機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第六話[ Years Old ]
夕耶がジャンク屋の船のクルーとなって二週間が過ぎた。
最初は戸惑うことが多々あったが、気のいい人たちの間でしだいに夕耶の緊張も解けていた。
だが、気が緩めば今まで気にしてもいなかった事が気になってくる。
「夕坊、飯美味かったぜ。また今夜も美味いの頼むぜ」
「……はい。どうもありがとうございました」
「夕坊、俺カツ丼な。卵は半熟で頼むわ」
「……はい、わかりました。ちょっと待っててください」
厨房を覗いて声を掛けていた男たちは、その後に一様に首をかしげている。
ほんのわずかだが、名前を呼ばれたときに夕耶の顔に不機嫌が浮かぶのだ。
幸いにして気づかれることはないが、不機嫌であることに代わりはない。
その理由とは。
「坊主、坊や、夕坊……」
自分の愛称、呼び名を夕耶は連ねてつぶやき、そして思う。
「僕って一体幾つなんだ? 鏡を見た限り、二十歳はいってそうだ。それはたぶん、間違いない」
専用のなべにカツをしいて、溶き卵を流し込む。
ちゃっかり仕事を行いながら、夕耶の思考は続く。
「だったら何で坊やなんだ? じいさんが坊主と呼ぶのはしょうがない。じいさんから見ればシークさんだって、他のみんなも坊主だと思う。ダリア姐さんが坊やと呼ぶのは……んんっ、言及は避けよう」
「夕坊、俺急いでるからはやくしてくんねーか? 半熟って言ったろ?」
危険区域の言及を避けた夕耶に届いたのは、悩みを直撃した男の声。
夕耶がカツを一切れ鍋からこっそり減らした事を誰が攻められるのだろうか。
「カツ丼です!」
ドンっと叩きつけるように丼を出した。
「お……おう、ありがとうよ。機嫌悪かったか?」
「やっぱりおかしい! どう考えても同い年の人からも坊や呼ばわりはおかしい!……でも、もう定着しちゃってるし。でもやっぱり定着そのものがおかしい!」
厨房のステンレス台を両手で叩きながらも、その勢いはしおれて、また再燃する。
基本的にいやではなく、ただ納得ができない状況に夕耶ははまり込んでいる。
「夕坊、俺ラー」
「店じまいです!」
「へっ……店、じまい??」
「やっぱり納得できません。今日は店じまい、お休み、定休日、もう作りません! あしからず!!」
「「「「「「なにー!!!」」」」」」
いま丁度食堂に入ってきた数人が、突然の休業宣言に悲痛な叫びを上げた。
そんなちょっとした、言ってしまえばどうでも良い事件がおきた日の午後。
ブリッジに五名の勇士が集められた。
四人の前に、黒タキシードを着てマイクを持ったシークが進み出る。
「え〜、それでは第一回、夕耶君が仕事を放棄してお腹すいた会議を始めたいと思います。司会進行兼調査員のシークです」
「わざわざそんな体裁とらなくても、お前一人で全部調べて結果だけ報告すればいいんじゃねえのか?」
「たしかにそうですよね。それに私とお姉さまは自分で作るから関係ないし」
会議が始まって数秒、勇士の二人が脱落している。
「いきなり出鼻をくじかないでくださいよ。もはや、俺一人で解決できる問題でもないんです。夕耶君の料理に餌付けされたのは俺だけでなく、この船の大半の人間です」
「餌付けされてる自覚があったんですね」
「ミズキさん、だから……」
「ミズキ、グレイ。話を最後まで聞きな。アタシも多少は坊やの世話になっている。坊やの悩みがなんなのか、解決できるものならしてやろうじゃないか」
「ダリアのいう通りじゃな。坊主のおかげここ二週間、クルーの就業能率があがっておる。つまり坊主が休むことで能率ががた落ちする可能性もある」
「お姉さまがそういうのなら……」
年長のダリアとじいさんが会議執行派であることがわかり、ミズキはあっさりと従う。
だが、グレイはそうではないようだ。
「まあ話はわかったが、姐さんもじいさんも夕坊に甘いんじゃないのか? 夕坊のコックは仕事だろ? ガキじゃねえんだ、仕事をしないのなら警告。それでもしないのなら厳重注意。それでも駄目なら……って所だろ?」
至極真っ当な意見であるが、誰もがその意見に渋い顔をしている。
「それは最終手段だと思ってます。夕耶君はすでにこの船の食を握ってますからね。誰もその注意役をやりたがらないんですよ」
「ああ、もうわかった。俺もそんな役を引き受けて恨みは買いたくない。続けてくれ」
グレイもどっかりと操舵輪に瀬を預け、話を聞く覚悟を決める。
「まずはこちらのグラフをご覧ください」
シークがリモコンを操るとブリッジ内にウィンドが開きとあるグラフが表示された。
それは棒グラフであり、縦に夕耶の不機嫌率が表示されている。
「お前、実は暇なだけだろ。こんなこったグラフまで用意して」
「それでこのグラフはですね」
シークはあっさりとグレイを無視して続けた。
「このグラフから判ることは一つ。名前です。夕耶君は名前を呼ばれるとき、不機嫌になることが多い。いえ、不機嫌になると言ってしまって良いでしょう」
「自分の名前が嫌いってことかしら?」
「それはないじゃろ。坊主はあの出撃時に思いっきり自分の名前を叫んでおったからな。ダリア、お前さんはどう思う?」
「そうだね。名前と言っても坊やは呼び名がたくさんある。その内訳は出せるかい?」
「もちろんです」
「お前、やっぱり暇だったんだろ」
グレイの突っ込みはまたしても黙殺された。
ウィンドに新たなグラフが表示されたが、偏りが大きい。
「ダントツで夕坊、遥かに下がって夕耶君、坊や、坊主がどんぐりの背比べだね。坊という字を一まとめにするなら、さらに差は広がる」
「結論見えてませんか? つまり坊や呼ばわりが嫌だと……そもそも夕耶君って幾つなのかしら」
「わしは最初から坊主を坊主呼ばわりじゃったからな。歳は聞いとらん」
「私は同い年、二十歳だと思いますけど。さすがに私もこの歳でお嬢ちゃんとか言われたらキレますよ。馬鹿にされているとしか思えませんから」
「よし、坊やをいますぐここに呼べ。結論が出たのなら、即刻解決すべきだ」
「それじゃあ、呼び出しかけますね。くれぐれも坊呼ばわりは禁物ですよ」
急に呼び名を変えることが出来るのか。
それぞれが口の中だけで夕耶と言い切る練習をしている中、艦内放送は掛けられた。
「赤井 夕耶君、赤井 夕耶君。艦長がお呼びです。至急ブリッジに上がってください」
ブリッジに上がってきた夕耶は少なからずおびえていた。
勢い良く食堂の休業にでたのはいいが、仕事であることを前提に呼び出しを考えていなかったからだ。
「あの……仕事にはすぐに戻りますんで、すみません少しイラ付いてただけなんです」
「夕耶、謝らなくていい。別にしかるために呼んだわけじゃない」
ブリッジに入って早々平謝りに徹するが、予想外の声が掛けられた事に目を丸くする。
ダリアが自分を名前で呼んだからだ。
「お前の悩みについてはこちらでも検討した。たしかにその歳で坊や呼ばわりは嫌だったろう」
「え……あ、まあ。一応二十歳は越えてますし」
「今すぐには無理だが、できるだけ坊や呼ばわりをすることは皆に止めさせよう。そうすれば気持ちよく仕事ができるな?」
「それは確かにそうですけど」
夕耶の歯切れが悪いのは、百パーセントそれが嫌だったわけではないからだ。
その理由をしり、納得できれば別だったからだ。
「まあ呼び名なんてどうでもいいと思うが、俺も気をつけて呼ばないようにするぜ夕耶」
「すまんかったなぼ、いや夕耶。お前も成人の男じゃったからな」
「ありがとうございます。でも、じいさんとダリアさんは今まで通りでいいんですけれど……あっ」
夕耶は気づいていたはずの地雷をはっきりと踏んでいた。
ブリッジにいる全員が、その事に気づいている。
その証拠に、空気が冷たく凍り付いていた。
「ちょっと待ちな、坊や」
ダリアの呼び方が元に戻っていた。
「何故……このアタシがじいさんと同列なんだい? 坊やからの挑戦状と受け取るつもりだよアタシは」
「えっと……それは、その…………あは、あはははは」
「気の利かない坊やは坊やのままで十分だ。くだらねえ事で悩んでないで、さっさと仕事に戻りやがれ!!」
「す、すみませんでしたッ!!」
慌てて逃げ出した夕耶の背中に、怒りの収まりきらないダリアの叫びが届く。
「アタシはまだ二十八だよ!!」
二十八といい続けているのは五年以上前からだとブリッジに残った四人の誰もが知っている。
だがそのことを今、目の前で突っ込むことなどできる様子ではなかった。