機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第十三話[ Red Eye ]
ミスマル家の正面に立つ家の屋根に、月明かりに照らされて三人の男の影が伸びる。
それぞれが闇に融けるように気配を隠す中、明らかに異彩を放つなる男がいた。
彼の赤い目がうごめいた。
「情報では本日、星野 ルリが来日。その際に天河 アキトらしき人物と一緒にいる所が目撃されています。しかし、上の命令もなくよろしいのですか?」
「天河 アキトの確認が最優先だ。上もミスマル ユリカと星野 ルリを連れて行けば文句も無いだろう」
「御意、ネルガルと軍の護衛には別のものを向かわせてあります。これで心置きなくやれます」
「上出来だ。美しい、美しい月夜……宿敵との出会いには格好の舞台だ」
複数の影が夜空を舞った。
「な、なんだ!」
ミスマル家ですごす最後の晩、夕耶は一人寝ていた寝室で跳ね起き、立ち上がる。
夜の風が、ひりつく様な緊迫感を持って包み込んできたからだ。
最後だという事で眠りが浅かったのも多少影響しているだろう。
「なにか……なにかが来る。誰だ!」
窓のすぐ外でトンっとかすかな着地音がなり、夕耶は叫んだ。
「きゃーーーーーーーーーーーーッ!」
「ユリカさん?!」
驚く暇もなく、窓が割れ人影が飛び込んできた。
きらめく銀光に夕耶はとっさに右腕をかざすと、熱い何かが右腕の上を駆け抜けた。
数秒後ツッとしたたる血。
「つッ……誰だ。お前は!」
「これから死に行くものに名乗る名は無い。今日という日にこの家にいたのがお前の不幸だ」
銀光が薄暗い部屋の中で蜘蛛の巣のごとく逃げ場も無いほど駆け巡る。
一斬、一斬毎に夕耶の体に赤い線が生まれていく。
後から後からジワジワと痛みが広がっていく。
「大人しくしていれば楽に死ねる。受け入れろ、死を」
「ふ、ざけるな! ……くっ」
また一筋、夕耶の体に刃の跡が生まれる。
「良くかわす……だが」
飛び込んできた男は、気づいていなかった。
相手が良くかわすという事は、しとめ損なっているという事。
夕耶の技量は決して低くなかったのだ。
水平に走る銀光を夕耶は身を屈めて交わすと、すぐ後ろにまで来ていた壁に刃が突き刺さった。
男の一瞬の躊躇、夕耶は屈んだ状態から一気に体を伸ばし、伸びきった相手の腕を折れるほどに突き上げた。
骨がきしむ音が響き、夕耶は壁にささった刃を勢い良く抜いて、ひるんだ相手の喉もとめがけて走らせた。
「やるな……だが俄仕込みの太刀筋では!」
リーチを見切って身を引いて刃をやり過ごすと、再度間を詰めようとする男。
だが、鮮血が部屋の中で飛び散った。
「ば……ばかな。通り過ぎたはずの刃が遅れて、なぜ……ここに…………」
男の首深くに刃が刺さりこんでいた。
ゆっくりと男は崩れ、その首からも刃が抜け落ちる。
「ハァ…ハァ……、ユリカさん……ユリカさん!!」
夕耶はすぐにユリカの部屋へと走った。
ルリと一緒に寝ていたはずだが、最初の悲鳴以来声が聞こえていなかったのだ。
「コウイチロウさん!」
部屋に入り込むと、そこには手に銃を持ちルリを抱え込んだコウイチロウがいた。
ルリは意識を失っているだけで無傷のようだが、コウイチロウは左足に深い傷をおっていた。
「夕耶君、ユリカが……ユリカが連れて行かれた! 私はこのざまだし、ルリ君を置いてはいけない……君にしか頼めない。行って、くれないか?」
言葉で答える前に、夕耶は窓から外へと飛び出し裸足であるにもかかわらず走った。
遠くの屋根にはまだ人を、ユリカを抱えた人影が見えた。
それに向かい、ひたすらに走る。
「ユリカさん!」
夕耶の叫びが聞こえたのか、屋根の上を走る人物は口元を吊り上げ笑った。
そのまま夕耶から良く見えるようにして屋根を降りると、近くの公園へと入っていった。
そこは昼間、夕耶が訪れた寂れた公園であった。
「ユリカさん!!」
他に仲間がいるのか、罠があるのか。
それすらも考えることなく、夕耶は男が入った公園へと入っていった。
「良く来たな、天河 アキト」
「お前は……ユリカさんを返せ!」
ユリカを地面に寝かせると、男は待ち構えるようにして立っていた。
「その刃……桜火を倒したか。そしてこの短時間で追いついてくるとはさすがだな」
「ユリカさんを返せ、返さなければ殺します」
月に掛かっていた雲が流れ、月明かりに男の姿が映し出された。
真っ赤な学生服のようなものを着て腰まで髪を伸ばした男、異彩は服装だけではなくその目。
血のように赤い。
「良い台詞だ。黄金に輝く月が深紅に染まるほどに、存分に殺しあおうぞ」
「死ぬのはお前だけだ!」
桜火と呼ばれた男から奪った刃をやたらとふりまわす夕耶。
その太刀筋は粗いどころか、でたらめであった。
「何をしている天河 アキト、戦いを……戦いを汚す気か貴様! 闘争こそは人が行き着く先にある最高の美。その美の舞台で貴様は我が兄を倒したのだろう、天河 アキト!」
「煩い、煩い! 僕を天河 アキトと呼ぶな! 僕は赤井 夕耶だ、アキトさんじゃない!!」
「どういうつもりかは知らないが、貴様が天河 アキトでなければこの戦いは無意味。ミスマル ユリカだけ頂いていくぞ!」
男は夕耶から距離をとり、再びユリカを抱いて逃げようとする。
「ユリカさんに触るな!!」
夕耶は叫ぶと同時に本能に従って地面に手をついた、その目が光り輝く。
指先から十数の光の帯が地面の上を走る。
公園中に放置してある拳大の石が、光の帯の影響で淡い光を放ちながら浮かび上がった。
そのままユリカの体を抱えようとした男に迫る。
「石が……くっ、何だというのだ!」
男が元いた場所を、淡く光る石が勢い良く通り過ぎた。
淡く光る石はそのまま地面にめり込むか、鉄で出来た玩具に突き刺さった。
夕耶はすぐにユリカの元へと行くと、男からかばうようにして刃を構えた。
「貴様、赤井 夕耶とか言ったな……貴様は一体。天河 アキトではないらしいが、今のは中々美しい技だった。褒美に我が名を教えてやろう。我が名は北皇、天河 アキトに殺された北辰の弟だ」
「そんな事は知りません。二度と僕の前に現れないでください」
「貴様には我と美しき闘争を行う資質がある。二度も、三度も我は貴様の前に現れるだろう。それまで我が名を覚えておけ」
北皇と名乗る男が消えた後、夕耶は持っていた刃を落とした。
すぐにユリカへと振り返るとその体を抱きかかえ、呼吸を確認する。
「よかった……呼吸も変に荒くないし、しっかりしてる。たぶん、無事だ」
ほっとしたまま、眠るユリカの顔を覗き込む。
守りたいと思った。
人をこの手で直に殺してでも守りたいと思った。
「でも、ユリカさんが守ってもらいたいのは僕じゃなくてアキトさんなんだ」
どうしてもっと早く、出会えなかったのだろうか。
天河 アキトとミスマル ユリカが出会ってしまうもっと前に。
「すみません、ユリカさん。僕はずっと貴方をだましていました。僕はアキトさんじゃないんです。僕は赤井 夕耶……たった数日だけど貴方と一緒にいたのは赤井 夕耶という男なんです」
ユリカを抱く手にグッと力が込められる。
「目が覚めたら、また僕をアキトと呼んでもかまいません。だから頭のどこか隅に、一生思い出せなくても赤井 夕耶という名前を覚えておいてください。それだけで、僕は貴方の下を離れられる」
目すら開けていない相手に頼むお願い。
夕耶は自嘲すると、自分の背中にユリカを背負い歩き出した。
「覚えてもらえるわけないじゃないか……元々、赤井 夕耶なんて人間いないんだから。そんな人間何処にも……いないんだから」
泣きそうになる夕耶の背中で、うっすらとユリカの瞳が開いていた。
夕耶に気づかれない程度に、首に回した手に力が込められる。
愛する男にそうするかのように。