The Moon Labyrinth

第八話 モノ


別れとは残酷にも突然目の前にやってくるものである。
その時リトは師に与えられた部屋で、自分の最大の相棒であり友である武具を見ていた。
服やマントにほつれが出来ていれば繕い、穴があいて入れば布を当てて塞ぐ。
スライムが相手なだけに防具はさほど問題がなかった。
問題なのは武器、樫の杖である。
それなりに大事にしているものの、散々スライムの体液を浴びせられ、極めつけは先日の巨大スライムの酸。

「だいぶんボロボロになっちゃいましたね。でも、まだまだお世話にならないと」

一度ボロ布で磨いてから特殊な樹脂を塗りこんでいく。
僅かな欠けであればそれでふさがり見栄えも良くなるはずだった。
だがほんの少し、魔術師のリトが力を入れた時、杖はポッキリと折れてしまった。

「へっあ・・・」

突然すぎるそれに意味の成さない声がリトの口から漏れた。
十秒、一分と経ってもリトの頭が目の前の現象を理解する事は無かった。

「リトちゃん・・・はいるよ。兄さんが話しがあるって」

トントンとノックを叩いて硬直したままのリトの部屋にアルマが入ってきた。
返事もせず微動だにしないリトをみて、覗き込むと真っ二つに折れた樫の杖が見えた。
次にリトの顔を見ると、少し白目をむいていた。

「お、折れちゃったね」

「あははは、やだなアルマさん。私の杖が折れるなんて夢を器用に私と一緒に見るなんて」

「起きてリトちゃん! 夢じゃないから、折れてる。紛れもなく、人間で言ったら骨折だから!」

肩を抱いて揺さぶり、二、三発頬を叩くとようやくリトの目が正気を取り戻す。

「みなまで言わないでください!」

立ち上がったリトは部屋のドアを蹴り破る勢いで駆け出していった。
その先は何処なのか、そこまではアルマにもわからない。

「みなまでって・・・全部言っちゃったんだけど」





「センセー、センセー、大変です。これを見てください!」

リビングのテーブルでくつろいでいるバートに真っ二つに折れた杖を見せる。
だが驚いた様子もなく折れた杖を受け取ったバートはほとんど杖を見ることなくテーブルの上に置いた。
驚かないのはセンセーが折ったからですかと不信な目を向けるリトに座れと命令する。

「まあ、そこらの武器屋で売っている杖でも最低ランクのものなら寿命もこの程度だろう」

「カシオスになんてこと言うんですか。この子は最低なんかじゃないです。幾度となく視線を潜り抜けてきた私の大切な相棒です!」

「カシオスって・・・武器に名前をつけるなんて変態みたいだよ」

リトに追いついてきたアルマが突っ込むがリトは怯まない。

「変態なんかじゃありません。だって伝説的な人だって武器に名前付けてるじゃないですか?」

「いや、それはつけてるんじゃなくて最初からついてるんだと思うよ。伝説の武器なだけに」

「違います。センセーだって自分の愛用の武器に名前ぐらいつけてますよね?」

「ああ、まあな」

ほら御覧なさいとない胸をはるリト。
くっと悔しそうにしながらもアルマは兄へと問いただす。

「兄さんが変態だったなんて・・・それでどんな名前を?」

これで女の人の名前だったらどうしようと恐る恐るであった。

「黒っぽいモノ」

「「・・・・・・・・・」」

沈黙。
たかが数秒の沈黙の間に二人は何十回と心の中で突っ込みの嵐を吹かせた。
それは名前ではなく見た目の形容だと。
形容の仕方が軽い、せめて嘘でも黒刃(こくじん)とか言って欲しかったかもしれない。

「冗談はさて置き、こうなる事を予測してお前の新しい杖は手配してある。これだ」

巨大スライム戦での杖の酷使は見ていたため、近いうちにこうなることはバートには予測済みであった。
あの次の日にはすでにメリルへと品の入手を頼んであったのだ。
それが今バートがテーブルの上に置いた一本の杖である。
樫の杖とは違う冷たい金属光沢を放つ鉄の杖、魔力の増幅はほとんどなく撲殺用途なのは似通っている。

「用意がいいわね兄さん。わっ、結構これ重いよリトちゃん」

「えっと・・・私は・・・・・・」

真っ先に手にとったアルマとは対照的にリトの表情は優れない。
視線はずっとテーブルの上の折れた樫の杖にむいたままだ。

「まさかそんな新しい杖よりもそんなボロ杖が良いなんてアホな事は言わないだろうな」

「ボロ杖なんかじゃありません!」

憤りを隠しもせずリトは拳をテーブルに叩きつけた。

「見た目はこうなっちゃいましたけど、今まで私と一緒に戦ってきたんです。これからだって」

尻すぼみになって消えていった言葉は、テーブルの上にある杖の現状を再認識したからだ。
どう見ても師の言う通りボロ杖にしか見えない。
だが簡単にボロ杖と切り捨てるには愛着がありすぎる。
家を飛び出したその時からずっと一緒にいたのだから。

「この間までスライム一匹にてこずっていたお前が、そのボロ杖でこれから戦っていけると本気で思っているのか? 話にならん・・・コイツは俺が持っておく。ボロ杖を捨てる覚悟が出来たなら来い」

そう言うとバートは鉄の杖を持って自室へと引上げていく。
声は淡々としていたが、逆にその事が本気で起こっている証明である。

「・・・・・・でも、一緒に」

リトはうつむきながらチラチラとテーブルの上の樫の杖をみている。
一応頭では理解できているのだろうが、感情がついてこないのであろう。
アルマは一度この場を離れてから、お茶をいれて戻ってきた。

「リトちゃん、とりあえず座ってお茶を飲んで落ち着こう」

「はい・・・」

緩慢な動作で座ったリトの前にお茶をおき、アルマはその横に座った。

「あのね、兄さんは必要な事しか言わなかったけど、それだけ大切な事なんだよ」

「解ってますけど」

「多分リトちゃんは解ってない。武器ってのは確かに相棒だからちゃんと手入れしたり大切に使うのは大切なことだよ。実際に兄さんもそうしてる。けれど、壊れたり寿命がきた武器をそれでも使うことは大切にすることとは違う」

「そう・・・ですか?」

間違った思い入れが解け掛けてきたリトにアルマは迷いのない頷きで答えた。

「武器は自分を守るためにある。だから守る力を失った武器に自分を守らせることは、自分の命を危険にさらす以前に武器に失礼だって」

「それって、センセーが?」

「うん、兄さんが必要最小限にしか武器に愛着をわかさないから不思議に思って聞いたことがあるの」

「そうですか、センセーが」

呟くとリトは思い立って立ち上がり、テーブルの上の樫の杖を手にとった。

「アルマさん、庭をちょっと借りますね」

「庭を?」





リトは庭に出るとなるだけすみの方の地面に穴を掘り、折れてしまった樫の杖を置いた。
何をするんだろうとアルマが黙ってみていると、不意にリトは右手の指先に炎を灯した。

「今までお世話になりましたの炎矢」

普段洞窟内や師に向かって放つそれとは全く違う優しい声で紡がれた魔術だった。
激しさよりも柔らかな温かみを持った炎が樫の杖を包み込み、その姿を少しずつ灰へと変えていく。
アルマは燃やさなくても大事にとっておけばいいのにと思ったが、言えなかった。
涙を流さないまでもリトの瞳が潤んでいたからだ。
アルマは黙ってリトを後ろから抱きしめた。

「偉かったね」

「だいびょーぶべす。ばばし、ぢゃんとづよぐなりまぶかあ」

「そうだね」

首に回された腕をリトは力いっぱい握り締めた。
アルマにとっては腕が痛かったが、喜ぶべき痛みだ。
少し大げさだが、武器との出会いや別れも冒険者としての強くなるための儀式みたいなものだ。

「さあ、リトちゃん。兄さんに新しい杖を貰いに行こう。月の迷宮に行くのなら手に馴染ませなきゃいけないし」

「がんばりばふ」

(がんばってね)

リトの手を引いて家に戻ろうとしたアルマだが、リトが立ち止まったため腕を引っ張られた。

「どうしたのリトちゃん」

「いま・・・誰かの声が」

「私は何も言ってないけど・・・」

他にあるのは風に揺れる炎だけである。
リトは炎の中の元杖を一度見たあと、首をひねった。

「気のせいみたいです。行きましょう」

最後にもう一度心の中で守ってくれた御礼を言うとリトは家の中へと足を踏み込んだ。