幻想水滸伝U

第二十四話 ちょっぴり幸せな宿星

脱衣所で、服を脱ぎつつハジャは口からヘドロでも出しそうな勢いで、深くため息をついた。

「あ〜、疲れた。なんでこう毎日毎日死にそうな目に合わなきゃならんのだ?」

「俺には毎日、自らで死地に赴いているようにしか見えんがな」

「んなわけあっかい」

冷静なフェイにぷんすかと憤りつつ、ハジャは風呂への入り口を開けた。

その後姿を見つつ服を脱いでいる途中のフェイは、ハジャに聞こえないように突っ込んだ。

「だったら、なんでまた風呂に入るために王族専用の風呂を使うかね」

ハジャが入っていったのは、数日前に自分たちが出現した風呂である。

もちろん、護衛役だからと言ってハジャやフェイが入ってよい場所ではない。

当然のように、先に入っていったハジャの悲鳴とルカの怒声が響いてきた。

「貴様、なにを堂々とこの俺の風呂に入ってきている。ブタはブタらしく、ブタ小屋でくさい飯でも食っていろ!」

「待って、お願い。数秒待って! とある国の王様は言いにけり、身分とは衣の上から着れば良いと。風呂では誰しもが裸なんだ」

「ふん、下らん。身分とはあらゆる力の上に成り立つものなのだ。例えこの俺が裸であろうと、この世の王者である事に変わりはない!」

「相変わらず惚れ惚れするほどに言い切った! って、待ってちょ……あべしッ!!」

どうやら、風呂に入って数分もしないうちに殴られたらしい。

「本当に、望んで死地に向かっているよな……もしかして、ただの馬鹿なのか?」

呆れつつも、ゆっくりと服を脱ぎ終わったフェイも風呂へと入っていった。

フェイ自身も王族専用だからとは、気にしてないらしい。





「ふう……良い湯だ。一汗かいた後の風呂はまた格別だ」

肩から、あご先が浸かるほどに湯に入り込むと、ルカは呟いた。

その顔は奇妙なほどに晴れ晴れとしている。

「ああ、確かに良い湯だな」

フェイもルカの隣で、同じようにあご先まで湯に浸かりながら応えた。

お互い息を合わせたように、ぴったりと肺の一番奥から息を吐いた。

そして、また同じタイミングで同じような言葉を吐いた。

「あの醜いブタ顔がいなければなぁ」

「ハジャの顔が醜くなければなぁ」

「びぼッ!!」

もはや苛めを通り越した言葉に激しく反応するハジャだが、叫びが言葉になっていない。

ルカに頬を殴られたせいで、上手く喋れないのだ。

「ばいばい、ブカがばぶるのがばぶいんばばいぼか」

「知るかッ!!」

必死の叫びもルカによって一蹴される。

「ルカ、いまハジャが何を言ったのか解ったのか?」

「たとえ何を訴えようと、俺の返答は決まっていると言う事だ」

「なるほど、深いようでキッパリと浅いな。さすがだ」

解りあうように、ルカとフェイが頷きあっているのを見た途端、ハジャは濡れタオルで必要以上に顔を拭いた。

そのままこすると顔の皮膚がなくなるんじゃないかと思うほどの拭きっぷりである。

それを五分程して止めると、何故かハジャの顔の怪我が治っていた。

「おまいら人権侵害もええかげんにしとけよ! いつまでも俺が黙っているとはおも」

「ふぅ〜、良いお湯ですこと」

二人を指差してまで怒っていたハジャだが、壁の向こうから聞こえた声にピタリと止まった。

ジルの声が途絶えた数秒後、再び動き出す。

「下克上だ。下克上。俺がハイランドを乗っ取って、世界征服の野望をうけつ」

「どなたか、髪を洗うのを手伝ってくださいな」

また止まる。

「新しいパターンだな」

「まるで魔法で時間を止められたかのようだ。パントマイムの才能があると見た」

「しかし、どうせ次の行動はいつもと同じだろう。やれやれ、そろそろ止めを刺さなければならないか」

「ふっふっふ」

フェイとルカの解説が一段落すると、ハジャが無意味に笑い始めた。

「甘い、甘すぎる。今の俺はいつもの俺とは違う! 俺はどんな誘惑にも負けない、悪運の紋章に賭けて。どんな誘惑があろうと、このまま普通に風呂から出てみせる!」

「フェイ、俺は三分もつに一万ポッチ」

「ならば五分もつに一万ポッチ」

「短ッ!!」

すでにカウントは始まっている。

「お待たせしましたジル様、御髪を合わせていただきます。まあ、相変わらず御綺麗な御髪ですこと」

「ありがとう」

「ハァハァ、綺麗なジルの髪が……くぬぬ、負けぬ負けぬぞぉ!!」

早くも頭を抱え、見た目には誘惑に負ける一歩手前である。

その姿を意外そうにフェイとルカは見ていた。

「思ったより、記録は伸びるかもしれないな」

「くっ、十分と言っておけばよかったか。ブタの癖に粘る」

喋っている間に、ハジャは頭を抱えるだけでなく体をクネクネとよじらせはじめた。

「くっ、まだ……まだ……」

「ジル様のお肌、そのプロポーション。全てがうらやましいですわ」

「私にだってコンプレックスぐらいありましてよ。なにが、かは秘密ですが」

「なに?! 気軽に秘密とか人差し指を唇にあてて言わないで。あー、あー!!」

女湯のジルは声が届いている事に気づいていないのか、それなりにスレスレの会話がポンポン男湯に飛び込んでくる。

それをイッちゃった人のように、苦しみながら耐えるハジャ。

ものの見事にジルが風呂から上がるまで、耐え切ったのはいいが、その時にはすでに脳みそが焼ききれそうになっていた。

「もう、俺はダメだ。先に出るぞ」

「別に耐え切らなくても、さっさと出ればよかったんじゃないのか?」

「記録は三十分と伸びに伸びたな……やれやれ、一体誰が勝ちなんだ」

「たまにはハジャでいいんじゃない?」

「くっ、ブタに負けるとは……あとで一万ポッチ分のミミガーを届けてやる」

風呂場から口惜しそうな声が響く中、まったくそれが耳に入らないハジャはトロトロと服を着て脱衣所を後にした。

すると、一歩出たところでしっとりと濡れた髪を結い上げ、体から湯気を上げるジルとばったり出会った。

「あっ」

「え〜っと、確か……そうそう、兄の護衛役のハジャ様ですね?」

「う、はい」

何が嬉しいのか、両手をポンっとあわせて声を上げる。

「貴方たちが来てからの兄は本当に楽しそうで、すさんでいた頃が嘘のようですわ。これからも兄を頼みますね」

「そ、それはもちろん」

突然の遭遇に、ハジャの思考回路が追いついていない。

風呂場での一人死闘の影響もあるかもしれないが、すさんでいた頃という言葉に突っ込みもせず、当たり障りのない返答をするので精一杯だ。

「それでは失礼します」

「また……」

ジルがペコリと頭を下げ、去って言った後には風呂上りの石鹸の匂いがふわりと残る。

「ふっふっふ……へっへっへ」

めじりを四十五度垂れ下げたハジャが、ゆっくりと歩き出した。