long long stairs

第十二話 カヲルと惣流、その差


最近の第一高等学校はイベント満載である。
碇シンジという転校生、惣流・アスカ・ラングレーとの最低の再会。
渚カヲルという転校生、その容姿と立ち振る舞いから一気に学校の注目の的となった。

そして今日、またもや第一高等学校の生徒は我が目を疑う光景を見た。
碇シンジと渚カヲルが並んで登校して来たのである。
確かに二人が屋上で会話している所を見たものが何人か居たが、接点の見えない二人がである。
その姿を見たものは大抵が呆然と二人を見送っていた。

正確にはシンジとカヲルの後にアスカがついて歩いていたのだが、会話に入り込めず一歩引いている時点で誰の目にもアスカは映っていなかった。

「どうにも布団と言うものは慣れないね。体の節々が悲鳴をあげない日はない」

「ならベッドでも買えばいいだろ。下らん事を言うな」

「日常会話とはすべからく下らない物さ。長い歴史の中での発見の多くはこうした日常の下らない一コマからもたらされている」

「俺は歴史に名を残すつもりはない」

会話をいちいち終わらせようとする意図がありそうな返答である。
だが決してシンジの機嫌が悪いわけでもなく、これが普通なのだ。
カヲルもそれが解っているからこそ付け加えた。

「シンジ君はもう少し、日常というものを見つめなおす必要がありそうだね」

「カヲル、お前みたいに些細な事に目を光らせているやつの方が珍しい」

「ふむ、見解の相違という奴かい?」

どちらの言い分が正しいかはともかく、シンジの一言で足を止めて二人を見送る人物が一人増えた。
シンジがカヲルの名を呼んだことでその足を止めたアスカだ。
信じられないという顔をして段々と小さくなっていく二人の背中を見送っていた。

カヲルがシンジの家に住み着いたのは、何かしら理由があるのだろう。
気には入らないが、納得いかないと言うほどでもない。
だが未だアスカではなく惣流と呼ばれる自分、いつの間にか名を呼ばれるようになったカヲル。
自分が良く聞き取れておらず、本当は渚と呼んでいたのではないか。
縋るようにそんな考えを持ち出したアスカは、慌てて二人の後を追いかけ始めた。
自分が立ち止まった事にすら気付くことのなかった二人の後を。





学校に着いてからもなかなかシンジと話をする機会がないアスカ。
シンジの周りには大抵カヲルが居り、居ないかと思えばトウジかケンスケがいた。
特に何か伝えるような事があるわけではないが、自然とシンジと話すタイミングを探している自分がいた。
このままズルズルと一日が過ぎて行くのかと思い始めた昼休み、

「おいシンジ、今日は屋上で飯にせーへんか?」

「いいんじゃないか」

突如上がったトウジの言葉に、便乗する。

「鈴原、私たちも行くわ。ね、ヒカリ?」

「え・・・うん、かまわないわよ」

あまり乗り気そうではない親友の腕を引っ張りついていく。
自分の都合で文字通り引っ張りまわしてしまい悪いなと思い、片手でゴメンと謝るアスカ。
今はとにかくきっかけが欲しかったのだ。

高いフェンスが設けられている屋上の昼食をとる場所としての人気は、あまり高くない。
真夏の直射日光がその主な原因だが、激しい運動をするわけではないし、たまには外でと思うのが普通でる。
パラパラとだが人影が集まって食事を取っていた。
トウジとケンスケはあらかじめ屋上に来るつもりだったのか、大き目のシートを広げる。
後はてきとうに座り、持参の弁当やパンを広げた

「焼きそばパンにコロッケパン、なんでもござれじゃ」

言葉通り何種類ものパンを取り出したトウジに目を丸くするカヲル。

「大食漢とはまさに君のためにあるような言葉だね」

「トウジは食べすぎだけど、逆に渚は小食すぎると思うぞ、それだけか?」

それとケンスケが指差したのはメロンパン一つ、あとはパックの牛乳。

「そうかな、僕はこれが普通だと思っていたんだけれど」

委員長やアスカからはある意味羨ましいとの視線が送られる。
だがその一瞬後アスカは首を横に振って、和んでいる場合ではないとちらっとシンジを盗み見た。
会話に積極的に参加はせず、もくもくと菓子パンを食べている。
自分の弁当と菓子パンを見比べ、一つ作るのも二つ作るのも一緒と聞いたことがある事を思い出した。
ただし作っているのは母親のキョウコだ。

「ねぇ」

「そういや、もうすぐ修学旅行やな」

出鼻を挫かれるとはこういうことを言うのだろう。
言葉をかき消され、尚且つ皆の視線をトウジがかっさらっていった。

「確か六人編成の班決めあったろ。この六人でいいんじゃないのか?」

「話が盛りそうな所申し訳ないけれど、僕とシンジ君は行けないよ」

「アルバイトがあるからな」

「なんやて、マジかいな。まあ、考えてみればバイトほっぽらかして旅行は無理があるなぁ」

「俺らが遊んでいる間に仕事とは、バイトするのも一苦労だな」

同情とわずかな憧れを抱いた視線を、やんわりと受け流すカヲル。

「そうでもないさ。今の僕の一番の幸せは、シンジ君と共に居る事だから」

「小奇麗な顔しとる奴やと思っとったら・・・」

「ば、爆弾発言か」

「不潔」

ありのままの気持ちを言葉にしたカヲルだが、普通こんな言葉は出てこない。
むしろ普段どおり過ぎる笑みが誤解を呼んでいる。
トウジとケンスケはまさかと身じろぎ、委員長とアスカが口元を抑えて言葉も出ないのがその証拠だ。

「俺にその気は毛頭ないぞ、カヲル」

多少引きつった顔で答えたシンジに続いて、「カッン」と軽いものが落ちた音が響いた。
落ちたのはアスカの箸である。
当人の顔は青ざめ、小刻みに震えていた。

「アスカ?」

「え、ぁ・・・落としちゃった。ちょっと洗ってくるね」

取り繕って足早に屋上から降りていった。

「洗ってくるって、惣流の奴箸落ちたまんまやで?」

トウジが疑問の声を上げるも、直ぐに戻ってくるだろうと誰もが思っていた。
だが戻ってこないどころか、そのまま次の授業になっても戻ってくる事はなかった。









「それじゃあ、俺は惣流の家に寄ってから帰る」

「わかったよ。遅くはならないんだろ?」

「たぶんな」

学校を出てしばらくしてからの交差点で分かれるシンジとカヲル。
シンジの手の中には自分の鞄ともう一つ、アスカが屋上にと置いていってしまった弁当箱の包みがあった。
教室から鞄が消えており帰ったのだろうとは思うが行動が普通ではない。
一体なにがあったのか、まさか自分が原因とは考えもせずにアスカの家へと向かった。

アスカが戻ってこなかった事に心配そうにしていたトウジたち、それほど表に出さないがシンジもそうである。
だがシンジと分かれたカヲルは、すでに今の時間から寝るまでをどう過ごそうかと考え始めていた。
その事についてカヲルは自分が薄情だという事にすら考え付いていない。
シンジ以外は、屋上で普通に会話をしていたはずのトウジたちにも全くと言っていいほどに感心がないからだ。
だから自らのズレに気付くこともない。

「時間を使うと言っても何をしていいものやら」

する事を見つけようと思えばテレビ、ゲームや本を読むなど思いつきはする。
そのどれもが自分の心をつかむ事はなく、唯一掴むのは歌だろうかと思いいたる。
時間の使い道を自分で決めると言う感覚にとまどいつつ道の角を曲がろうとすると、見知った人物がそこに居た。
偶然ではなく、明らかに待ち構えて。

「なんで・・・」

「惣流さん? シンジ君なら」

「なんでアンタなのよ!」

大気を震わさんばかりの激昂にカヲルは言葉を失った。

「確かにアンタはシンジと同じなのかもしれない。でもそれだけで、私じゃなくてアンタが名前で呼ばれてるのよ!」

直情をぶつけられた経験のないカヲルは、無視する事も言い返すこともできなかった。
そもそも何故声を荒げているのか、その意図が伝わってこない。
解るとすれば、シンジと自分の間の何かにアスカが耐えられないと言うこと。

「あの女さえシンジは名前で呼ばない。一緒なのに、戦ってるはずなのに呼ばない。でもアンタは呼ばれてる。じゃあ、私が名前を呼ばれない理由はなんなの、アンタとの違いはなに!」

カヲルは確かに見た、アスカの目じりに浮かぶ涙を。

「アンタが認められて、私が認められないのはなんでよ!」

直情をぶつけたまま走り去っていくアスカ。
持て余した悔しさを相手にぶつけても何も変わらなかった。
今もなお溢れてくる悔しさ、自分が認めてもらえず「惣流」と呼ばれること。
カヲルが「渚」ではなく「カヲル」と呼ばれること。

シンジが名前を呼ぶ意味。
昔、まだレイが生きていて三人で居た頃、シンジにとって同年代は全て敵だった。
体の弱かったレイを、その外観から自分を、苛める全てが敵だった。
シンジ自身も気付いていないかもしれないが明確な敵と味方の線引き、それが呼び名であった。
それが今もなお続いているのなら何かあるはずなのだ。
敵といかないまでも、自らの内と外に分ける明確な何かが。

カヲルは唯呆然とアスカを見送るだけで、残された言葉を頭の中で響かせていた。
今頃になって喧しいほどに鳴っていた心臓の鼓動の音が蘇ってくる。
そっと自分の胸に手のひらを置く。
アスカは確かに言っていた、シンジが自分を認めていると。
確実に自分はその言葉を喜んでいる。だがもう一つ、波打つ心臓に別の想いが生まれているのも確かだった。

「惣流・アスカ・ラングレー」

名前を呟けば心音の音色が変わる。
シンジに対するものとは違う、別ものだとは解る。
別ものの正体を呆然としたまま思い巡らせていると、ポケットの中から響く携帯の着信音。
携帯から召集を聞かされつつも、頭を切り替えられないでいた。









ネルフへと呼ばれたカヲルとシンジ。
今二人の足元には今回発見された使徒が映し出されており、リツコとミサトが対面に立つ。

「使徒、これが?」

「そうよ。まだ完成体になっていないサナギの状態みたいなものよ」

これまでの使徒も想像を超えていたが、今回もまた誰の想像も超えたものであった。
浅間山で発見されたという使徒は、言葉通りサナギのように何かの膜の中で眠っていたのだ。
見方を変えれば母親の中で眠る胎児のような恰好にも見えなくもない。
ただしこの場合羊水の中ではなく、溶岩の中という違いがある。

「今回の作戦は、完成体になる前にこの使徒を討つこと。使徒の芽は早いうちに摘むと言った所ね」

「それは構わないですけど、どうやってですか」

当たり前のように言ったミサトに対して、問いかける。
この使徒は溶岩と言う自然の羊水に守られているのだ、倒す事よりもたどり着く方が難しい。

「その点は問題ないわ。零号機に翼がある事から解るように、ドイツ支部では幾つもの特殊戦を見越しての装備が整えられているわ」

「単純にエヴァとしての力を追求した初号機は規格外。主に零号機のバックアップとなります」

交互に説明され、今回はさすがに自分では無理かとカヲルを見るシンジ。
そこでようやくカヲルの様子がおかしい事に気付いた。
うつむいて、戸惑いを顔一杯い貼り付けていたのだ。
ミサトとリツコもそれに気付き、ミサトがその両手をカヲルの肩に置いた。

「カヲル君、たしかに今回は使徒その物より環境が手ごわいわ。外で見ているだけの私じゃ説得力ないかもしれないけれど、エヴァとスタッフを信じて。必ず守ってみせるわ」

「いえ、大丈夫です」

やはり何処か力ない笑顔。
しかしこれ以上ミサトが何かを言っても効果は薄まるばかりか、無意味だろう。
そもそもカヲル自身今の自分の心理状況を説明できないのだ。

「行きましょう。いつこの使徒が羽化するかわかりません」

先に部屋を出て行こうとするカヲルに、使徒の殲滅が何より優先とミサトとリツコも続いた。
唯一人、シンジだけはそんな腑抜けていると言っても良いカヲルを睨みつけていた。





更衣室で耐熱仕様と言われたプラグスーツに着替えるカヲル。
どこか上の空でのそのそと着替えるその姿にシンジが動いた。
胸倉を掴んでロッカーにたたきつけると、けたたましい音と痛みにカヲルが顔を歪める。

「・・・なにを」

「おいカヲル、ボケっとしてんじゃねえ」

明らかに怒気を含んだ言葉。

「言ったはずだ。無我夢中でついてこいと。なのになんだ今のお前は、俺に殺される前に使徒に殺されるつもりか」

痛みにまだ顔を歪めているカヲルに、更に言葉で追い討ちをかける。

「腑抜けたままエヴァに乗るな、目障りだ。使徒は俺が倒す」

「でも、初号機は規格」

「規格外だろうと関係ない。そのまま溶岩にはいって倒せばいい」

シンジは何処までも本気のつもりだった。
殺すと言った事も、そのまま溶岩に入ると言う事も。
それだけの覚悟が自分にあるからこそ、今のカヲルの態度が許せないのだ。
使徒ではなく別の何処かを見ているカヲルを倒す事は容易く、そんなカヲルが自分と肩を並べている事が許せない。

シンジの眼を見て思う、一番優先すべき事は何か。
アスカの事か、それとも使徒を倒す事か。
どちらも違うと否定する。
シンジと同じ場に立ち、向かい合う事それこそがもっとも優先されるべき事であった。
使徒を倒す事はそうするための過程なのだ。

「今はまず全力で使徒を叩く。他事に心を奪われるのはその後でも良い」

お互いに眼を見て黙し、ふっとシンジが笑った。

「好きにしろ」









輸送機で浅間山まで運ばれてきた零号機と初号機。
初号機はいつもどおりだが、零号機は耐熱耐圧の防護服を文字通り着させられていた。
白く細い女性的な外観をゴテゴテとした潜水服のようなもので固められている。
普段の優美さなど欠片も見受けられない。

『どうにも、美しくないね』

『文句ならドイツ支部に言ってちょうだい。ついでに言うと、その耐熱スーツを作動させたら同じ穴のムジナよ』

『どういうことですか』

『右手のスイッチを押してみて』

リツコに言われた通りに右手首にあるスイッチを押す。
途端にボコボコと言う音と共にスーツ内に冷却液が流れ込み膨張していく。
その姿はさながら水風船だろうか。

『せ、せまい』

『確かに零号機と同じだな』

「はいはい、お喋りはそこまで。零号機は直ちにクレーンへの接続作業を、初号機は火口付近で待機」

『『了解』』

普段通りのカヲルの声に、ミサトもリツコもホッと息をついた。
更衣室で着替えたあたりから元に戻っていたが、あのままでは間違いなく事故が起こっていただろう。
指揮車の中でクレーンと零号機の接続が行われるのを見ながら、シンジの初号機に心の中で礼を言う。
何があったかは知らないが、間違いなくカヲルを元に戻したのはシンジだからだ。

「接続作業が終わり次第、即座に零号機を火口へ下ろします。使徒の羽化が何時か解らない以上、早いほうがいいわ」

命令を下して間もなく、その返答が返ってくる。

『零号機の進路を確保』

『D型装備異常なし』

「葛城さん、零号機発進位置につきました」

「了解。カヲル君、準備はいいかしら」

『問題ありません』

「発進」

短い言葉で、零号機がクレーンからゆっくりと下ろされていく。
その行き先は灼熱の溶岩。





「現在深度170、進行速度20、各部問題無し。ですが、視界は全くのゼロ」

視界一杯に広がる赤い世界。
耐熱スーツの直ぐ外に広がる灼熱地獄が、なんとも重苦しい重圧を生み出してくる。
早くも額に汗を浮かび上がらせたカヲルはぎこちなく笑う。

「CTモニターに切り替え」

エヴァからの通した視界は、モニターを切り替えても良いとは言いがたかった。
しかし今回は使徒より環境が問題なのはわかっていた事、それほど驚きはしない。

「予想通りといえば予想通り。でも、この暑さは予想以上か」

やれやれと肩をすくめると、改めてどっしりと座りなおす。
目標予測地点は1300、張り詰めっぱなしではこの先持たないからだ。
一度完全に気を抜ききると、深度報告に耳を傾ける。

『深度400・・・500・・・600』

深度が800を越えた辺りからさすがに辺りに気を配り始め、気を張り詰めていく。

『900・・・1000、1020安全深度オーバー』

僅かにカヲルの顔が引きつった。
今回は使徒が羽化前なので、深度1300でも大丈夫だろう。
だが羽化してしまったら、どうなるか解らない。
今更ながら、いかに自分が危険な状況にいたかを再認識させられた。

『深度1300、目標予測地点です』

『カヲル君、何か見える』

「目標を確認、ただ予測地点よりやや深度が深いです。もう50下げてください」

カヲルが確認したのは使徒と言うより、黒く楕円形の形をした影であった。
実際はもう少し透明度があるのだろうが、この視界の悪さによってただの黒い塊としか認識させてくれない。

『深度1350に到達』

ゆっくりと零号機と使徒の繭が接近していく。
カヲルは足元にくくり付けられているプログレッシブナイフを抜くと、最接近した使徒の繭を抱きとめる。

「繭を受け止めました。これより攻撃を開始します」

ゆっくりと振り上げたプログレッシブナイフを、素早く振り下ろす。
誰もがこれで終わりだと思ったが、使徒の繭は火花を散らしただけで易々とプログレッシブナイフを弾き返した。
まさかと思いもう一度切りつけるも結果は同じく火花を散らすだけ。

『高温高圧、これだけの極限状態に耐えているのよ。プログレッシブナイフじゃ駄目ね』

『プログレッシブナイフによる攻撃は一時中断。カヲル君、力を使って頂戴』

「了解」

『ちょっ』

すぐさまリツコが止めに入ったものの、時すでに遅く右手から繰り出される振動によって溶岩の流れが乱れた。
耐熱耐圧スーツが軋みを上げ、カヲルも零号機の中でその揺れに耐えて使徒にしがみ付く。

『冷却パイプの二番を損失』

『何を考えているの。足場のない溶岩の中で振動なんて使ったら自分も吹き飛ばされるに決まっているでしょ!』

『カヲル君!』

「だ、大丈夫です。ですが僕の力じゃ、打撃じゃ殲滅は無理です。貫くか、切るかじゃないと」

カヲルが見上げた先は遥か上で待機している初号機、シンジの事だ。
常識外の威力でないと無理なのはミサトも理解できたが、使徒を初号機の所まで運べば減圧のショックで羽化が始まるかもしれない。
危険な賭けになるかもしれないが、このまま放置してもいずれ使徒は羽化を始めるだろう。
ならば答えは一つだ。

『シンジ君、光の鞭は最大何処まで伸ばす事ができる?』

『無理をすれば深度300はいけます』

『零号機は深度300ギリギリまで使徒を持ち上げて、初号機は深度300に入ると同時に攻撃開始。もし使徒が羽化を始めたら即零号機は溶岩から脱出。相手の土俵で戦うことはないわ』

「『了解』」





初号機が火口に身を乗り出して右手を火口へと向け、零号機は使徒の下方へと潜りこみ持ち上げる。
それからゆっくりと零号機が巻き戻され、使徒を押し上げていく。
再びオペレーターからのカウントが、今度は50単位で聞かされる。

『750、700、650、600』

深度が550になった時、火口で待ち構えるシンジの耳がかすかな音を聞き取った。
眼が自然と零号機を吊り下げるクレーンを見上げた。
ただの機械が生み出す軋みにしては、心に不安を覚える。
報告をすべきか、生まれた迷いは鳴り響いた警戒音によって頭から追い出されてしまう。

『使徒が羽化を始めました。脱出します。バラスト放出!』

不安の正体はこれだったのか慌しくなる状況に、更に火口へと身を乗り出す初号機。
その時に、再び聞こえたクレーンからの軋み。
一気に砕け散った。
バラバラに砕け散ったクレーンの残骸が灼熱の溶岩へと落ち、消えていく。
当然零号機も再び溶岩奥へと落ちていった。

「カヲル!」

すぐさま救出へと向かおうとしたシンジの元へ送られる秘匿回線。
初号機に秘匿回線を送れるものなど一人しかいない。

『シンジ、ファーストチルドレンを見捨てろ。奴にはこのまま使徒と一緒に沈んでもらう』

ゲンドウの言い分は、目的と達する為には正しい事なのだろう。
やがて互いの生命の実をかけて戦わねばならぬ自分とカヲル。
なにも拘る事はない、自分が殺すか事故で死ぬかの違いがそこにあるだけだ。
シンジの足は完全に止まった。





『カヲル!』

羽化を始めた使徒を投げ捨てた時に感じた一瞬の浮遊感。
ゆっくりと沈み始めた零号機とシンジの叫びにカヲルは自分の死が直ぐそこにある事を感じた。
冷却液が途絶え、圧縮されていくスーツ。

羽化を果たした使徒は平べったい魚のような形をしており、溶岩のなかを信じられないスピードで泳いでいる。
正面から堂々と近づいてきた使徒を何の抵抗もなくカヲルは受け止め、体当たりされるままに流されていく。
圧縮されていく耐熱耐圧スーツのおかげで殆ど身動きが取れなかったのだ。
その間も次々とスーツが崩壊していった。

「このままじゃ、まずい」

段々と温度が上がっていくLCLの中で冷たいものが背中を通り抜けた。
プログレッシブナイフは効かない、振動も使えない。
倒す術もなく、倒した所で溶岩から脱出する術もない。

ふっと体当たりをされた体が軽くなったかと思うと、背中から受けた衝撃。
手も足も出ないエヴァをなぶるように使徒が四方八方から体当たりを食らわせる。

「ここまでなのか」

諦めと共に何故か顔に表れる微笑。

「せめて、認められたと感じるまでは一緒にいたかったな」

ふとそれを教えてくれた少女が脳裏に浮かぶ。
その顔は泣き顔だった。
そしてカヲルの心に宿るのは小さな、未練。

「僕は・・・」

カヲルの眼が目の前の使徒をとらえた。

「僕は!」

切るのではなく叩き付けたプログレッシブナイフが弾かれた。
それでももう一度振り上げる。
今更耐熱耐圧スーツの軋む音が増えたところで気になどしない。

自分自身、足掻き始めた事に驚いているが抑えきれないほどにあふれる感情を押し止める事などできない。
したくないと言った方が正しいのかもしれない、自分はまだ何も知らないままでいるのだ。
シンジの事も、興味がないと思っていたあの少女の事も。
そして自分が生まれてきた意味を。

「何も知らないままで、死にたくない!」

『カヲル、内から攻めろ。どんなに外郭を固めようと内まで固めることはできないはずだ!』

生きる意志が生まれるのと同時に届いたシンジの言葉。
与えられた一条の光に従い、こちらを噛み砕こうとする使徒の口に右手を差し込んだ。
噛み千切られそうになる腕に熱く力が灯っていく。
解き放たれほとばしる力、使徒の一部が風船のように膨らみ、一部が全体へと広がっていった。
今一度、最後の力を振り絞り力を解き放つ。

弾けとんだ使徒は唯の肉の塊となり溶岩に溶けていった。
それを見ながら落ちていく零号機。





自分が何をしたのか、自分でも信じられなかった。
助けたのだ、敵であるはずのカヲルを。

『どういうつもりだ』

「・・・・・・」

ゲンドウの言葉に耳と口を閉じて、火口へと飛び込む初号機。
体中の神経を直接傷つけられているような感覚の中、岩場にへばりつきながら降下していく。
何故敵を助けようとしているのか、自らを傷つけてまで。
シンジは自分の行動がわからなかった。

発見した零号機はスーツが圧縮され身動きが取れない状態にあった。
右腕から光の鞭を零号機へと伸ばす。

『シンジ君・・・どうして』

「さあな」

言葉を濁したものの、シンジは心の中で自分が聞きたいぐらいだと思っていた。