが、二つまで予測した時点で最初の一個がリトの横っ腹に衝突した。
それでも避けねばと頭は予測を続けていても、体がついてこない。

「だ、間に合わなッ」

ほぼ同時に残りのゴムボールがリトの頭、肩、背中と様々な場所に食い込んだ。
そのまま倒れたリトを見てもバートは助け起こす様子は無い。

「だから油断するなと言っただろうが」

「い、今のは油断以前の問題の、ような・・・」

朦朧とする意識のなかで答えたリトの言葉は、至極真っ当な意見だった。
だがバート相手では如何様な理不尽も訴える事は出来ずに、この日の訓練は終了していった。
リトが再び気を失った事で。