機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第十話[ Propose Marriage ]

夜の帳が下りてもなお、明るくライトに包まれたレストランにある一つのテーブルに、青年と少女がいた。

青年はスーツを着て長い髪をそのまま肩口まで伸ばしており、少女は髪を後ろで結い上げドレスを着込んでいる。

二人の座るテーブルには有名シェフの料理が並び、少し横を向けば街を一望した夜景が広がっていた。

「相変わらず、こういうのには慣れてないみたいだね、ルリ君」

「はい、おいしい事はおいしいのですが……好きではないです」

「ふ〜ん……どうだい最近の調子は?」

「火星の後継者も大人しいものです。もっともあの後、草壁中将がどうなったかまでは知りませんが」

事務的なルリの話し方にアカツキはしかめ面をしながらワインを流し込む。

「どうもはぐらかされているね。僕が婉曲に言いすぎたのかな? だったら言いなおすけれど、どうする?」

しかめ面が急に楽しそうな顔に変貌した。

どうも自分がどういう反応をするのか楽しんでいるようにしか見えず、今度はルリの方がしかめ面をした。

「いえ、自分で言います」

「そうそう、素直が一番」

「私、自分を少女と呼べなくなりそうです」

「まだ、遠いね。結婚を申し込まれている。それも政治家から企業人、軍人までと幅広く、年齢も様々。三十歳なんて、まだマシな方。果てはいつ死んでもおかしくない年寄りまでいる」

「楽しそうですね」

「とんでもない、友人に訪れた危機を僕は誰よりも憂いているよ。それがこんな可憐な女性ならなおさらだ」

とても憂いているような様子を見せずにアカツキは笑っている。

この人はどこまで本気なのか、探るのもバカらしいと顔をしかめる以上は何もしなかった。

その代わりしゃべる事すらしなくなったが、目の前のテーブルにひょいっと放り置かれた小箱に驚いた。

「楽しくないってのは本当だよ。その証拠にほら、エンゲージリング持ってきてるから」

さすがに放たれた言葉にルリは驚いた。

アカツキが自分を食事に誘う事がそもそも妙なことだったが、ここまでとはさすがに思わなかったからだ。

「まあ、断るにせよ話は最後まで聞いたほうが良い。君はもちろん、自分がなぜ結婚を申し込まれているか理解しているよね?」

「はい、私の軍でのアイドル的人気、そしてマシンチャイルドとしての力」

「そう、そして君の容姿、男なら誰でも抱いてみたいと思うのは仕方のない事だね」

「貴方と言う人は!」

テーブルを両手で叩いてルリが立ち上がると、慌ててアカツキが座らせようと両手で押さえてとジェスチャーをする。

「だから話を最後まで聞いてくれたまえ。このままでは君はいずれ必ず、見ず知らずの権力者と結婚させられ無理やり退役させられる。このまま断り続けても力づくか、最悪永遠のアイドルとして消される。艦もろともね」

「それは……私も気づいてました。でも私はどちらも嫌です」

「当然だよ。だから今こうして僕が提案している」

「アカツキさんと結婚ですか?」

「そこまで嫌そうな顔をしないでくれないか? 君にとって最良の提案だと思うけれど」

アカツキはワインを注ぎなおし、ルリにも少しだけ進める。

どうやらルリも素面では話せない内容だと思ったようで、躊躇なく受け取った。

「僕も君の力をビジネスとして欲しいと思っている。だがそれ以前に君とは友達だとも思っている」

「どうも、アカツキさん友達いないですもんね」

「君は酔うのが早いね、毒舌が増してるよ。……だから結婚と言う形を取るだけで、肉体的関係はもちろん感情も別。もし仮に君が誰か別の男を愛する事があれば、世間にばれない限りは止めないよ。その逆もありだけど」

一般的には最低の提案だが、まわりの権力者が行おうとしている事よりはよっぽどマシにルリには思えた。

そもそも見ず知らずの人間から愛を説かれるよりは、知った人から現実的な提案をされた方が納得できる。

ルリは間違いなく、悪い話ではないと思っていた。

「悪くはありませんね、気に入りはしませんけど」

「そうだろ? まあ、最後に友人としての助言を言わせて貰うのなら……愛も友情もない相手と結婚するぐらいならば、せめて友情のある人間と結婚するべきじゃないかな?」

「アカツキさんってスケコマシって呼ばれる割には口説くのが下手ですね。口説く時は愛をささやくのが基本ですよ」

「残念ながらありもしない愛をささやく事はできないんだ。嘘はきらいでね」

その台詞を聞いて、ルリはアカツキと同じテーブルについて初めて笑った。

「少し、時間をくれませんか?」

「もちろんだ。次の休暇にでも、ミスマル元提督に相談に行くと良い」

「考える時間を与えるなんて、やっぱり口説くの下手ですね」

「強引すぎると、次の日に会社つぶれちゃうから」

「バレました?」





同時刻、赤井 夕耶はかなりのピンチを迎えていた。

ユリカの自室とはまた、別の部屋。

敷かれた布団は一つなのに、置かれた枕は一つ。

「ユ、ユリカ……さん?」

「あ〜、アキトったらまたユリカの事さん付けで呼んで、いい加減にしないと怒るよ」

「いやその……ユリカ、これは一体…………」

夕耶は当然敷かれた布団をさしたが、あっさり当然の答えが返ってくる。

「お布団と枕だよ。だってユリカのベッドだと二人一緒に寝られないんだもん」

結婚直前の記憶ならば、それは当然の意見なのかもしれない。

だが、夕耶は赤井 夕耶であって、天河 アキトではない。

「はっ!」

廊下へと続くドア、その隙間から何かが光った。

コウイチロウの目が光、口元が断れと声無き声で何度も何度も繰り返される。

(マズイ、なし崩しになんてなったら、火星行きが……いや、その前にコウイチロウさんに消される!!)

「アキト、どうしたの?」

「ユリカ、僕の話を聞いてくれ」

ユリカの両肩に手を置いたことで、背後の廊下からカチャリと音が聞こえた。

(なに今の音、撃鉄? 本気ですかコウイチロウさん!!)

「アキト……」

(ユリカさんは、ユリカさんで勘違いしてるし!)

ユリカの目は確かに潤んでいた。

これは間違いなく、夜の生活を期待している。

「さすがにコウイチロウさんがいるし、実家じゃまずいよ。だから結婚したら、その時は……ね?」

「ん〜、アキトがそう言うなら……でもキスだけなら、いいでしょ?」

そっと目を閉じるユリカ。

困り果てた夕耶が廊下へのドアの隙間を覗くと、コウイチロウが顔を歪ませながら自分の額を指さしていた。

最低限、それぐらいは許してくれるらしい。

もっともそれぐらいしなければ、ユリカが引かない事をお見通しなのだろう。

「アキト」

せかす様なユリカの言葉に、夕耶は冷めた溜息をついた。

冷めなければ、冷静でいられなかったからだ。

そっとユリカの額に口付ける。

「おやすみ、ユリカ」

夕耶は部屋を出ると、すまないと一言謝ったコウイチロウに見向きもせず、あてがわれた部屋へと向かった。

ドアを閉め、誰もいない事を確認すると、敷かれていた布団に頭からもぐりこんだ。

「僕は赤井 夕耶だ。天河 アキトじゃない。僕は赤井 夕耶だ。天河 アキトじゃない……僕は!」

叫ばずにはいられなかった。

急速に惹かれていく自分と、時々混同してしまいそうな自分に。