機動戦艦ナデシコ
−Fix Mars−
第三話[ Cook or Pilot ]

当然と言えば当然のことながら、飛び入りのような形で船に乗り込んだ夕耶に当てられたのは小さな部屋だった。

いや、部屋は部屋だが個室とは呼べない。

そこは格納庫の隅にある整備班用の休憩室だった。

もっともこの船の整備関係は通称、じいさんが仕切っており一人きりなので個室かもしれない。

「あ〜、やっと終わった。疲れた……そういや、腹へってたんだっけ。忘れてた」

一度ゴロリと畳の上に寝転んだ夕耶は腹を押さえるとすぐに起き上がった。

すると艦内放送の前兆である警報音がピンポンパンポンとなる。

『これより本艦は出航する。一応の規則だから、出航開始からしばらくは大人しくしておけ。以上だ』

「女の人の声? オペレーターにしては言葉遣いが荒いなぁ。……いや、そんな事より飯が先だ」

深く考えずに夕耶は休憩室を出て食堂を目指した。

道案内の矢印を見ながら歩いていくと、やけに騒がしい部屋が見えてくる。

食堂と看板が天井に下がっていることから間違いないだろう。

「食堂がにぎやかって事は美味いのかな? う〜、ますます腹が減ってきた」

少し小走りに夕耶は走り始めた。

「やんのかこらー!!」

食堂の入り口まであと一歩というところで聞こえてきた怒声に、夕耶は入室を踏み留まった。

「な……なんだ、今の声は?」

「やらいでかこのチリチリヘアーがっ、試験管に入れて塩酸流し込むぞこらっ!!」

「てめぇ、水素をなめんじゃねえぞ。かなりの勢いで爆発し殺すぞ!!」

「姐さんに殺されない程度に殺しあってろ。あっそれダウト」

「なっ、俺を疑うのかお前。違うぞ、撤回しろ!」

「いいからめくれよ」

そっと入り口から中を覗いた夕耶は絶句した。

体裁は確かに食堂だった。

テーブルがあって椅子があってカウンターがあって……だが、そこにいる者たちが問題であった。

「な、なんでみんなガタイのいいヤツばっかなんだ? 喧嘩して酒飲んで、ダウトで賭博しながら煽ってるよ」

この食堂という名を借りた魔界に入るにはかなりの勇気がいる。

夕耶は精一杯の勇気を振り絞り、食堂の隅っこをコソコソと移動してカウンターまでたどり着く。

「なにこそこそしてるんだ、君は? あっ、新入り君か? 大抵のヤツはこれを見て三日で下船するな。引き返せなくなる前に君も考えた方がいいかもね。で……何にする?」

「はあ……何にすると言われても何があるんですか?」

「いや、厨房に入って勝手に作って勝手に食べればいい。俺はコックじゃないからね」

「はっ?」

「この船にコックはいない。基本的に当番制なんだが、誰一人当番を守ったことがない。唯一料理ができるのは姐さんとじいさんだからね……あの二人に作らせるわけにもいかない」

「姐さん?……まあいいや、勝手に作ります」

夕耶は厨房に入り込み、冷蔵庫や保管庫、ジャーを覗き込む。

厨房側からカウンターに両肘を着いていた男は黙ってその様子を見ている。

「そもそも僕は料理ができるのか?ん〜深く考えるのはよそう……ご飯はあるし、卵と野菜少々。チャーハンでいいか、すぐできるし」

まずは材料全てを揃え、下ごしらえを始める。

単に卵を割り、野菜を細かく切るだけだが。

「微妙に手際よく見えるが……経験者なのか?」

「…………」

「だんまりかい。お〜い、新入り君?」

包丁を持った手が迷いなく、むしろ進んで動いていくことを夕耶は自覚していた。

経験者、料理人とまではいかなくても趣味としてやっていたのかもしれないと思う。

小さな発見だが、夕耶にとっては嬉し過ぎる発見だった。

「よしっ、後は中華鍋で」

鍋の重さも気にならないどころか、腕にかかる重みが心地よい。

「むちゃくちゃ楽しそうだね、新入り君」

「赤井 夕耶です。実際、むちゃくちゃ楽しいですよ。やってみますか?」

「遠慮しておくよ。ただ……できたら少し食べさせてくれるとうれしいな、夕耶君」

「ちょっと量配分間違えたから二人分ぐらいならありますよ。えっと、名前聞いてもいいですか?」

「シーク アンダーソン。シークでいいよ、夕耶君」

追加分の皿を取り出すと、そこへ鍋から出来上がったチャーハンをのせていく。

立ち上がる湯気の香ばしさが食欲をそそる。

シークは小さく頂きますというと、チャーハンを口へと運んだ。

「んぉ、アッ……はふ、うまっ! 趣味から一歩も二歩も抜きん出てるよ、これ!」

「そ、そうですか? うれしいような、恥ずかしいような。……うん、美味い」

数時間ぶりに腹に収めたチャーハンの熱さが体中に広がっていく。

「本当に、自分で作っておいて言うのもなんだけど美味いや。本当に趣味以上でやってたのかも」

「かも?」

「え、あ……いや。うん、カモ肉をいれると不思議な旨味がでてこれがまッ!」

無理のあるごまかしを使おうとした瞬間、船が轟音と共に激しい揺れに見舞われた。

夕耶は座っていた椅子から投げ出され、食堂内で騒いでいた者たちも即座に身を伏せ耐えている。

食堂に、船全体に警報が鳴り響き、出航時の女性の怒声も響く。

『お前ら、敵襲だ。死にたくなけりゃ、直ちに配置について盛大に迎えてやんな!!』

「敵襲?! コロニーを出て一時間もしないうちに? 夕耶君、とりあえずガスの元栓を締めて。他の火元もだ」

「わ、わかりました。けど、敵襲って一体、ンギャ!」

揺れが収まってきたと思った瞬間に新たな振動が襲い、夕耶は壁に頭をぶつけた。

「コロニーの近くで襲撃なんて、まともな相手じゃない。夕耶君、君の配置は?」

「格納庫のトラック運転手です」

「……関係ないかもしれないが、配置は配置だ。付いてくるんだ」

「あ、ちょっと待って!」

夕耶はまだ揺れの続く床から何とか立ち上がるとシークの後を追い始めた。

長い廊下を全力疾走で走りぬける。

時折、外の見える窓からは光の玉が何度も生まれては消えていった。

そのたびに船が揺れる。

「一体、敵って何なんですか?!」

「わからない。さっきも言ったとおりコロニーの間近で襲撃なんて正気じゃない。下手にコロニーを傷つければ世界を敵にまわす。商売敵でも海賊でもないと思う!」

「コロニーを……ッ!!」

一際大きな閃光が外壁を食い破り、空気が外へと流れ出した。

「うわっ!」

「夕耶君、手を!」

浮かび上がり吸い出されそうになった夕耶の手をシークが掴んだ。

シーク自らも壁に手を掛け耐えるが、顔に浮かぶ苦悶の表情から長くはもたないことは明らかだ。

「くっ……駄目だ。隔壁を、夕耶君隔壁を閉じないと」

シークの言葉から夕耶は半分からだが浮いた状態で辺りを見渡した。

隔壁を閉じるコンソール、もしくは緊急ボタンを探す。

「隔壁、隔壁を……駄目だシークさん。見当たらない!」

「このままじゃ、くッ!」

ほんのわずかだが、汗でお互いの手がすべり夕耶の体がわずかだが外へと近づいた。

夕耶が振り向いた底は深淵の宇宙。

もう数分と掛からないうちに外へと投げ出され、そして死ぬ。

夕耶の背筋が冷え、金色の瞳が輝きだした。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

繋いでいない方の手が合金製の床に置かれた。

その手から床を伝い幾本もの光の帯が走るとガコンっと隔壁が折り始めた。

「隔壁が、今のは一体?!」

隔壁が閉じるにつれ、外へと吸い出される空気の量が減り、夕耶はやがて床に足を着いて座り込んだ。

「はぁ……はぁ、たす。助かった」

「何故急に隔壁が、ブリッジで誰かが操作してくれたのか。いや、そこまで戦闘中に気が回る奴はいない。君が、やったのか?」

「はい? すみません、シークさん。俺もう足が震えて、走れません。先、行ってください」

「あ、ああ。先に行くが、あまり長くここにいるんじゃないぞ。次はどうなるか判らないからな」

走り出したシークの姿が見えなくなってから数分後、ようやく恐怖が去りだした夕耶はゆっくりと動き出す。

壁に寄り添って歩き出した夕耶の手と足は震えたままだった。

「行かなきゃ、まだ死ねない」





ようやく夕耶が格納庫にたどり着いたころには、格納庫の中がやけにすっきりしていた。

夕耶が運び込んだコンテナが開かれていたからだ。

「じいさん!」

「おお、坊主無事だったか。シークから話は聞いた、大変じゃったな。部屋の奥に隠れとけ!」

「え、でもじいさんは?」

「お前がいたからなんの足しになる。邪魔にならんように……ああ、もうなんじゃい!」

話の途中でじいさんの腕時計が鳴り、ウィンドウが開き赤髪の女性が映った。

『じいさん、ボンズがやられた。シークだけじゃ、持たない。予備の機動兵器はないのか?!』

「シークさんが……」

「命を粗末にしよって、ばかたれがッ! 予備の機動兵器もパイロットもいないのはダリア、お前さんが一番良くしっておろう!」

『クッ……いや、まだある。この際仕方が無い、例の商品を使え。壊れているといっても動けないわけじゃないだろ!』

「どの程度壊れとるか、その目で見てみい! それでも同じ台詞をはけるのか!!」

じいさんがポケットから取り出したリモコンでスイッチを入れる。

格納庫の一番奥に置かれたコンテナ、それが開いていく。

夕耶は突然出てきたシークの名で部屋に逃げ込むのを踏みとどまったまま、現れた機動兵器を見た。

「……黒い、巨人」

「どうじゃ、これだけ壊れていれば外に出た途端に狙い撃ちじゃ!」

『仕方ないね。気合入れなおすよ!』

「じいさん」

「なんじゃ、坊主は隠れておれと」

「僕が、出ます」

夕耶の震えが消えた。