機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第九話[ Fall In ]

アキトという人物の話を聞き、自らの見えぬ繋がりを得た気がした夕耶は、次の日にはすぐに出て行くつもりだった。

だから、朝になってウリバタケが付いてきて欲しい場所があると言い出したのは予定外のことであった。

そしてその場所が旧日本家屋を連想させる豪邸だったことは、予想外のことでもあった。

「ここはミスマル家、連合宇宙軍所属の提督の家だ」

「連合軍?! それじゃあ、その人に頼めば火星に」

「今日はそのつもりで連れてきたんだが……話はそう簡単じゃない」

「条件があるってことですか?」

「……ああ、それは本人を前にして言う。着いて来い」

少し表情が硬くなったウリバタケだが、夕耶は火星と言うエサを前に気づくことすらない。

ウリバタケが呼び鈴を鳴らすと、数秒と掛からずに一人の男が引き戸の玄関を開けた。

「ミスマルの旦那、コイツが例の赤井 夕耶だ。……笑っちまうほど、そっくりだろ?」

「あの、赤井 夕耶です」

夕耶が差し出した手を取るのに、ミスマル家当主、コウイチロウが動くのはワンテンポ遅れてのことだった。

男の目が夕耶をアキトとして見ていたからだ。

「ああ、遠路はるばるご苦労。私が元連合軍宇宙艦隊所属のミスマル コウイチロウだ。上がりたまえ、ウリバタケさんもどうぞ奥へ」

「まあ、このまま逃げたい気分だが……そうもいかないな。上がらせてもらいます」

「お邪魔します」

通されたのは奥、大きなテーブルのあるお座敷であった。

コウイチロウが座った対面にウリバタケと夕耶が並んで座った。

しばらくコウイチロウが黙っていると、お手伝いさんらしき人がお茶を運んできた。

コウイチロウはそれを全て飲み干してから話を始めた。

「夕耶君、君の事はあらかたウリバタケさんから聞いている。火星に、行きたいそうだね?」

「はい、軍によって現在規制が厳しいことも知っています。それでも……行きたいんです」

「私はすでに退役した身だが、軍には同僚も残っている故顔も利く。君一人を火星に送り込むことぐらい可能だろう。ただし、条件がある」

そう言ってコウイチロウが懐から一枚の写真を取り出し、夕耶に手渡した。

写っているのは青みが掛かった髪を長く伸ばした女性が写っていた。

ただ、その背後に写る背景は白に統一された病院……それに女性の目が、妙な感じを受ける。

「私の娘だ。今年で二十六になる」

「ミスマルの旦那、こっからは俺に説明させてくれ。連れてきたのは俺だし、旦那もこんな事は本来不本意だろう」

「すまない……頼みます、ウリバタケさん」

「えっと、全く条件が見えてこないんですけど」

「その写真の人はミスマル ユリカ。昨日俺が話した天河 アキトの嫁さんだ」

夕耶はその言葉に体が硬直するのをはっきりと自覚した。





ミスマル家にある一室、ドア一枚開けたそこには彼女がいるはずだった。

夕耶はもうドアを開ける前に、もう一度手にある写真を覗き込んだ。

「ウリバタケさんも、ミスマルさんも無茶言うよな……僕に一時的とはいえアキトさんの代わりをしろだなんて」

それでも火星に行くためだと、夕耶は観念してドアノブを握った。

写真で見たユリカは瞳に生気が無く、まるで目を開けながら夢を見ているような感じだった。

だからドアを開け一目見た時、彼女はやはり夢を見るような瞳でベッドに座り外を見ていた。

「お父様、アキトはまだなのかな。早く帰ってこないと結婚式に集まってくれるみんなに申し訳ないよ」

どうやら人が入ってきたことは気づいているようだが、コウイチロウだと思っているらしい。

「最近のアキトは意地悪なんだよ。ずっとずっとユリカの事待たせて、昔はユリカ、ユリカって追いかけてきたくせに」

彼女の時間はアキトを失った事で、一番幸せだった頃まで遡りそこで止まっていたのだ。

彼女の時間を再び動かすために夕耶は呼ばれたのだ。

「ねえ、お父様聞いているの?」

彼女が振り向いて夕耶を見た時、劇的に変化が訪れた。

瞳に確かな意志が宿り、笑顔と共に輝きを取り戻し始めた。

夕耶は彼女のその瞳に飲まれるように、動けなくなってしまった。

「ア……キト」

自分を見て別人の名を呼ばれる。

ウリバタケの時はそうでもなかったのだが、ユリカに呼ばれた時、夕耶は確かな痛みを胸に感じていた。

「アキトー、どこ行ってたの? 結婚式を前に怖くなったなんてこと無いよね? ユリカを大好きなままだよね?」

ベッドから駆け下りて夕耶の胸に飛び込むユリカ。

胸に感じる痛みと、湧き上がる幸福感に軽いパニックに陥っていた。

「ねえアキト、何とか言ってよ。ユリカずっと待ってたんだよ!」

「ご、ごめん。ユリカ……さん」

「なんでそんな他人行儀なのアキト、もうすぐ夫婦になるんだよ私達。さんなんて要らない、名前だけで呼んでアキト!」

「ユ……ユリカ。ただいま、ユリカ」

名を呼ばれるたびに、呼ぶたびに夕耶は心臓を針で貫かれるような痛みを感じた。

胸に飛び込んできた彼女の背中に回した手が、震えている。

「おかえり、アキト」





「ミスマルの旦那、俺がもちかけた話ですが……本当によかったんでしょうか?」

二人の様子を廊下で覗いていたウリバタケがつぶやく。

「それは私にもわからない。それでも、ユリカの笑顔を数年ぶりに見ることができた。それが今、嬉しくてたまらない。客観的には自己満足だと思ってはいても、嬉しいのだ」

「俺も娘を持つ身だから、多少はわかるつもりです。旦那、とりあえずここは二人だけにしておきましょう」

「ああ、そうだな。あの子はアキト君ではないが、似た雰囲気を感じる。二人きりでも問題は無いだろう」

轟々と流した涙をふき取りながらコウイチロウは部屋の前を離れ、ウリバタケもそれに続く。

「唯一つ、問題があるんですが」

「ルリ君、のことかね?」

「さすが提督、話が早い。ルリルリはアキト同様、ユリカ嬢も溺愛している。もしもアキトの代わりをあてがったなんて知れたら」

「激怒するだろうな……それだけならまだしも、ユリカの目の前で真実をばらすかもしれない」

潔癖な少女から見れば、愛する人の変わりなど軽蔑することしか出来ないだろう。

彼女自身、アキトに特別な感情を抱いていたのだからなおさらである。

「それで、そのルリルリ当人は今何処に?」

「地球にいるよ。今夜、ネルガル会長のアカツキ氏と会食の予定だ」

「あのアカツキとですか?」

「ああ……今夜、彼からプロポーズされる予定だ」

その言葉に、ウリバタケは言葉を失い何も言えなくなった。