エントリープラグから覗く風景は第三新東京市。 精巧に作られた擬似的な空間が映し出される中、シンジはプラグの中でじっと待った。 内部電源の数値が無限から一気に五分へとなり、減っていく。 エヴァにパレットライフルを構えさせた。 その銃口の先にたたずむのは、先日倒した第三使徒、サキエルと名づけられた生命体。 三角形と三本直線のロックオンカーソルがプラグ内に映し出される。 その二つが目の前をウロツキ、つられるように視界がうろつく。 意思無き機械の迷いを視覚的にあらわしたようだ。 二つが重なり円形と鳴った時ロックは完了し、シンジも機械の一部のように連動して手元のレバーを引いた。 打ち出された弾丸はサキエルに直撃し火を噴いた。 仰向けに倒れ爆発するサキエル。 その明かりが初号機を照らしつけた。 だが敵は一匹ではない、次なるサキエルが出現し次第シンジは引き金を引いた。 「うまいもんね」 擬似的に作り出された空間を使用してのシミュレーション。 それを外で見ていたミサトは、両腕を組みながら賛美した。 使徒という的が大きい事もあるが、シンジの行動一つ一つのレベルが高いからだ。 敵を確認してから構える速度、銃の命中精度、討ち取ってからも気を抜く気配もない。 「そうかしら。私はコレぐらい出来るとは予想していたわよ」 「それは姉としての贔屓目を抜いて?」 「もういい加減それから離れなさい」 やれやれとため息をついてから続けた。 「考えてもみなさい。碇司令が自分の息子とは言え、貴重なチルドレンを何年も遊ばせていたと思う?」 「次期司令として英才教育でも受けさせてたって事?」 「仮にも超法規的な組織が世襲制だったら、そんなものは恐怖以外の何物でもないわよ。でも・・・英才教育と言うのは、あながち間違いじゃないわ」 片手でシミュレーションのデータを取りつつ、懐を探った。 取り出したのは奇麗に折りたたまれた紙だ。 それを受け取り開いたミサトの顔が引き締まる。 「ようやくのお達しってわけか・・・まったく、遅すぎ」 シンジの証明写真が貼られ、履歴書のような形態をとってはいるが、その意味は大きく違う。 自らの意思で書かれた物ではなく、他者が勝手に私生活を覗き報告したものだからだ。 調査書と言い換えることが出来る。 「五項目の所から見てみなさい」 「五項目?」 初期項目をすっ飛ばし、一気に五項目目を見た。 自らの目を疑い、二回、三回と見たが書いてある無いように変化は無い。 信じられないといった表情で呟いた。 「軍事教練」 「そう。しかもそれが始められたのは、まだシンジ君が僅か七歳の頃。正気の沙汰じゃないわ」 「確かに正気の沙汰じゃないわね」 リツコの言葉を受け、ミサトも同じ台詞をこぼした。 資料には軍事教練を行う際の教官の名も乗っており、その中にはミサトのお世話になった名も幾つかあった。 実際に軍事教練をこなしてきたからこそ、ミサトの呟きには重みがあった。 改めて報告書を読むと、その半分以上が軍事教練に関した内容だった。 学校に行っていなかった訳ではなさそうだが、交友関係などは全くと言っていいほど無い。 十年間もの間をそれのみに費やしてきたと察する事が出来る。 シンジが初めて学校へと通う日、自分は軽々しく友達を作ってと言ってしまった。 もしかすると自分は言ってはいけない事を言ってしまったのだろうか。 募る不安を瞳に乗せて、シミュレーション中のシンジへと視線をよこした。 その顔は今まで通りのようにも見えるが、凍りついたように冷たくも見える。 一つ共通している事は、その心情を読み取る事が不可能である事だった。 大人たちの心配をよそに、シンジの意識は先日の初登校に遡っていた。 意識を他に向けて居てもシミュレーションにはさほど影響は見れない。 それもまた、シンジの能力の高さを示していた。 「アスカ、惣流・アスカ・ラングレー」 「シンジ」 互いに名を呼び合う二人に周りの視線が集まらないはずが無い。 はっと我に返ったシンジは、すぐさま何事も無かったかのように教師の横に並んだ。 シンジがアスカと呼んだ少女も、周りから突き刺さる視線に気付きゆっくりと椅子に腰を下ろした。 一体どうしたのかと隣の席の少女が声をかけるが、聞こえては居ないようだ。 その視線はシンジから動く気配がなかった。 「え〜、彼が今日から新しくこのクラスとなった碇シンジ君です」 「碇シンジです。親の仕事の都合で第二東京市からきました」 よろしくとは言わなかったせいで、妙な間が出来た。 「それだけ、ですかな?」 「そうですが、なにか?」 「で、では碇君には・・・惣流さんの」 やりにくい生徒だと思いつつも、先ほどの言動から少女の隣の席を割り振ろうとした。 放っておいてもこのクラスならあれこれ話し掛けるだろうが、瞬時に判断した性格ゆえだ。 人付き合いの下手な、出来ないからこそ知り合いの近くに配置しようという。 「すみません。目が少し悪いもので、出来れば先頭がいいのですが」 だが、教師の思いやりは手を上げたシンジによって、一瞬にして無にかえった。 当然心の中ではおいおいと突っ込んだが、目が悪いのならばしょうがない。 「窓際でも構いませんか?」 「はい」 そう尋ねたのは、窓ぎわの先頭が一番不人気の場所だからだ。 セカンドインパクト以降、四季の内三つを失い常夏の国と化した日本。 窓際は年中直射日光が酷く、先頭が嫌われる理由はかたるまでも無い。 誰も好き好んで最低人気の場所に座ろうとする物好きは居ない。 淡々とした教師とシンジのやり取りからも、先ほどの少女を避けての行動だとは誰も思わなかった。 少女――惣流・アスカ・ラングレー自身を除いて。 今度は完璧に視線をよこすことなく席に着くシンジ。 そんなシンジをアスカはずっと見つめていた。 十年と言う歳月は、人を変えるには十分すぎるほどの歳月だと言う話をよく耳にする。 それでも自分たちは、お互いにお互いを一目で言い当てる事が出来た。 なのにその後のシンジの行動はどうだろうか、懐かしさに顔を綻ばせる訳でもなく、一瞬の驚きの後は無視だ。 昔のシンジなら、 「・・・カ・・・・・・スカ。アスカ!」 「え?」 決して大声にならないように配慮をした、かすれてはいるが張り上げた声。 はっと気がついたアスカに話しかけていたのは、アスカの中学からの親友、洞木ヒカリだ。 「どうしちゃったの、さっきからぼうっとして。あの男の子がどうかしたの?」 「うん、幼馴染なの」 まるで女の子のような言い草にヒカリは面食らった。 アスカと言えば男勝り、勝気といった強いイメージしかないはずなのだ。 それが今のアスカは転校生を切なげに見つめている。 もしかするとアスカにもようやく春の到来かと一人盛り上がってしまう。 しかし、実際はそんな明るい話ではなかった。 シンジが、アスカを、無視したのだ。 その事実はアスカにとって、西から太陽が昇り東に沈むぐらいありえないことであったからだ。 そうあれは、まだ幼稚園へと入ったばかりの頃だった。 それまでは自分の容姿に疑問を抱いたことさえなかった。 だがある二人を除いて初めて形成された同い年のグループに入り、それが浮き彫りとなった。 日本とドイツのクォーター、黒くない髪、黒くない目、それだけで十分だった。 自分をとり囲み、同類でない事を笑う幼児たち。 それを真っ向から受け取り、自分を卑下する必要など無い事ぐらい今ならわかる。 「えぐ・・・っぐ・・・・・・」 それでも理解できない当時は泣いた。 何が悪くて、何がいけなくて彼らが自分を同類と認めないのかもわからず。 泣けば認めた事になり、更なる言葉の暴力にさらされる事になっても。 「アスカをいじめるな!!」 そんな時、絵本に出てくる王子様の様に現れたのは、いつもシンジだった。 決して同年代と比べて大きくないその体で、数で圧倒的に負けていたとしても。 必ずと言っていいほど助けにくれたのだ。 「アスカだいじょうぶ?お兄ちゃんが来たからもう泣かなくていいよ」 シンジだけでなく、もう一人慰めてくれた子が居た。 物心つく前から、親同士の仕事の関係上付き合いのあった二人だ。 だからこそ、シンジが自分を無視することはありえないのだ。 (戻ってきたんだ、いて当然じゃないか) 冷静を装って席に着いたシンジだが、酷く焦っていた。 シンジのシナリオには、アスカとの再会と言う項目が一切無かったからだ。 今この教室にいる生徒はシンジにとって石ころも同然だが、アスカだけはそうはいかない。 自分にとっても、アスカにとっても幼少期の思い出を無かった事になどできないからだ。 ガタガタっという複数の椅子を引く音に、つられて立ち上がる。 いつの間にか朝会が終わってしまったようだ。 少しの間を置いて、「礼」と委員長らしき女の子の声が上がった。 確実にアスカは自分の下へと来るだろう、もう何かを思いつくだけの時間は無い。 気遣うようにシンとした教室の中、足音が一つだけ聞こえ、自分の背後で止まった。 「シンジ」 うかがう様な声に、シンジは無理やり腹を決め振り向いた。 これは試練なのだ、 無視されなかった事に安堵したアスカは、自らを奮い立たせる為に普段どおりを装った。 「アンタねえ、勝手に居なくなったと思ったらふらりと現れて。一体何処で何してたのよ」 「それを聞いてどうする」 「どうするって」 そこでアスカは、シンジの表情に気付くべきだっただろう。 「心配したに決まってるでしょうが」 「俺には俺の都合があった。お前には関係ない」 アスカの事を「お前」と呼んだシンジの顔は、冷たかった。 何者も寄せ付けない冷気のような物までみえそうだ。 「関係ないって、関係ないはずないでしょ!」 シンジの言い草にアスカが声を張り上げた。 納得行くはずが無い。 あれから中学、高校と上がり、友達と呼べる人はたくさんできた。 だがあの頃三人で居た時ほど解り合い、手を取り合えた者はいなかった。 今現在互いに親友と言える洞木ヒカリも例外ではない。 関係ないの一言で切れてしまうほど、自分達の絆は細くないはずなのだ。 「もう一度言う、関係ない。俺に構うな」 「構うわよ。私たち何するのも一緒だったじゃない。遊ぶのも、怒られるのも!」 もうすでに教室の中は別の意味で静まり返っていた。 久しぶりに再会した男女の甘い幻想など、欠片も残っていない。 そんな静寂の中、アスカの声はどんどん強くなっていった。 「忘れたなんて馬鹿な事言わないわよね。忘れたとしても、私が思い出させてあげる。私とアンタとレ」 そこで強制的にアスカの台詞は止めさせられた。 パンっと言う乾いた音の後から、だんだんと熱を持ってくる頬。 呆然とした頭で痛みは感じなかった。 「あ・・・アス」 叩かれた頬を手で押さえたアスカに手を伸ばしてしまったのは、シンジのツメの甘さだ。 それでも伸ばしかけた手を握り締め引っ込めると、机から鞄を取った。 「碇シンジは、荷解きが残っている為早退。言っておいてくれ」 先ほど朝会の礼を言った人がいる辺りに適当に言うと、教室を出て行ってしまう。 教室内は時間が止まったままだった。 動き始めた教室内にヒソヒソと囁かれだすのは、当然のごとくシンジに対する酷評だ。 以前からのクラスメートと転校生、どちらに味方するか、言うまでも無い。 それだけでなくとも、会話を察するだけでは久しぶりの再会をぶち壊したシンジに非があるように聞こえた。 「なにアイツ、感じ悪い」 「あんなの明日から無視よ、無視」 恐らくこの現状が苛めに繋がるのは時間の問題だろう。 しかし、ようやく動き出したアスカの頭が囁いた。 (なんでシンジがなじられようとしてるの?) 転校初日の得体の知れない奴と思っているクラスメイトと、幼馴染としてシンジを見ているアスカとの差である。 アスカは叩かれた事に怒るより納得していたのだ。 彼女の名を出そうとしてしまったから。 「アスカ大丈夫?何なのあの子、折角アスカが声かけてあげてるのに」 「・・・・・・て」 ヒカリがアスカに駆け寄り、俯いているアスカを心配する。 「ねえアスカ。かかわらない方がいいんじゃないの?」 「構うなって言ってるんだから、思いっきり一人にしちゃえばいいのよ」 「・・・・・・めて・・・」 ヒカリに同調する声が上がった。 「この事他のクラスにも教えてさ、親衛隊とかっての動くんじゃねえ?」 「親衛隊って面か、あの集団?でも、面白そうじゃん」 「校舎裏に呼び出して制裁ってか」 非難から段々と無責任に状況を楽しむ声になっていっている。 ついにアスカが爆発した。 「やめて!」 怒声に再び凍りつく教室内。 「シンジは悪くないのに、悪いのは私なのに。何も知らないのに勝手な事を言わないで!!」 言われて初めて、中傷の対象が誰なのかを周りは思い出した。 アスカの幼馴染なのである。 冷たい仕打ちをされたからといって、陥れる算段を楽しく聞いていられるはずが無い。 激しく肩を上下させ息を荒げるアスカに対し、顔を伏せうな垂れるクラスメイト。 気まずい雰囲気が漂う中、アスカはヒカリに告げた。 「ごめん、気分が悪いから保健室に行ってくるわ」 皮肉ではなく、本当にアスカの顔色は悪かった。 シンジが知っているのは、教室を出て行くところまでだ。 荷解きが終わっていないのは本当で、あの後コンフォート17に戻ると部屋造りをしていた。 何も考えたくなかったからだ。 それは今も同じで・・・・・・淡々と現れるサキエルを撃ちとっていった。 訓練が終わった次の日、シンジにとって二日目の登校であった。 表立ってではないが、登校中は終始射抜くような視線と言葉が投げかけられ、それは教室でも変わらなかった。 人の口に戸はたてられない。 アスカに対して行なった仕打ちが広まってしまったのだろう。 解っていてやったことだから、それは構わない。 しかしこの状況は誤算であった。 「まいったな」 全てを無視して席に着くと、ため息と共に呟いた。 アスカを遠ざけようとして、逆に他の生徒の注目まで集めてしまったからだ。 本末転倒、情けなく感じる。 今まで戦い方を教えてくれた人は大勢いたが、人心掌握術・・・ 人心離脱術とでも言うべきか、教えてくれた人はいなかった。 是非とも教えて欲しかったものだ。 再びため息をつくと、ウォークマンを取り出してイヤホンから音楽を聞き出した。 凶暴な不良転校生と言う路線で行こうかと考えながら。 シンジがウォークマンを取り出したことで、聞こえないからと増える中傷。 実際は多少聞こえていたのだが、ガラリと教室のドアが開いたことで一切消えていった。 振り向かなくても教室を張り詰めた雰囲気が覆ったことで誰だか解った、アスカだ。 曲のテンポとは関係なく聞こえる僅かな足音。 「シンジ、お」 名前を呼ばれると直ぐに立ち上がり、教室を出て行くシンジ。 無論挨拶を返すようなことはしなかった。 「っと、失礼」 「?」 ドアの所でジャージを着た男とすれ違い、片手を上げて通してもらう。 黙って通るのではなく、意思の疎通を果たしてからだ。 ジャージの男はシンジの顔を知らないのか疑問符を浮かべつつドアをくぐった。 教室に渦巻くよく解らない雰囲気、思ったことをそのまま口にした。 「えらい減ってしもうたの。寂しいもんやで」 鋭過ぎる感覚は時に鈍いと同義になる。 このジャージの男――鈴原トウジが感じたものはアスカが感じている感覚と同じであり、 クラスの大半が感じている感覚は、同情と気まずさであった。 「なんや惣流そんな所に突っ立って」 「トウジこっちに来い、今はそっとしておけ!」 呆然と立ち尽くすアスカに話し掛けようとしたトウジを、メガネの男が引き離す。 「そっとってなんかあったんかい?」 「いや・・・それは」 メガネの男――相田ケンスケはトウジに本当のことを話すことをためらった。 トウジの性格からすれば、女であるアスカを叩いたシンジを男らしくないと殴りにいくかもしれない。 直情的な紳士と言う相反する属性を器用に持っている男なのだ。 ただでさえ重苦しいこの雰囲気をややこしくさせるわけにはいかない。 「そうだ。トウジ面白い話があるんだけど、聞くか?」 「唐突なやっちゃな。またガセネタやないやろうな」 「ニュースソースの出所が凄いからね」 そう言ってトウジに耳元を貸せと言ったケンスケは、すでに話をそらす目的を忘れていた。 自らが手に入れたビッグニュースを話す事で頭が一杯だったからだ。 それゆえ、話を聞くにつれトウジの顔色が変わっていったことに気付かなかった。 「ケンスケ」 「お、なんだよ」 話を聞いて驚くどころか、胸倉をつかまれ焦る。 「間違いないんやな」 「今回だけは絶対って言い切れるぞ」 尋常ではないその目つきに危険なものを感じ、声が裏返っていた。 そしてケンスケの胸倉を離し、シンジを追って走り出したトウジ。 なんなんだよと友達の不可解な行動に疑問符を浮かべ、とりあえず当初の目的を思い出したケンスケ。 これでトウジと言う一難は去ったと思ったが、本当の一難はこれからだった。 「転校生、そんな所におったら朝会サボりになってしまうで」 屋上の柵にもたれていたシンジは、聞いた覚えのない声に呼ばれ振り向いた。 先ほど教室ですれ違った相手だったが、声同様覚えが無い。 先日の使徒のせいで休んでいたのだろうとあたりをつける。 「わざわざ悪いな」 「なんのなんの、ワイらの街を守ってもらっとるんや。これぐらいどってことないで」 含んだような当時の言い草に、警戒心を強めた。 トウジが屋上のドアを閉めて、シンジに向かって歩いてくる。 「何の事を言ってるのかわからない」 「謙遜する事あらへん。ワイはほんま感謝しとるんじゃ」 「人違いだ」 「それはこれから・・・わかるんや!!」 知らぬふりをして過ぎようとしたシンジの頭の上を、トウジの拳が通り過ぎた。 正確には、先ほどまでシンジの頭があった場所をトウジの拳が通ったのだ。 身をかがめているシンジにトウジも気付いた。 ねじれた上半身に追いつくように、下半身を回してシンジを蹴りが襲った。 音が聞こえそうなほどの大げさな蹴りに悲鳴が続く事は無かった。 トウジの三歩先に立ち、振り向くシンジ。 「何のつもりだ?」 表面上は涼しげにしているが、内心はかなり冷や汗をかいていた。 トウジの行動が、避けられた事に気付いてからの蹴りと、一連の動作でなかったから避けることが出来た。 言動からすでにエヴァのパイロットだと知られてしまったのだろう。 動きから素人、一般人だと思うが、これがもし敵対組織の人間なら今頃自分は黒塗りの車の中だ。 「その動き・・・素人やないな。けど喧嘩慣れしとるようにも見えん。間違いないわ」 トウジは嬉しさと恐怖を二重に抱いた。 数え切れないほど喧嘩の場数を踏んではきたが、これほどの動きをした者は記憶に無い。 それでも拳を収められない理由があった。 「もう一度聞く、何のつもりだ?」 「お前が地べたに這いつくばった時に教えたる!」 再び殴りかかってきたトウジの拳を、自らの拳をそえる様にし軌道をそらした。 サキエルのパイルをそらした時と同じ要領だ。 悔しげに呻くと、次・・・また次と拳を繰り出すトウジ。 「なにやってんだよトウジ!」 屋上の扉を開けて叫んだのはケンスケだ。 心配になって追いかけてきたのだろう。 「なんやケンスケ、いい所を邪魔すんなや!」 「俺としてはこの人を止めて欲しいのだが・・・」 「お前が殴られれば止まったるわい!」 ケンスケに目をくれることなくシンジに手を出し続けるトウジ。 シンジもシンジで、攻撃を受け流すだけで一向に手を出す気配も無い。 体格は二人とも同じようなものだが、まるで駄々をこねた子供を軽くあしらっているようにも見えた。 転校生であるシンジの身を案じてきたケンスケだが、自分が来ても全く意味が無い事に気付いた。 決して自分が小柄と言うわけではないが、それでも大柄な部類に入る二人の喧嘩に仲裁に入る勇気は無い。 それにこのままでは転校生と言うより、トウジの身の安全を心配する事になるかもしれない。 「転校生、俺が戻ってくるまで手を出すんじゃないぞ!」 人を呼びに言ったであろうケンスケを見て、シンジが呟く。 「人が来るまで十分か」 「そんだけあれば十分じゃい!」 ケンスケが呼びに言った事もそうだが、そろそろ諜報部が動き出す頃でもある。 相手が子供でもあることから、身元の確認や上司への行動の伺いを立てねばならない。 もちろん相手がそれなりの物を出せば、超法規的な処置がとられてしまうが・・・ 「そろそろ理由を話してくれないのか?」 「ワシはなぁ。お前をなぐらないかんのじゃい!」 「理由になってない」 疲れから動きが鈍くなった変わりに、口が動き始めた。 「なにが・・・要塞都市や。妹の身一つ守れんと!」 鈍くなったはずのトウジの拳が、シンジの頬をかすった。 明らかに同様を見せているシンジ。 「何が・・・兄貴や。妹の仇一つ討てんと!!」 明らかに大降りの拳がついにシンジを捉えた。 軽く吹き飛び無様に倒れこむシンジに続いて、トウジが地面に膝を落として息を荒げた。 倒れたシンジは動く気配が無く、トウジの荒い息だけが辺りに響いていた。 やがて息を整えると立ち上がり、倒れるシンジの前に立った。 「この前の騒ぎで、ワイの妹が大怪我したんや。誰のせいやと思う?」 返事はない。 「お前のせいや。お前が足元気をつけて戦わんもんで、妹が落ちてきたコンクリの下敷きになったんや!」 整えた息が再び荒くなったが、トウジは最後の言葉を振り絞った。 「今度からは足元に気をつけて戦え。そないやなかったらワイは何度でもお前を殴ったる」 気が済んだとばかりに屋上を出て行こうとすると、ケンスケがヒカリとアスカを伴ってやってきた。 視線だけでもう終わったと伝えると、アスカが倒れたままのシンジに走り寄った。 「シンジ!」 全く動かないので気を失っているかと思ったが、シンジは目を開けていた。 ギュッと手を握り締めていると、アスカが伸ばした手を制して立ち上がる。 その目に行き場の無い怒りを抱いて。 「たった一発で満足なのかよ」 「なんやと?」 か細い声だったが、しっかりと聞こえたトウジは顔色を変えた。 「妹が傷つけられて・・・お前はそれだけで自分を許せるのか!」 「傷つけた本人が何言うとうんじゃ!」 「止めろトウジ!」 「鈴原!」 殴りに行こうとしたトウジを、ケンスケとヒカリが無理やり押さえつける。 しかし止める必要は無いと言いたげに、シンジの言葉は続いた。 「悔しいんだろ、守れなかった自分が。どうして妹が・・・何故変わりに自分を傷つけなかったんだって!」 事情を完全に把握していなかったアスカ達が、ようやく事情を察した。 トウジの妹は三人とも会ったことがあるからだ。 しかしアスカはシンジの台詞の中に不穏な何かを感じた。 「傷つくべきは・・・死ぬべきは俺だったんだ。なのになんであの時、俺は!!」 「違う!」 違うとシンジに縋って叫ぶアスカを見て、トウジの動きが止まった。 シンジの言葉の矛先が自分ではない事に気付いたからだ。 そして、守れなかった自分が悔しい事は、本当のことだったからだ。 「違わない、あの時俺は・・・なにも知らずに!」 「違う、シンジは悪くない!」 トウジは悟ってしまった、シンジが自分と同じ苦しみを知っていると言う事を。 断片的な会話しか聞いていないケンスケとヒカリもそうだ。 誰も動けない空間で、シンジのちくしょうと言う言葉とアスカのもういいからと言う言葉がこぼれた。 そしてこぼれた言葉を打ち消すように、シンジのポケットから響く電子音。 取り出した携帯から聞こえたのは、ミサトの声だった。 「シンジ君、使徒が現れたわ」 |