The Moon Labyrinth

第二話 夜明け


民家の屋根に上れば、そこにある全てが眺められるような小さな村にも朝は来る。
小鳥の高く歯切れの良い鳴き声とカーテンから差し込む淡い光に誘われてベッドの上の布団がもぞもぞと動く。

「んっ」

うっすらと開けた瞼から届く光にうめき、少しずつ意識が覚醒していく。
それと同時に理解していく布団の温もりと安らぎをすぐに手放せるものなどいない。
ゆらゆらと夢と現実の狭間をさまよう事十分、ようやく布団がめくりあげられた。

上半身を起こして、そのまま天を掴むように伸びをする。
上質の絹のようにサラサラと流れていく金色の髪に続いて伸びをした腕が下りてくる。
目に映るのはいつもと同じ変わらぬ朝、近くの姿見にはいつもと同じ変わらぬ自分。

「よしっ」

自分でも何が「よしっ」なのかは解らなかったが、気分良くベッドを降りた。





着替えを済ませ足取り軽やかに階段を下りて向かったのはリビング。
まだ誰も起きていないだろうと思っていたので、テーブルの椅子に座り不機嫌そうにしているバートに驚いた。

「あら珍しい、兄さん。こんな朝早くにどうしたの?」

「ああ」

不機嫌と言うより怒っているのだろう。
冷静を装ったはずの声が、かなり震えている。
自分でも隠せなかったと気付いたらしく、窓の外、裏庭を無言で指差してきた。
なんだろうと外を覗いて見ると、地面に突き刺した立て札の様な板に必至にゴムボールをぶつけているリトがいた。
一週間前に転がり込んできた兄の教え子で、同じ十五とは色々な意味で思えない少女だ。

「泣きながらボール投げてるリトちゃんがいるけど・・・」

「あの馬鹿、朝日も出ないうちから「村が火の海になるのを見たくなければ秘密の特訓につきあうべきだと思いませんか? 思いますよね? 思うようにな〜れぇ」とぬかしやがった」

「それで、どうなったの?」

気持ちよく寝ているところを邪魔されたらしいが、その後もまた何かあったのだろう。
リトが居候となってからここ最近の経験により出た言葉だった。

「俺の頭が火の海になった」

「はっ?」

「的じゃなくて、あいつの真後ろにいた俺にものの見事に、間違いなく狙って炎矢をぶち当てやがった。あいつの魔術がへっぽこかつ井戸が近かったのがせめてもの救いだったが」

拳を握り締めブルブルと怒りに身を震わし出したバートの顔をそっと覗き込むと、かつて無いほどに歪んでいた。
良く見ると一見櫛を通して手直ししたようだが、妙なねじれ方をした髪の毛が所々に見受けられる。
ついでにたんこぶの様なものも見えた気がした・・・まだ他にも何かあったのだろうか。
とりあえず火の海はいいすぎだろうが、炎矢を当てられたのは本当のようだ。

「兄さんが怒ってる理由はわかったけど、あれは何か意味があるの?」

立て札は恐らくボールを当てるための的だろうが、リトが泣いている事を除けば的当てをして遊んでいるようにしか見えない。

「コントロールをつける練習だ。そもそもあいつは三,四発しか炎矢を使えん、無駄弾は無い方が良い」

「へ〜、結構考えてあげてるのね」

「さあな。あんな練習で魔法のコントロールがつくとも思えんが」

「え、ちょっと・・・って事はまったくの無駄なの、あれ?」

もう一度「さあな」と言うと、立ち上がり二度寝をしに二階へと向かおうとするバート。
本当に無駄なら止めさせるべきだが、止めて良いのかオロオロとしていると階段の上から声が届いた。

「アルマ、言っておくが止めるんじゃないぞ。意味の無い練習もあれば、意味のある無駄だってある」

物凄く意味深な言葉だが、それを口にしたのが兄なだけに言ってみたかっただけと言う可能性が捨てきれない。
もう何球投げたのか、未だ外ではリトが泣きそうになりながらゴムボールを投げている。
止めるなと釘をさされたばかりのアルマにできることは、一つぐらいしかなかった。





バスケットを両手に、突っ掛けを履いて裏口から出る。
相変わらずリトは的めがけてボールを投げていたが、バテてきたのか先ほどよりも元気がなかった。
上り始めた太陽の日差しが、更に彼女の元気を奪っていっているのかもしれない。

「リトちゃん、ちょっと休憩しない?」

休憩のところでバスケットを強調して揺さぶる。

「バルマ"ばん」

「うっ」

こちらに気付いて振り向いたリトの顔を見て、バスケットを揺さぶる腕が止まる。
伝染するように自分の顔も凍り付いてるのがわかった。

「リトちゃん・・・とりあえず顔洗ってから休憩にしよっか」

「ウ"ィ」

先ほど家の中から見たときは気付かなかったが、今のリトの顔は汗と涙とでぐちゃぐちゃになっていた。
どんなに酷い酷い怒られ方をしたのだろうか。
だがいくら酷い怒られ方をしたとしても、アルマはリトのようにはならない自信があった。
というか、なりたくないと心の底から思った。

井戸から水を汲んで顔を洗ったリトが戻ってくる。
顔をあらってさっぱりしたのか、涙は止まっていた。

「っというわけで、酷いと思いませんか!」

「はいはい、とりあえず座って。自己完結の内容を読み取るほど私頭良くないから」

開口一番を受け流し、バスケットからサンドイッチを取り出して渡す。

「ありがとうございます。だってですよ、炎矢を当てちゃったのは私が悪かったですけど、そこにあった桶の水で消火しようと・・・してそのまま桶でセンセーぶっちゃいました」

「それは兄さんも怒るわ」

「でもでも、消火は続けようとセンセーを井戸に突き落として、それから」

「いえ、もういいわ。聞けば聞くほど弁護が確実に不可能になっていってる」

頭痛がしたわけではないのだが、それに似た痛みを感じてこめかみをおさえる。
目の前でサンドイッチをほおばりながら「これから面白くなるのに」と呟いているリトは、あわてん坊だとか、おっちょこちょいの一言でかたずけられない何かを秘めている気がする。
あまり意味はないが、秘めていると断言しておこうとアルマは密かに思った。

「とりあえず、突き落とした云々は置いておいて。的当てはうまくいってるの?」

「センセーは四回投げて一回当たるようになれば止めていいって言ったんですけど・・・」

つまり止めていないという事は、四回に一回もあたっていないという事だ。
的はだいたい五十平方センチといったところか、大きくは無いが小さくも無い。
問題はそれをどれぐらい離れた場所から当てるかと言うことだ。

「二十メートルって所?」

「いくらなんでも遠すぎると思いませんか?」

「ちょっと・・・遠いかな」

的に向かって立ってみると、思っていたよりかなり遠く感じる。
何気なしに足元に転がっていたボールを拾ってひょいっと投げてみる。
力をいれなかったので山なりに飛んでいったボールは、的の手前で激しく失速して落ちた。

「ありゃ、結構・・・むずか」

言い切る前にもう一度、今度は少し力を入れて投げたら的に当たった。

「あ、あたちゃった」

「意義あり!!」

「意義ありって言われても」

まったくの言いがかりに困ったように頬を人差し指で掻く。
あたってしまったものはどうしようもないが、リトは納得がいかないと腕を振り回し叫ぶ。

「だって、何時間も投げてて当たんなかったのに。なんでアルマさんだけ!」

「そこまでいくと逆に才能を感じるわ」

「ノリと勢いじゃ、全然勝ってるのにぃ!!」

「そんなのが勝ってても・・・ノリと勢い?」

騒ぐリトの口から出た一言に不穏なものを感じとり、尋ねる。

「リトちゃん、的に向かって投げる時いつも何考えてるの?」

「それはもちろん、いかに恰好良いアングルで投げるかです。私的にあそこの家の屋根から見ることをお勧めします!」

リトが指差した斜め向かいのレジーさん宅は置いておくとして、アルマは深くため息をついた。
普通、一般的に的当てをする時はいかに的に当てるかを考えるのではないのだろうか。
例えば投げた直後の感覚を覚えておいて、微調整をはかるとか・・・
おそらくバートが言っていた意味のある無駄とは、外れた弾を意味のある物にするということだろう。
つまり、リトの行動は果てしなく、どうしようもなく無駄でしかないという事だ。

自分の面食らった顔を見て、何かおかしなことを言っただろうかと言う顔をしているリトに質問を投げかける。
止めるなといわれただけだから、少々の助言は構わないだろう。

「例えばリトちゃんがケーキを作って食べた時に甘さが足りないと思ったらどうする?」

「一年ほど甘いものを断食します。そうすれば多少甘さが足りなくても十分だと思われます!」

あまり遠くない言い回しなのに、帰ってきた言葉がこれだ。
もしかして人としてあるはずのものを何処かに置き忘れてきたのだろうかと疑ってしまう。
即座に助言を諦め、答を提供する。

「あのね、普通、一般的、常識人と呼ばれる人達は、自分のとった行動を全部でなくても覚えてるものなの」

「そこはかとない棘を感じますが、私は広い心の持ち主なのでへっちゃらです。色々あって疑心暗鬼な日々を送りたければ、気にせずにどうぞ」

「うん、良い迷惑だわ」

この妙な会話に慣れてきたなと思いつつ、笑顔で先を続ける。

「で、次同じ行動をとる場合に前回の行動を参考に悪かった点を修正していくの。もう解るわよね?」

「はい、つまりこういうことですよね」

足元に落ちていたボールを拾い上げ、振りかぶるリト。
左足を上げると、右足を僅かにまげてバネのような反動をためる。
縮みきったバネとなった右足がはじけるように大地を蹴り上げるのと同時に左足をつき、右腕が回った。
放たれたボールが空を舞う。

「とりあえず第一投は、あらん限りの迫力と破壊力で!」

すぐさま二球目のボールを拾うリト、それを見ていたアルマは第一投を投げる前からすでにため息をついていた。

「そして第二投は第一投をさんこ」

パリーンと一番大きな音の後、ガラガラと複数本の刃物が同じ刃物に落ちたような音がした。
実際似たようなものだろう、先に落ちたガラスの破片の上にさらにガラスの破片が落ちた音なのだから。
リトは音の発生源を決して見ようとはせず、二投目を投げる直前で固まっていた。

「一つ、お前に聞きたい事がある」

家の二階、そこにある割れた窓から顔を出したバートには表情がなかった。
奇跡的に怪我はなかったようだが、瞳には虚空だけが映っている。

「なんでしょう、尊敬する上に愛しい愛しいマイスィートセンセー」

「お前の嫌いなものベスト三をあげろ」

「スライムにカエル、あと魔王の側近さんが乗り移ってる時のセンセーです」

返答を聞くと突っ込む事すらせずに窓際から姿を消し、どうやったのか数秒で裏庭の戸口からバートが出てきた。
たった数秒で着替えまで済ませたようで、地下迷宮に行く時のレザージャケットを着込み何故か剣のかわりに虫取り網を持っている。

「に、兄さん?」

「センセー?」

「出かけてくる。用件は、リトの寝床に放り込む嫌がらせ用品をとってくる事だ。他に聞きたいことが無ければ、夜を楽しみにしてろ」

「い、いって・・・らっしゃい」

かろうじて声を出せたのはアルマだけで、リトは体中を蒼白にさせていた。
どこか夢遊病者のようにフワフワとバートが歩いていってしまうと、ようやくリトが正気を取り戻す。
ブルブルと震えながらアルマの腕を掴んだ。

「ア・・・アル、アルマさん。センセーは絶対、裏から魔王を操ってて魔王が倒されても無理やり生き返らせて再度戦わせるタイプです」

「よくわかんないけど、恐怖だけは十分伝わったわ。それと気付いちゃったから私が突っ込んでおくね」

少しでも冷静に聞けるようにと、頭一つ分低いリトを包み込むように抱きしめる。
バートは明確に言葉では言っていなかったが、間違いなく実行するだろう。
リトの大嫌いなものをベッドに放り込むことを。

「リトちゃんの嫌いなスライム、カエル、魔王の側近が乗り移った兄さん・・・誰のお嫁さんがいい?」

「どれも嫌にきまってます!!!」

当然といえば当然の答えは村中に響くかと思われるような大声で、しっかりとバートの耳にも届いていた。
それによって嫌がらせ用品の量が増えたかどうかは、わからない。