機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第七話[ The Choices ]

「明日にはもう、地球に着くのか」

感慨深げにつぶやいた夕耶が見ていたのは、窓から覗く地球ではない。

ダリア達が例の商品と呼ぶ、黒い機動兵器の前である。

わざわざダリアに許可をとってまで見に来たのだ。

船を降りるかどうかの決断をする前に。

「僕は、一体なにがしたいんだろう。火星……本当に僕はそこへ行かなきゃ行けないんだろうか? いや、行きたい。でも……ここにもいたい」

夕耶は迷っていた。

船を下りて火星に向かうか、下りずに今の生活を続けるか。

たった一行で終わってしまうような悩みだが、事の重大さは文の長さに比例しない。

「たぶん僕は火星に行かなくても、ここにいることで楽しくやっていける。じいさんにシークさん、ダリアさん。みんな僕に良くしてくれる。このまま赤井 夕耶として生きていける。だけど……それが幸せなことなのかまではわからない」

見上げた黒い巨人は問いかけても何も返してこなかった。

当たり前のことだが、夕耶は泣きたいぐらいに寂しくなった。

「お前なら、なにか僕に教えてくれると思ったんだけどな。じいさん達に相談すれば、たぶん残れって言ってくれちゃうから」

「それはどうじゃろうな。勝手に決め付けるとろくな答えがでんぞ」

「じいさん、なんでここに……」

「いくらなんでも大事な商品を一人で見させるわけにはいかんじゃろ。何かあって疑われて困るのは坊主だぞ」

「そうですか」

夕耶は黙ったまま、じいさんに向けていた視線をすぐに黒い巨人へと移した。

これ以上なにか口にすれば相談してしまいそうだったからだ。

だが、爺さんの方から口を開いてきた。

「さっきのじゃが、わしは仮に坊主に相談されても残れとは言わんぞ」

「えっ……」

「言っておくが残って欲しくないわけじゃないぞ。わしはこの船で大勢の若者を見てきた。戦いの中死んでしまった者、船を下りて幸せになった者、ずっと決断しきれずいる者。そんな奴らを大勢みてきた」

じいさんも夕耶と同じように黒い巨人を見上げた。

だが見ている視線の先は当に過ぎ去った過去へと向いていた。

「そんな中には、どんな決断をしようと必ず行き着く先が決まっている。いわば運命が決まっている人種がいた。坊主、お前さんも恐らくはそういった人種じゃ。わしの経験がそう言っておる」

「運命……僕の」

「さすがにわしは占い師ではないから、どんな運命が待っているかはわからん。だが船に残るにせよ、降りるにせよ、火星は坊主の運命の一部なのじゃろう。いずれ行くときが来るじゃろう」

「僕の運命が火星にある」

「あくまでわしの勝手な想像じゃがな。う〜……今夜は冷えるわい。坊主、いつまでもこんな所にいては風邪をひいてしまうわい。戻るぞい」

「あ、はい。あの、ありがとうございました。まだ答えはでてませんけど、少し心が軽くなりました。火星だけにこだわらずに考えてみます」

夕耶が頭を下げると、じいさんはニッと笑った。

何もかも一人で解決されるよりは、意見を聞き、言ってやりたいのだ。

それは歳を経て老いた人間の一つの楽しみでもあったから。





「やけにあっさり行っちまう決断をしたもんだね」

降り立った地球の空港。

派手に傷ついた船の前にはダリアを先頭に、男達が並んでいた。

その正面に立つのは少ない荷物を抱えた夕耶である。

「あっさり決断したわけじゃありません。これでも悩んで考えました」

「その結果が船を降りるという決断なんじゃな?」

「いえ、違います」

じいさんの言葉を否定した夕耶に対し、誰しもが疑問符を浮かべた。

「僕はこの船が、皆さんが大好きです。だから、火星に行って成すべき事を成したのなら、また戻ってくるつもりです。だから降りるわけじゃありません。一時的に離れるだけです」

「なるほどな、そいつは良い案んじゃ」

「こいつはまた随分と欲張りな決断をしたもんだ。いいじゃないか、好きだよそういうの」

「って事は、夕耶君が戻ってきたらまたこの船に?」

「ああ、乗せてやる。もう坊やのコックとしての腕はこの船に必要なもんだ。全てが終わったら連絡しな」

「はい、ありがとうございます」

夕耶はダリアから連絡先の書いてある紙片を受け取ると、深く頭を下げた。

何も無い自分の、初めて出来た帰るべき場所が出来たことに対する、最大限の感謝だ。

「それじゃあ、行ってきます」

夕耶はクルリと振り返ると空港内へと向けて、ゆっくりと歩き出した。

その背中に多数の声がかけられる。

「できるだけ早く戻って濃いよ、夕坊!」

「ずっと待ってるからな!」

「また美味いラーメン食わしてくれよ!」

声をかけられても夕耶は振り向かず、右手を上げるだけに留めていた。

それはまた会えるからという強い意志を持って船を離れることを決めたからだ。

名残惜しんで振り返る必要など無い。

「行ってしまいましたね、夕耶君」

「そうじゃな……坊主が何をするために火星に向かうかは知らんが、また戻ってくる。それで十分じゃ」

「確かにな。よしっ、それじゃあアタシらもお得意さんの所へと向かうとするかい」

男達がぞろぞろと船に戻り始める。

空港へよったのは、夕耶を降ろすためだけだったからだ。

「しかし、改めて外で見るとかなり船が傷ついた事がわかるのぉ」

「なに、相手は火星の後継者だ。せいぜい金をふんだくってやろうじゃないか、クリムゾンからさ!」

太陽の強い日差しのもと、ダリアの声が響いた。