long long stairs

第二十二話 二人目の


最強の使徒ゼルエルとの決着を圧倒的な力の差で決めたシンジは、メディカルチェックを受けないまま走っていた。
時々事後処理に追われている職員から声を掛けられたりもしたが全て無視するように先を急ぐ。
カヲルが生きていた事は喜ぶべき事だ。 だが戦闘中は考える事すらなかったが、カヲルの声と一緒に聞こえてきた綾波レイの声。
綾波レイをリリスと読んだカヲル。カヲルがリリスと呼んだ綾波レイ。ゼーレの次なる計画。
その頭の中には解らない事が多すぎて、とりあえず父の下へと向かうことだけに集中していった。

「父さん!」

エレベーターから降りて司令室のドアを開けて直ぐに叫ぶ。
その必要もなかったが焦りがそうさせたのだろう。

「シンジか、アスカ君と赤木博士が探していたぞ。用があるのならばメディカルチェックぐらい受けて来い」

「そんな暇も惜しいから走ってきたんだ」

焦っている自分とは対照的に落ち着いているゲンドウに、シンジの焦りが倍増する。
何から伝えれば順当なのかごちゃごちゃに絡まる情報の中からたった一つの単語を選び出す。

「人類補完計画って知ってる?」

「補完計画」

繰り返し呟いたゲンドウの言葉には、何処で聞きつけたのだという驚きがあった。

「現人神計画が計画されるよりも前からゼーレで計画されていた物だ。私も詳しい内容は知らないが、リスクと益がつりあわず現人神計画に変更されたらしい」

「カヲルが言っていたんだ。ゼーレは人類補完計画を企んでいると、綾波レイも否定しなかった」

「レイだと」

「そうだ。レイとそっくりの・・・カヲルには一度リリスと呼ばれていた」

順不同に渡された情報をゲンドウは予測を交えて順に頭の中で並べ替えていく。
綾波レイと言うゼーレの手先、連絡が取れなくなったカヲルの生存、ゼーレの現人神計画に変わる計画。

「わかった。こちらで人類補完計画については調べておこう」

「それとレイの確認も」

「ああ、お前は・・・会っていかないのか?」

すでに故人となった相手への敬意ではなく、本当にすぐそこにいるからという言葉であった。
シンジがその言葉に疑問を持つ事はなかったが、ゆっくりと首を振った。

「レイは・・・もういないんだ。嫌だけれど、認めなくちゃいけないことなんだ」

「そうか」

息子の覚悟を聞いたゲンドウは、傍らに置いてある受話器を手に取る。

「私だ。シンジはここにいるとアスカ君と赤城博士に伝えておいてくれ」

伝えるべき事を一応伝え終えたシンジは、司令室から去るためにゆっくりときびすを返す。
あとは自分の中で色々な情報を整理するだけのシンジの背中にゲンドウが言葉を投げた。

「一先ず綾波レイという者には気を許すな。これは命令だ」

「心配しなくてもわかってるよ。似てるからって混同するはずないだろ」

「心の制御が完璧であれば、人は道を外れる事は無い」

「そうだね」

司令室を出てから少し歩く間、シンジはゲンドウの気を許すなと言う言葉を繰り返した。
ゲンドウの手前強がって言ったものの、もうすでに何度も綾波レイを碇レイと混同していた。
綾波レイが何処に居ても、どんなに離れて居ても手を伸ばして掴みたくなる。
切望があふれてくる。
止められないこの想いをとめることは恐らく出来ないだろうとシンジは自覚する。

「シンジ!」

だが、抑える事は出来るだろうと自分へと走ってくる少女へと目を向けた。
実際に自分はレイへの想いへと勝る人を見つけたのだ。
きっと抑えていけるだろうと僅かな笑みをアスカへとむける。

「リツコ姉さんがすっごい怒ってたわよ。メディカルチェックも受けないまま走り回るなんてって」

「後で謝っておくよ。それより・・・カヲルは生きていた」

「カヲルが、それって何処。アイツ今何処にいるの?!」

掴みかかるようにシンジに問いただすが、ゆっくりとシンジが首を振る。

「いや、場所まではわからない」

「ったく、あの女〜。カヲルが死んだなんて嘘ついて何が面白いのよ。こっちがびっくり損じゃない!」

「アスカ、綾波レイのことだけど・・・アイツには近づくな」

怒っている感じではなく、突きつけるような警告の言葉にアスカの怒りが瞬時に沈下する。
近づくなとはずいぶんな言い草だが、シンジの顔はいたって真面目だったのだ。

「あいつはネルフの敵対組織の送り込んだ奴かもしれない。まだ確証はないが、気をつけるに越した事はない」

「なんでそんな奴が野放しなのよ」

「確証がないからだよ。気をつけてさえいれば後はネルフが、父さんがなんとかしてくれる」

事実とは違う言葉でアスカを納得させると、シンジはアスカの手をとって歩き出した。
今は綾波レイの事を頭の中から追い出したかった。
つなげた手から伝わる感触と温かみ。
アスカは少し恥ずかしそうに周りをきにするが、シンジはいっそう力を込めて手を握る。
一番大切な者が誰なのか、迷わぬように心に刻むように手を繋いだ。









クラスの者達にとって、綾波レイと言う存在は異物であった。
あからさまなイジメに発展するような事は無かったが、彼女に近づこうとする者はいない。
カヲルの生存を誰も知らない今、やはり彼女自身が放った言葉は大きな溝を形成していた。

シンジもアスカもそれは周りと同じであったが、理由はそれぞれ微妙に異なっていた。
アスカはシンジの敵対組織の人間だという言葉を信じ、かつカヲルが死んだという嘘から綾波レイを避けていた。
シンジは綾波レイがゼーレの人間だから、そして碇レイに似た容姿ゆえ視線の中からも遠ざけようとしていた。

「・・・・・・・・・」

それでもシンジは自分の意識から完全に綾波レイを排除する事ができないでいた。
授業と授業のわずかな合間にも自然と視線が彼女を追っていた。

「やっぱり、気になるの?」

シンジの視線に気付いたアスカが尋ねる。

「解るのか」

「解るわよ。それもレイと似てるからって事もね。私もそうだから」

「気にするなと言う方が無理なぐらいだからな」

今度は視線を隠そうともせずシンジは綾波レイを観察した。
題名までは見えないがなにか本を読んでいる。
それだけなら物静かなという形容で済むが、周りの連中と目に見えるような壁がある。
綾波レイが転校してきて三日、ずっとそれは変わらなかった。

一番教室内が騒がしくなる昼時にもそれは変わらない。
教室にある異物を気にしないように騒ぐクラスの中で、一人錠剤を水で摂取する姿。
それを思い出したシンジは、しかめた顔を隠すようにやや俯く。

「拷問だな」

碇レイに似すぎているからこそ、混同し今の状況を打破してやりたくなる。
だが実際は綾波レイなのである。
助けてやりたいと思う、でもそう思う相手と実際にまわりから浮いている相手が違う。
想いが浮かんでは相手が違うと延々と自分に言い聞かせなければならないのが苦痛なのである。

「くそ」

自分ではどうする事も出来ない感情の牢獄に毒づくのが精一杯であった。





昼休みになると、やはり綾波レイは錠剤とペットボトルの水を机に置いた。
もはや三日目となるとその異様さに目を見張る者もいなくなってしまうが、シンジにはそこが限界であった。

「おーい、碇飯にしようや」

菓子パンを引っさげて強調するトウジを手で制し、綾波レイへと歩み寄っていく。
席が隣同士なため誰もがアスカに歩み寄ったと思ったことだろうが、シンジは綾波レイの目の前で立ち止まった。
少し教室内がざわついた。

「なに?」

文字通り見上げながらの短い問いかけに、応え返すまでに時間が掛かった。
これからおこなう事が父の命令に背くかどうか微妙なところだったからだ。
気を許すわけではない、だがそのきっかけになるかもしれない。
そうならないように心に緊張を強いて言葉を放つ。

「屋上に来い。そこで飯を食うぞ」

「何故?」

「いいから来い」

一々問い返す綾波レイの手をとって無理に連れて行く。
決して仲良く昼食をとる雰囲気ではなかったが、事実には違いない。

「碇が・・・暴走しよった」

トウジの言葉を発端にクラスの視線が一点に交わった。
アスカにである。

「ちょ、待ちなさいよシンジ!」

周りの視線には気付かずにアスカは後を追い始めた。
近づくなとの警告を発した人物が、綾波レイを連れていったからもあったが、声を荒げた理由は別にある。
シンジが綾波レイの手をとって屋上へと向かったからだ。
その時にはすでにアスカの意識から敵と言う概念は消え、別の意味での概念が生まれていた。





屋上の硬いコンクリートに座り込んでの三人の食事は静かにおこなわれた。
アスカは母親手製の弁当を、シンジは購買のパンを、そして綾波レイは錠剤と水。
一人、アスカ意外は質素・・・それ以下のものであるが、食事が静かにおこなわれた理由は別である。
アスカも綾波レイもシンジの真意を測りかねているのだ。

「何故?」

綾波レイから単語で放たれた疑問だが、その意味を汲み取るのは容易であった。
その証拠にシンジは時間をかける事無く答えた。

「意味が必要か?」

そしてまた沈黙が訪れる。
太陽の暖かな日差しが照る中、なんとも心寒い会話である。
その会話に一番耐え切れなかった者が立ち上がって綾波レイを指差し叫ぶ。

「なに、今のは会話なの?! だいたいアンタはなんで錠剤と水なの。そんなの食べてないのと同義じゃない!」

「・・・・・・・・・」

「無視?!」

「おちつけ、アスカ」

シンジがアスカの服のすそを引いて座らせる。

「レ・・・綾波、家でもそうなのか?」

「活動に必要な栄養は取れているわ」

「そこまで合理主義だとリツコ姉さん以上ね」

「そうだな」

もうすでに怒る気力は萎え、あきれ出したアスカに対し、シンジがアイコンタクトを送る。
それに対しアスカは全力で嫌とアイコンタクトを送り返したが、シンジが頼むと譲らない。
少々にらみ合うようになってしまったが、最後にはアスカが折れた。

「ほら、たまには味の付いたもの食べないと舌が馬鹿になるわよ」

納得がいかないのか乱暴な口調で綾波レイに食べかけの弁当を差し出す。
もちろん何かを手にとって食べろという意味である。

「なに?」

「会話の流れをよみなさいよ。何か一つとって食べればいいの!」

「何故?」

「だーかーらー、もういいわよ!」

あまり沈黙や停滞を好まない性格のアスカは、言葉の投げあいを断念して弁当からから揚げを一つ綾波レイの口に放り込む。

「?!」

突然放り込まれたから揚げがもたらす油と肉の味に綾波レイが口を押さえたままアスカを睨む。
口の中のものをどうすればいいのか迷っているようだ。

「何故?」

意識して声真似をしたアスカが本気でそう呟く。
美味しいと喜ぶはずが、睨まれるとは思っていなかったからだ。

「もしかして、普段から水と錠剤しか口にしてなかったから、から揚げは味がきつかったんじゃないのか」

「あっ」

シンジが冷静に答を導き、アスカがそれにしまったと思う中。
綾波レイは意を決してから揚げを噛み砕き、あまり小さくならないうちに飲み込んだ。
さらにすぐにペットボトルから水を口に含んで、口内に残る匂いと味を流し込む。

「えっと・・・ごめん」

「・・・か、かまわないわ」

かなり無理をした声で応えると、綾波レイは立ち上がって屋上を去っていく。
とめることは出来たのだが、怒っているんじゃないかとアスカは声を出せなかった。
シンジも自分が進めたことだしと止めなかった





屋上からの階段を一歩ずつ降りていく綾波レイの頭の中は謎で占められていた。
アスカはどうだか知らないが、碇シンジ、彼は自分がゼーレの人間であることをゼルエルの時に知ったはずだ。
では、何故彼は自分に構おうとするのか。
その言葉も適切かどうか綾波レイにはわからなかった。
なにより一番解らないのは鳥肉を油で上げた物体を口に放り込まれた事だが。

「そう深く考える事はないさ。意外だね、君がこうも簡単に僕の接近を許すとは・・・気付いてさえいなかったのかな?」

「カヲル」

「うん、やっぱりダブリスやアダムよりはそっちの呼び名が馴染む様だ」

はっと気付いたように綾波レイがATフィールドを展開しようとするが、カヲルが手で制する。
争う気はないと言う意思表示だ。
もっとも争う事になればカヲルの負けは必至だが、綾波レイはその事にも気付いていない。

「ここで争うのはやめよう。僕はシンジ君とアスカちゃんに会いに・・・そして、君に助言をしに来たんだ」

なにか綾波レイから言葉があるかと思ったが、何もなかったのでカヲルはそのまま続けた。

「さっきも言ったけれど、彼らの行動を深く考える必要は無い。あの二人は単純にお人よしなのさ。かつて僕がそうだったように敵味方の区別がない。・・・君も考えず、ただ変わるだけでいい」

再び相対した格好から綾波レイが階段を降り出し、カヲルとすれ違う。

「次の使徒は三日後よ」

立ち止まる事はなくすれ違い、カヲルは綾波レイの後姿を見た。
送られた言葉に意味は無いだろう、ただの事実だ。
だが、その事実を送られた事その物が変化の予兆か。

「君も相当なお人よしだね」

そう綾波レイの後姿に投げかけたが、彼女の足は止まらなかった。
やがてカヲルも屋上へ足を向けた。
随分予定より早く、だが無事で帰ってこられた事を大切な二人に伝える為に。









そこは明かりの一切見えない部屋だった。
窓からのぞく星々の光が唯一の明かりではあったが、屋内では何の意味もない。
漆黒のヴェールに覆われたその部屋には、たった一つボロボロに痛んだベッドだけがあった。
何年も前に住んでいた者がそのまま置いていったような粗大ゴミ同然の家具。
そんなベッドの上に綾波レイはその体を横たえていた。

視界に映るのは、横たわるベッドと同じぐらいに痛みひび割れた天井。
特に意味もなくそのひびを見つめながら、綾波レイは考えていた。

「碇シンジ」

ゼーレの敵。
倒すべき敵。
でも・・・嫌じゃない。

「・・・惣流・アスカ・ラングレー」

碇シンジの友達。
肉を放り込んだ人。
・・・ちょっと嫌い。

延々と繰り返して思い出すのは、今日の昼のことだった。
特に意識しているつもりは綾波レイにないのだが、目を閉じようとすると自然と思い出してしまう。
さらには意義の見受けられないアスカの名前まで調べてしまった。

綾波レイは、自らの変調を確かに感じとっていた。
だがそれが何の意味を持つかまでは感じ取るに到らず、体を休めようと静かに目を閉じた。
視界に映る闇が瞼が下りたことでより深い闇となっていくなかで、一人の老人が現れた。

「議長」

「失敗したようだな」

「はい」

攻めている口調ではなかったが、綾波レイはキール議長へと厳粛に応えた。

「セカンドチルドレンはそれほどまでの者なのか?」

「すでに最強の使徒であるゼルエルでさえ退ける力、彼こそが最強の使徒でありエヴァ。その気になれば今すぐにでも神へと挑む事も可能だと思われます」

「それほどまでに」

「彼に力で勝つことはもはや不可能です」

キール議長は綾波レイがやけに饒舌に、しかも物事を断言していると感じた。
意識はしていないのだろうが、肯定も否定もしないのが彼女のスタイルだったはずなのに。

「力では・・・か、ならば心を壊すしかないか」

そう呟いた時僅かに綾波レイの体が動いた。
やはりとキール議長が睨む。
カヲルの時と同じく、綾波レイが惹かれはじめていると思ったのだ。
期間はカヲルに比べて短いが便宜上女となっているためもあるかもしれない。
深く・・・碇シンジがゼーレ側でないことを悔やんだ、それも一瞬のことだが。

「カヲルの二の舞は避けねばならぬ。それだけは」

「・・・・・・」

返答の出来ない呟きに綾波レイは沈黙を返す事しか出来なかった。

「やはりか・・・ご苦労だったな」

沈黙から何かを読み取ったのか、キール議長がふっと消えたかと思った次の瞬間、綾波レイの眼前にいた。
もちろんそれはイメージの中でのことだが、議長の右手が綾波レイの頭部へと置かれた。

「・・・・・・あ」

「すまんな」

たった一言の後、眠りより深い所へと綾波レイは落ちていった。









翌日の昼、シンジとカヲルはネルフへと用事があるとおらず、アスカは一人隣の綾波レイへと向き直った。
昨日と変わらず話す事もない少女だが、一度昼食も一緒にすれば当然次もと考えるのか普通である。
だからこそアスカは母親に弁当を二つ、一つはかなり薄味でと注文をつけて作ってもらったのだ。
その二つの弁当を取り出して、隣でパソコンをしまい始めた少女に話しかける。

「アンタ今日もどうせ錠剤と水なんでしょ。ママに一つ余分に作ってもらったから一緒に食べましょ」

「何故知ってるの?」

「はぁ? 私だけじゃなくて皆知ってるわよ」

ボケたのかしらとありえない事を考えつつ、綾波レイの手をとって歩く。
昨日と同じく屋上へと行くつもりなのだ。

「いいからきなさいよ、ほら」

「何故?」

「屋上で御飯食べるのよ。昨日もそうしたでしょ。ボケてんじゃないわよ」

「そう。貴方が・・・」

その後に言葉が続かなかった為、アスカは振り返る事無く綾波レイの手を引いた。
だからその次に放たれた呟きがアスカの耳に届く事はなかった。

「私、二人目だから・・・」