The Moon Labyrinth

第五話 366


わりと暖かな日差しと柔らかい風が吹く午後。
バートの家の裏庭では、リトが愛用の樫の杖を手に正面を見据えていた。
その面持ちには緊張が現れており、それが伝染するかのように柔らかだった風が変化した。
石とはまた違う硬質さを持った樫の杖が空気を横一文字に切り裂く。
そのままリトは上半身を半分回転させ右腕を引き、左手を樫の杖の先端に添える。
そこから見えない相手の顎を打ち砕くようにリトは一気に杖を振り上げた。

「・・・・・・・・・う〜んっと」

杖を振り上げた状態で止まっていたリトが呟く。
なにかが気に入らなかったのか、下から振り上げる動作を一、二度繰り返す。

「格好なんてどうでもいい。とにかく敵をイメージして思いっきり殴れ」

「え〜、格好は大切ですよ。敵をやっつけた時のどーんって感じとか、派手にばーんとか。それに殴るって表現も野蛮です。あくまで魔術師は知的に滅殺が信条かと」

「頭の悪い台詞と信条は捨てろ」

聞く耳持たないとばかりにバートは斬って捨て、言葉を続ける。

「お前は魔術師のわりに体のキレは悪くない。事実魔術でよりその杖でスライムを殴り殺した数の方が多いだろう」

「嫌な事言わないでください」

スライムの液が染み付いてないかとリトが樫の杖を体から少し離す。

「事実だ。これからお前がどんな魔術師を目指すのかは知らないが、体術を覚えておいて損はない。運が良ければ魔剣士、魔闘家、それらに類する戦い方を会得できるかもしれん」

「か、カッコイイ響きですね。魔剣士、ミステリアスでデンジャーな感じが」

「・・・そうだな」

時と場合によってはお前の命がデンジャーだがなとバートは心の中だけで呟く。
とりあえず素振りの意味を見出せたリトは、素振りを再会し始めた。
相変わらず格好に気をつけるという無駄があるが、真剣さは増している。
その証拠に樫の杖を振りぬいたときの風を切る音が鋭くなった。

「大体でいいが、何回ぐらい振った?」

「そうですねえ・・・五十回ぐらいですか」

「少ないな」

回数を聞いてからリトの顔を見るが、上気こそすれ汗もあまり出ていない。
ペースが遅かったためもあるだろう。

「よし、このさいお前の格好にこだわる事も認めてやろう」

「センセーが認めてくれるなんて」

思わず出てしまった言葉から嫌な物を感じたリトは不安げに師を再度みつめる。
表情はいつもの真剣なのか怒っているかの中間のような顔だが、今はそれが楽しそうにリトには見えた。

「昼過ぎ・・・そうだな。三時ごろになったら一度俺と剣を交えてみるか」

「へっ?」

「心配するな、ちゃんと木剣を使うし顔は狙わない。手加減もするしな」

「ちょっ、センセー?」

唐突すぎる話の展開にリトの口が付いていかず言葉を発せずにいる。

「たまには俺も体を動かした方がいいし、木剣なんて何処にしまったかな・・・おーい、アルマ!」

「はーい」

師の姿が家の中に消えてから伸ばされたリトの腕が虚しく上げて下ろされた。
しばし俯いた後、リトは空を見上げた。
真っ白な雲がちりぢりになりながらも同じ方向を一緒に流れていた。
一見バラバラに見えて、流れる方角は同じ・・・雲は仲がいいんだぁと長い現実逃避をする。
数分は空を見上げていただろうか、首が抱き始めた痛みを持って現実へと帰ってきたリトは呟く。

「センセーと剣を交える、こ・・・殺される?」

疑問は砂粒のように小さな希望ゆえだろう。
すぐに自分自身で首を激しく振って希望を捨て去ってしまうが。

「訓練に見せかけた弟子の殺害、あくまで不慮の事故として処理されてしまうに違いありません。センセーならやりかねません。それならば殺られるまえに・・・」

「もう、兄さんったら自分の木剣の管理ぐらい自分でしてくれればいいのに・・・いっそ釘付き棍棒でいいかしら」

ブツブツと暗い顔で呟くリトの後ろを同じくブツブツ文句を言いながらアルマが通り過ぎる。
どうやら掘っ立て小屋同然の倉庫から木剣を探し出すつもりらしい。

「アルマさん!」

「アタッ」

急に声を呼ばれたアルマは倉庫の中で何処かに頭をぶつけたようだ。
当たり所が悪く打ち震えているのか、倉庫から出てくる様子はない。

「ちょっと出かけてきます。三時までには戻るとセンセーに伝えてください。あと、首を洗うようにと。では!」

「いった〜、もう急に・・・ってあら?」

ようやくアルマが倉庫から顔を出した頃には、リトの姿は豆粒となってしまっていた。





「おじいちゃーん、ラウムのおじいちゃーん!」

殴りつけた拳の方が痛むほどに強くリトは木製のドアを叩いた。
その家の主は、リトのこの村での数少ない知り合いの一人であり、バートと同じフロアマスターである。
すでにかなりの高齢ではあるが、ある条件を満たせばかなりの優秀な魔術師でもあった。

「お〜、そんなにドアを叩いては壊れてしまうぞ、ばあさんや」

ようやく開いたドアから顔を覗かせた老人は、似合ってもいない真っ赤な服を着込んだ派手な格好の老人。
彼こそがフロアマスターの一人、ラウムであった。

「おじいちゃんは結婚してないからおばあちゃんはいないでしょ。しっかりしてください、私のために!、」

「そうは言ってもばあさんや、わしもすっかり男盛りを過ぎてしまってのぉ・・・もう駄目なんじゃ」

「卑猥な発言がぁ!」

すっかりボケてしまっていて、そういう意味でも使えないが。

「とにかく、意識をしっかり持って。事がすんだらデートでも何でもしますから!」

「可愛かったのぉ。ベッドの上で恥ずかしげに来てと呟くばあさん。わしはその言葉の後すぐに獣となった」

「卑猥な発言第二段、辱められた私の心の行方はいずこ!!」

最初から最後まで収拾のつかない会話を終わらせるには第三者の力が要った。
その人物はすぐさま現れた。

「もー、リトちゃん。伝言の内容が良く聞こえなかったから追いかけてきたよ。それと玄関先で騒いでると・・・勘違いされるよ」

その人物とはアルマだった。
勘違いされるよと言う台詞と共に、井戸端会議に精をだすおばさんたちを指差した。
リトがそちらを見るとおばさんたち数名がすぐに目をそらす。
そしてよくよく自分と老人の会話を思い出し、かなり危うい所を歩いていた事に思い当たる。

「なんでもないでーす。なんでもないでーすよ!」

「そうじゃ!!」

おばさんたちへの否定は二者から上がった。
一人は当然リトであり、もう一人とは・・・ラウムであった。
その口調には先ほどまでの震えるような頼りなさは消え、あふれんばかりの力強さがこめられていた。
しわくちゃだった顔も精気にあふれ、不釣合いだった真っ赤な服が似合ってさえいた。

「アルマちゃんや、わしはお前さん一筋じゃて。寂しくなったらいつでもこい、わしは年中男盛りじゃ!」

「あの・・・手を」

「なんじゃ、まさか今からと言うのか・・・流石に昼間からは引けるが、アルマちゃんの頼みじゃ。さあ奥へと」

「奥へとじゃないでしょ〜の、炎矢!!」

アルマの手を握って離さないラウムに向けてリトの樫の杖から炎矢が放たれた。
真っ直ぐに伸びた炎がラウムどころかアルマまでをも飲み込もうとしたその一瞬前、パチンと音が鳴った。
それはラウムの指からなされた音で、たったそれだけの行動でリトの炎矢は跡形もなく消えてしまった。
唯一残ったのは炎が消え去る前の僅かな熱だけ。

「青いな。その程度の炎ではわしに火傷一つ起こす事はできぬ。悔しいかチンクシャよ」

「魔術の威力よりも、チンクシャって言われた事に傷ついてます!」

「チンクシャは女にあって女にあらず。わしにとって女とは、このアルマちゃ・・・アルマちゃん?」

「アルマさんならもう、逃げましたけど」

「なに、折角の美女を逃がすとは・・・このラウム、一生の不覚!」

額に手を置き、オーバーリアクションで空へと手を伸ばすラウム爺さん。
もうすでに雰囲気や仕草はボケの始まった老人ではなく、男盛りの中年ぐらいにまでは若返っていた。
エロという余計な二文字が付いてきてはいたが。





ようやく家の中に入ると、ラウムの方から話を切り出した。

「それで何の用じゃ、チンクシャ」

「なりふり構ってられません。チンクシャは無視して・・・」

背も低く胸もない事を自覚しているので、事実を再度告げられるのはかなり腹が立つ。
だがそれよりも先に、未来に起こる悲劇を回避する方が先だとリトは腹を抑えた。

「ずばり、魔術師が剣士・・・いえ、魔王の側近に勝つ方法を教えてください!」

「むぅ・・・バートに勝つつもりか、チンクシャよ。少し見直して、チンクシャから鼻垂れに昇格してやろうか?」

「そっちの方がムカつき加減倍増なんですけど」

「まあわしにとってはどちらでも良いが・・・結論を言おう、チン垂れには無理じゃ」

「繋げないでください、セクハラで訴えますよ!」

バンバンと目前の机を両手で叩くと、大声を張り上げる。
だがラウムはこのセンスがわからんとは嘆かわしいと反省の色はない。

「まあ落ち着け。折角このわしを訪ねてきたのだから策ぐらいは授けてやろう。答えは間合いじゃ」

「間合い?」

「簡単に言えば自分の、または相手の攻撃の届く距離。もっとも得意な戦いの距離のことじゃ」

「でも遠くから炎矢を撃ってもセンセーは確実にかわすと思いますけど」

それぐらいのことは考えてましたとばかりに、ラウムへと反抗的な目を向ける。
多少当てられない事へのなさけなさもあった。
節目がちになってしまうリトへとラウムは気にする事無くチッチと口を鳴らして右手の人差し指を左右に振る。

「なにも魔力を投げる事ばかりが魔術ではない。鍛錬次第ではこんな事も出来る。見ておれ」

そう言ったラウムが目を向けたのは食卓のテーブルに置かれた花瓶、そこに活けられた一輪の花。
伸ばした人差し指に更に中指をそえ、その二本の指に炎の魔力が込められていく。
なんだやっぱり普通の魔術ではないかとリトはがっかりするが、早計であった。
ラウムの眼力が鋭くなったその時、込められた魔力が伸び無形のはずの炎が固定され有形の小刀となっていた。

炎の小刀は良く見れば小さなゆらめきが見えるが、ラウムが一振りする事で花の茎が両断された。
その切断面は熱でこげており、炎としての特性を失ってはいないことの証明であった。

「剣士と言う者は相手の攻撃を紙一重でかわす事を美徳とする人種が多い。そういった輩に殴りかかる時に特に友好な方法じゃ。相手と杖が交差する一瞬だけ魔力の刃を作れば一発じゃ。少々派手さがなく、陰険な方法じゃがな」

「構いません、陰険さはお互い様ですから。それでどうすれば出来るようになるんですか」

「そうじゃのぉ、大体才能ある者で一年。366日といった所か」

「大丈夫です。私は超優秀なので一時間で・・・って一年は365日なんですけど」

「お〜、一年の暦が狂うぐらいお前さんには無理だと遠まわしに言ったのだが、気付かんかったか?」

「エロ馬鹿ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

こうしてリトの貴重な準備時間は削られていった。





「一つ・・・聞いていいか?」

「はい」

三時となり、家の庭でリトと相対したとき、バートは疑問が浮かんだ。
家の壁にもたれて座り込んだアルマも同じような疑問を憶えた。

「何故、焦げている?」

「いえ・・・少し素振りに精を出しすぎて」

「そうか。練習方法は色々だからな、手加減の量を少し減らそうか」

本当はあの後怒ってラウムに炎矢を放ち、そのまま跳ね返された結果だった。
今更ながらに炎って熱いんだと気付いたのだが、どうでも良いことだった。
リトは師の不穏な言動にさえ突っ込む気力までもがなくなっている。

「それじゃあ、開始の合図いくよ。よ〜い」

開始数秒前の合図に、バートとリトが同時に体勢を低くして飛び出す準備をする。

「はじめ!」

音が聞こえそうなほどに地面を蹴り上げ先に飛び出したのは、バートだった。
上段に構えた木剣を力いっぱい振り下ろされる前に、慌てふためいたリトがその場から逃げ出した。
木剣は自らを砕く事なく、大地だけをえぐる。

「受け止めたり、受け流そうとしたりしなかったのは褒めてやろう。そんな事する馬鹿は即病院送りだ」

「センセー力を器用に受け流せるぐらいなら、大人しく剣士やってます!」

「そうだな。だが時に自分のスタイルを無視しなければいけない時もある」

木剣を振り下ろした位置から逃げ出したリトを追って再度大地をける。
振り下ろされ、薙ぎ払われ、突き上げられる。
次々と色々な型でくりだされる木剣から必至になってリトは逃げ回る。
必至になれば、幾ら剣術の達人相手でも逃げ回るのは不可能ではない。
逃げ続けるのは不可能であろうが。
事実、徐々にバートが繰り出す木剣がリトの体に近づいてくる。

「逃げ回って引き分けになるとは思っていないだろうな。どちらの体力が上かは歴然だ」

「そんなこと・・・わかってます!」

威勢良く答えたリトだが、相変わらず避けて逃げてる。
リトが何かを企んでいる事は解るのだが、何を企んでいるのかまではバートにもわからない。

「少々スピードを上げるか」

一度勢いを殺し、再度加速しなおそうとバートの足が止まった一瞬。
リトが転じて動いた。
きっかけは単純にバートの言葉からこれ以上逃げるのは無理という判断からだったが、悪くはない。
逃げから急に攻めにリトが転じてもバートは呼吸の間で動けなかった。

「たあああああ!」

バートの顔目掛けてデコボコした樫の杖の先端が迫る。
首を無理に曲げ、顔面すれすれを通り過ぎる樫の杖を見送ろうとしたが、ピタリとそこで杖が止まった。
リトが杖の流れる方向に体を持って行き、無理やり杖を止めたのだ。

「炎矢!」

叫びだけで実際に炎は放たれなかった。
しばしの沈黙。

「えっと・・・体術の勉強ですけど、魔術を使っちゃ駄目って言いませんでしたよね。それに魔剣士や魔闘家って体術と魔術を同時使用する人たちのことですし」

「確かにな。剣を交えるとは言ったが、俺も魔術の使用は禁止しなかった。少々の疑問は残るがお前の勝ちだ。良くやった」

あまり悔しそうではない所を見ると、本気をだせばまだまだと言う余裕だろう。
だがリトにとっては師に勝ったと言う事実は本物である。

「勝った。勝っちゃいました。アルマさん、証人になってくださいね。今日と言う日の」

「うん・・・ちょっと信じられないけど、それぐらいなら」

「それじゃあ、私ちょっとラウムのおじいちゃんへ自慢してきます!」

本当に嬉しそうに飛び跳ねながらリトが駆け出した。
ラウムの爺さんにならとバートも特には止めず、リトを見送った。
その姿が豆粒ほどになってから、アルマが問いただす。

「それで、兄さんが思った疑問ってなんなの? 普通にやってたらあの場合リトちゃんの勝ちにはならないって事でしょう?」

「ああ。それはアイツが激しく動きながら魔術を使えるかって事だ。恐らく無理だが」

「動いてようが止まってようが、使えるんじゃないの?」

「魔術ってのは精神集中が大切なんだが、動きながらでは難しい。・・・お前、走り回りながら針に糸を通せるか?」

即座にアルマは無理と答えた。

「じゃあなんで、負けを認めたの? また意味不明な自信をリトちゃんがつけちゃうかもしれないのに」

「一応事実に根付いた自信だからかまわないだろう」

「そうなの・・・かな」

良く解らないという呟きだったがバートは何も言わなかった。
あー疲れたと微塵も負けを気にした様子もなく家の中へと入って行ってしまう。
その後姿を見て、アルマはなんとなく今日は兄の好きな夕飯にしようと決めた。

そして、コレは余談だが。
リトの自慢話はラウムだけにとどまらず、村中へと広がっていった。
それはさすがに挽回しようとバートは公衆の面前でリトを叩きのめしたが、次なる噂を生む結果となった。
叩きのめされたリトはと言うと、絶対的恐怖と言うものを心に強く刻まれる事になった。