long long stairs

第二十四話 過去の真実


小さなシンジが咳をするベッドの横には、今は亡き妹と母がいた。
辛そうにベッドに体を横たえるシンジを心配そうに眺めている。

「・・・ッほ、ごほ」

「お母さん、おにいちゃんは? お兄ちゃんは大丈夫なの?」

「熱はないようだけれど」

心配する事には慣れていても、誰かを心配する事に慣れていないレイは涙目になりながら母を見上げる。
ユイはそんなレイを安心させるように頭をなで、もう片方の手のひらでシンジの額に触れた。
呟いたとおり、それほど熱が高いようには思えないがと思いつつ、シンジの頭も撫でた。

「シンジ、これからお母さんとレイは買い物してくるから。お雑炊を作ってあげるわ。しばらくして体が楽にならなかったら病院へ行きましょう」

「・・・・・・・・・うん」

「おにいちゃん」

普段自分を守ってくれていた力強い兄の、消えるような呟きにレイの不安が増していく。

「お母さん、私お兄ちゃんと一緒にいる。お留守番してる」

「ダメよ。レイにまで風邪がうつっちゃ大変でしょ。たまに覗くぐらいなら良いけど、ずっといちゃダメなの」

「でも」

「大丈夫」

珍しく食い下がるレイにシンジが僅かに首を傾け呟いた。

「僕は大丈夫だから・・・お母さんの手伝いをしてきなよ」

「・・・わかった」

不承不承といった感で呟いたレイの手をユイが引っ張っていく。

「それじゃあ、シンジ。少しの間だけだから待っててね。美味しいお雑炊作ってあげるから」

「ありがとう、母さん」

「お兄ちゃん、私もお母さんのお手伝いするから」

「がんばってね、レイ」

部屋を出る最後まで手を振っていたレイにそっと片手を振ったシンジ。
二人が玄関から出る音が聞こえてから五分立たないうちに、シンジの苦しげな演技は終了した。

「ごめん」

心配そうにしていたレイとユイ、そして仕事に行く前に顔を出した父と見舞いに来ていたアスカに謝罪の言葉を呟いた。
自らの行為に対して。
仮病と言う演技をした事に対しての謝罪だ。
だが決して届かぬ謝罪をしてはいても、シンジは心配をかけたこと自体は悪いと思っていなかった。
それは今日が最初で最後のつもりだったから。

レイの体が弱い事はシンジも十分に理解していたし、常にレイを守ろうと頑張ってきたつもりだった。
だから両親の関心が自然とレイに集まる事も仕方ないと考えられはしていた。
それでも、小さな体でそう考えるにはシンジは幼すぎた。
必死に理解しようとすればするほど、一日でいい・・・数時間でもいいと誘惑される。
ほんの少しでも自分を見て欲しい。
ふと浮かんだ誘惑は、シンジを強く魅了し、現在の仮病と言う手を使わせることとなった。

そして誘惑に負け、望む物をほんの一時でも掴んだシンジはゆっくりと目を閉じた。





どれほど時間がたったのか。
時計をみると、まだ三十分経ったかどうかというところであった。
もう一度目を閉じたが、すぐに目を開けてしまう。
昼間から寝ることなどないのだから、当たり前なのかもしれないが、シンジの目がやけにさえていた。
あるいはそれは胸騒ぎだったのかもしれない。

「シンジ!」

仕事に出かけているはずの父の声が突如聞こえ、驚いたシンジは入り口のドアへと視線をやる。
じきに部屋へと飛び込んできた父の様子は尋常ではなかった。
よほど慌ててきたのか大量に汗をかいていた。

「シンジ、来い!」

「イッ、痛いよ父さん」

「急げ、そのままの格好でかまわん!」

言葉どおり急ぐようにシンジの腕を掴んで立たせると、部屋の外へと連れ出そうとするゲンドウ。
そのあわてぶりに、仮病がばれたという考えは浮かんでこず、シンジは従った。
ゲンドウは何も説明しないままシンジを車へと押し込み、運転手に急げと場所を教える。

「市立病院だ」

「わかりました!」

運転手は理由を知っているのか、ただ頷く。

「父さん? いったいどうしたの?」

車に乗ることでようやく父に理由を問える空白の時間ができたが、ゲンドウは何も語ろうとせず、唇を強くかんでいた。
信号を数回無視するような無茶な運転で行き着いた第三新東京市立病院。
シンジにはまだ字が読めなかったが、慰安室だった。
部屋の安置台に横たわるのは、シンジの良く知る少女だった。

「間に・・・・・・・・・」

「貴方、シンジ・・・」

安置台の横にいたユイが二人に走り寄る。
なにか二人が言葉をやり取る中、シンジは安置室の入り口に突っ立って横たわる少女を見ていた。
良く知っている、一時間も立たない前に手を振った・・・妹。

もう、二度と動く事の無い妹。

「僕が・・・」

シンジの心に、冷たく重い楔が打ち込まれる。
幼い心を凍てつかせ、砕く。
仮病なんて、父さんと母さんに甘えようとしなければ・・・レイは。

僕のせいでレイは・・・・・・僕がレイを殺したんだ。









焦り、焦燥、不安・・・そして怒り。
全ての陰の気を含んだ言葉が全ての老人達から放たれる。
その様子を綾波レイは何も口にする事無く、ただ見ていた。

「あれは一体何なのだ。アダムでもリリスでもない・・・だが他の使徒とも違う」

「いや、復元したとしたリリスに限りなく近い物である事には間違いが無い」

「だが別なのだろう?」

「ゲンドウめ、思えば奴にカードを与えすぎたのではないのか」

現象の解決ではなく、現象の原因だけを責める言葉が続く。
だがそれだけでは何も解る事は無く、綾波レイは目前に映し出されている映像を見上げた。

ゼーレ曰く、限りなくリリスに近いが違うそれは白い肌の巨大な女性であった。
だがそれは見た目の話であって、綾波レイはあれは元自分の体だと理解していた。
ただし抜け殻ではなく、一個の使徒として存在している。
そこまでの理由はまだわからなかった。

「一堂、静まれ」

たった一言で、それまでざわついていた全員が口を閉じた。

「綾波レイよ、お前にアレの正体がつかめるか?」

「いいえ」

正直に答えたつもりだった。
確かにあれは自分の体だと言えるが、自分ではないと言える。
その曖昧さと、他の考えが綾波レイの口を閉ざした。

「情報の少ない物についての議論は無意味であろう。今考えるべきは補完計画、その柱となるべき存在」

「アダムはすでにゲンドウの下にあり」

「リリスは不確定要素が多すぎる」

「ならば一番堅牢に見えるが、最強の使徒であり資格者であるゲンドウの息子。碇シンジが妥当であると」

全員が同時に頷いた

「決まったようだな。では、綾波レイよ」

「はい」

「最後の使徒アルサミエルを使い、碇シンジを完全なる柱へとするのだ。そして後は・・・わかっているな」

「全てはゼーレの御心のままに」

綾波レイのいささか演出過剰な物言いにキール議長は眉をひそめる。
だが気にする事のものではないかとそのまま見過ごした。
彼女がその言葉の下で何かを考えているなど思いもせずに。

深々と頭を垂れながら、綾波レイの心は疑問にうずもれていた。
ゼーレが自分に何かを望んでいる。
確かに自分をリリスから抜き出したのはゼーレだが、望んだわけではない。
ならばゼーレに従う理由は何なのか。
そう思うのは、先日碇シンジの心に深く接触したのが原因かもしれない。
暗雲とした気持ちを抱きつつ、綾波レイは懸命にその心を見せないように努めた。
今は暗く沈みこむようなこの感情も、もっと大きな物を掴むきっかけかもしれないから。
消される事で全てをなかった事にされないために。

そして、全てが・・・人類が全ていなくなったら、ゆっくりとそれを探そうと初めて自分の意思で決めた。









レイの死から一週間、シンジは父の仕事場に連れてこられた。
そして初めて、父の研究が何なのかを見せられた。
まだ拘束具もないむき出しの肌のエヴァンゲリオン、その試作機である。
それを目の前に告げられた。

「あらひとがみけいかく?」

口調はしっかりしているものの、父の言葉を幼いシンジは漢字に置き換えることが出来なかった。
それでも父の顔からこの言葉がとても重要なものだと理解でき、心に刻み込む。

「人が一つ上の存在へと、神へとなるための計画だ」

「かみさまに」

「そうだ。人には決して克服できない事がこの世には数多ある。だが、神ならば・・・全てが可能だ。有と無、生と死。全てが叶う」

「レイも・・・いきかえる?」

「可能だ」

「だったら」

答えは決まっている、そう言おうとした時、いままでゲンドウの傍らにいたユイが進み出た。
シンジの目線にあうように地に膝を立て、その顔を両手で慈しむように包み込んだ。

「すぐに答を出してはダメよ、シンジ。良く考えて、これはもう二度と引き返せない選択。だから良く考えて」

「おかあさん」

いつも優しさを絶やす事無く秘めた母の瞳には、悲しみが映っていた。
シンジには悲しみとは解らなかったが、答えを出すのを躊躇わせるには十分だった。
母の手のぬくもりを顔に感じながら考える。
何故レイはいなくなってしまったのか。
いや、レイは確かにいたけど・・・もう、動かない。
どうして・・・それは死んだから。
誰のせいで?
誰がレイを止めてしまったの?
誰がレイを殺してしまったの?
誰が・・・・・・・・・

「ぼくはレイをいきかえらせたい。かみさまに、かみさまになりたい!」

「それがお前の選択か、シンジ?」

「かみさまになる。どんなことでも・・・たえるから」

幼い心での精一杯の決心に、ユイはそっとシンジを抱きしめようとした。
だが、シンジの細い腕がユイを一定以上近づく事の無いように止めた。

「だめだよ。もうぼくはきめたんだから、あまえない」

「・・・シンジ」

「いや、まだ準備に一年は掛かる。一年間、精一杯ユイに甘えておけ」

「とうさん」

ゲンドウは笑った。
自分にこそ決心が足りない事に。
準備に一年・・・それは自分の心の準備だったかもしれない台詞に。

そして一年後、シンジの手によって母ユイはエヴァの中に消えた。





シンジは住み慣れた第三新東京市を離れ、地図の片隅に載っているような小さな町村で新しい生活を始めた。
学校などほとんど行く事がなかった。
それでもシンジに声をかける者は居たが、全てつっぱねた。
ただひたすらに時間が惜しかったのだ。
少しでも強く、強くなる為の時間がほしかった。

「どうしたシンジ、それぐらいの装備でへたってるんじゃない!」

父の知り合いの元軍事教官、彼の行為は傍から見れば虐待以上だったろう。
小学生に自分と同程度、もしくはそれ以上の重量を持つバックや銃を持たせ大人と全く同じ教練をこなさせる。
もちろん、ついていけるはずが無い。
疲労困憊で倒れてしまい、まともにこなせた事などなかった。

それでも、シンジは教練を毎日続けた。
弱音を吐かなかった。
レイを生き返らせるために。
そして自分の手で背負う事に決めた新たなる枷、母を取り戻すために。
だが、その根源にあるのは甘えでも謝罪でもなく・・・

恐怖。

自分がレイを殺してしまった事に対する恐怖。
父も母もシンジのせいだとは言わなかった。
誰のせいでもない事故だから当然なのだが、シンジに受け入れられるはずも無い。
自分があの時・・・仮病を使って甘えようとしなければ、そう思う。
シンジの心は恐怖に包み込まれていた。

だからこそなのか、身に余る訓練も耐えられた。
狂死してもおかしくないほどの痛みも、人智を超えた存在に対する恐れも。
幼い頃に心を包み込んだ恐怖が、それらをすべて受け止めてくれていた。









ガラスに閉ざされた真っ白な病室の中には、部屋の白に溶け込みそうに顔の白いシンジが横たわっていた。
使徒アラエルの精神攻撃を受けた結果、意識不明の重体と陥ったのだ。
謎の巨人が使徒を撃退して三日、まだシンジの意識は戻っていなかった。
病室の外では備え付けの椅子に力なく座るアスカとカヲルの姿があった。

「僕にもっと力があれば・・・」

強く、皮膚が破けそうになるほどにカヲルは強く拳を握った。
あの時にシンジの隣で戦えなかった事もそうだが、今目の前で横たわるシンジを見て思う。
イロウルの力でシンジの心にたどり着こうとしてもそれはかなわなかったのだ。
それほどまでにシンジの心は深く心を閉ざしている。

「カヲルのせいじゃない。私が・・・」

あの時綾波レイを止められていればと言う言葉をアスカは飲み込んだ。
確かにあの時綾波レイが何かをしていたのを見たが、助けてくれもした。
シンジを重体に追いやったと思っても、最後の最後で憎めない。
それも碇レイの面影のせいなのか。
アスカには解らなかった。

沈黙が、長く真っ白な病院の廊下の圧迫感を強めていった。
耳鳴りがうるさく二人の耳のなかでがなり立てる。

「カヲルはどうして使徒と戦っていたの?」

沈黙を破るアスカの声は一つの疑問に根ざしていた。

「僕は・・・ある人たちの言いなりになって戦っていた。僕の決めたことじゃない。だけど今は、シンジ君とアスカちゃん、君達のために戦いたいと思っている。二人を守りたい」

「ありがとう」

更に強く自分の拳を握ろうとしたカヲルの手を優しく包み込む。
言外に自分を傷つける事と今しようとしていることは違うのだとアスカは言う。

「カヲルは知っているの? シンジが戦う理由を」

「シンジ君も君を守りたいからだと思うけれど、違うのかい?」

「それもあったんだと思いたい。でも・・・・・・他にあった。今でもそれは心の深い所にあるのかもしれない」

シンジの前の目的は神になることだった。
カヲルも気付く、神になってシンジは何をするつもりだったのだろうか。
それはカヲルすらも知らぬことだった。
神になることは、本来の目的の過程にすぎない。
神になってからの所業こそに目的があるのだ。

「アスカちゃん、もしアスカちゃんが神様になることができたら。すべてを思い通りに出来たのなら・・・何をする?」

「私は・・・」

突然の奇妙な質問にも、アスカはすんなりと答えを口にしようとする。

「私はレイを、生き返らせる」

「レイ・・・シンジ君の妹さん?」

「うん。あの日にレイが死んでから、全てが狂い始めたのかもしれない。あの日レイが死ななければ、今シンジはこんな所で眠っていないと思うから。レイさえいれば・・・」

アスカの言葉を聞いて、カヲルは思った。
近いどころか、それはシンジの目的そのものだったのではないかと。
考えたくも無いが、いまもしシンジが死んでしまったなら、自分はなんとしてでも神となるだろう。
シンジを生き返らせるために。
例えその結果、自分が・・・・・・共に歩む事が出来なくなろうと。

これはアスカに伝えるべき事なのだろうかとカヲルは迷った。
アスカの言うとおり、まだシンジが碇レイを生き返らせるという目的を持ち続けていたのならば。
いずれシンジは自分達の前から姿を消す事になる。
これは伝えるべき、アスカが知るべきことだとカヲルは決めた。
シンジがもしも神となるならば、アスカには何も伝えず決行するだろう。
アスカの存在そのものがシンジをこの世にとどめる最大の未練だからだ。

「レイ?」

自らの思考に陥っていたカヲルは、その呟きに顔を上げた。
病室へと信じられないといった視線を送るアスカにならうと・・・そこには確かに彼女がいた。

「綾波レイ!」

声も姿も届いていないかのように、綾波レイは二人に振り向く事すらしなかった。
昏々とベッドに眠るシンジの傍らに立ち、彼の寝顔を眺めている。

「ちょッ、ドアが開かない!」

「綾波レイ、何のつもりだ。答えろ!」

黙って何も答えない綾波レイに苛立ったカヲルは、その右手に闇を宿した。

「アスカちゃんどいてくれ。少々手荒だけど、ドアを壊す!」

レリエルの力で作り出しだディラックの海を腕を振り上げそのままドアに叩きつけようすると、綾波レイが動いた。
それも僅かに片手を挙げるだけで、カヲルの作り出したディラックの海は消えた。
ぼんやりと病室を包むように展開されたATフィールドに飲み込まれたのだ。

「フィールドか・・・」

「綾波レイ、あんた一体なんなの?! なにがしたいの、シンジをどうするつもり。 わからないとか曖昧な事言うんじゃないわよ! アンタはアンタの意思で動いてるんでしょうが!」

柔らかな赤い光を拳で叩きながら、アスカが叫ぶと綾波レイの瞳が僅かに揺れる。
だが振り払うようにして言い放った。

「私はそれを知るために、ここに来た」

綾波レイの手の中に小さな光が生まれた。
蝋燭ほどの小さな光は、それ自体が回転をはじめ少しずつ大きくなっていく。
何の光源も持たない純粋なる光はやがて球体から線へ、回転するように線から円へと姿を変えていく。
まだ手のひらぐらいの大きさで良く見えないが、その光は遺伝子のような螺旋を描いていた。

「まさか、最後の使徒」

「そう、アルサミエル」

彼女の断言を境に、警報が鳴り響いた。
避難警報だろう。
それはつまり、彼女の手に生まれたソレが正真正銘使徒だということをあらわしていた。
アルサミエルの回転が早くなるにつれ、静かに眠るシンジの顔に苦渋が浮かび始めた。

「苦しみ。辛さ・・・助けを求める声。貴方の心は奇麗な闇に染まり始めた」

「やめんるんだ綾波レイ!」

「貴方の一存で全てが終わる。最後に残る命は三つ。この星、私・・・そして純粋なる一個の人、その原形」

綾波レイの手からアルサミエルが飛び立った。