「いかんな、これは」 「使徒がネルフ本部に侵入するとは予定外だよ」 攻めている口調ではないが、決して弁護しているわけではないと言う雰囲気が言葉から伝わる。 「まして資格者を人質に取られたというではないか」 「もし資格者を失うような事があれば、我々の計画は水泡に帰したところだ」 「委員会への報告は誤報。使徒侵入、資格者が人質に取られたというの事実はありません」 机に肘をつき両の手で口元を隠しているゲンドウがゼーレのメンバーの言葉を静かに否定する。 表面には決して出ていないが、ゼーレのメンバーたちは疑いの視線を強めた。 「では碇、第十一使徒侵入の事実は無いと言うのだな?」 「はい」 「気をつけて喋りたまえ碇君。この席での偽証は死に値するぞ」 淡々としたあっけない言葉で掛けられた脅しにも、ゲンドウは眉一つ動かさなかった。 この程度の脅しで慌てるような人物ではない事を知っているゼーレのメンバー達も、心の中でため息をつく。 お互いが提唱する事実が食い違い、かつお互いの提唱する事実を認めない。 いつまでも平行線であるからだ。 「資格者が無事であるのならば、これ以上問うまい」 無意味な言葉のやり取りをキール議長が止める。 「問題はまた別にある。これが何を意味するのか解らぬお前でもあるまい」 ゼーレのメンバーが集まる中心に二つに区分された映像が八枚浮かぶ。 第三使徒サキエル、第四使徒シャムシエル、第五使徒ラミエル、第九使徒マトリエル。 第六使徒ガギエル、第七使徒イスラフェル、第八使徒サンダルフォン、第十使徒サハクィエル。 これまでに倒してきた使徒、そしてその生命の実をどちらのチルドレンが手に入れたかの区分である。 ゲンドウの資格者か、ゼーレの資格者か。 「第五使徒までは、倒した本人しか生命の実を手に入れられない事実を知らなかったこちらのミスだ。だからこそ最重要人物を日本へと送り出した」 「心得ております」 「では、なぜ第六使徒以降セカンドチルドレンが生命の実を手に入れている?」 生命の実は現人神となりうる資格者が手にする事でのみ、その意味がある。 使徒の侵入の有無よりも、疑うべきはこちらと言う事だろう。 ゲンドウが本当にファーストチルドレンである渚カヲルに生命の実を手に入れさせようとしているのか。 「使徒との戦いは常に張り詰めた糸の上で行うようなもの。下手にこちらから手を加えようとすれば容易にその糸は切れるでしょう」 「ソレを何とかするのが碇君、君の仕事ではないのかね?」 「それにサンダルフォン戦のクレーンの倒壊、マトリエル戦のネルフの機能停止、サハクィエル戦の第三新東京市の被害・・・これは君の息子も関わっていたね」 「これ以上の失態は君のゼーレへの道も閉ざされてしまうよ」 これ見よがしな言葉はゲンドウに大した意味を持たせなかったが、一つ気がかりな事があった。 「碇、これは厳命だ。次に訪れる使徒が持つ生命の実、必ずファーストチルドレンに手に入れさせろ。必ずだ」 「解りました」 ゲンドウはそう答えるしかなかった。 元々自身に拒否権などは存在しないからだ。 だが、気がかりな事はゼーレの老人たちが使徒を甘く見ていることだろうか。 今回の命令もそうだ。使徒とエヴァとの戦いの主導権は誰でもない、チルドレンが握っている。 何者にもその主導権を奪う事はできない・・・その事に気付こうともしない。 それはそれで好都合だがなと心であざけりながら、消えていくホログラムを前にしていた。 「どうしたのシンジ君?」 朝からまたもやビールを飲んでいたミサトが目を見開きかたまっている。 同じ食卓に座っていたカヲルも同様で、日曜に制服を着こんで現れたシンジに驚いていた。 「今日は少し出かけてきますから、昼は要りません」 「出かけるって制服で・・・デートじゃないわよね」 「はい、墓参りです」 短くはっきりと放たれたその言葉は落ち着きといった物とは別の沈静があった。 もしかすると二人はシンジが制服で現れた事に驚いたのではなく、その放つ雰囲気に驚かされたのかもしれない。 普段から立ち振る舞いにあまり隙を見せないシンジが、今日はどこか淡く消えそうな雰囲気を纏っている。 今のシンジなら片手で押せば簡単に尻餅をつきそうで、体の芯に力が入っていない。 「もしかして、レイって人のかい?」 浮かんだ疑問をそのまま口にしたカヲルの言葉に、背を向けていたシンジはピクリと肩を震わせた。 知っていたのかと多少動揺を見せたのかもしれない。 「ああ、それと母さんのな」 背を向けたまま玄関へとシンジが向かったのを見て、ミサトがカヲルへとテーブルを乗り越え近づいた。 「カヲル君、報告書で先日の使徒のせいでお互いの過去を多少見たってのは聞いたけれど、だからって簡単にシンジ君の心に入り込んじゃ駄目よ。誰だって知られたくないことの一つや二つあるでしょ」 「そうですね、それは僕も同じです。でも僕は何処までシンジ君の心に踏み込んで良いのかわかりません」 シンジが消えていった玄関の方をみて、まるで迷子のように不安そうな顔をみせるカヲル。 ミサトはテーブルから身を下ろし椅子に座りなおすと、飲みかけの缶ビールで口元を隠して告げた。 「そんなの私だってそうよ。だから少しずつ、相手の信頼を得て信頼してやっていくしかないのよ」 バスに乗り墓地へと歩く途中、花屋で花束を購入する。 墓地へと向かい歩けば歩くほど民家や商店は姿を消していき、やがて道だけが墓地へと続くようになった。 場所は知っていても初めて通る道をシンジはゆっくりと、想いを固めるように踏みしめて歩く。 道が変わったわけではない、シンジは正真正銘・・・二人への墓参りが初めてだった。 歩けば当然のごとく見えてくる墓地。 切り取られたように平坦な地に釘のように垂直に刺された墓石が並んでいる。 大地と空、そして墓石しかないその光景は生命と呼ぶべき物は一切無く、シンジの心に冷えた風が吹いた。 「とうとう、ここに来る決心がついたよ。母さん、レイ」 とある一つの墓石の前に立ち止まると、墓石に向かって話しかけるシンジ。 その墓石に刻み込まれる名は、碇ユイ、碇レイ。 シンジの大切な家族、母と妹の名であった。 「この十年で強くなったつもりでいた。でも、俺は何も変わらなかった」 持ってきた花束を墓前に供え、目を閉じる。 「力は手に入った。誰にも負ける気はしないけど、自分に勝てる気がしない。二人以上に大切な人が・・・いたんだ」 シンジは四つの生命の実を手に墓前へと裏切りの言葉を吐く。 自分へと妹を託した母への、自分のために人生のパートナーを犠牲にした父への。 「シンジ」 呟かれた自分の名に、振り向く。 そこにはシンジと同じく制服を着、墓前に供える為の花を持ったアスカがいた。 「惣流・・・毎年来てるのか?」 「本当はそうするべきなんでしょうけど、今年は特別よ」 そう言って花を供えると、手のひらを合わせ黙祷するアスカ。 シンジも再び黙祷を行うと、不意にアスカが尋ねてきた。 「ねえ、シンジ。もう一度聞いていい?」 「なんだ」 「どうして、あんなのと戦ってるの?」 それは以前にもアスカがシンジに問うた言葉だった。 だからシンジも前と同じ答を言おうとしたが、アスカに先手を取られる事になる。 「他の誰かがそうしてるからじゃなく、シンジ自身が戦おうとする本当の理由が知りたいの」 「俺は・・・」 何故戦うのか、前の言葉も嘘というわけではない。 誰かがやらなければならず、自分にしかできない事なら自分が戦おうと思っていた。 だがシンジとてそこに周りの脅迫的な観念がないとはいえない。 何故なら戦う意味が薄れだした今、戦いの日々を思い出したシンジの手が震えている。 その時受けた痛み、苦しみ、大きな力へと向かう恐怖。 「レイだって・・・シンジが大好きだったレイだって、シンジが傷つく所なんて見たくなかったはずよ」 「そのレイに、会いたかった」 小さな、とても小さな呟きはアスカの耳に届く前に風に消えていった。 「今、なんて」 今度はなにもシンジは答えなかった。 じっと墓石を見つめながら目を閉じている。 シンジは静かに今の気持ちを認め、縋るように言葉を放った。 「アスカ、俺は怖い。使徒と戦う事が・・・誰かを失う事が、でも戦わなければ全てを失ってしまう。だから俺のそばで、俺に勇気をくれないか。俺にはアスカが必要なんだ」 アスカは何もこんな大胆な言葉を期待していたわけではない。 ただシンジが戦う理由を問いただしたかっただけなのにと、アスカの思考が止まった。 嬉しすぎるその言葉をじわじわとかみ締め、頭の中で繰返す。 そして十分に言葉を理解したうえで小さく、本当に小さく「うん」と答えるとシンジの手を取り繋いだ。 シンジの方からもその手のぬくもりを確かめるように強く握り返す。 「アスカはこの後なにか予定あるのか」 「あるわよ」 えっと驚いたシンジがアスカを見る。 その顔は手を繋いだ気恥ずかしさから少し赤に染まっていた。 「シンジが何処か連れてってくれるんでしょ」 「・・・ああ、そうだな。直ぐに行くから、ちょっと先に行っててくれないか」 シンジはアスカを墓地に入り口で待つように言うと、再び墓石へと振り向いた。 今をアスカと共に生きる事がシンジにとって一番大切なことだ。 自分のせいで命を落としてしまった二人よりも・・・その様な考えはずるいとシンジも思っていた。 だが例え自分のせいで失ってしまった命よりも、今目の前にある命を大切に思って誰が攻められるだろう。 誰も攻められやしない・・・それでもとシンジは後悔と共に涙を流した。 過去より現在をとった弱い自分に、強くなる事のできなかった自分が悔しくて。 十数分後、墓地の位置口で暇を持て余したアスカの元にシンジが現れた。 遅いと文句を言おうとしたアスカだが、僅かに赤くはれた目元を見て何も言えなくなった。 「待たせたな。行くぞ」 「シンジ」 恐らくシンジも聞いて欲しくは無かったのだろう。 僅かにアスカよりも前を歩き、だが片手をそっとアスカの方に差し出してくる。 アスカは何も言わずに差し出された手を繋いでシンジと共に歩いた。 シンジが朝から出かけ、ミサトも仕事ヘ出かけた葛城邸に残ったのはカヲル一人である。 だがそこにはカヲル以外の声がはっきりと聞こえていた。 ベランダから沈み行く夕日を眺めているカヲルが持っている携帯からである。 端から見れば携帯をかけているだけに見えるが、カヲルの目には夕日以外のなにかが複数映っていた。 『渚カヲルよ、お前も使徒侵入の事実は無いと言うのか?』 「いえ、確かに使徒は侵入しました。ですがこの通り私は無事ですので、碇司令に解任をほのめかす言動は控えた方が良いかと」 カヲルの瞳にだけ映るモノリス、ゼーレのメンバーを象徴するそれは十二。 僅かな沈黙の後01と書かれたモノリスが問う。 『理由を聞いておこう』 「彼が有能だからでは理由になりませんか。僕と一つになりかけたイロウルにほころびを生じさせたのは外部からの刺激、碇司令の模擬体への攻撃と言う判断は正しかった」 『お前がゲンドウを必要と感じたのならこの件についてはもう問うまい』 「ありがとうございます」とカヲルは言葉だけを送る。 儀礼的なものだ、そこに本当の意味での感謝など含まれていない。 『今回お前に連絡をとったのは使徒侵入に関してではない』 「何か重要な事が?」 『次なる使徒、第十二使徒に関しての事だ。今お前が持つ生命の実は四つ、ゲンドウの息子も四つ。ゲンドウに五つ目の生命の実を必ずお前にとらせる様厳命した』 あまりにも当然の事だと言いたげな言葉に、カヲルは何もいえなかった。 そしてカヲルもゲンドウと同じ考え、ゼーレが使徒を甘く見ていると言う事実に行き着く。 厳命したからといって何とかできるものではない。 仮に零号機を単体で出撃させたとしてもカヲルは一人で使徒に勝つ自信がなかった。 イスラフェルはもちろん、サンダルフォン、サハクィエル・・・これら全てシンジを抜きに勝てなかったからだ。 唯一カヲル単独の力で勝ったのはガギエルだけ。 『良いな。必ず生命の実を手に入れるのだ。そしてあわよくばセカンドチルドレンを殺し、奴の生命の実を手に入れろ。我らを約束された座へと導くのだ』 「・・・・・・了解、しました」 携帯からブツッと切れる音が響くとカヲルの瞳にだけ映るモノリス達も消えた。 モノリスは消えても、鉛のような重石がカヲルの全身に残った。 シンジを殺せと言う命令の重石が。 「確かに貴方たちを約束の座へと導くのが僕の存在意義だ。だけど・・・」 それは押し付けられた存在意義で自分が望んで手にしたものではないのだ。 だが真っ向からそれに反抗する意思がわかない、生まれた瞬間から打ち込まれた楔の根は深く突き刺さっていた。 「カヲル!!」 突然コンフォート17中に響く声にカヲルの体が手すりからずり落ちる。 聞き覚えのありすぎるその声はアスカのものだ。 はるか階下を覗くと元気一杯のアスカと少し不機嫌そうなシンジがいた。 軽くてを振り返すと、ここへと来るであろう二人のためにカヲルはキッチンへとお茶を入れにいく。 その時すでにカヲルの心の中ではゼーレへのしがらみは忘れ去られていた。 「ねえねえ、聞いてよカヲル。シンジったらあんた以上に色気ないのよ!」 結果だけ言われても・・・それ以前に意味のわからない叫びにカヲルは首をかしげた。 文字通り走り込んで来たアスカは階下で見たときと同じように元気が溢れていたが、ご機嫌というわけでもなかったらしい。 「経過を含めて結果を話してくれないかい?」 「それがさあ・・・・・・えへ」 何かを思い出し破顔したアスカにカヲルは身を引いた。 恐らくシンジに必要だと言われたことを思い出しているのだろうが、それを知らないカヲルはシンジへと助けを求めた。 「ネルフにアスカを入れてもらえるよう、色々な部署に謝ってまわっただけだ」 「アスカちゃんを?」 「期待してたのに・・・立派とは行かないまでもレストランで食事してそれから海が見える公園を散歩して、それから」 「俺はそんな所へ連れて行くと一言も言っていない。それに高校生にそんなことを期待するな」 「そうだけど、雰囲気的にあるでしょ。何でよりによってネルフなのよ!」 全くなにがあったのか掴めなかったカヲルだが、シンジとアスカの間で何かしら会ったのだとは解った。 確固たる証拠として、シンジがアスカを名前で呼んでいるのだ。 以前アスカがシンジが名前を呼ぶ人物は認められた者、何かあったと思うのが普通だ。 「少し落ち着こうよアスカちゃん。今お茶を入れるからさ」 逃げるようにキッチンへと引っ込むカヲル。 以前ほどではないが、やはりアスカを前にすると複雑な思いが胸をよぎる。 だが、その笑顔は決して嫌いではないのだ。 例え向けられる相手が自分でなくとも。 「ありがとうカヲル。やっぱ誰かさんと違ってカヲルは優しいよね」 お茶を受け取ったアスカが当てつけるように呟くとシンジはふてくされて奥の自室へと引っ込んでいく。 「アスカちゃん・・・いいのかい?」 「平気平気、どうせすぐ戻ってくるんだから」 本当にシンジは直ぐに戻ってきた。 その手にチェロというなの楽器を携えて。 「本当に期待するなよ。十年以上弾いてないんだからな」 「私が期待してるのはシンジが弾くことへよ。曲とか旋律とかそんなことは二の次」 言っている意味が理解しかねたのか、舌打ちをしてからテーブルの椅子を引き寄せて座るシンジ。 記憶の中のチェロの大きさとの違いに戸惑ってか弓を引くとギュィギと痛々しい音が響く。 そのことにアスカがクスリと笑うとますますシンジの眉間に皺がよる。 だが弾き始めてみれば、二の次であったはずの曲と旋律が正しく流れ始めていた。 「ほら、カヲルも座って」 先ほどとは打って変わった小声でうながされ床に座ると、アスカに習って目を閉じる。 遠くから聞こえるセミの声、窓から差し込む夕日の温もり、となりに座るアスカの気配、シンジが生み出すメロディ。 あらゆるものが溶けて混ざり合うような不思議な感覚がカヲルを、アスカを、シンジを取り巻く。 恐らくアスカが言った「シンジが弾くこと」とはこの事だろうかとカヲルは思った。 音階を正しくとか音の強弱とか技術的な話ではない。 弾く者の心なのだろうか、生み出された音が何処までも優しく響き渡る。 カヲルは今なら、ゼーレが自分に植え付けてきた存在意義を否定できるような気がした。 今この時点でカヲルはシンジとアスカと共に居る事に味わったことのない幸福感に満たされていた。 それは強制されたものではなく、二人に会うために生まれてきたのかもしれないとも思えもした。 だけどと、カヲルの思考が反転する。 二人が好きだから、大切だからこそゼーレを捨て二人のもとへと駆け寄ることが出来ないでいた。 二人ならきっと自分を受け止めてくれる・・・だけどもし、拒絶されたら。 誰かを信じたことのないカヲルは、二人を信じきることができないでいた。 |