The Moon Labyrinth

第一話 始まり


この世には、特定の人々を魅了して止まない特別な場所が各地に点在する。

奥から響く風の音が魔獣の雄叫びにも聞こえ、弱き心の持ち主ならば十分と正気を保てないであろう地下迷宮。

高きを目指し、自らを神と同列とみなそうとしたのか、天をも貫くかの様に建てられた禁断の塔。

人の身でありながら人を統べる位に立ったものがいたであろう、繁栄と衰退、相反するものを表した朽ちた城。

これら全ては月に一度、まるで子供が積み木を組み替えるかのようにフロアが組みかえられた。

人はこれらを畏怖と皮肉を込めてこう呼んだ。




The Moon Labyrinth





この世には、特別な場所に魅了された人々がいる。
ある者は名声を、ある者は金を、またある者はそこにある冒険を求めて。
彼女もそんな特定の場所に魅了された数多くの人々の中の一人だった。

だが、一匹のスライムに腕やら足やら纏わりつかれて苦戦している彼女には夢も希望も関係無かった。

「センセー、纏わりつかれても痛くないですけど、ぬるっとした感触がアレで精神的にとっても痛いです!」

「一応ジワジワ溶かされてるんだがな。そのままだと風呂入る時にしみるぞ」

先生と呼ばれた男は、つまらない喜劇を見せられているような顔で呆れており、少女の混乱ぶりとは天と地獄ほどの差がある冷静さで答える。
腰を掛けるのにちょうど良い岩に座ったまま動く気配を見せず、助ける気はないようだ。

「センセー、センセー、弟子がとってもピンチです。今救いの手を差し出してくれたらセンセーにでも「実は前からセンセーの事が」って言えそうな気がします。でも、ごめんなさい!!」

「俺の方からもごめんなさいだからかまわないが」

助けるという言葉を何処かに置き忘れているのか、一向に腰を上げる気配の無い男はその手の中に納まる細身の剣をもてあそびながら言い放った。

「スライムにケツから侵入されて痔になった男がいるぞ」

「ッ!!」

自分の耳を一瞬疑い、言葉の意味を理解して真っ赤になった少女に限界が訪れた。
洞窟に沸き起こる大音響。
赤ん坊より大きなそれによって驚いたスライムは、ボテッと少女の体から落ちると一目散に逃げ出した。
もうなにも周りが見えていない少女はスライムが逃げ出した今も泣き続けており、いままで一行に動こうとしなかった男がようやく重い腰を腰を上げた。

「スライムに泣かされた冒険者か、場所が場所なら外も歩けないな」

最後のトドメを刺したのは男なのだが、言動から悪びれた感は微塵も感じない。
男が困ったもんだと頭を掻いている目の前での少女の熱唱は、まだ当分終わりそうになかった。





「ッグ・・・ァ・・・・・・ウ」

なんの魔力の付与もされていない硬いだけの樫の杖は、駆け出し魔術師の証。
厚手の服と釣鐘型のスカート、肩全体を覆うマントは髪の毛同様腰の辺りまでで止まっている。
普段は歪むという行為を一切許されなかった黒髪は、かなり乱れており手櫛を通せば絡まる事間違いないだろう。
アレから二十分、いまだ尾を引いている少女に前を歩いていた男が振り返った。

「リト、そろそろ泣き止んでくれないと俺が苛めたみたいで気分が悪いぞ」

「みたいじゃなくて、ゥ゛・・・明らかにセンセーがヒィッ、苛めたんじゃないですか!」

泣いた時特有の横隔膜の痙攣がまだ残っていたが、最後まで言い切ることができたようだ。
拭いたそばから流れる涙は、まだ止まりそうにない。

「心外だな、俺がいつお前を苛めた?」

「フロアマスターが初心者を守らなかったらそれだけで苛めです!」

冒険者とは決して憧れと情熱だけでなれるものではない
いや、自らを冒険者と名乗ればすでに冒険者なのだから少し違うかもしれない。
憧れと情熱だけでは生き残れないと言った方が正しい。

その昔どう統計をとったかは不明だが、冒険者の七割は天寿をまっとうする事は無いと言われている。
その七割のうち五割はまだ駆け出しの若者達だとも言われている。
つまり初心者が百人いればそのうち三十五人は、駆け出した時点で死ぬという事だ。
月の迷宮から冒険者が持ち出す品々は時に国を潤す結果さえもたらすが、同時に国力である若者をむざむざ死なすわけにも行かない。
そこで考え出されたのがフロアマスター制度である。

様々な理由で前線を引退した熟練の冒険者を国が雇い、各地の月の迷宮にフロアマスターとして配備する。
フロアマスターの第一任務は、駆け出し冒険者への助力である。
基本的には駆け出しの冒険者に自らが培ってきた知恵を授け、実戦形式で鍛え上げる事だ。
脱駆け出しの目安はおよそ十階だとされている。

「リト・・・お前俺の所にきてどれぐらいになる?」

前線を退いたにしては若すぎる男、バートは初心者というリトの意見を吟味してから問うた。

「明日でちょうど一週間です」

問われた意味が理解できているようでリトの声が沈んでいく。

「そうだ一週間だ。できの良い奴なら四階を突破しても良い頃だ。でだ・・・ここは何階だ?」

「うぅ・・・一階、です」

「百歩譲って俺の教育の仕方が間違っていたとしよう。そこで考えてみた、もしかしてこの「 THE おちこぼれ 」は俺に依存しすぎていたのではないかと」

「THE おちこぼれ」

かなり言葉にショックを受けた様子のリトは、肝心の依存しすぎという言葉を聞いていなかった。
頭を抱えてうずくまると落ちこぼれじゃないと虚ろな瞳で繰り返し呟いている。

「現実だ認めろ。とにかく俺はこれから最低限しかお前を守らない事に決めた」

「最低限ってどの程度ですか?」

虚ろな瞳に僅かに光を灯して尋ねてみた。

「う〜ん、スライムに色々されたあげく「私の夢はスライムのお嫁さんなの」って言う程度に精神的ダメージをくうのはまだ大丈夫だよな?」

「全然大丈夫じゃないです。もうそれは人として禁断の地ですよ!」

「なに、いかんのか・・・なら、色々スライム相手に激闘を迎えて腹からドバドバ血を流しながら「なんじゃこりゃぁ!」とか叫ぶのはありか?」

「ありなわけないでしょうが。センセーの冷血漢、感情欠落、非モテ!!」

「お、お前と言う奴は・・・言ってはいかんことを」

被保護者を人としての尊厳ギリギリまで見捨てようと言い出した男が、プルプルと俯き震え出した。
直ぐに怒りの声を上げないということは、頭の中で台詞が何度もリフレインしてジワジワ効いているのだろう。
もちろん師がこんな態度を見せるのは初めての事で、リトはオロオロとしながら言葉を選ぶ。

「えっと、センセーがの夢がまさかスライムのお嫁さんだったなんてちょっと引きましたけど、とりあえず村中にこの話を広めらたくなかったら私にもう少し優しくする事を提案します」

「村の誰がそんな戯言を信じるか、しかも会話の掴みが一歩遅い!!」

「わかりました。つまり優しくできないセンセーはサドなんですね? サドのセンセーを持った私は冒険者としての将来を激しく心配してます」

「わかってねえ、今度は早過ぎる!」

「あっ、ラウムのおじいちゃんが雨の日は奥歯がズキズキ痛むって言ってました」

もはや会話の展開に欠片も関係なく、バートは頭を抱えあらん限りの力を振り絞り唸り声を上げた。
何かがおかしい。
確か自分は適度な安全性と収入を求めて若い身空でフロアマスターとなった。
全くの健康体の若者がフロアマスターに志願する事は異例で色々臆病者呼ばわりされたが、全ては安定のため。
だが現実はどうだろう・・・今目の前で突如唸り出した自分を可哀相な目で見ている THE 落ちこぼれは、酷く自分の安定を脅かす存在の気がしてくる。
では、脅かされない為にはどうすればよいのか。

「ハハ、なんだ・・・・・・簡単な事じゃないか」

急に何処を見ているのかわからない目つきとなって笑い始めたバート。
リトは即座に危険を察知して逃げ出そうとしたが、一瞬早くバートの手がマントを掴んだ。
それでも逃げる事を止めないリトだが、いかんせん駆け出し魔術師と熟練戦士では腕力がちがう。

「何処へ行くんだリト。お前一人じゃ確実にスライムのお嫁さんいきだぞ」

「今のセンセー目つきが昔読んだ本に出てくる魔王の側近にそっくりです。一回祈祷師さんに解呪してもらったあげく山奥で隠遁生活を送る事をお勧めします」

「ハッハ、最近の若い子はおかしなことを言う」

バートは笑いながらリトを担ぎ上げる。
多少暴れられたが問題なく、とある部屋へと運んでいった。





四方五メートルほどのさして広くない部屋だ。
暴れられるのが面倒で縛り上げたリトを部屋の外に放置し、バートは一階のフロア中からかき集めてきたスライムをその部屋へと押し込んでいく。
自分でやった事だが、部屋の中一杯に押し込められたスライムがのたくり回る光景は正視しがたいものがある。

「センセー、私今とっても嫌な想像しちゃったんですけど・・・」

「おう、安心しろ」

「やっぱりそうですよね。いきなりそんな事、センセーの事非モテとか非モテとか非モテとか言って村中を練り歩いた事を今ここで懺悔したい気分です!」

「実は・・・このスライムルームにお前を放り込むんだが」

「嘘吐きー!!」

やっぱりかと泣き喚いたが、バートはリトの拘束を解いて放り込む気まんまんだ。

「しかも都合の良い事にこの部屋は面白い仕掛けがあってな」

「もうすでにありえないぐらい面白くない事になってます!」

「説明も面倒だから体験しろ」

本当に面倒くさそうにリトをスライムルームに放り投げた。
いまだ何処かで信じていたのか、「うそ?」と抑揚の無い声を漏らしたリトが酷く印象的だった。
軽く放物線を描いてスライムの大群の中に一人落っこちる。
その時だったガコンッと音を立てて部屋の入り口が岩の扉で閉まってしまったのは。

「センセー、センセー!!」

部屋の中から僅かに響いてくる声は、すでに一杯一杯だった。

「その部屋は部屋内のモンスターを全部倒さないと出られない仕掛けだ。本当は一階に現れるような罠じゃないんだがな」

「呑気に解説してないで助けてください。正真正銘、お嫁さん一歩手前です!!」

「安心しろ、本気でいざとなったらお前を・・・・・・こういう罠って外からなんとかできるのか?」

素朴な疑問を口にだすと、一時リトの声が途切れた。
直ぐに復活したが。

「センセーの馬鹿ー、非モテー、考え無しー、非モテー!」

「あ、てめえこの野郎。さりげに二回も言いやがって!」

「もうセンセーも纏めて死んじゃえーの炎矢(えんや)!」

とりあえず魔術の前口上は後で問い詰めるとして、バートは素朴な疑問第二段を言ってみた。

「密閉空間で炎使うと酸素がなくなるし、スライムの焼けた匂いって酷くないか?」

「アドバイスが一歩遅かったせいでお嫁さんになるまえに中毒と酸欠におちいりそうです。こうなったら今夜絶対センセーを闇討ちする事に脳内裁判が満場一致で可決しました!」

「余裕のあることは良い事だ。一週間前にも言ったが、スライムが液体の体を個として保てるのは体の中に核があるからだ。言ってる意味わかるな」

「最後に頼れるのは自分の肉体だけって事ですね!」

一番問題なのは教えを酷くねじれ曲がったメビウスの輪の様にうけとるリトの脳みそではないのだろうか。
壁伝いに響いてくる声を受け取りそうバートは思った。

しばらくはリトの声を聞く位しかする事がなかったので、入り口の直ぐ横の壁に体を預けて待った。
三十分ほど経ってようやく部屋の扉が開き始める。
入り口へと顔を向けると、所々にスライムの残骸を付着させたリトが体を重そうに杖をついてでてきた。
目じりに涙は浮かんでいたものの、泣いていた様子は声からも感じ取れなかった。
恐らくそんな暇もなかっただろうが。

「・・・これ」

リトがプルプルと震わせた腕でとバートに差し出したのは、淡い輝きを放つ半透明の石。

「魔石? スライムの魔石化なんてついてるぞお前」

「ついてる?」

モンスターはまれに魔石と呼ばれる魔力のこもった石となる。
冒険者の主な収入源はこの魔石の取引なのだが、当然魔石化の確率は強力な魔獣ほど高い。

「スライムなんてまず魔石化は起こらないから一部のマニアで高額で取引されている」

「ついてるって言うんですか?」

いかに珍しいかを語るバートだが、黒い瞳にさらに闇を灯した少女の目に気付いていない。

「大金が手に入るんだぞ。これをついてると言わずなんという」

「スライムの大群がいる部屋に放り込まれてどこがついてるって言うんですか! もう少し大金を手に入れる経緯も考慮してください!」

「こ、こら杖で叩くな」

「気持ち悪いし段々息苦しくなって、途中で本気でスライムのお嫁さんになるかもって不安になったんですから!」

泣き喚いて杖を振るうリトにもうバートの声は届かない。
おそらく正気に戻った頃にはバートの顔は原形を止めていない事だろう。

「こら馬鹿、落ち着け。イデッ」

「非モテ、非モテ、馬鹿、非モテ!」

「わっ、すっげぇ納得行かない配分」

冒険者とは、月の迷宮という魅惑に取り付かれたものたちである。
ある者は名声を、ある者は金を、またある者はそこにある冒険を求めて。
だが、今の彼らのそんなことは一切関係の無い事だろう・・・もしかすると、これからもずっと。