第十話 どんなに苦しい時でも忘れちゃいけないことなの(前編)
 壊れた蛇口のように、あかねの左肩から血が流れ続けていた。
 乗せられたストレッチャーの上は血の海となり、運ばれていくアースラの廊下を軌跡を残すように血が落ちていた。
 苦しげにうめき声一つ上げないあかねの意識はなく、それがより消えそうな命の灯火を連想させていた。
「あかね君、あかね君!」
「邪魔をしないで。直ぐに血液検査、輸血の準備を。それと回復魔法を使える人材をありったけ!」
「僕に手伝わせてください。回復魔法は得意です!」
「なら貴方はこっちに。彼の腕は?!」
「高波に飲まれて行方不明。それに雑菌だらけの海に落ちたんだ、接続手術は危険だ」
 もう腕は元に戻らない、そう同僚に聞かされた医師の一人が無念の声をあげた。
 それも一時の事で、回復魔法の使い手としてユーノを連れて手術室へと駆け込んでいった。
 即座に閉められたドアに隔てられ、ずっと付き添おうとしていたなのはの足が強制的に止められた。
 数秒後、糸が切れた人形のようになのははへたり込み、それでも口だけは何度もあかねの名を呟いていた。
 いつもはあかねの右腕に巻かれているゴールデンサンが、なのはの手からこぼれころりと冷たい廊下の上に転がった。
「くそッ!」
 静まりかえった廊下に、やるせない怒りを込めた叫びと拳で壁を殴りつける音が響いた。
 傷ついたあかねをアースラまで運び、真っ黒なバリアジャケットを血で赤く汚したクロノである。
「プレシア・テスタロッサの狙いは、執務官の僕だったはずだ。僕が間抜けにも現場にさえ行かなければ、皆の回収を先に……」
 壁を殴りつけた手とは逆の手には、三つのジュエルシードが握られていた。
 プレシアの攻撃魔法が海を貫いた時に割れた空に吸い込まれそうだった六つのうち半分だけはなんとか回収できたのだ。
 そしてプレシアが現場に居なくてもジュエルシードを回収できる方法を持っていた事を考えると、狙われたのが誰なのかは容易に想像できた。
 プレシアが現状で一番恐れた存在、それは時空管理局であり、一番の戦闘能力を持った執務官クロノに他ならない。
 だからプレシアはギリギリまでクロノが現れるのを待ってからオーバーSランクの魔法で次元を超えて攻撃してきたのだ。
「母さんが、殺そうとした?」
 あかねに一生ものの傷をつけたのも、座り込んでいるなのはや、苦しげに壁を殴ったクロノを傷つけたのも。
 自分の記憶の中にいる母との決定的な差をまざまざと見せ付けられた思いでフェイトが呟いた。
「That was Non-bloodshed setting」
 床に転がっていたゴールデンサンの言葉をクロノがついだ。
「だが威力が強すぎ、さらにあかねの魔力切れが大きかった。普通ならバリアジャケットの表面を魔力が流れるだけなのに、体内を駆け巡り、弾けた」
 ただ一つの幸運は、弾けた場所が左腕だと言うことであった。
 もしも仮にもう少しだけ心臓付近で弾けたのなら、あかねの体は胸元から真っ二つになっていたことだろう。
 不幸と幸運二つの事実を確認したクロノは、殴りつける為に向いていた壁から視線を離した。
 こんなはずじゃなかった過去はどうあがいても戻らない。
 何時までもここでそうしていても意味がなく、まだ自分にはやるべき事がある事を理解した顔であった。
 事実クロノにはプレシアを捕縛する仕事が残っている。
「フェイト・テスタロッサ。残念だが、君の罪はともかく君の母親の罪は庇えなくなった。嘱託魔導師が重症を負った事実、どうしようもない。だが君自身の事については僕が責任を負う。以上だ、僕はブリッジへ行く。君はなのはのそばにいてくれ」
 クロノの言葉に、ほっと息をついたのはアルフだけであった。
 フェイトはブリッジへと向かったクロノを見送った後、困惑を顔に貼り付け座り込んだなのはの背中を見つめていた。
 小さく振るえ、今にも消えてしまいそうな背中を見てもどうしたら良いか解らないのだ。
 時おりなのはに触れようと手を伸ばしても、すぐに自分の胸元へと戻してしまう。
 自分にはなのはに対して何も言えない。
 だが出来ることなら一つだけあると、手袋の甲にある装飾部におさめられているバルディッシュへと触れた。
「アルフ、私の代わりにあの子のそばに居てあげて」
「私だって、どうしたらいいのかわからないよ。フェイトが傷ついてた時みたいに私も胸が痛いんだ。それにフェイトは何処へ……まさか」
「Stand by ready. Set up」
 アルフの疑問に答えるように、バルディッシュが起動し杖としてフェイトの手の中におさまった。
「母さんが何をしようとしていたのか。何のために撃ったのか。問いただしてくる。その答え次第では、私が母さんを捕まえる」
 フェイトの眼差しは強く、答え次第ではなく最初から戦うことを前提として考えているように見えた。
 妄信的に従っていた母からの離反の姿は、以前からアルフが望んでいた事でもあった。
 だが今は、今だけは状況が悪いとアルフは不安そうにフェイトの腕を捕まえて離さなかった。
「駄目だよ、フェイト。今のフェイトは魔力がほとんど空なの忘れたの? それに悔しいけどフェイトよりもあの女は確実に強い。見ただろ、あの凄い攻撃魔法を」
「それはあれだけの魔法を使った母さんにも言えることだよ。それに大きな魔法にはそれだけ詠唱に時間がかかる。接近戦なら」
「そうだ、せめてあのクロノって奴に手伝ってもらおう。もともとアイツもそのつもりだろうし」
「アルフ、私の手で母さんを捕まえなきゃ意味がないの。母さんの罪が消えないなら、せめて私の手で……」
 そう言ったフェイトは、未だ廊下の真ん中で座り込んでいるなのはの背中を見つめた。
 なのはの為にも母の為にも、自分がしてあげられるのはそれぐらいの事であった。
 何を言っても頑固な主人の気持ちは変わらないかと、フェイトの腕を捕まえる力を少しだけ弱めてアルフは言った。
「だったら、私も行くよ。残念だけど、私だってあの子らになにもしてあげられない。出来るのはフェイトと一緒に戦ってやる事さ。一人よりも二人、あの子の言葉だよ」
「うん、そうだったね」
 一人なのはを誰も居ないこの廊下に残していく事は気が引けたが、フェイトはなのはの背中にぺこりと頭を下げてから走り出した。





 時の庭園へと何事もなく空間転移できたフェイトとアルフは、違和感を感じずには居られなかった。
 二人がアースラへと投降しようとしていた様子をプレシアも見ていたはずだ。
 だからこそあのタイミングで攻撃がなされたのだ。
 なのに時の庭園への空間移動に制限がかけられているわけでもなく、あっさり戻ってこれてしまったからだ。
 特にアルフなどは罠かもしくは、唯一の兵力である傀儡兵を予想していただけに拍子抜けしていた。
「なに考えてるんだろうね、あの女」
「母さんが何を考えているかなんて、今まで考えたこともなかった。だから、行くんだよ」
「そうだったね」
 空間転移用の部屋を出て、プレシアが居るであろう玉座の間へと向かう。
 プレシア以外誰も居ない時の庭園の廊下を歩き、二人の足音だけが染み入るように響いていた。
 玉座の間が近付くにつれ、フェイトは体が拒絶反応を示すように少し震えているのが解った。
 この廊下を歩く時、何時も自分は希望を持ちながら恐れていた。
 自分を待っているであろうプレシアが今日こそは笑ってくれると言う希望と、笑顔の代わりに向けられるであろうムチのしなりに。
 今度こそという淡い希望は今でも胸でくすぶっている。
 もう駄目だと思ってもなお、心地良い過去の思い出に縋ろうとする自分が情けなく感じてしまう。
 だが今回ばかりは縋るだけで何もしない事は許されない。
 自分へと諦めず手を差し伸べてくれた子たちの為にも、その為に腕さえ失ったあかねの為にも。
 たどり着いた玉座の間の扉の前で一度足を止めたフェイトは、扉を見上げそっと手を掛けた。
「行くよ、アルフ」
 軋んだ音を立てて開いていくその向こう側で最初に見えたのは、何時もと変わらぬ姿で玉座に座るプレシアの姿であった。
 肘掛についた肘に支えられたその顔は怒りとは別の感情が占めているように見えた。
 それが何かは、プレシアの発した言葉が示していた。
「フェイト、全て見ていたわ。哀しいわ、母さんを裏切るだなんて」
 落胆、ムチを振り上げながら叱られるよりも確実にフェイトの身を刻む行為であった。
 それでもフェイトは震え崩れ落ちそうになる膝を懸命に支え、言った。
「そう言われても仕方がない。けど母さんの事を考えている事に違いはないから、母さんの気持ちを、考えを聞きにきました。何も考えずに母さんの言葉だけを聞いて、誰かを撃つのは間違いだと気付いたから」
「言うようになったわね。何一つ真実を見ようとせず、気付こうともしなかった貴方が」
「アンタがそう言う風に仕向けといて何を言ってるんだい。アンタのせいでフェイトは今まで、今も苦しんでるのに!」
 アルフの叫びにもプレシアは興味をひかれず、ちらりと一瞥しただけでフェイトに視線を戻した。
 視線だけは真っ直ぐにフェイトを射抜いているのだが、目の光だけは別の誰かを見ているようであった。
 何時ものプレシアとは違う、反射的にフェイトがバルディッシュを突きつけるように構えてしまってもプレシアは微動だにしなかった。
 むしろその行為が決定的であるように、物を見るような目をフェイトに向けた。
「やはりフェイト、貴方は違う。あの子は我侭は言っても、歯向かう事はなかった。所詮は出来損ないね」
「出来損ないなのは、アンタの脳みそでしょうが!」
 出来損ないと言う部分にだけを聞きとがめアルフが叫ぶが、プレシアの態度は変わらなかった。
「使い魔の躾も満足に出来なかったのね。良いわ、本当に貴方が真実を知りたいと言うのなら見せてあげるわ。そして貴方は理解する。貴方を理解し使ってあげられるのは、私だけだという事を」
 ここへ来て初めてプレシアが玉座から立ち上がった。
 身構えたフェイトとアルフへと平然と背を向け、自分のデバイスを手に魔方陣を宙に描いていく。
 直ぐに二人が攻撃行動に出なかったのは、それが単に特定の場所を映し出す魔方陣だったからだ。
 プレシアの言う真実がその映像の向こうにあるのか、それが映し出された刹那二人は息を飲んだ。
「嘘、だって。フェイトはここに……」
 アルフがすぐ横で口から言葉にならない呟きを漏らしているフェイトを確認するように見たのも仕方のないことであった。
 プレシアが魔方陣で二人に見せたのは、何かの液体に満たされたガラスの筒の中で眠るように体を丸めている少女であった。
 フェイトに良く似た、年齢こそ少女の方が低く見えるもののフェイトの生き写しのような少女が眠っていた。
「フェイト、貴方は何時も昔のように私に笑いかけて欲しそうな顔をしていたわね。でも考えた事もなかったでしょ? 何故私が笑いかけないかではなく、何時から笑いかけなくなったかなんて。少しでも思い出していれば気付いたはずよ、あなたと言う存在の違和感に」
 確かにプレシアの言う通り、笑いかけてもらう事ばかりに考えをやり、何時から笑いかけてもらえなかったなど考えもしなかった。
 言われてすぐに思い出そうとしても、何時からなのかが思い出せない。
 それどころか、笑いかけてもらえなくなった切欠が、そうなった時期が思い出せない。
 あんなに笑いかけて欲しかったのに、思い出の中の母が今目の前にいる母となるまでにぽっかりと空白の時間が存在する。
 忘れてしまうはずがない、忘れてしまったはずがない。
 本当にその間の記憶がないのだ。
 強く握り締めたバルディッシュがカタカタと音を立て、自分がいかに動揺しているのかを知らせてくれる。
 触れてはいけなかったものに今自分が触れてしまおうとしている事を、嫌でも自覚させられた。
 自分を揺さぶり声をかけてくれるアルフの声が、遠くに聞こえた。
「フェイト、フェイトどうしたのさ。しっかりしておくれ。あの女を捕まえて管理局の奴らに突き出してやるんだろ!」
「アルフ……私、誰なの。本当に母さんの、プレシア・テスタロッサの娘なの? 思い出せない。何時ミッドチルダからこの時の庭園にきたのか。母さんは何処かの研究機関で働いてたはずなのに。それに母さんの使い魔で私の先生だったリニスはどこ? どうしていないの?!」
 無意識に目を瞑っていた矛盾が、一斉にフェイトに襲い掛かり始めた。
 不自然な記憶な記憶を持つ不自然な自分。
 考え続けるには余りにも恐ろしく、フェイトはすでに自分がここへ何をしに来たのか考える余裕さえなくなっていた。
 完全に戦意を喪失し自分を見失い始めたフェイトへと、プレシアは残酷にも続けた。
「この子の名前はアリシア、アリシア・テスタロッサ。私の本当の娘。出来損ないの貴方とは違う本当の娘よ」
「やめて……」
「知りたかったのでしょう、フェイト。私の考えを。ジュエルシードを使って私が何をしたかったのか。教えてあげるわ、私は止まってしまったアリシアの時間を再び動かしてあげたいだけ」
「聞きたくない。知りたくなんてない」
「最初はアリシアのコピーである貴方で自分の傷を埋めようとした。けれど所詮コピーはコピー。本物じゃない。けれどね」
 追い詰めるような言葉を投げ続けたプレシアの言葉が不意に変化を見せた。
「アリシアさえ蘇れば、きっと私は貴方を受け入れられる。アリシアのコピーではなく、フェイト・テスタロッサとして。だからもう少しだ、ゴホッ」
「母さん!!」
 突如血を吐いて咳き込んだプレシアへと駆け寄ろうとしたフェイトの手を、アルフが捕まえていた。
「騙されちゃだめだよ、フェイト。上手いこと言ってフェイトを良い様に利用しようとしてるだけだよ。本当に少しでもフェイトの事を考えてるのなら、今までのような仕打ちは絶対にしない」
「それは管理局も同じよ。彼らはジュエルシードを手取り早く集める為に、甘言をもちいてフェイトを騙しただけ。けれどあの子達はフェイトが作られた命だと知って同じ態度をとってくれるかしら。人として接してくれるかしら。私は違う、きっと貴方を自分の娘として受け入れられる」
「騙そうとした人間が、腕一本賭けて人を守ろうなんてするもんかい。それに例えそうだとしても、フェイトのそばには私がいる。これ以上、フェイトを惑わせるな!」
 血で手とバリアジャケットを汚したプレシアへと、アルフが駆け出した。
 右手の拳に魔力を込めて殴りかかる。
 折角フェイトに友達が笑いかけてくれる人が出来たのに、それを無に返そうとする目の前の女が許せなかった。
 甘い希望かもしれないが、例えその真実を知ってもあかねたちが態度を変えるとも思えなかったのだ。
 全ての元凶へと振り上げた拳を叩きつけるが、やはり相手は大魔導師といわれるだけの存在であった。
 あの時の雷と同じ紫色の魔方陣が、アルフの渾身の一撃を軽々と止めていた。
「このッ!」
 元々支援系の能力に長けた自分ではプレシアの防御魔法は貫けないとアルフが一時さがる。
 フェイトが動揺した今、自分だけでプレシアを捕まえるのは無理だと、フェイトを抱えて逃げる為に振り返る。
 瞬間、ぞわりと文字通り身の毛がよだつ思いをする事となった。
 何時の間に移動したのか、プレシアの手の平が背中に当てられていたからだ。
「ほら、これでフェイトを受け入れられるのは私一人」
 せめてと身をひねったアルフを後ろからプレシアが撃ち抜いた。
 体内から飛び出した鮮血が目を見開いたフェイトへと降りかかる。
「いや、アルフ……アルフ!」
「フェイト……」
 二人だけで来るべきではなかったと、アルフはフェイトへと手を伸ばし転移を試みるがプレシアの次の行動の方が速かった。
 床の底が抜けるほどに渾身の魔力がアルフへと叩きつけられた。
 時の庭園そのものを貫いて高次元空間へと放り出されたアルフが出来たのは、自分自身を何処かへ転移させる事と誰かに助けを求める事だけであった。





 目を覚ましたあかねは数秒天井を見つめた後、全身を包み込む痛みに叫び声を挙げた。
「あ゛、ああああッ!」
「あかね君、動いちゃ駄目だよ。大怪我なんだから。誰か、お医者さん!」
 聞こえたなのはの声に、ずっと握っていてくれたらしき右手を握り返して答える。
 痛いぐらいに握り締められても、なのはは手を離そうとはせずに苦しみ悶えるあかねのそばにずっとついていた。
 しばらくして意識の戻ったあかねの元に担当医が現れ、少しでも痛みを和らぐならと痛み止めを打ってくれた。
 十分以上経ってから痛み止めが効いてきたのか、熱に浮かされた顔をしながらようやくあかねは自分の現状を知ることが出来た。
 左の肩口から薬が効いてもなお絶え間なく痛みがじくじくと体を犯していく。
 右手はなのはに握られているのでゆっくりと視線をよこしてみれば、包帯の巻かれた左肩にはなにもなかった。
 木の幹から枝が伸びるように、人の体についているはずの左腕がなくなっていた。
 自然と零れた涙は全てを理解した証であった。
 同時に、何故母が理想の父を追うことを止めさせようとしていたのか、遅まきながら理解した。
「ベッドに横になって、私がいるから。今は体を休めて」
「なのは、僕は……馬鹿だった。どうしようもなく馬鹿で、愚かだった。父さんの背中に追いつけるはずがないじゃないか、勝てるはずがないじゃないか。アレは僕の理想、空想の産物だ。空想の中の人なら何でもできる。でも僕は違う」
「あかね君、今は考えないで。もうフェイトちゃんやアルフさんも救い出せた。もうゆっくり休んでも良いんだよ」
 なのはの懇願も届かず、あかねは確認するように自分の愚かさを口にした。
「僕は何処にでもいるただの子供だったんだ。それを忘れて空想の中の父さんと同じ事ができるとずっと勘違いをしていた。くだらない、母さんが止めるわけです」
 もうすでにあかねは体の痛みとは別の理由で涙を流していた。
 今までの自分の生き方の全てが否定された気分であった。
 どんなに無意味で、どんなにくだらない生き方だったのか、もうこのまま深く眠りにつきたくなったあかねを繋ぎとめたのはなのはの叱責だった。
「くだらないなんて言わないで!」
 もしもあかねの体調が万全であったら、ビンタの一つも飛び出していたであろう剣幕であった。
「あかね君が理想のお父さんを追いかけてたのは、無茶だったかもしれない。けれどそのおかげで助けることが出来た人たちの事まで無意味だったみたいに言わないで。困ってる人たちを助けたいと思ったあかね君の気持ちは理想のお父さんとは関係ないでしょ?」
 ベッドに仰向けに寝ているあかねの顔の両脇にそれぞれの手をついて、なのはがあかねの顔を覗き込む。
 落ちてくるのは、なのはが零す涙であった。
 何処までも沈み消えてしまいそうなあかねの心を繋ぎとめる言葉を涙と共に降らせてくれる。
「誰かを助けようとしたのも、助けてきたのも全部あかね君だよ。理想のお父さんを追いかける事はやめても、それだけは止めないで」
「母さんも同じような事を言ってた気がします。父さんを忘れるだけで、自分自身を捨てなくても良いって」
「そうだよ、あかね君。あ、でも……無茶は駄目なんだからね」
 直前まで泣いていた二人はぎこちない笑みを見せながらようやく笑い始めた。
 あかねは真上から自分を覗き込んでくるなのはの目元を、右手の親指で拭い涙をふき取ってやる。
 気恥ずかしい所ではない行動をした事に気付き、そのせいでなのはに自分が何をしているのか気付かせる事になった。
 なのはに覆いかぶさられるようにして、今自分たちは見詰め合っていたのだ。
 互いに体温を高めあいながら顔を火照らせていくが、何時まで経ってもなのはが覆いかぶさることを止めてくれない。
 下手に動けないままなのはの両腕が自分の体重に負けてぷるぷる振るえ始めていた。
『誰か、誰でも良い。フェイトを、フェイトを助けて!』
 反射的に体を起こしたあかねに驚き、なのはが咄嗟に跳びのいた。
 なにやらなのはが片方のほっぺたを両手で押さえてさらに顔を赤くしているが、あかねは直前に聞こえた助けを求める声に意識を奪われていた。
 あれはアルフの声であった。
 今アースラの中にいるはずのアルフが何故助けを求めたりするのか。
 ベッドを起き上がろうとしたあかねを、一時先ほどのアクシデントを胸のうちにしまいこんだなのはが止める。
「まだ動いちゃ駄目だよ」
「けれど、声が。アルフさんが助けを求める声が、本当に今二人はアースラにいるんですか?」
「そのはずだけれど……姿が見えないから、ブリッジかな」
 自信なさげになのはが呟いた直後、医務室のドアが開きクロノが姿を見せた。
 そして次に呟いた言葉が決定的であった。
「無事意識が戻ったようだな。ところでフェイト・テスタロッサを知らないか? 放送で呼び出しても来ないから、てっきりここだと思ったのだが」
 クロノの言葉は、フェイトがアースラにいない事を証明していた。

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