機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第十四話[ Requirement ]

昨晩の強襲から数時間後の朝、ルリと夕耶は一つのテーブルを挟んでコウイチロウの向かいに座っていた。

警察には知らせず内々に二つの死体の処理をしたため、特に夕耶とコウイチロウには疲労の色が見えていた。

「ルリ君事情が事情だ。夕耶君に出て行ってもらうのは一日伸ばしてもらった」

「私も鬼じゃありません。満身創痍の人に、しかもユリカさんを守ってくれた人に出て行けなんていえません」

ルリが視線をよこした夕耶は、包帯が巻かれていない場所は顔だけというぐらいに包帯が巻かれていた。

もちろん巻いたのはユリカであり、過剰に巻かれているのは間違いない。

コウイチロウも似たようなもので、座っていて見えないが、足には幾重にも包帯が巻かれている。

「まずは昨日の相手、そして夕耶君の事。反論は私の意見をすべて聞いてからにして欲しい」

「はい」

「僕は出て行く。それが覆らなければ構いません」

「うむ……昨日の相手の目的は、ユリカとルリ君。そして、夕耶君が間違えられたアキト君。手段はわからないが、火星の後継者かもしくはそれに殉ずる者に知れてしまったようだ」

一人夕耶だけが火星の後継者とは何の事だと頭をひねっている。

「ネルガルではないと思うが、ルリ君がここに来た時点でネルガルにも知れたと思って間違いないだろう。そこで夕耶君、君が先日言っていた当ての話を少し聞きたい」

「当てと言っても直接火星に迎えるわけじゃ有りません。ここに来る前に知り合ったジャンク屋の人たちの船に乗せてもらおうと思ってます。仕事の話があれば火星に向かえるだろうって……でも何故今になって」

「それはユリカの方から説明してもらう」

その言葉が放たれるのと同時にふすまが開き、神妙な顔をしたユリカが顔をだした。

一体どういうことかとルリと夕耶がコウイチロウを見ると、ユリカが驚くべき言葉を発した。

「アキト……いえ夕耶君、私は貴方と一緒に行きます」

「ユリカさん、夕耶君って」

「いつから僕の事を……」

「昨日、あの男に襲われた時全部思い出したの。私とアキトはすでに結婚し、新婚旅行のシャトルで誘拐された事。その後の人体実験の事も。そして、昨日夕耶君が命がけで守ってくれた事もちゃんと覚えてる」

そう言ってユリカが夕耶に笑いかけた時、夕耶は不覚にも泣きそうになってしまった。

昨晩語った願いが、受け入れられた事に。

「でも、一緒に行くとはどういうことですか? ここの警護なら軍にでもネルガルにでも頼めばいいじゃないですか。夕耶さんはアキトさんじゃないんですよ。一緒にいる意味は無いじゃないですか!」

「ルリちゃん……違うよ。アキトはここにいる。今私達の目の前にいるよ」

ユリカは夕耶に歩み寄ると、夕耶の手をそっと握った。

「僕が……アキトさん?」

「だってどう考えてもおかしいじゃないですか! ちゃんと見てください、確かにそっくりですけど夕耶さんの目は私と同じ。元マシンチャイルドですよ。これは後天的にどうにかなるものじゃ」

「理屈なんて、見た目なんてどうでもいいんだよルリちゃん。アキトが今目の前にいる。大事なのはそれなんだから」

「私には……ユリカさんが夕耶さんにアキトさんを重ねているとしか思えません」

「いつかルリちゃんにも解る時が来るよ」

「解りたくも無いです。そんなの」

「僕が……アキトさん?」

段々と場が混乱し始めたため、コウイチロウが一度咳払いをして収めた。

夕耶がアキトなのかの確認よりも、これからどうするかについての方が今は大切だったからだ。

「先ほどの話の続きだ。ユリカの言ったとおり、私とユリカはこれから夕耶君と行動を共にする。できればそのジャンク屋の船に乗せてもらうのがベストだ」

「後で連絡してみます。けれど、連れて行くかどうかは僕に一任させてくれませんか? 正直、いきなりアキトさんだと言われても……僕は僕を赤井 夕耶だと思っています。自分でかってに付けた名前ですけど、それなりに愛着もあります」

「アキトが、ううん。夕耶君がそう言うのなら、私はこれから貴方を夕耶君と呼びます」

「ありがとうございます。ユリカさん」

手を握り合う二人に対し、さすがのコウイチロウにも迷いが見えた。

娘の言葉を信じる事に決めたようだが、それでもと言った所だろう。

それ以上に複雑だったのはルリだった。

ルリにとってユリカの行為は姿さえ似ていれば誰でも良い、そんな風に考えているように見えるのだ。

同時に、それほどまでにアキトを想えない自分に対しても戸惑いが渦巻いていた。

「……解りたくもないです」





(僕が天河 アキトさんか……でも、結局は…………)

元々長期的な休暇ではなかったルリを、夕耶は送っていた。

と言っても、二人で親しげに会話をするわけでもなくそれぞれが勝手に思考の渦にとらわれていた。

送る意味が全く無い。

「何を、考えているのですか? 自分がアキトさんかどうかですか? それはないので一人で火星に向かってください」

「うん、多分その方がいいんだと思う」

わざとトゲトゲしく発した言葉なだけに、肯定されたルリのほうが驚いた。

「ユリカさんが本当の自分を取り戻した事は喜ぶべき事だと思うよ。でもユリカさんが僕の事をアキトさんだと思っても何も変わらない。結局は僕はアキトさんじゃなければ愛されない。ユリカさんに愛されたければ、たとえ嘘でもアキトさんでなければならない」

「確かに昨日までと何も変わっていませんね。貴方が自分を赤井 夕耶だと認識している限り、ユリカさんも貴方も何も出来ない」

「だからユリカさんを連れて行っても、苦しむのは僕だよ。でも……」

「でも?」

(その苦しみを越えるほどに、僕はユリカさんを愛している)

「いや、なんでもないよ」

積み重なった否定的意見を、そのたった一言が全て覆してしまう。

自分自身がわからないのに、他人を想う気持ちの方がはっきりしている事に夕耶は笑った。

「そう言えば、ルリさんは何をしにミスマルの家に来たんですか? 軍に身を置いているのなら、休日も貴重なんですよね。結局ゴタゴタして過ぎちゃったけど」

「コウイチロウさんに相談事があったのですが、とても個人的なことなので夕耶さんにはいえません」

「そっか……僕も記憶喪失だなんてホイホイ人に教えなかったし、言えない悩みってあるよね。でも、頑張ろうよ。悩みの向こうに幸せがあるかもしれないしさ、ね?」

「幸せですか」

(私の場合、アカツキさんとの結婚は不幸にならないための逃げ道。夕耶さんをアキトさんと重ねて偽りの幸せを目指すユリカさんとあまり変わりませんね。でも逃げ道にだって幸せはあるかもしれない)

ルリは少し足を速めて夕耶と距離をとると振り向いた。

「見送りはここまでで結構です。巻き込んだのか、巻き込まれたのかはわかりませんが……どうかユリカさんをよろしくお願いします」

「うん、任せて。僕が一体誰なのか……誰であっても、アキトさんじゃなくてもユリカさんだけは守って見せるよ」

「それでは」

小走りに走ってルリは手近な曲がり角で曲がり身を隠した。

あまりその行為自体に意味は無いが、ルリは右手のコミュニケをある人物へと繋げた。

その人物とはアカツキ ナガレであった。

「やあ、ルリ君。期限はまだあるんだけど、まさかもう決めちゃったのかい?」

「はい、結婚をお受けします。ですが条件があります」