The Moon Labyrinth

第九話 うさぎ


とても整備されているとは言いがたい岩の階段をリトはステップを踏んで降りていく。
バートの見ている前で最後まで降りきろうとしているリトは最後の一段を両足で同時に降りると、両腕を高く上げて越えたからかに叫んだ。

「二階に到着です!」

正確には地下一階なのだが、訂正するほどのことではない。
リトとは違いバートはゆっくりと階段を下っていた。
自分も降りきってから二階の説明をしようとしたが、それより先にリトがなにかを見つけたように駆け出した。
バートは少し足を速めて階段を降りるが、すぐにリトが戻ってきた。

「センセー見てください、うさぎが迷いこんでました。後で上に連れ帰ってもいいですよね」

リトが抱えて持って来たのは、通常の二倍はありそうなぐらいに太った兎のようなものだった。
その兎のようなものの正体を教えようとしたバートだが、兎の方が行動は早かった。
鋭く光る前歯が抱え込んだリトの腕を噛んだ。

「いっぎゃあぁぁぁ!!」

痛みに耐えかねて兎を落っことすと、兎はゴロゴロところがってから去っていった。

「荒れくれ兎、乱暴兎。呼び方は色々だが、あれが二階の敵だ。噛まれるとかなり痛いから気をつけろ」

「センセー、前から思ってたんですけど、助言がいつも一歩遅いんです!」

「今回は説明する前にお前が勝手に噛まれたんだろう」

それはそうだが、抱えて持ってきた時点で追い払うとかして欲しかったとリトは師を睨む。
案の定、バートは気にして謝るそぶりすら見せなかったが。

「一応噛まれたところは消毒しておけ、まれに菌が侵入する事があるからな。先に言っておけば文句はあるまい」

「できれば噛まれる前に言って欲しかったです」

ブチブチ言いながら手持ちの薬を噛まれた腕に塗りこむリト。
ようやくの二階挑戦に意気揚々とやってきたはずが、二階に下りた途端に意気が崩れそうになる。
深くため息をついているリトを眺めつつ、バートは階段に腰をかけて語り始めた。

「とりあえず今日は様子見でいいだろう。階段からあまり距離をあけずに歩き回って、あの兎に慣れろ。スライム相手とは違う点がボロボロと出てくるはずだ」

「はい・・・って、なんで階段から離れずになんですか?」

「階ごとに出てくる敵が固定されている場所なんかでは、敵は絶対に階を越えて行動しない。階段は安全地帯みたいなものだ。もちろん例外もあるし、ずっと階段にいると敵が待ち構えて溜まるようになるが」

「はい、解りました。では、行ってきます!」

ダダダダッと音が聞こえ砂煙があがりそうな勢いでリトは走っていった。
階段に座ったままのバートの視界で走って行くリトの姿がかなり小さくなってきた数秒後、悲鳴があがった。
すぐさま走っていった時よりも速く、リトが腕と背中に兎を引っさげたまま戻ってきた。
戻ってくる途中でも何匹か振り落としていたようにも見えた。

「センセー、何やってるんですか。弟子がかなりの集中攻撃受けているんだから助けてください!」

「いや、助けて欲しいって・・・階段から離れすぎるなって言っただろう」

「だからってセンセーがついて来ないとは思いもしませんでした!!」

「怒ってるとこあれだが、まだ付いてるぞ」

「イダイ、イダッ、忘れてまッタ!」

噛み付いている二匹の兎を鷲掴むと簡単に引き離せた。
前歯はかなりの鋭さを持っているが噛む力はそれほど強くは無いようだ。
投げ捨てると兎はボテンと跳ねただけで大したダメージにはなっていない。
まだリトに向かってくるつもりらしく、威嚇するように丸い体を低くして構えた。
リトも同じく鉄の杖の先端を二匹の兎に向けて構えた。

最初に動いたのは兎のうちの一匹、一足飛びでリトに飛びかかってきた。
落ち着いて見れば交わせないほどに速いわけでもない。
リトは半歩動いて兎をかわすと通り過ぎようとしている兎目掛けて鉄の杖を振りかぶった。
だが兎はもう一匹いる。
鉄の杖を振り下ろす前に残りの一匹がリトの足に噛み付いた。

「イッ!」

痛みに顔をしかめるが、噛まれてない方の足で兎を蹴り飛ばした。
バランスを崩しつつも蹴り飛ばされた兎目掛けて杖を構えた。

「追い討ちの炎矢!」

兎に向かって真っ直ぐに伸びる炎。
だが兎が体勢を立て直し逃れる方が速かった。

「かわしッ、ッター!!」

またしても一方を相手にしているうちにリト背後から背中を噛まれた。
このままでは駄目だと師へと視線を寄越すが見ているだけで動く気配は無い。
そうしている間にも炎矢をかわした兎が、先ほどと同じ足に噛み付いた。
うずくまりながら、背中と足に手を伸ばして兎を引き剥がす。
ジタバタ足掻く二匹の兎を力いっぱい遠くへと投げて距離を稼いだ。

「センセーッ!」

「俺はさっきなんて言った?」

再度リトへと向かって来る兎を警戒しつつ、リトは師の言葉を反芻した。

「あっ!」

飛び掛ってきた一匹の兎をかわすと、二匹目がこないうちに階段の中腹へと駆け上がった。
急いで振り返ると兎は階段の手前まで来たもののそれ以上追って来る様子が無い。
助かったとばかりにリトは一度体の力を抜いた。

「まったく、言われた事はしっかりと覚えておけ。傷薬は足りるか?」

「まだ大丈夫です。でも、センセーこれって急に敵が強くなりすぎじゃないですか? 攻撃は当たらないし、攻撃されればもちろん痛いです」

「そうでもないと思うが・・・あの程度のスピードならお前でもかわせたし、噛まれても痛いってだけで出血も大したこと無いだろう」

リトは自分の噛まれた部位を確かめると、確かに血がにじむ程度であった。
歯は鋭くても噛む力がほとんど無いせいだろうか。

「でもスライムと違って遅くないぶん同時攻撃が厄介です。攻撃そのものは効くと思いますけど、よっぽどタイミングよく放たないと炎矢も杖も当たらないんじゃないかなと思うんです」

「だったら工夫しろ。スライムは行動が遅いから目の前にいても考える暇があったが、兎相手では階段にでもいないと考える暇はないぞ」

「それも問題です。う〜ん・・・」

リトが一生懸命に頭をひねる間、バートは階段から剣の柄で兎のあたまをコンコンと撫でるように叩く。
階段からなら安全に攻撃できるようにも思えるが、本気でそうすれば不可視の力に押し戻される。
その説明もいずれしなければならないが、今のバートは美味そうだなと太った兎を眺めていた。
実はこの兎は肉屋に売れたりする、初心者用の小遣い稼ぎの相手だ。

「そうだ!」

バートがひそかに一匹持って帰ろうと考えていると、リトは何かを思いつき階段を降りて兎を大きく飛び越えた。
二匹の兎を前に杖を構えると、その先端に炎を灯した。
一度大きくうごめいた炎が徐々に小さく収束していく、覚えたばかりの爆轟だ。

「跳びかかられる前にまとめて吹っ飛ばせば」

徐々に収束していくのはいいが、時間がかかりすぎである。
兎がその間待っているはずも無く、さっさとリトに近づいていく。

「あ、ちょっと待ってください。もう少しまっ、アッ」

二匹同時に左右の足を噛まれた瞬間、収束された炎が弾けとんだ。
完全な暴発にリトが吹き飛び、幸か不幸か巻き添えを食った二匹の兎も吹き飛んだ。
そのまま一人と二匹は洞窟内の壁に体を打ち付けて気を失ってしまう。

「まっ、こんなもんか」

相打ちに持ち込んだのか、逆に持ち込まれたのか。
目を回しているリトを肩に担ぎ、兎二匹を縄で縛り逆の肩で担いだバートは階段を上っていった。





気がつけばいつの間にか師の家へと戻ってきていたリトは、リビングのテーブルでアルマの背中を見ていた。
アルマが走り回るキッチンでは大きな寸胴の鍋でシチューが煮えたぎり、フライパンでは油をたぎらせ肉が焼けていた。
すきっ腹に響く美味しそうな匂いが漂う中、リトは睨むようにそれらを見ていた。
何の肉なのかわからないが、ふつふつとリトの中に言いようの無い怒りがわいてくるのだ。

「リトちゃん、もう少し待っててね。もうすぐだから」

「・・・はい」

その目が催促にみえたアルマは律儀に答える。
リトはそれでも美味しそうだが憎くてたまらない料理を見ていた。

「兄さん、御飯できたよ」

「いま行く」

大きな声で兄を呼んだアルマはシチューを人数分皿によそい、フライパンの肉も別の皿によそう。

「なんだ、やけに不機嫌そうだな」

「なんでもないです」

「まあ、あんなもんだろ最初は。また少しずつ慣れていけばいい」

「はい」

ほとんど上の空の返事を聞きつつ、アルマが席に着いたのを見てバートは合掌を言った。
普段ならそれぞれがゆっくりとスプーンや食器を持つ音が聞こえるはずが、今日は違った。
ズズズと下品にシチューを飲み込む音、ガツガツと肉を押し込み始めるリトがいた。
熱くないのかと心配そうに二人が見る中、一気に食べ終えたリトはシチューの皿をアルマに差し出した。

「え、あ・・・おかわり?」

口に一杯詰め込んだため、声ではなく首を縦に振るジェスチャーでリトは答えた。
二杯目も、三杯目も、リトは食べ続けた。
そのあまりの暴食にバートが羽交い絞めで止めに入るほどだった。

「もういい加減にしとけ、それ以上は絶対に腹を壊すぞ!」

「それ以前に太っちゃうよリトちゃん」

「嫌です、絶対食べます!うーさーぎー!!」

リトの兎の暴食は、本当に腹を壊すまで続いた。